桜が咲いた。 春の雪が舞う。 白く、白く、紅く―――あの刻と変わらず、変わり続ける世界で。 |
約束束約 |
望んでいた。 欲していた。 けれど手に入らなかったそれは失意の内に有耶無耶に呑み込まれ、 いつしか全てが分からなくなった。 織っていたという事実を残して少年の奥深くへと封じられた想いは、 解放される刻をずっと待ち続けている。 覚束無い記憶の糸を手繰り寄せるが如く、 ゆっくりと渦を巻き始めるあたたかな吹雪が蒼い空に広がっていった。 大きく、息を吸い込む。 青年とも幼子ともつかない成長途中の腕を天へと伸ばすも、 掴めるものは何ひとつとしてない。 分かっていたのか、 それともおこがましいとでも思ったのか悟空は自嘲気味な笑みを浮かべる。 見慣れ過ぎたその表情は歳相応の少年らしからぬものだ。 時折、頭の奥で声が響いたが誰の声だったか考える前に忘れていく。 休憩にとジープを停めた場所から少し離れた場所に悟空は足を向けた。 緑に囲まれた鬱蒼とした森の奥に白い群れが見えた、ただそれだけの理由。 気をつけて、と特に留める様子もなく送り出してくれた八戒以外は、 ただの一声も掛けなかった。 三蔵は溜息を吐いていて、悟浄は目も合わせずに煙草を蒸かしていた気がする。 気を遣っていると思わないでもなかったが、 彼らがそれほど他人に踏み込むかと言えば否だと即答出来た。 それは暗黙のルール。 必要以上に干渉しない、彼らの決め事。 「…莫迦だよな」 桜の大木を見上げた悟空は軽く跳躍した。 慣れたように枝を掴み、反動をつけて更に上の枝へと飛び移る。 何度かソレを繰り返せば、簡単に頂上へと辿り着いた。 広い世界を一望出来る特等席に悟空は感嘆の溜息を漏らす。 「す、っげぇ…あの川、さっき通ったとこだ。あっちは昨日で、それから」 まだまだ少ししか前進出来ていない大地を眺めて、世界は広いのだと改めて思い知らされる。 空と大地が混ざり合う向こう側まで足を伸ばせば何が見えるのだろうと、 いつもいつもわくわくして好奇心でいっぱいになる。 けれど同時に不安が過ぎる。 ほんとうに行けるのだろうか、と。 考えたところで仕方のない話だ。 命懸けの旅をしていれば怪我もするし、瀕死の状況になるかもしれない。 絶対にならないという保証はドコにもなくて、もしかすれば―――…。 ―――もしかすれば、あの刻のように ふ、と浮かんだ単語に悟空は軽く目を見張る。 「あ、れ…?」 何かが響いた頭を押さえ、目を瞬かせた。 黄金色の瞳がくらりと揺れる。 ぎゅっと目を瞑れば、唐突に襲い来る膨大なフラッシュバック。 『それでもてめェを裏切れなかったナタクの痛みが!!』 『とりの巣…があるんだ、…見えるだろ?』 『殺せ。今、この場で』 『本気で消しにかかるでしょうね、ナタクを用いてでも――』 『……そうか、見てみたいモンだな』 『落ちたら笑いますよ、酔っぱらい』 『――よし悟空!木登りでもすっか!?』 『下界が満月なので、夜桜がキレイですよ』 『責任取って、ここに居やがれ』 『…俺は、太陽なんかじゃねぇんだ』 『お前を天界に連れてきたのは間違いだったかもしれんな』 『――なぁ!!ケガ治ったら俺がココ案内してやるよ』 『誰も知らない隠れ家とか、木苺が沢山生ってるトコとか』 『行く行くぜってー行く!!』 同じだったのは。 あの刻と同じだったのはそれらの意味が何ひとつ分からずに、 ただそうあれば良いのにと願ったこと。 そうして全てを知った後、そうあることなど最初から叶わなかったのだと絶望したこと。 気が付けば世界は逆さまで、目の前を疾風のスピードで過ぎて行く景色に、 悟空は漸く自分が落下しているのだと気付いた。 「うわっ、やっべ!」 段々と近付いてくる地面に危機感をちっとも感じさせない軽口で、 少年は器用に体を回転させ、たすっと大地に足を着ける。 一瞬だけ風が止んだ。 けれどそれはほんとうに一瞬だけで、 強い風が通り過ぎた後のように音を立てて桜の花弁が舞い散る。 「あ…っぶねー、また骨折るとこだったぁ」 桜の花弁に塗れた髪やら服を叩きながら、悟空は笑う。 ふと、手の甲を頬に押し付けた。 冷たい感覚がじわりと肌に染み込んでいく。 なぞるようにして少年は目元を手の甲で拭った。 「あれ?」 とっくに忘れたと思っていたものがソコにはあった。 ―――俺、泣いてた…? 悟空は首を傾げる。 先程まで何を考えていただろうかと思い、視線を泳がせた。 ―――憶えてねぇや 思い出せないなど、悟空にとってさして珍しいことではなかった。 幼子に課せられた罪咎は決して容易くはない。 『喪失』ではなく『忘却』、またそれらは『封印』とも。 在って無きもの。 それが悟空の中にはあった。 桜の木に背中を預け、ずるずると座り込む。 あたたかな風が頬を、耳を、首筋を撫でていく。 何とはなしに腕を伸ばすと、手のひらに1枚の花弁が落ちた。 桜が咲く風景を見たことは何度もあった。 こうして桜の下に立ち、空を見上げたことも何度もあった。 けれど心躍る華やかさに想うのはいつも、胸を締め付けられるような切なさだった。 理由は知らない、分からない、忘れてしまった。 忘れてしまったからこそ、求めた。 形に成らないものが、やはり形を手に入れることが出来ずに漂う。 怖かった。 蠢くどす黒いものに押し潰されてしまいそうで怖かった。 それでも、諦め切れなかったのは。 「約束」 悟空は蒼い空をぼんやりと眺めて呟いた。 「…多分まだ、果たしてねぇんだろな」 誰に話しかけるでもなく、ゆったりと。 この手はこんなにも大きかっただろうか。 この視線はこんなにも高かっただろうか。 この心は、こんなにも空虚だったろうか―――あの刻と比べて。 とは言え、比べるものが見当たらない悟空は曖昧に、漠然と思い浮かべるしかない。 「ごめん、な」 目を閉じて、横へと倒れる。 大地の鼓動を確かめるように、悟空は耳を地面に押し付けた。 「きっと、あと少しだから」 何が、かは分からない。 けれど言い様のない確信めいた予感が、悟空の中を駆け巡る。 いつかきっと思い出さなければならない日が来る。 だから、『あと少し』。 思い出せずにいるのも、思い出すのも『あと少し』。 だから、せめて。 いつか誰かが想ったように、その日が来ても。 ―――願わくば、彼らが傷付くことのないように 仲間と言う悪縁が、少年の罪咎に心痛めることがないように。 変わり続ける世界の変わらぬ桜が舞う下で、 悟空は願い続けるしかなかった。 あの頃と変わらぬどこまでも純粋な心と想いのままで。 END |
あとがき。 |
miriさまに捧げます。 いい加減にしろ。 と自分に言いたい(爆)。 一体何度似たようなシチュを書けば気が済むのかワシは! 『桜・月・悟空』の組み合わせは我家の王道です。 宜しければお持ち帰り下さいv リクありがとうございましたー! |
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