たった一言。
とても短くて、簡単で。
世界一難しい言葉。


だからこそ大切で、愛おしい言葉。


ね、貴方に届いてる?




『好き』の言の葉





ぱたぱたと、忙しない足音が廊下に響く。
淡い紫の髪をした少女が蒼色の小動物と共に走っていた。
両手には本を大量に抱えている。
「ん、っしょ」
「クィッキー」
クィッキーと鳴いた蒼色の小動物が、器用に飛びついてドアノブを廻す。
ひとつの部屋のドアを開けると、灯が中から漏れた。
「キール、いるか?」
返事がない。
そぉっと部屋を覗くと、聞えてきたのは静かな寝息。
あ、と小さく声を漏らす。
「寝てる、な」
「クィ…」
「しぃっ!クィッキー、静かにするよっ」
鳴きかけたクィッキーに、静かに忠告した。
足音を立てずに、眠っている彼の元へと歩み寄る。
持って来た蔵書は、傍の空いているスペースへと置いた。
と言っても、この部屋は殆どが本や資料で埋め尽くされていて、
空いている場所の方が少ないくらいだ。
部屋の主に言わせれば、まだまだ足りないくらいらしい。
蒼く長い髪が、音もなく頬を流れる。
綺麗だ、と彼女は思った。
勿論、そんなことを面と向かって言えば、顔を真っ赤にして怒るに違いない。
思い浮かべて、少女はクスクスと笑う。
「ん…」
聞えたのか、それとも、夢が途切れたのか。
彼は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「メル、ディ?」
何度か目を瞬かせ、身体を起こす。
軽く背伸びをすると、メルディと向かい合った。
「起こしちゃったな、キール」
苦笑して、メルディはクィッキーを抱き上げる。
「いや、そういうわけじゃ」
ぷい、と顔を背けて、手元にあった本をパラパラと捲る。
「何か用だったんじゃないのか?」
「バイバ!忘れてた」
くるりと振り返って、先ほどの本をキールへと手渡す。
「頼まれてた本、持って来たよー」
手渡された本はずしりと重かったが、こういう重みは嫌いではなかった。
「すまない」
何冊かにざっと目を通す。
むぅとして、メルディは彼にずい、と近付いた。
「キール、間違い。こういうとき、『ありがとう』言うな」
いきなり顔を近づけられて、思わず後ろのめりになるキール。
「あ…ありがとう」
「はいな」
満足したのか、メルディはにこりと微笑った。
そうして、不意に真剣な顔になる。
「あのな、キール」
「うん?」
観れば、彼は机にあったレポート用紙に、何事かを書き殴っている。
グランドフォールが起こり、防ぎ、その後からはずっとこうだった。
インフェリアとセレスティアを繋ぐ橋はもう無い。
2つの世界は、遠く離れてしまった。
それらを繋ごうと、キールは必死で方法を探している。
インフェリアは彼の生まれ故郷。
帰りたいと思うのも、無理はないと織っていた。
けれど、そう思う度、メルディは心の奥がちくり、と痛むことも織っていた。
織っているからこそ、不安になった。
彼のいない世界が、独りになってしまう時が、いつか来るのではないだろうか、と。
今のメルディにとっては、グランドフォールよりも、
そちらの方が怖かったのかもしれない。



「メルディ、キールがこと好きよ」



バサバサと、何冊かの本が床に落ちる。
重ねていた本の山が幾つか崩れた。
相変わらず、この手のシチュエーションには弱いらしい。
「な、何…いき、っ?!」
最早、何を言いたいのかも分からない。
耳まで真っ赤にして、うろたえる。
「キールがこと、大好きよ」
キールのうろたえぶりに苦笑して、メルディは言う。
「キールは、メルディのこと好き、か?」
彼は何も言えず、金魚のように口をパクパクとさせる。
何か言いたいのはわかるのだが、感情が先走って、音を紡げずにいた。
やっとのことで、彼は声を絞り出す。



「き…嫌いじゃ、ない」



それだけでも、決死の努力を要したに違いない。
「それって、好きってことか?」
一体、何度繰り返した会話だろうか。
何度も何度も尋ねて、答えて。
けれど、決して『好き』だとは言ってくれない。
照れているのは分かっているのだが、たまには言って欲しいのが乙女心。
「『嫌いじゃない』は、『嫌いじゃない』だっ!」
「だから、それって、好きってことか?」
「しつこいぞっ!!」
「じゃあ、『好き』って言ってくれないなら、キスしてな!」
ピシリ、とキールは自分の意識が音を立てて凍りつくのが分かった。
はっきり言って、どちらの選択も顔から火が出るほどの行為。
考えることを拒否しているのか、彼は1ミリも動けないでいる。
「どっちもイヤ、はダメ!」
じりじりと、にじり寄るメルディ。
諦めたのか、彼はメルディの肩をがし、と掴む。
「ごめん」



メルディは怒っていた。
きぃっ、とイライラを隠しもしない彼女に、周りの人間は苦笑する。
「メルディ、今度は一体何ごとですか?」
自由軍シルエシカの副官アイラは、柔和な笑みを浮かべて尋ねた。
ぐるりとアイラへと振り返ると、叫ぶ。
「キールにキスされたよーッッ!!」
「惚気を言いに来たのか」
後ろで聞いていたインフェリアでの衛兵隊長ロエン・ラーモアが、げんなりと顔を顰める。
「まぁまぁ、ロエン。メルディも落ち着いて」
笑って、アイラは2人を宥める。
『好き』だと言えないなら、キスして欲しいとせがんだのはメルディだ。
どちらでも嬉しいのだが、本来の目的は『好き』だと言わせること。
キスなんて、照れ屋のキールが絶対にするはずないと踏んでいたのに。
こともあろうか、彼はキスする方を選んだのだ。
勿論、額にではあるが。
「メルディ、キールに『好き』って言って貰ったことない」
しゅん、と項垂れる彼女に、アイラはサイカロ茶を差し出す。
「彼は貴女を大切にしているじゃないですか」
「分かってる。メルディ、欲張りな」



メルディは、4人で旅をしていた時を思い出していた。
リッド、ファラ、メルディ、キール。
何気ない会話を交わす、リッドとファラがいつも羨ましかった。
今でこそ不器用に優しいキールだが、
殆ど本を読んでいて、相手をしてくれなかった。
最初ほど嫌われていないと感じてはいたものの、
近付き難かったのもウソじゃない。
「おーい、ファラ。獲物、獲ってきたぞー」
「ありがと、リッド。大好きっ!」
言って、リッドの腕にしがみ付く。
「こんな時だけ調子のいい奴」
笑いながら、彼はファラの額を小突いた。
んもぅ、と頬を膨らませて、顔を合わせて笑うのだ。
そんな穏やかな雰囲気が、羨ましくて。
あの頃の自分にとっては、どこか遠く思えた。



まぁ、とアイラは口を綻ばせる。
「『好き』と言うだけが、形ではありません」
言い説くように、彼女はゆっくりと視線をメルディと合わせる。
「静かに、想うだけの愛もあります」
例えば、届かぬ愛があるように。
届いてはならないと、織っている愛があるように。
「けど…」
メルディは言い淀む。
それは、彼女が望んでいない愛の形。
何が言いたいか、アイラは分かっているかの如く頷いた。
「決まった形なんて無いのです。貴女達は貴女達の形を探せばいい」
「学士は、こういうコトになると途端に鈍くなるらしいからな」
ロエンも一緒になって続ける。
その口調は、どこか、仕様の無い弟でもいるような言い方だ。
「純情と言うのですよ」
アイラはフォローを入れたが、フン、とロエンは顔を背ける。
「同じことだ」
「そうね、同じね」
苦笑して、メルディも頷く。




「でもメルディ、キールがそういうところ」




忘れるところだった。
ぶっきらぼうなところも。
とても照れ屋なところも。
不器用なところも。
キールを創っているものを全部ひっくるめて。





「大好き、よ」





メルディは、そう言って微笑んだ。



その頃、キールはと言えば、自分のしたことに落ち込んでいた。
メルディが何を望んでいるかくらい、あの会話を考えれば分かることだ。
だが、敢えてキールは逃げた。
「どうして僕はこうなんだ…」
何度目か分からないため息をついて、その場に座り込む。
部屋の中に残っていたクィッキーが、キールを慰める。
「クィッキー」
「お前に慰められるなんて、僕も情けないよな」
涙が出そうになる衝動を抑えて、立ち上がる。
キィ、とドアの開く音が聞えて、慌てて振り返った。
「メルディ…」
クィッキーは、彼女の姿を確認すると一目散に飛びつく。
くすぐったそうに、メルディはクィッキーを肩に乗せた。
「…キール、あのなっ」
言いかけた彼女の肩を掴んで、キールは俯く。
「キール?」
「さっきは、その、だな。えっと…すまなかった…」
謝られるとは思っても見なかったメルディは、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「ベ、別に、イヤとかじゃなくて、言いたくないわけでもなくて、その…」
目前にあるキールの面は、上から見ても耳まで真っ赤だと気付いた。
くす、と笑うと、彼女は口を開く。
「キール」
キールは遮る勢いで、まくし立てる。
そうでもしなければ、2度と言えないとでも言うように。
「僕にとって、その言葉はとても重要で大切で」
彼が努力しているのが分かったから、
メルディは、じぃ、とキールの台詞を待つことにした。
「簡単には言えないんだ」
微かに首を傾げて、彼女は言う。
決して哀しげではなく、不思議そうに。
「メルディは、大切だから伝えたい思ったよ?」
「僕は、と言っただろう」
がば、と顔を上げると、紫色の瞳とかち合う。
至近距離を思い出して、更に顔が赤くなった。
「いや、そうじゃなくて。だから、だな。あの、えっと」
しどろもどろになる口調を、必死で抑えた。




「もうちょっとだけ、待って貰えないか…?」




微笑んでゆっくりと頷く。



「はいな」



こつん、と彼の下がった頭に額をくっつける。
「メルディ、待ってるよ」
「…うん」





少しして、キールはメルディへと視線を投げた。
本を読みながらではあったけれど。
「インフェリアへ渡る方法も、もう少しだけ、な」
「帰りたい、か?」
不安そうに、今まで黙っていた台詞を口にする。
「え?だって、お前も、ファラ達に早く会いたいだろう?」
何を言い出すのか、ときょとんとするキールに、メルディは思わず吹き出した。
あぁ、そうだ。
貴方はそういうヒト。
言葉が無ければ不安だなんて、どうして思ったのだろう。
とんでもなく不器用で、愛情表現が苦手な貴方は、
いつだって私を大事に思ってくれていたのに。
だから、焦らないでゆっくり行こう。
1歩、2歩。
それでも確実に、前に進んでいるのだから。



私は、貴方というヒトを愛したいと願ったのだから。




END
あとがき。
初キルメル小説ー!
どうかしら、甘いかしら?!
可愛いキールを書きたかったのですよ!(間違い)



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