それは、夢だったのかもしれないと思わせる程、朧な現。
幾度計算を繰り返しても、
永遠に答えが出ない問題を解いているのとよく似ていた。







dim








「ガレノスの所に一度戻ろう」
キールはそう、切り出した。
リッド達は不思議そうに、幼馴染を見やる。
インフェリアに向かおうとしていた彼等にとって、
それは青天の霹靂にも近い台詞だった。
エターニアに迫る危機を考えると、
もう、一刻の猶予も無い。
まして、一番状況を把握しているであろう彼から、
そのような台詞を聞くとは思っていなかっただろう。
しかも、『星のかけら』があるレグルスの丘は目の前である。
「何で?」
呆れた様に、リッドが彼を振り返った。
けれど、深刻な面持ちをしたキールに口を噤む。
「確認しておきたいことが、あるんだ」
「大切なこと?」
ファラが不思議そうに問い掛ける。
「あぁ」
スカートの裾を握り締めていたメルディが、慌てた様子で口を開く。
「何でよぅ、キール。石探し行こう?はよはよぅ」
彼の腕を引いて、頻りに首を振る。
ふわりとした薄紫の髪が揺れた。
「メルディ」
名を呼ぶと、びくりと体を震わせた。
普通ではない2人の様子に気付かぬ素振りで、リッドは踵を返す。
「仕方ないか、キールがそう言うんだったら。てな訳だ、キャプテン!」
ファラの背中を押して、バンエルティア号に向かって叫んだ。
見送ってくれていたチャットが、仕方ないなぁと呟いて、閉じかけているハッチを開いた。
自動運転に切り替わってはいるものの、
舵に模して作られたハンドルの前から離れようとしない少女は、
ふぅ、と溜息を吐いた。
「そういう事は、前以て考えておくべきだと、僕は思いますけどね」
「すまないな」
キールは苦笑して、彼女の頭をぽん、と叩く。
親愛なるアイフリードから譲り受けた帽子が傾いたことに頬を膨らませながら、
口を尖らせた。
「別に良いですよ。そろそろ慣れてきましたし」
後ろで聞いていたリッドはおどけて笑った。
「お、厭味か」
その通りですと言わんばかりに、半眼でじとりと彼等を睨んだ。
「分かりますか?」
はは、と笑いながら、彼はファラ達の居る方へと行ってしまった。
依然、口を閉じたまま、重苦しい雰囲気を漂わせる少年に、
チャットは見向きもせずに口を開く。
「他人の僕が口を出すのも無粋とは思いますが、戯言だと聞き流してください」
何を言い出すのだろうかと、彼は異国の少女を眺めた。
とん、とハンドルを指で叩く。
「今更、確認しておきたいこと?貴方が?」
考えられませんね、と少女は言の葉を紡ぐ。
けれど、うろたえて否定することも、いつものように鼻で笑うこともしない。
「貴方が、そういうミスをするとは思えません」
それを彼の肯定と受け取り、彼女は続ける。
真っ直ぐに見つめる先には、海が広がるだけ。
寄せては返す漣は、白い泡を湛えて、消える。
「それでも貴方がそう言うのならば、それは必要なことなのでしょう?」
余りに遠い波間のざわめきは、ここまでは届かない。
無性に、聞きたくなった。
「キールさん、僕はヒトの弱いところを悪いことだとは思いませんよ」
微かに目を見開き、ゆっくりと落とされる視線。
くしゃりと前髪を掻き上げると、ふ、と笑った。
「お前の方が、よっぽど大人だな」
「当たり前です」
当然だと、胸を張る。
チャットは、でも、と瞳を伏せた。
「メルディさんが、一番だと思います」
額のエラーラに触れると、ちかちかと淡い光が漏れた。
「良い意味でも、悪い意味でも」
彼女の台詞を噛み締めながら、キールは頷く。
「そう、だな」
彼を振り返り、にか、と笑った。
男の子のような形をした少女に良く似合う笑顔だ。
「支えてくれるヒト、必要だと思いません?」
言葉を失い、そっぽを向く。
此方から見ても良く分かるほどに、耳まで真っ赤だった。
掠れる様に呟く。
「何の、ことだ」
「別に?」
くすくすと笑いながら、チャットは手元のパネルを確認する。
既に、富を意味する船は、アイフリードの台座を目前に控えていた。




インフェリアに向かったはずのバンエルティア号の、
余りにも早い帰還にガレノスは驚いた様子でキールを見つめた。
そうして直ぐに、目的のリバヴィウス鉱を持ち帰ったのではないと理解した様でもあった。
ぬか喜びをさせるのを避けるために、
バンエルティア号は、シルエシカ本部から離れた場所で待たせている。
キールは単身、ガレノスの元へと戻った。
「どうしたんじゃね、キール」
ガレノスの身長を軽く超えるキールを見上げ、優しく微笑んだ。
皺が刻まれた顔をくしゃりと歪め、近くの椅子へ座るように促す。
「思いつめた顔をしとる」
何度か口を開きかけ、音を成す前に閉じる。
何から話すべきかと、考えあぐねている様でもあった。
「メルディ、が」
ようやっと口を開くと、ガレノスは先を繋げた。
「殺してくれ、と言った、か?」
驚いて、彼は勢い良く顔を上げる。
淡々と紡がれる台詞は、重く、沈んでいた。
「アタシも、言われた事がある」
ふ、と苦笑し、遠くを眺めた。
幼い頃から、そんなことを考えていたのかと思うと、
心が締め付けられ、胸が苦しくなった。
同じ年の頃には、自分は何を考えていただろうかとキールは思う。
「もっとも、アタシは最後まで言わせなかったがね」
老人の向けた視線は、寂しく、哀しかった。
彼の手を取り、ぽんぽんと撫でた。
「そうして、お前さんに押し付けた」
微笑んではいるが、ガレノスの面持ちは決して明るいとは言えない。
「卑怯だと思うかね?そう思っても構わんよ」
「僕だって!」
彼の手を跳ね付け、立ち上がりかけた。
ガレノスに宥められ、もう一度腰掛ける。
居心地の悪さに、両手を強く組んだ。
「僕だって、逃げたいと思った。無かったことに出来たらどんなに」
そこで区切り、歯噛みする。
首を振ると、俯いた。
「だけど、それじゃ駄目なんだ」
所々、掠れる声音。
泣いては駄目だ。
本当に泣きたいのは自分では無いのだから。
泣いても如何しようもないのは、己では無いのだから。
「目を逸らしても、必ず…っ」
熱くなってくる目頭を押さえ込み、目を瞑った。
「キール」
ガレノスが気遣わしげに声をかける。
渇いた笑いを漏らし、キールは震える口元を食い縛る。
「不甲斐ないな。メルディはしっかりと前を見据えているのに」
彼から視線を外し、老人は天井を仰いだ。
壁に背を預け、凭れ掛かる。
「お前さんは、如何したい?」
質問の意図が掴めず、問い返す。
「如何、とは」
「メルディの為に、自分の為に」
穏やかな瞳が、キールとかち合う。
自分がしたいこと。
誰かの為に、したいこと。
絡まっていた思考を、ゆっくりと解いていく。
「世界の、平和とか、ネレイドを倒す、とか」
言葉に出来るものから、紡いで行った。
子ども染みた表現を、言い換えることも出来ずに、
思うままを口にした。
「そういう大それたことじゃ、なくて」
ただ、とキールは口を開く。
組んでいた手に、額を押し付けた。



「生きて欲しいんだ。笑っていて欲しいんだ」



不意に、肩を抱かれた。
老人の細い腕は、優しく大丈夫だとでも言われたように不思議と落ち着いた。
ゆるゆると顔を上げ、ガレノスを見やる。




「失いたくないと思うのは、罪だろうか」




ガレノスは、微笑んでゆっくりと首を振った。
「それが答えじゃな?」
幼子を宥める様に、彼の頭を撫でる。
何故か、厭だとは思わなかった。
心地よさに、目を細める。
「改めて言おう」
真っ直ぐに見つめ、ガレノスは微笑んだ。
今度はしっかりと、力強く、安心した様に。
「メルディを、頼むぞ」
「…あぁ」
そうして、少年に託した。
大切な大切な、育て子の未来を。





陽が傾きかけた空を背に、キールはバンエルティア号に乗り込んだ。
「すまない、遅くなった」
吹っ切れた面持ちに、リッドは何か言いかけたが、
結局何も言わずにチャットへと呼びかける。
「じゃ、さっさと行くか」
頷き、チャットは手元のパネルで作動処理をこなして行く。
数秒も経たないうちに、けたたましいエンジン音が船内に響き渡った。
「クレーメルエンジン始動、バンエルティア号、発進します」
凛とした声が響き、大きく一度揺れた。
後ろの方に立っていたキールに、メルディは恐る恐る近付いた。
「キール、あのな」
ガレノスと話してきたのは一目瞭然。
何を話してきたのかも、恐らくは感づいているだろう。
「僕達が闘うのは何の為だ?」
彼はメルディの声を遮り、尋ねた。
一瞬、呆けた顔を見せたが、微かに目を伏せて答える。
「ネレイド…シゼルを倒す為、よ」
声が震えている。
キールは違う、と呟いた。
メルディが顔をあげると、真っ直ぐな視線とぶつかる。
そうして、はっきりと紡いだ。
「倒して、生きる為だ」
ただでさえ大きな瞳が、零れるように見開かれる。
「僕は諦めない」
手を引き、一瞬だけ抱き締めた。
柔らかい髪が、頬を掠める。
彼女の耳元で囁いた。
「だから、お前も最後まで諦めるな」
メルディから離れ、そのままリッド達へと話し掛ける。
離れていく彼の背を見つめ、メルディは頷きかけて首を振った。



「返事は、出来ない、な」



ずっと昔、誰かが言った。
別れは終わりではない、想うことこそが。



「永遠」



ならば、想い続けよう。
貴方の心に強く刻み付けられるくらいに。



「大好き、よ」



メルディは、淡く、儚く、微笑んだ。





夢であれば良いのに、と、一体何度望んだことか。
どんなに朧でも、淡くても、それは確かに現としてある。
誰もが望んでも良いはずの未来は、
時に苦しく、心を蝕む。
いっそのこと貫いてくれたのならば、どんなに楽であっただろう。



望んではいけない。
願ってはいけない。
誰かが傷付かなければならないのなら、
喜んで私が引き受けましょう。





END



あとがき。
言訳してもイイデスカ。
最後まで、メルディは死ぬつもりで闘ってたわけなのです。
と言うわけで、ここでメルディが頷いたら、話が食い違ってしまうわけでですね。
キールが前向きになっただけでも、明るい方向へ(爆)。

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