揺ら揺らと空が揺れる水鏡。
風が吹けば、綺羅綺羅と光を鏤める。



不意に、貴方の願いが欲しくなった。



Stand  By  Me



ぱしゃん。
何度目か分からないほど、耳に届いた音。
カイは1人、木陰に座って、涼を求めていた。
ただでさえ、墨染めの衣は太陽の熱を吸収する。
それに加えて、僧侶にはあるまじき髪が、更に熱を帯びた。
外つ国の司祭がいつか『胡乱』と称した雰囲気は、
あながち間違っていないかもしれない。
「カイも入ればいいのに」
朱の袴を少し捲り上げて、川の中に足をつけている少女。
ジリジリと照りつける陽の光も何のその。
楽しげに足を投げ出す。
「テン」
短く、彼は不満げに名を呼んだ。
「何?」
「あんまり肌を晒すな」
「堅い事言わないでよ。そうしてると、お坊さんみたいだわ」
「俺はれっきとした僧侶だ」
憮然と答える。
クスクスと笑いながらも、テンは川から上がろうとしない。
若い、と言っても、遥かにカイよりも年上どころの話では無いのだが、
彼女はどこか他の常とは違う。
『摩多羅』と呼ばれる神仏の類。
ソレがテン。
その婚約者が、カイなのだ。
「でも、ツマラナイ」
長い髪が風にさらわれ、煌きを宿す。
「何が」
「前だったら、もっとうろたえてくれたのに」
ほんのちょっとの動作でも、真っ赤になってうろたえる。
女慣れしていないカイは、いつもテンにからかわれていた。
「時間って、流れるの速いわね」
ぱしゃん、とまた音がして、水の雫が宙を舞う。
言われて考えてみれば、カイもすでに五十歳になる。
不老の呪いをかけられた身体は、時折、年齢のことすら忘れさせた。
「そりゃ、厭でも流れるからな」
「そう、ね」
少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ寂しそうに微笑む。
2人はこれから、気の遠くなるほど長い時を共にあり続ける。
それに巻き込もうとしている自分に、テンは少なからず罪悪感を持っていた。
だからこそ、いつかの折に『殺して』とカイに願ったのである。
カイはそれを拒んだ。
血族を後世に残すよりも、
子を成すチカラを断ち切られた摩多羅神と歩む道を選んだのだ。
「そう、だけど」
「テン?」
歯切れの悪い返事をする彼女に、カイは首を傾げた。
肩に立て掛けていた釈杖が、カシャリ、と音を立てる。
俯き加減の表情は、こちらからは見て取れない。
また、風が通り過ぎた。
「テン」
もう一度、少女の名を呼ぶ。
けれど、返事はない。
「カイ」
逆に、名を呼ばれ、カイは何だと答えた。
「願いを、頂戴」
顔を上げた姫神は、微笑んでいるのに、辛辣な表情をしているように見える。
恐らく、よく織らない者が見れば、何の不思議も持たないだろう。
長く連れ添っている彼だからこそ気付く、些細な変化。
「願い?」
「そう、願い」
彼女は繰り返す。
「いつか、言ったでしょう」
記憶の糸を辿りながら、テンは呟きにも近い言の葉を紡ぐ。
一体、何度目の夏が通り過ぎただろう。
数えることも止めてしまった、この身に。
「『星なんかに願うより、この摩多羅神に願った方がご利益あると思う』って」
遠い記憶を持ち出して、テンは懐かしさをその身に纏い、微笑んだ。
「私の願いは、いつだって貴方自身」
袴の裾を掴んでいた手を離し、カイへと手を伸ばす。
川に浸かってしまった袴が、じわりと水気を帯びて行く。




「だから、貴方の願いを頂戴」




水を含み、重たくなっていく着衣を気にする様子もなく、テンは続ける。
「もっと、もっと、ずっと…たくさん」
伸ばしていた手を、胸の前で組む。
さながら、祈りの姿にも似た光景。
「貴方と共にあっても良いって思える様に」
ぎゅ、と組まれた両手にチカラが篭る。
そうして、テンはカイにねぇ、と呼びかけた。




「貴方の願いを、頂戴?」




瞬間、何が起こったのか分からなかった。
テンはカイに強く腕を引かれ、
いつの間にか、彼の腕の中にいた。
「カイ?」
「お前が、欲しいってんなら、幾らだってくれてやる」
彼もまた川に浸かっている。
2人の足元から、じわじわと染み渡る冷たさ。
強く抱きしめられた身体は、それでも熱を帯びない。
「だけど、忘れるな」
お互いの顔は見えないけれど、テンは何故か安心できた。
彼がどんな顔をしているか、手に取るように理解る。
何にでも、真剣に考えてくれるカイだからこそ、信じることが出来る。
「俺が望んだ願いは、たった一つ」
抱きしめる両腕に、更に力が篭った。





「お前と共に、あることだけだ」





僅かに目を見開き、そうして、閉じる。
白く、細い腕を彼の背中に回すと、その身を委ねた。
「…えぇ」
小さく頷く。



「えぇ、そうだったわね」



私が望んだ願いを、貴方は受け入れた。
貴方もまた、同じ様に望んでくれた。
その罪悪から、私は貴方を信じられなくなっていたのかもしれない。
怖く、なっていたのかもしれない。
いつだって、貴方は私を想ってくれているのに。




貴方の願いも、私の願いも、ずっと同じ場所にあったのに。





この温もりをずっと感じていたいと想うほど。



――――…貴方だけが、愛おしい






END


あとがき。
ひっさしぶりに書いた、姫神さま小説〜。
私の書くテンはどうも不安定だ。