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    夜も更けて、皆が眠りに就いた頃。
    あわただしく、臣下が項羽の部屋の前で声を上げる。
    「項羽様!項羽様!!」
    項羽は、眠たい目を開けて入るように促した。
    「何事だ」
    「申し上げます、先ほど見張りの者から報告がございました。我が軍が完全に包囲されたとの事です!」
    彼の寝台の前に膝まづき、悔しそうな声を出しながら、彼は口を開いた。
    「!」
    隣に寝ていた虞も、口に手を当て驚く。
    「項羽様!」
    彼は、すぐ側の外が見える場所に移動する。
    夜の闇の中に、遠くで炎が燃えているのが分かる。
    かがり火だ。
    目を凝らすように、それを細くしていた項羽の目がわずかに見開かれた。
    「…お前には、これが何のように聞こえる?」
    近くの臣下に、前置きもなく尋ねる。
    何の事か分からず、聞き返す。
    「は?」



    「何に聞こえると言っている!」



    彼の怒鳴り声に、身を縮め、静かに周りの音に聞き入る。
    そうして、気付いた。
    「…恐れながら、これは…」
    そう言って、一息置く。



    「項羽様が祖国、楚の国の歌にございます」



    勢いに任せて、壁を叩く。
    ドン、と大きな音が部屋に響いた。
    パラパラと壁から砂が落ちる。
    「我が故郷までも、劉邦の手に落ちたと言うのか!!」
    もう、兵も食料も尽きてきた。
    万策尽きるとは、この事か?
    自嘲気味にかれは笑みを浮かべる。



    ―――否、まだだ



    「項羽様」
    「皆を集めよ」
    先ほどとは打って変わって、静かな声音。
    臣下は、膝をついたまま、彼を見上げる。
    「宴を開く。あるだけの酒と食料を用意させよ!」




    宴が始まり、皆、それぞれに酒を注ぐ。
    項羽のそばには、絶えず虞という美しい娘が寄り添っていた。
    項羽の愛を一身に受け、それに応えるように。
    そして、彼に愛された名馬、スイ。
    それもまた、彼に応えるように従ってきた。
    それは、疾風の如く、雷の如く。
    項羽が口を開くと、今まで騒がしかった雰囲気が、自然に静かになる。
    しんと静まり返った中で、項羽の声だけが響き渡る。
    低く、通った声が。



    『力は山を抜き、気は山をおおう
    時利あらず、スイ行かず
    スイ行かず、如何すべき』



    その詩は、途中で何度も止まりそうになった。
    だが、止まる事はない。
    彼の手は、堅く握られている。
    行き所の無い、憤りの感情へと振り下ろされる為に。



    『虞や虞や、汝を如何せん』



    彼の瞳は、虞へと向けられる。
    淡く微笑むと、彼女は髪を軽く直し、立ち上がった。
    シュルリと衣擦れの音がする。
    持っていた布は、さながら天女の羽衣のように宙に舞う。
    そして、項羽の歌に合わせて舞い始めた。
    白く細い手は、今にも儚く散ってしまいそうで。
    項羽が、同じ詩を繰り返し詠い、虞もそれに倣って舞う。
    彼の目から、一筋の涙が流れ落ちる。
    それをぬぐう事もせずに、詠い続けた。
    誰も、それを仰ぎ見る事はかなわない。
    項羽が詠い終わると同時に、虞は、彼の前へと膝まづいた。
    立ち上がると同時に、彼の腰から短剣を抜く。



    『我愛ニィ』



    立ち上がる瞬間、彼の耳元で静かにささやく。
    彼にしか聞こえない声で。
    項羽の瞳は、大きく見開かれる。
    もう、名前を呼ぶ事も叶わない。
    選んだのは自分自身。
    彼女は、優しく彼に微笑むと、手に持ったそれを自分の胸へと突き刺した。
    「…っ!」
    真紅の花が咲く。
    項羽は、彼女が前へ倒れ込むと同時に、
    彼女の白い首へと、横に置いていた長剣を抜き、振り下ろした。
    一同が目を見張る。
    分かっているから、何も言えない。
    自分にも、もしかしたらこんな光景が来たかもしれないのだから。
    項羽は、長剣を抜くと、それを捨てるように落とす。
    彼女を抱き起こし、胸に刺さったそれも抜いた。
    まだ温かい、さっきまで人だったものを抱きしめる。



    「……虞や、虞や…汝を如何せん…っ」




    星と月と、漢の軍のかがり火だけが、彼女を照らす。
    砂へと埋められていく彼女の額に口付けをして、そっと囁く。



    『我愛ニィ』



    彼女だけに聞こえるように。
    「項羽様、支度が整いました。お早く!」
    臣下の声が耳に響く。
    一番聞きたい花は、自分で散らしてしまった。
    彼は、皆が待つ場所へと歩き出す。
    彼は知る事が無かった。
    彼女を埋めた場所から真っ白な花が咲いた事を。
    その花が虞美人草と名づけられた事を。






    END


    あとがき

    国語のテスト用に作成した物です。
    四面楚歌の場面ですね。が、大分脚色しています。色々と。
    私の学校の国語のテストは変わっていて、感性第一だそうです(笑)。
    例えば、この場面を描写せよ、とか、短歌を読んで、作者の心理を交えながら解説せよ、とか。
    私は、こうして小説を書いたりしているので、楽しいのですが、時間が無いのですよ。
    もう少し時間があれば、もっとまともな物が書けるんですけどねえ。


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