安らげる場所なんて、叶わないと思ってた。 |
resT |
寝惚け眼で枕元の時計を確認する。 午後3時を回った数字に、ケインはガンガンと頭痛のする頭を押さえ込んだ。 ぼんやりする意識を何とか浮上させ、今に至る記憶を反芻させる。 確か一昨日、依頼を受けた仕事の途中で川に落ち、船に戻っても寒気がすると思ったら、 今朝になって起き上がれなくなっていて。 (あぁそうだ…んでミリィとキャナルに寝とけって怒鳴られて) 眠りに落ちたのは早かった気がする。 冷却シートが張られた額をぺたりと触れば、既にあたたまってしまったそれが気持ち悪い。 剥がしてベッド脇のテーブルに丸めて置いたところでドアが開いた。 「ほら、間抜けな風邪引きさん起きてらっしゃる?」 「うるせー」 「悪態吐くだけの元気は残ってるみたいね」 食事はと訊ねれば、気分が悪いとそっぽを向く。 彼に食欲が無いなどと、これは余程重傷だ。 「何か食べないと薬が飲めないでしょ」 テーブルに丸められた冷却シートをゴミ箱に投げ入れ、粥を乗せたトレイを置く。 自分は傍にある椅子を引き寄せて腰を降ろした。 変わった香りに、ケインは肩越しに振り返る。 小さな土鍋の蓋を開け、冷ます為にレンゲで軽く混ぜた。 彼の視線に気付いてか、ミリィは少し掬って口元へと運ぶ。 「ミルク粥。さっさと起きないと流し込むわよ」 言外に脅している彼女に、ケインはげんなりと頭を抱え込んだ。 確かに、起き上がれないほどではなくなっている。 彼女の言う通り無理矢理だろうが、多少なりとも何か口にした方が良さそうだった。 「…病人を労わってくれ」 「あんたこそ早く治らないと、レイル達呼んで隣の部屋でごちそうたっぷりパーティ催してあげるから」 「拷問だ…」 恐らく彼女の台詞は本気であろう。 さっさと治らなければ、何をされるか分からない。 起き上がってトレイごと受け取り、ケインは自分で粥をちびちびと咀嚼していく。 味がよく分からないのが残念だった。 「それだけ喋れるなら熱も大分下がってるわね」 彼の頬や額に触れて、うん、とひとつ頷く。 平熱よりもまだ些か高い気はするが、今朝よりは大分マシだ。 「お前の手、冷たいんじゃないか?」 「私のが冷たいんじゃなくて、ケインのが熱いのよ」 私は至って平常体温です、と彼の額をぺちりと叩く。 味のしない粥を完食したケインは空になった器を渡して、 今度ははっきり苦いと分かる薬を流し込んだ。 良薬は口に苦し、と言う古語は健在だろうか。 渋い顔で残ったミネラルウォーターを飲み干して、 ベッドにもう1度潜り込んだ。 目を閉じようとして、ふと、幼き日を思い出す。 実家に居辛かったケインは祖母の家に顔を出しては入り浸っていた。 ソレについて祖母は何も言わなかったし、家の人間も何も言わなかった。 ソードブレイカーを譲り受け、際限無い宇宙の海へと飛び出すときにも、 相談すらせずに旅立った。 半ば、家出のようなものだったかもしれない。 「…昔、婆ちゃんにこうやって看病して貰ったな」 新しい冷却シートをケインの額に張りながら、ふぅんとミリィは頷く。 「風邪引いたとき?」 「んにゃ、婆ちゃんの酒くすねて酔い潰れたとき」 「…幾つの頃の話よ、ソレ」 彼女が覚えている限り、彼の祖母が亡くなったのは彼がうんと幼かった頃だ。 どう軽く見積もったとしても、10歳未満であったことは間違いないだろう。 そうして話に聞く限り優しくもあったが厳しくもあった彼の祖母が、 叱りつけないはずなどない。 「勿論、治った後で散々怒鳴られたぞ」 「でしょうね」 予想通りの答えに、ミリィは自分の足の上で頬杖を付いて乾いた笑いを浮かべる。 窓の外に浮かぶのは暗い宇宙の闇で、 カーテンを引こうが引くまいが明るさは変わらなかったが、 形だけでもと窓に掛けられた布を引っ張った。 ケインの頬にかかった髪を指先で払う。 彼女のひやりとした肌が気持ち良い。 「誰かが居るって、良いもんだな」 ぽつり、とケインが呟いた。 引っ掛かる何かを憶えた気がしたが、ミリィは気付かないフリをする。 何言ってんの、と苦笑した。 「キャナルが居たでしょ」 「居たけど…寂しくは、無かったけど」 とろんとした瞳をゆっくりと瞬かせるケインが、小さな子どものように見えた。 それは錯覚ではなかったのかもしれない。 元々、女性のような面立ちをしている彼は歳の割には幸か不幸か幼く映る。 線の細い彼の頬を指先でなぞった。 「キャナルはずっと、婆ちゃんしか見えてなかったから」 彼女がひとりになったときにだけ見せる表情を、垣間見たことがある。 横顔しか見えなかったけれども、それは彼が知っているキャナルではなくて、 多分、祖母アリシアと在った頃のキャナル=ヴォルフィードの顔だったのだろう。 そうしてそれは、祖母の為の顔なのだろう。 大人びていて、哀しそうで、けれど慰める術など幼かったケインにはひとつも無くて。 ひとりであったキャナルがそうする必要などどこにも無かったと言うのに、 彼女の頬に流れていたのは涙だった。 アリシア、と彼女の動いた唇が呟いていたのを憶えている。 ―――ごめんなさい、アリシア 何かに対して謝っているのではないと、分かった。 全てに対して謝っているのだと、何故か分かった。 分かったところでどうしようもなかった。 ケインに出来たのは、何も聞かずに、何も無かったかのようにいつも通りに振舞うこと。 それだけだった。 「…婆ちゃんに頼まれたから俺を」 ケイン、とミリィの声が彼を遮った。 どこか咎める色を含んだ彼女の声色にケインは口を噤む。 「…悪ィ。何言ってるのか分かんねぇな、俺」 頬に触れていたミリィの指に、自分の指を絡めた。 熱っぽい手のひらが触れて、重ねられる。 「ほんとに、忘れてくれ」 懇願するように繰り返すケインはやはり幼い子どものようで。 握られていない方の手で、ミリィは彼の頭を優しく撫で付ける。 薬が効いてきたのか、瞼が重くなってきたらしいケインに嘆息して微笑んだ。 「…うん、分かった」 心の裡に溜め込んでいるものは、たまに吐露した方が良い。 経験上、彼女はそれをよく織っていた。 大なり小なり思い悩むのは誰でも同じで、彼も彼女も口に出さずに溜め込むのが得意だ。 だから彼らの心は、強くもあり、弱くもあった。 (傷の舐め合いじゃ、ないけど) 分かり合うことは必要だ。 そう、今更になって思う。 少し眠ると言って体を丸める彼の背中にミリィは呼びかけた。 「ケイン、嘘だよ」 ベッドの枕元にあるライトを消して、立ち上がる。 備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して、 ベッド脇のテーブルへ薬と一緒に置いておく。 「嘘だよ、それ」 段々と眠りに落ちていく意識の中で、ケインはぼうっとしながら彼女の言葉を聞く。 「キャナル、泣いていたじゃない」 空になった土鍋の乗ったトレイを片手で持つと、ぽんっと彼を布団の上から軽く叩いた。 「ケインが命賭けて闘おうとしたとき、やめて、って」 解析するよりも先に、彼女の心のままに現れた涙のホログラフィ。 ぼろぼろに泣き崩れて、厭だと叫んで。 アレが演技だと言うのなら、どんな悪夢だと言うのだろう。 彼女は確かに制御プログラムだったけれど、どこまでも限りなく彼らに近いものだった。 「大好きなヒトに頼まれたって理由だけで、泣いたり笑ったり出来ないんだよ―――ヒトは」 喜怒哀楽を宿した彼女は、ヒトそのもの。 ヒトであるからこそ、簡単ではない。 複雑怪奇で理解し難い感情こそが心。 「大好きだから、一生懸命になれるんだよ」 ―――あぁ、そうか そうして時に、至極単純でもあるものなのだ。 彼が抱いていた感情も、キャナルの抱いていた感情も。 (分かっているつもりで、何も分かっていなかった) 分かっているのだと、錯覚していたにすぎなかった。 何かを言おうとしたけれど、 睡魔に負けてしまったケインの彼女への言葉は声になりそうにない。 この分では明日まで覚えているかも怪しい。 ミリィはドアの前で電気のスイッチを切る直前に軽く肩を竦める。 「私もケインが好きだから、いつも一生懸命になっちゃうのかもね」 離れた場所で呟かれた声は聞き取り辛かったのだろう。 もそりと動いたケインは、掠れた声でなに、と訊き返した。 何も、と笑って、ミリィは今度こそ電気を消す。 「おやすみ、ケイン」 彼女が微笑ったのが分かって、更に安らいでいくのを感じた。 他愛もない倖せが、泣きたくなる程愛おしい。 彼女の言葉ひとつひとつに、いつも救われている。 例えばそれが何てことない軽口や、根拠のない自信だったとしても。 だからこそ、願う。 彼が願ってやまなかったものがここにある今、彼女にもそれを与えることが出来るのなら。 彼女の安らげる場所になりたいと―――…心から。 END |
あとがき。 |
風見麻阿さまに捧げます。 途中まではギャグだったんです!(爆) おかしいな! ケインだって病気したときくらい弱音吐いたりするんだろーなと思って書きました。 その前に、彼が風邪なんてひくのだろうかと思ったり思わなかったり(笑)。 宜しければお持ち帰りくださいませーv リクありがとうございました。 |
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