晴れた、麗らかな午後。
空は高く、蒼く、昇った陽女神の加護は地上に降り注ぎ、光を満たした。
小川の煌くせせらぎに、鳥の囀り。
闇に蠢くものなど織らぬように、否、織らずとも良いのかもしれない。
添うして織らぬままに終わらせるのが最善。
少なくとも彼は添う思っている。
穏やかに流れる此の戦国の世の束の間に、
例えひとときであったとしてもまどろみたい。
なのだから、気のせいだと思いたい。
派手派手しく響いた爆音にも似た轟音など、気のせいなのだと。



斉放





「…あの、莫迦」
川岸に腰を降ろしていた歳若い法師は、肩に立て掛けていた錫杖をしゃらりと鳴らした。
ほとほと呆れ果てたとも取れる声色と溜息に、
川の水を汲んでいた女も轟音のした方を見やる。
「どうせ犬夜叉がまた何かやらかしたんじゃ」
「だろうね。どうする、法師様?」
「放っておきなさい、珊瑚、七宝。犬も食いませんよ」
間を置かず、『大っ嫌い』と『莫迦』と言う叫びが聞こえる。
序でに『おすわり』とも聞こえた。
もう一度轟音が響き渡る。
「あ、かごめちゃんだ」
土手を歩く少女を認め、珊瑚は顔を上げた。
近付き難い雰囲気を醸し出すかごめに、七宝は僅かに顔を蒼くする。
尻尾を丸めて縮こまる妖かしの幼子を一瞥すると、弥勒の膝へと座らせた。
珊瑚は早足で去っていくかごめの背中を追う。
足元に居た猫又もちょろりと珊瑚に付いて行った。
「犬夜叉はかごめを怒らせる天才じゃ」
「喧しい」
ごす、と鈍い音が脳天で星を散らした。
一瞬くらりと傾いだ七宝は、慌てて体勢を立て直す。
「何するんじゃ!!」
犬夜叉と呼ばれた少年は着物に付いた土埃を払いながら、幼子をねめつけた。
琥珀色の瞳は仄かに明るく煌いて、
言ってやったことは無いが実は其の色が好きだった。
其の贔屓目を差し引いたとしても、
彼の少年の狼藉を許容するには七宝は未だ未だ大人に成り切れない。
半分であろうが妖かしであるくせに、魔除けの色を纏うなど風変わりにも程がある。
犬夜叉はぶすりと口を尖らせ、弥勒との間に一尺程空けて腰を降ろした。
「……犬夜叉」
「何だよ」
「訊くのも野暮やもしれんがな、今度は一体何をした」
「ヒトが何度も何度もやらかしてるみたいに言うな」
「事実だろうに」
苦虫を噛み潰したような顔をして、犬夜叉は顔を逸らした。
弥勒と違って、何をするにも不器用なのだ。
言葉にしても上手く伝わらない。
態度にしても誤解を生む。
生真面目過ぎる気がしないでもない。
「…昼寝しただけだ」
ぽつりと漏らす彼に、弥勒は、はぁ?と間の抜けた返事を落とす。
「あったけぇし、すること無かったし、気が付いたら寝てた」
「其りゃ怒りますよ、かごめ様だって」
何で、と返す犬夜叉は間違いなく理解していない様子だった。
二人きりだと言うのに、することも無いと言い切られては良い気はしないだろう。
会話していたのか如何かすら分からないが、
其れでも相手に眠られてしまっては此方は如何しようも無い。
膝元でうとうとし始めた七宝の背を撫でてやり、弥勒は深々と溜息を吐いた。
「自分で考えろ」
緋染めの衣が風に翻る。
紫暗の括り紐が其の先で揺れた。
風が、微かに秋の香りを含んでいる。
夏も終わり、秋が来る。
添うして何もかもを白が覆い尽くす冬が、来る。
涼しくなって来た気候が心地良い。
「大体だな、犬夜叉。女子と折角二人っきりだと言うのに何もしない奴が居るか。添ういう時はこう、手を握ってだな、其れから折りを見て…」
「御前は俺に何を教えるつもりだ」
傍に珊瑚が居たら間違いなく八つ裂きにされるであろう台詞を吐く弥勒に、犬夜叉は呆れる。
自分には、添ういう男女のやり取りは向いていないように常々思う。
甘言も睦言も、回りくどい雅さを宿した歌詠みも、
曖昧に真実を濁した空言のように聞こえてしまうのだ。
だから、頭が廻らない。
「…莫迦みてぇに」
弥勒は白銀の髪が靡くのを目の端に映す。
見目醜悪なものも確かに少なくは無いのだが、妖かしは総じて美しいものが多い。
犬夜叉も其の例外では無いのだろう。
何時か、かごめが少年の母を美しいと言っていたのを思い出した。
犬夜叉は聞いていなくとも構わないのか、
春の雪が舞うようにほとり、ほとりと言の葉を零す。



「安心するんだ、かごめの傍に居ると」



優しい香と、心地良い花音。



「此の戦乱の世で、安心出来ることなんてひとつも無ぇのに」



血生臭さを何時も何処からか感じる日ノ本を、安全だと言い切れる筈も無く。



「俺ばっかり安心してて、でもかごめには何も…返せなくて」



離れたくないのだと我儘ばかり。
其のような資格は何処にも無いのに。
少女の、あたたかな家族を織っていても尚、手放すことなど出来なくて。
何もかもが終わった其の時を考えるのが恐くて堪らない。
一度は決めた筈、なのに。
「…だ、そうですよ」
笑いを噛み殺して振り仰ぐ弥勒に、犬夜叉はぎょっとする。
臭いに気付かない程、思い詰めていたのか。
其れとも、何時も身近に在り過ぎて、其の香りが在るのが当然のように思っていたのか。
どちらにしても、犬夜叉は自分の迂闊さを呪う。
居ないと思ったからこそ紡いだ言の葉はもう、取り消すことなど出来ない。
真っ赤な顔をしたかごめの後ろに、弥勒と同じように笑いを堪える珊瑚が見える。
自分の顔も、恐らく朱に染まっていることだろう。
かごめは踵を返して、犬夜叉に背を向けた。
「…仕方無いのと、嬉しいのと」
「は?」
唐突な少女の台詞に、怪訝そうに首を傾げる。



「其れでいっぱいになっちゃったから、私は許すしかないじゃない」



頬を膨らませて言うかごめに、犬夜叉は思わず噴出す。
其れに気付いたのか、少年には見えなかったが少女は益々顔を顰めた。
あぁまで言われて、許せない女が居る筈無い。
最上の口説き文句だ。
本人は分かっていないだろうけれど。
如何しようもないくらいに惹かれているのは、少女だけだろうか。
如何しようもないくらいに愛おしいと想うのは、少年だけだろうか。
想い合うからこそすれ違う。
すれ違っていても想い合う。
想い、想われ、恋い、焦がれ。
想いは、尽きない。
だから。




だから、何時か。
だから、如何か。






君に好きだと。
君が好きだと
―――…伝えても、良いですか?






あとがき。
久々に犬かご?小説。
殆ど弥勒様ばっかだよぎゃふん。
思いついて一気に書き上げました。





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