Carve




あいつがいつか、きっとここに来るから。
それまで、どうか。




どうか、生きて。
そうして、伝えて欲しいんだ
―――…。





思わず、悟空は顔を上げる。
走るジープの中、風が吹き抜けていった。
「どうしたよ?」
怪訝そうに、悟浄が声をかける。
しかし、悟空は視線を宙に投げたまま、黙りこんでいる。
その目は、とても遠くを映しているようで。
「誰かが…呼んでる…」
呟くような囁きは、聞き逃してしまうほどの大きさ。
八戒は運転しながら、バックミラーで悟空を見やる。
「呼んでる、ですか?」
「うん…多分」
曖昧に返事をして、頷く。
三蔵は下らないと言うように、口を開こうともしない。
「気のせいだろ。サンゾー様が寄ってくれるわけないじゃん」
煙草の灰を、風に乗せて散らせる。
紫煙が共に棚引いていった。
「なぁ、三蔵」
「駄目、だ」
「まだ何も言ってないじゃんかっ!」
涙目で訴える悟空を、にべも無く斬り捨てる三蔵。
共に生活してきた経験と、思考パターンの単純さも手伝って、
おおよその見当はついていた。
それでも、悟空は諦めない。
「三蔵っ!」
「しつこい」
何時までも続きそうな押し問答に、八戒が苦笑する。
「どちらから、聞えるんですか?」
言われて、悟空は進行方向を指差した。
砂漠ばかりが続き、どこかに何かがあるようには見えなかった。
「…風が湿っていますね」
ぽつりと八戒が言う。
「ということは、オアシスがあるんでしょう」
ね、三蔵?
語尾にハートでも付きそうな声音に、三蔵は一瞬寒気を覚える。
こういうときには、厭と言うほどろくなことがない。
「…頼むよ、三蔵」
急に、静かな雰囲気を漂わせた悟空を、三蔵は軽く振り返る。



「行かなきゃ…絶対、後悔する気がするんだ」



もう一度、頼むと最後に言って、悟空は真正面から視線をぶつけた。
彼は大げさにため息をつく。
「八戒」
「はい」
緑の瞳が穏やかに揺れる。
悟浄は口笛を吹くと、喉を鳴らして笑った。
「結局、甘いんだよな。三蔵サマは」
直後、乾いた銃器の音。
「何か言ったか?」
「イイエ、何も?」
両手を挙げて、悟浄はシートの端まで後退った。






暫く行くと、見事なまでのオアシスがあった。
一瞬、蜃気楼かとも思ったが、それは確実にそこにある。
とても不思議な場所だった。
オアシスだけが、別のオーラに包まれているかのような感覚。
熱さは和らぎ、動物が生活している。
木々の葉は青々と揺らぎ、木陰をつくる。
違和感すらあった。
水場を探して、一行は奥へと進む。
それはもう、オアシスと言うよりも、小さな森のようだった。
「ヘンな場所だな」
悟浄は、道を遮る蔦を裂き、道を切り開く。
しかし、先頭を歩く悟空は何の迷いも無く、ただ奥へと進んでいた。
「おい、猿!」
「大丈夫だよ」
言って、悟空は微笑う。
「ここは危険な場所じゃない」
何の根拠があってそんなことが言えるのか。
悟空にも、他の誰にも分からなかった。
けれど、その言葉に偽りがあるわけでもなく、
妖怪も、凶暴な獣も、サソリさえも出てこなかった。
全くもって不可思議な場所である。
そうして、1番奥…いや、丁度中心かもしれない。
水場があり、ソレに囲まれて、さらに中心に大きな桜の木があった。
おかしなことに、その桜は満開だったのだ。
はらはらと舞う桜が、何度も水面に波紋を広げる。
けれど散り終える様子も無く、ただ桜は咲き続けた。
「…あった」
悟空は呟く。
水を掻き分けて、彼は桜へと近寄った。
ざわざわと、ひときわ強い風が通り過ぎ、桜の洪水が辺りを覆う。
まるで、桜が喜んでいるかのようだった。
そ、と顔を寄せ、悟空は大木へと抱きつく。






『下界で大きな、桜の木見つけたんだ』


『いつか下界に下りたとき、お前にも見せてやるよ』


『すっごい綺麗でさ』


『目印に、名前彫ってきたんだ』




『いつか、一緒に行こうな』






次々に聞えてくる声。
とても、懐かしい声。
悟空は織らず、涙を流していた。
涙を、拭うこともせずに。




『絶対だからな、『   』!』




夢現に、悟空は瞳を開く。
顔のすぐ傍にある歪な傷に気付いた。
指で確認するように、ゆっくりと撫でる。



「な……た…」



――――サァ…ア…




言い終える前に、桜が一斉に散り始めた。
悟空は追いかけるように、桜吹雪を掻き分けた。


「待って…あと少し、あと少しなんだ!だから…っ」


もう1度、大木の傷に触れた瞬間、
桜は弾けて、水に溶けるようにして
―――…消えた。



夢のような光景を、3人は黙って眺めているしかなかった。
呆然と、悟空は水場の中心で立ち竦んだ。
「あと少しで…思い出せたんだ…」
止まりかけていた涙が、再び頬を伝う。
水に濡れた両手を、1度見つめ、強く握る。
「思い、出せたのに…ッッ」
掠れた声が、何故だと問う。
堪らず、八戒は声をかけた。
「悟空」
彼は俯いて、顔を上げようとしない。
ぽたぽたと髪から雫が滴り落ちる。
「待ってて、くれたんだ」
髪を掻きあげ、頭を振った。
光の粒が、きらきらと降り注いだ。
「俺が辿り付くまで、待っててくれた」
強く頬を叩き、悟空は振り返る。



「それで、充分だよ」



どこか儚げに、けれど強い光を瞳に宿して、悟空は微笑う。
彼の強さはどこか、危い。
絶対の強さを手に入れるまで、彼は走り続けるのだろう、とさえ思う。
「だったら、さっさと上がって来い」
三蔵は踵を返して、入り口へと向かう。




「行くぞ」




いつか、手を差し伸べてくれたときのように。
彼はいつも、光をくれる。
またその手を取り、そうして追い越して歩いていくのだろうか。
「…うん」
遠くもない、近くもない未来を思い浮かべて苦笑する。
水場から上がると、もう3人は少し先を歩いていた。
悟空は一瞬、進むのを躊躇い、振り返る。
先ほどまで桜があったはずの場所へと微笑みかけた。





「ありがとう」







「猿!置いてくぞ!!」
感傷にふけっていると、すぐに、悟浄の声が響いてくる。
「待てよッ!」
慌てて、悟空は彼らを追いかけた。






ほんの少しだけ、俺の力を分けてやるよ。
枯れてしまわないように。
死んでしまわないように。



桜よ、桜。




いつか来やる、大地の愛し子へと伝えて欲しい。






この名前を、忘れてしまわないで、と
―――…。




END
あとがき。
ナタク殿が哀れだ。
忘れてるじゃん、悟空殿(笑)。
久しぶりに、長めの話。
最近、悟空殿しか書いてない気がするなぁ。



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