ただ、それだけで救われたのです。
ただ、それだけで報われたのです。


たった、その一言で暗闇は明るく照らされたのです。




たった、その一言は語られることは無かったのです。






幼子の顔の3倍はあろうかというスケッチブックに、
小さな手を一生懸命動かす。
吸っていた煙草を灰皿に押し付け、
眼鏡を掛けた男は幼子の背後で屈みこんだ。
「何を描いているんですか?」
「んーっとね…」
手にしていた黄色のくれよんを箱へと戻す。
その手でスケッチブックを掲げた。
「こっちが金蝉で、こっちがケン兄ちゃん。で、こっちが…」
「俺、ですか?」
「そう!すっげー、天ちゃん!!何でわかったの?!」
きらきらと、瞳を輝かせて悟空ははしゃいだ。
辛うじてヒトの形をとどめたソレは、髪と瞳の色で見分けるしかない。
それでも、幼子に関わるような人物は数えるほどしかいなかった。
「じゃあ、こっちは…ナタク?」
「…う、ん」
途端、大人しくなる。
スケッチブックを握り締めたまま、小さく俯いた。
まだ、気にしているのだと分かったときには遅かった。
友達だと胸を張って言えるただひとりに、
素知らぬ振りをされてから、そう時間は経っていない。
話題を変えようと、彼のくれよんに目を落とした。
あからさまに、黄色だけ減りが早い。
「悟空。コレだけ随分と短いんですね」
座り込んで、幼子と視線を合わせる。
「え…うん?」
こくりと頷く。
「何をよく描くんですか?」
天蓬は微笑みながら、悟空に尋ねた。
恐らく金蝉だろう、と見当をつけて。
「えっとね」
小さな手がぱらぱらと、スケッチブックをめくる。
掲げて見せられたのは。





「太陽だよ」





そこにあったのは、白と黄色を何度も重ね塗りした大きな太陽。





「太陽…?」
思わず、呆けて呟いた。
「そう、太陽」
にこり、と微笑む。
「金蝉がね、言ったんだ」
真っ白なページを開いて、床へと座り込む。
今度は、黒いくれよんを手にした。
「黒とか、灰色とか、そういう色のくれよんはいらないだろって」
話の繋がりが見えず、とりあえず頷く。
この幼子が、突拍子もないことを言い出すのはいつものことだ。
「でもね、絶対いらない色って無いんだ」
ぐりぐりと殴り描くように、黒の円を塗り潰す。
「黒はケン兄ちゃんの服に使うし、灰色は曇り空に使う」
灰色のクレヨンに持ち替え、線は雲を形作った。
「くれよんも、この世界も同じだと思ったんだ」
ふと、手元を止めて、ぱらりとくれよんから手を離した。
頭は俯いたまま。



「だって、太陽が照らすところには、絶対に要らないものってない」



広い大地を包み込む、暖かな日差し。





「意味があるんだ」





今、ここにある全てに意味があるように。
大地に育まれた全てにも意味がある。
それは、ヒトとて例外ではない。
「ナタク、前に言ってた」
小さな手を握り締め、さらに俯いた。
「『自分なんか、誰も必要としていない』って」
滲んできた涙を、力いっぱい擦る。
瞼がほのかに紅く染まった。
動くたびに、鎖が冷たい金属音を奏でる。
「だから、ね。少しでもいい」
歪められた眉根を、必死で元に戻そうと、
泣くのを我慢しているのが分かった。



「ほんの、少しでもいいから」



黄色のくれよん。
半分まで擦り減ったくれよん。
幼い想いを。
届かぬ願いを。
ただ、込めて。




「ナタクが、それに気付いて欲しいって思いながら」




ただ、祈って。




「太陽を描くんだ」




目の前の子どもを、一体自分はどんな顔をして見ているのだろう。
不意にそんな、不思議な感覚に囚われた。
「悟空」
また新しいページを開き、今度は橙色と黄色の太陽を描きだす。
「いっぱい、いっぱい描いたら、どれか1つでもナタクが見るかもしれないだろ」
その手は止まらない。


「悟空」


ぐりぐりと、色を混ぜながら描かれていく太陽は、夕暮れのそれと酷似していて。


「だったら、俺、いっぱい書くよ」


とても。


「悟空」


それは、切なく見えて。


「だって、俺、まだ名前も教えてないんだ」


ココロを締め付けて。


「悟空」


天蓬の声など、届いていないかの如く。
ただ、ひたすらに。


「だから…」


太陽だけを。




「悟空…!」




言って、天蓬は悟空を抱きしめた。
「もう、いいんです」
「天ちゃ…」
「ナタクは、分かっていますから」
煙草の匂いが染みた白衣に、悟空はしがみつく。
「…あ…あぁ…ッッ」
関を切ったように、涙が大きな瞳から零れ出した。
「ひとりじゃないと、織っていますから」




―――貴方が、そうであるように






『友達』だと、たった一言紡いでくれれば良かったのです。
それだけで良かったのです。


それ以上は何も望まなかったのです。



貴方がひとりと思うのならば、私は貴方を照らしましょう。




貴方を照らす、太陽に。


貴方を照らす、黄色のくれよんになりましょう。






END



あとがき

ほんわか、あったかストーリーになる予定が、
何故だか、こんなどシリアスに。
はて?
まぁ、これはこれでよしとしよう。


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