貴方がいるだけで、私はこんなにも倖せ。
特別なことなんて、何も要らない。
だからこそ、いつも思う。



貴方も、私と同じ気持ちでいてくれるのでしょうか。


Contrail



じりじりと照りつける太陽が、大地に影を映し出す。
異常気象が続いていた頃もあったが、
それも通り過ぎ、蒼の星は段々と元の姿に戻ろうとしている。
遠く遠い宇宙の果てで起こった闘いから、数年が過ぎようとしていた。
日本の四季でいうところの夏。
掛けているベンチも、熱を帯びており、
正直、早く立ち上がりたい衝動に駆られていた。
不意に、閉じていた目にも分かるくらいの陽の光が遮られる。
「命、大丈夫か?」
額に冷たいものが乗せられ、命は目を開けた。
「ありがと、凱」
濡らされたハンカチを彼の手から受け取ると、
そのまま前のめりに俯いた。
紅いラビットヘアが揺れる。
水の冷たささえ心地よい。
「日射病になるなんてぇ…」
その声音は不満そのものだ。
凱は苦笑して、命の隣に腰掛けた。
「倒れる前で良かっただろ」
「それは、そうだけど」
珍しく休みが重なり、久しぶりの外出だと言うのに、
こんな状態では、どこにも行くことが出来ない。
ソレに対しての不満であろう。
最も、1番恨めしいのは自分の体調だった。
「あっちにカフェがあったから、そこで休んで行こう。な?」
彼女を慮っての言葉に、嬉しくなるものの、体調が何分ついていかない。
紅い顔をしながら、彼の申し出に頷いた。
「ん」



オープンカフェと言っても、今の時間はちょうど日陰になるようだ。
涼しい席をとると、アイス珈琲を注文した。
時折、風が通り過ぎ、気だるさを持っていってくれる。
「落ち着いたか?」
「結構」
カラン、と氷がグラスの中で涼しげな音を立てる。
耐えられなくなった冷気が、グラスの側面を濡らしていた。
「気持ちいい」
アイス珈琲の半分ほどを飲み干して、命は空を見上げた。
「あ」
「何?」
短く声を上げた命と、同じ方向を凱も見やる。
蒼い空に、積乱雲が並んでいる。
それと、浮かび上がる真白な一筋の雲。
「飛行機雲」
のんびりとした口調で、命は呟いた。
「久しぶりに見たな」
懐かしそうに、凱も微笑む。
耳をすませば、どこからか蝉の声が響いている。
彼らのすぐ隣を、子ども達が笑いながら走りすぎた。
何気ない風景。
まだ、どこもかしこも一からやり直しで、全てが元に戻ったわけではない。
けれど、決してそれは絶望ではなかった。
ヒトは希望を捨てようとはしなかった。
それこそが、彼らの力となり、希望となったのだ。
護りたいものがあるからこそ、どこまででも強くなれる。
「帰ってきたんだよね」
「あぁ」
「生きてるんだよね」
「あぁ」
命は、どこまで続いているのか分からない飛行機雲を眺めながら、
ふふ、と笑った。



「倖せ、だね」



「そうだな」



カラン、と氷が溶けて崩れる音がした。
命は手元のグラスに視線を移す。
「いつか、2人で見たことあったよね」
不意の質問で、疑問符を浮かべる凱に、命は頬を膨らます。
「飛行機雲」
飛行機雲など、何度も見たことがあった為、
いつのことだか憶えていない。
ましてや、彼女と共に過ごした時間も多すぎて、
細かい事は思い出せないのかもしれない。
ヒトの記憶とはそういうものだ。
「あぁ、そうだっけ?」
「そうだよ」
凱は気まずそうに笑うと、ゴメン、と謝る。
「仕方がない、思い出させてあげよう」
わざとお姉さん口調で、命は凱の鼻を摘み上げた。



その日も、飛行機雲が空を大きく横切っていた。
「飛行機雲って不思議だね」
命が空を見上げながら、呟く。
いつもの丘の上で、2人は座り込んで空を見上げていた。
もう少し時間が過ぎれば、空一面美しい橙色の夕焼けが拝めるだろう。
「何が?」
「風に漂うでもなく、気付いたら、いつの間にか消えちゃうんだもの」
空に向かって手を伸ばす彼女に、凱は苦笑して寝転んだ。
「それって、不思議って言うかぁ?」
「言うの!」
隣を見下ろして、反論する。
「何だか、寂しくない?」
風に揺れる、凱の赤い髪に触れながら、言の葉を紡いだ。
それが心地よくて、彼は目を閉じる。
「寂しい?」
「子どもの頃の思い出みたい」
髪に触れていた命の手を取った。
細い指が、微かに動く。
「いつの間にか消えちゃうの」
ソープの優しい薫りが、母親を連想させた。
不安げに俯く命が、何を言いたいかを感じ取ったのか、
凱は彼女を見上げた。
「じゃあ、俺達の思い出も?」
「…かも、しれないね」
ずっと共にいられたらいい。
思うけれど、いつかは離れてしまうかもしれない。
そんな不安は、いつだって付きまとった。
「忘れたくない、って思っても、忘れちゃうってコトあるよね」
彼が夢を語る度、どこか遠く感じていた。
誰よりも傍で応援したくて、けれど、それが許されるのか怖くもあった。
「飛行機雲みたいに、いつの間にか」
凱は、離れようとした命の手を掴んで、手の平に口付けた。
突然の行動に、彼女はうろたえる。
「もし」
軽く身体を起こして、命に向き直った。
微かに頬を紅く染めて、彼を見下ろす。
「お前が何かを忘れたら、別の思い出をやるよ」
真っ直ぐに、穏やかに見つめてくれる彼の瞳は、いつも居心地が良かった。
不思議と、自分も穏やかになれた。
好き、だった。
「新しい思い出を、次々に」
手の平から手首に、そうして肩口に口付ける。
くすぐったそうに身を捩る命を抱き寄せた。



「そうしたら忘れない」



上半身を起こすと、額に口付けを落とす。



「俺が命を、命が俺を」



頬に唇を寄せると、熱を帯びているのが分かった。



「いつまでも、一緒にいられる」



「…うん」



最後に触れた唇は、涙の味がした。




アイス珈琲を一口飲むと、目前の凱はテーブルに突っ伏していた。
「凱?」
「思い出した」
顔を上げれば、耳まで真っ赤に染まっている。
ぱちくりと、瞬きを繰り返して、凱を見やった。
「…こっ恥かしいコト、言ってたよなぁ」
どうやら、これは『忘れてしまった思い出』ではなく、
『忘れてしまいたい思い出』だったらしい。
「『いつまでも…』」
「わ
――――っっ!!言うなッッ!!」
大声で、彼女の声を遮る。
半ば、涙目でもある。
相変わらず、顔は真っ赤なままだ。
「私は嬉しかったんだぞ?」
くすくす笑いながら、命は首を傾げた。
「俺は恥かしい」
「照れるな、照れるな」
仏頂面した、彼の手を引き寄せる。
「傍にいてもイイって、凱が言ってくれたから」
彼の耳元で囁いた。



「本当に、嬉しかったんだよ」



はにかみながら笑う彼女が、普段よりも可愛く見えた。
「みこ…」
「あーっ、凱兄ちゃん!」
名前を呼ばれ、慌てて2人は距離を取った。
「なになに、デート?」
人懐っこい笑顔で走ってくる護に、命は真っ赤になって声をあげる。
「まっ、護君!」
「いいなぁ。今度は僕ともデートしてね、凱兄ちゃん」
言われて、はた、となる。
彼の言っている『デート』と、
命の思っている『デート』とは概念が違うようだ。
要するに、護が言う『デート』とは『遊びに行く』程度の感覚。
「あぁ、また今度な」
(子どもって、そんなモノなのかしら…?)
命は、恥かしいと思っていたことすら恥かしいと感じ、
更に顔を紅くする。
護の頭を乱暴に撫でて、凱は笑った。
「どっか行くのか?」
「うん、華ちゃん達とプールに」
持っていたビニール製のバッグを掲げてみせる。
「護」
「何?」
凱は、道を挟んだ向こう側にあるショーウィンドウを指差した。
「あそこの料理、美味そうじゃないか?」
「え、どこどこ?」
凱の言う場所を、手を翳して見やった。
太陽の光が反射して、はっきりとは見えない。
それでも、護は一生懸命目を凝らしてみた。
命も、どの店だろうかと彼らと同じように、視線を投げた。


瞬間、命は腕を引かれる。
「ガ…」
同時に塞がれた唇。
触れるだけの、とても短いキス。
グラスに触れていたのか、彼の指が少しだけ冷たかった。


「ねぇ、よく見えないよー」
護が振り返る頃には、2人とも同じ位置に戻っている。
何があったかなど、織る由もない。
「そっか?今度、一緒に行こうぜ」
「わっはぁ、絶対だよ!」
息を弾ませて喜ぶ彼に、凱は微笑む。
護が凱から視線を移すと、隣で黙り込んでいる命が目に入った。
「命姉ちゃん、顔、紅いよ?」
心配そうに覗き込む彼に、彼女は慌てて首を振った。
「さっき、日射病で倒れかけたからかな」
「大丈夫?」
質問に頷くと、護は安心して微笑んだ。
「じゃ、僕行くね」
「気をつけてな」
軽く手を振って、少年を見送った。
行ってしまうと、後ろから突き刺さるような視線を感じる。
「……凱の莫迦」
真っ赤な顔をして、上目遣いに睨んだ。
見つかったらどうするつもりだったのだ、と言いたげである。
暫くの沈黙。
気付けば、凱の頬も紅く染まっている。


「命が、可愛かったから」


ぽつりと呟かれた台詞は、またも命の頬を朱に染めた。




あの頃の飛行機雲は、とても儚く見えたけれど、
最近は、考え方が変わったのかもしれない。
雲は雨となって地上に戻り、また雨は雲となって空に戻る。
廻り、廻り行くサイクルに終わりは無く、
幾度も幾度も重なっていく。
思い出もまた、形を変えて廻り行く。
そう思うようになった。
忘れてしまうわけではない。
心に、想いに同化してしまうのだ。
形を変えて、新しい思い出と共に廻り来る。


貴方と共に過ごした時間が、私にソレを教えてくれた。
その中で、貴方が私と同じ気持ちでいてくれた。



私は倖せなのだと、
他の誰でもない貴方が教えてくれたの。





END
あとがき。
うひひ。イラスト同様、書いてしまいました。
独立コンテンツ出来た暁には、指差して笑ってください。
このカップリング大プッシュ!!!
倉木麻衣さんの『kiss』を聞いていて思いついた話です。
ちなみに、時間軸は『FAINAL』後です。

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