はらはらと舞う雪が、ひとつ、またひとつと。
ずっと忘れていた太陽の光に透けて、雨に変わる。
雪に埋もれていた小さな芽も、
白い塊を押しやって地上へと頭を出した。


常冬の白い大地にも、僅かな春がやってくる。




IrritateD





眩しい日差しに目を細めて、ハロルドはうぅんと背伸びをした。
「空が蒼いなんて、忘れていたわねぇ」
のんびりと呟く。
足元を見やれば、新緑、とまでは行かないが、
真新しい緑が顔を出していた。
「あら、アンタも太陽につられたの?」
くすくすと笑いながら、ちょこんと隣に座り込む。
濃い桃色の髪が、小さく風に揺れた。
「風が気持ちいいと思わない?ねぇ、兄
―――…」
振り返って、いつもいるはずの存在へと声をかけそうになる。
そうして、誰もいない広がる白に、思わず、あ、と声を漏らした。
「はは…あはは!なぁんちゃって〜?」
誰かに弁解するかの如く、ハロルドはわざと声を張り上げる。
けれど、その声も虚しく霧散する。
よ、と掛け声が聞えたかと思うと、彼女は立ち上がった。
「そろそろ行かなきゃ、リトラーに叱られちゃうわ」
言いながら、サクサクと雪を踏む音が遠ざかっていく。
『あんなハロルド、初めて見ましたよ』
完全に聞えなくなってから、深々とため息をつく男が1人。
真白な大地とは不似合いな、真っ黒な衣装を身に纏っている。
それだけではない。
仮面ともつかない、モンスターのされこうべを被っている。
端から見れば、変わったどころではないのだが、
本人が好きでやっているので、
最早パーティの中では文句のひとつも出ない。
『ジューダス』と名乗っていた。
『どうしたんですか、坊っちゃん』
先ほどのため息に、背中辺りで声だけが問い掛けた。
ソレもそのはず。
彼が長いマントの下に、
隠すようにして携えているのは『ソーディアン』という物言う剣。
太古の天地戦争で用いられたとされる、伝説の剣だ。
もっとも、彼が今現在いる時間軸は、まさにその天地戦争時代なのだから、
太古の、と言うには正確ではない。
「…僕は、あの時選んだ道に後悔はしていない」
ポツリと漏らされた声に、え?と『ソーディアン・シャルティエ』は聞き返した。
「けれど本当は、残された者の気持ちなんて、考える余裕が無かったんだ」
何が言いたいのか、何を言おうとしているのか、
幼少より連れ添ってきたシャルティエは、彼が言わんとしていることを即座に理解する。
ただ、黙って耳を傾けた。
彼が言う『あの時』とは、大切な者を護るため、かつての仲間を裏切った時のこと。
生命を賭してまで、護りたい者があった時の話。
「あいつも、あんな風に…苦しんだのか?」
考え出せば止まらない。
余裕が出来た今だからこそ、色々と考え込む。
時には、その罪咎に非道く心が痛む。
贖罪だとでも言うように、かつての仲間の息子達と旅をしている。
けして、あの頃に戻れないと分かっているのに。



『傷付かない人間なんていませんよ』



暫く黙っていたシャルティエが、不意に口を開く。
『どんな形であれ、傷付かない人間なんていない』
繰り返して、言う。
『坊っちゃんが傷付いたように、ルーティもまた…』
彼の俯き加減の表情が、見えているわけではない。
けれど、手にとるように分かるのは、長年の付き合いと言うものだろう。
いつまで経っても、少年のままの主人に苦笑するように口を開く。
『傷付いたかもしれません』
きゅ、と小さく拳が握られた。
白い肌は、雪に溶けてしまいそうに儚い。




『だって、彼女は最期に、坊っちゃんを呼んでくれたじゃないですか』




泣いてくれたじゃないですか。
最後に小さく呟いた。
己の痛みや、苦しみには慣れたはずなのに、
どうしてこうも、他人の痛みには慣れないのだろう。
いつかは、1度は踏み入れた輪廻へと戻る日がくるというのに、
こんなにも考えてしまうのだろう。
全ては、無かったことになってしまうのに。
無に帰してしまうというのに。



何故この胸は、
心は、
締め付けられるようにして、ここにあるというのだろうか。





地上軍基地の中は、室内であれば暖かい。
場所が常冬の土地である為、
必然的に寒さを防ぐ為の技術は高くなる。
ハロルドは、今後を話し合う会議を終え、自室へ戻るところだった。
ジューダスもまた、部屋へと戻ろうとしていたのだろう。
挨拶でもしようと、手を挙げかけた。
前方のハロルドを確認すると、
先ほどの立ち聞きの後ろめたさからか、ジューダスは顔を逸らす。
そんな様子に、彼女はがっしとジューダスを捕まえた。
「…何だ…?」
「そりゃあ、こっちのセリフっしょ。何、避けてんのよ?」
「別に、避けてなど…」
「ふぅん、あっそう。そういう事」
軽く嘆息して、ジューダスから離れる。
「別に、立ち聞きのことなんて気にしてないわよ?」
「な…」
驚きと、羞恥と、同時に襲ってくる不可思議な感覚。
何も言えずに、口を噤む。
「なぁに?気付いてないとでも思ってたワケ?」
けらけらと笑いながら、
ハロルドはムッとしているジューダスの頭を撫でる。
子ども扱いされたことも重なって、ますます不機嫌さを増す。
手を払いのけて、そのまま、本格的に彼女から逃れようとした。
「で、逃げるのね?」
「人聞きの悪いことを言うな」
言うも、説得力は無い。
後ろめたさから逃げる為。
それが本当。
「アンタは、自分と向き合っているようで、でも逃げてる」
的を得た物言いに、彼は唇を噛む。
どんな謂れを受けようとも、平気だったはずなのに。
「強いけど、弱い」
何故だろう。
彼女のセリフは、どうしても癪に障る。
「私と誰を重ねてた?」
普段は異常とも言える言動と行動。
いつもの彼女の中に眠る、たまに見せる本当の姿。
「私を見てると、誰を思い出すの?」
必死で堪えて、自分を律する痛ましい姿。
そう、誰かを見ているようだった。
だから余計苛ついた。





「…煩いっ!」





似ているんだ。





言葉では表せない、言いようの無いもどかしさ。
彼女は、きっと自分に似ている。
どこか、体の一部が接合されているような感覚。
動かしたいのに、思い通りに動かせない。
「敵わないと分かると、怒るのね」
くす、と静かに笑うハロルドはとても遠くに見えた。
「だからアンタは子どもなのよ」
どこか哀しそうに、寂しそうに彼女は微笑う。
感情は、堕ちるまで堕ちていっているのに、彼女は笑う。
心は叫びをあげているはずなのに、何故笑う。




「…何故、泣こうとしない?」




きょとんと、彼女は顔を上げる。
小さく唸った後に、ピンクの頭をかきむしった。
「んー…、理由は34通りほどあるけどぉ」
指を折り、理由を頭に思い描く。
その中から、一番簡単な答えを引き出した。
「あの時、思いっきり泣いちゃったし、もういいかなぁって」
にししと笑うハロルド。
そういえば、彼女の腹を立てているトコロを見たことがあっただろうか。
ふと、思う。
大抵、会話の中でも茶化したり、上手く窘めて言い説いたり。
考えてみれば、1番感情の起伏が少ないのではないだろうか。
「それで割り切れるのか?」
モヤモヤした感情を吐き出すかのように、ジューダスは問う。
「いい意味でも悪い意味でも、私は大人だからねぇ」
壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んだ。
「我侭は、科学者としての好奇心」
アレは厭だ、コレは厭だ。
自分の欲求を満足させる為ならば、喜んで他人をも巻き込む。
それは『科学者』としての部分。



「心はどうしようも出来ないけれど、感情はコントロール出来るわ」



腑に落ちない表情で、ジューダスはハロルドを睨む。
それに気付き、彼女は彼を見上げた。
「それが、大人」
「自分を偽って、か?」
自嘲気味な表情を浮かべて、ハロルドは小さく頷いた。



「そうよ」



ハロルドは膝を抱えて、それに顔を埋めた。
「だから、羨ましかった」
上からは、全く顔が見えない。
細い肩は、確かに小さな女性のモノ。
「アンタ達見てると、羨ましくて仕方が無かった」
僅かに震えているのは、気のせいだろうか。
「人生は、後悔の繰り返し」
だから、とまた彼女は続ける。



「後悔しないように生きなさい」




何故この胸は、
心は、
締め付けられるようにして、ここにあるというのだろうか。



もう1度、己の胸へと問う。




その答えは、至極簡単なモノ。



「僕は…」




今、ココに生きているから。




偽りの生命であったとしても、今、確かにココにいるから。





悩むことも。
傷付くことも。
喜ぶことも。
何もかも。





微笑っている自分は、確かにココにいるではないか。





「でも、やっぱりどうしようも出来ないことってあるのよ」
唐突にハロルドは、彼のセリフを遮る。
「どうしようもなく、泣きたくなることだってあるわ」
がば、と立ち上がった。
突然の行動に、ジューダスはビクリと驚く。




「その時は、肩貸してねぇ〜」




ハロルドは軽く叩くように、肩に手を乗せる。



「気が、向いたらな」



呆れて、ジューダスは軽く嘆息する。
ソレを見て、小さく、ハロルドは微笑んだ。



「アリガト、ね」






どんな生命だって、ココに育まれている。
ニセモノとか、ホンモノとか、そういう事は関係なくて。
時々、挫折したくなったり、妥協したり、そんな風にして生きていく。




そんな風にして、今日も運命の輪は廻されていく。






END
Atogaki
ローマ字で書いたって、特に意味の無いアトガキ。
特にどころか、全くだ。
この2人の話は、前回と同じく、全く書けないだろうなぁと思っていたひとつ。
・・・書けたよ!(驚)
ビミョーに暗くて、何だかなぁ。

ブラウザ戻るでゴゥ。