そうっと耳打ち、内緒の御話。 君にだけ聞こえる声で。 君にだけ、届ける想いを。 |
いとでんわ |
時は戦国、乱世の頃。 ヒトと妖かしと神とが同じに入り混じる混沌の世。 繰り返される戦の中で耐えることの無い私欲、恐怖、付き纏う死臭。 得物が貫いたまま転がる屍に群がるのは獣や蟲だけではない。 其れでも空は蒼く澄んでいて、風は優しく撫でて行く。 何時失われるか、奪われるか。 不安を抱えながらも平穏は確かに在り続けるからこそ望むのだ。 「じゃーんっ」 旅装束と分かる脛当てや籠手を着けた一行は木陰で休息しているようだった。 時折、近隣や旅の者がちらちらと彼等を眺めて行く。 見慣れぬ異国の装束を纏った少女は、 白い紙筒を二つ、旅の連れだと思われる者達の前に差し出した。 よくよく見れば、両方の底が長く細い糸で繋がれている。 「かごめ、何じゃ此れは」 栗色の髪をした童が大きな瞳を輝かせて、興味津々に食い付いた。 童の尖った耳と尻尾は明らかにヒトのものとは違う。 面妖なのは幼子だけでは無かった。 共に連れ立っているのは歳若い有髪の法師、 大きなくの字をした白い板――骨のようにも見える――を担いでいる少女、 足元には尾が二つに分かれた仔猫がちまちまと歩いている。 もうひとり、否、一匹と呼ぶべきか。 天に向かって立った耳は獣の其れと同じで、 纏った禁色の裳と相反する白銀の髪と琥珀色の瞳も正しくヒトのものではない。 妖かしを滅する立場に在る者が、妖かしと行動を共にしている。 嘗て鬼を従えていたと言われる役小角のように使役している訳でもなさそうだから、 益々不可思議な組み合わせに見えるだろう。 傍を行く者が視線を投げるのも頷ける。 然しながら、他の者に如何見えようとも紛れもなく彼らは苦渋を共にした仲間なのだ。 「紙筒ですなぁ」 「随分、上等な紙じゃないか」 腰を下ろしていた法師ともうひとりの少女も不思議そうにかごめの手の中を見やった。 彼女はくすくすと笑いながら、屈んで幼子に其れを手渡す。 唐衣とも違う筒袖の着物は常磐緑の幅広の襟を紅の布で飾り、 丈の短い袴からははしたなく足を見せては居るが動きやすそうでは有る。 「糸電話って言ってね。七宝ちゃん、此れ耳に当てて持って…添う、動かないでね」 こくりと頷いて、動き回っていた七宝はちょこんと座り込んだ。 糸が真っ直ぐに張るまで離れると、かごめは紙筒を口に当てる。 紙筒の中でくぐもった声が聞こえたが、何を言っているのかまでは周りに伝わらない。 すると、幼子の耳と尻尾がぴんっと立ち上がった。 余程驚いているのか、目をまん丸に見開いて紙筒を地に落としてしまっている。 「か、かごめの声が聞こえたぞ」 怪訝そうに首を傾げた妖かしの少年が、じとりと半眼で睨んで来る。 其の前に先ず、感情如何こうではなく彼は目つきが悪い。 「はぁ?寝ぼけてんじゃ無ぇぞ、七宝」 「本当じゃ、呆け!何時の間にかごめは妖術を使えるように成ったんじゃ!?」 「手前ぇ、誰が呆けだ!!」 幼子だと言うのに容赦無く振り下ろされた拳に、ぷくりと大きなたんこぶが膨れ上がる。 日常茶飯事とは言え、余りに余りだ。 幼子は紙筒を放り出したまま、泣きじゃくってかごめの元へと駆けて行った。 直ぐに少女に泣き付くのが面白くないのか、 妖かしの少年はけっと口を尖らせると腕を組んでそっぽを向いた。 「甘やかすことねぇぞ、かごめ!」 「犬夜叉、おすわり」 犬夜叉と呼ばれた少年の首に掛けられた藤色をした数珠に一瞬だけ霊気が迸る。 鈍い音が響いたかと思うと、次の瞬間に少年は頭から地面へと伏してしまっていた。 恐らくは言霊、数珠は何らかの念が込められている呪物なので在ろう。 「如何して直ぐに殴るのよ、あんたは!」 抱き上げられた七宝は、伏してしまった犬夜叉に向かって舌を出す。 兄弟のように見えるのだが、如何にも此の二人は相性が悪いらしい。 後で覚えていろと苦虫を噛み潰した犬夜叉は、 童を一睨みして不貞腐れたように鼻を鳴らした。 幼子の落として行った紙筒を拾い上げ、 もうひとりの少女が中を覗き見るも何の変哲も無い只の紙筒だ。 「でも、妖術って?」 訊ねる少女に、かごめは楽しそうに微笑むばかりだ。 「さっきの私達みたいに弥勒様とやってみると良いわ、珊瑚ちゃん」 「私とですか?」 はて、と言われた通りに珊瑚と弥勒は距離を取る。 何か言ってみてと、かごめは珊瑚に促した。 何かと言われても特に思い付かずに、取り合えず法師の名を呼んでみる。 「…ははあ、成程」 届いた声に、弥勒は先程の七宝の驚き具合を納得したようだった。 くつくつと笑う弥勒は、今度は逆に彼女が紙筒を耳に当てるのを待ってからそっと何事かを囁いた。 「―――…っ!!」 音が出そうなくらいに勢い良く珊瑚の顔が朱に染まる。 言葉を発することが出来ずに幾度か口を開閉した珊瑚は紅く頬を染めて、 小さくばか、と呟いた。 法師の台詞を何となく察したかごめは居心地が悪そうに視線を泳がせる。 「恐らく此れは妖術ではなく、忍術の類ですね」 紙筒をかごめへと返すと、彼女は目を瞬かせた。 忍術とは妖術や呪術のように不可思議なものだと思われがちだが、 実は確りとした理論に基く科学の応用だ。 ならば、弥勒の言は当たらずとも遠からず。 「流石弥勒様ね、其んなところよ」 頷くかごめに、矢張り珊瑚や七宝は勿論、蚊帳の外扱いの犬夜叉もちっとも理解出来ない。 「声って言うのは音のひとつ。耳で聞こえるのはね、声が空気を伝わって振動を伝えているからなの。だから糸で振動が伝われば、自然相手の場所まで声は届くって訳」 勿論、糸が弛んだり、何かが張り詰めた糸に触れてしまったりすれば振動は伝わらないから遠距離は駄目ね。 からくりの説明を受けても、分かったような分からないような、 微妙な表情を浮かべている珊瑚と七宝にかごめは苦笑した。 自分も本当はよく分からないのだと付け足す。 (糸、デンワ…?何か、聞き覚えが…) 和やかな喧騒を尻目に、犬夜叉は記憶の糸を手繰り寄せた。 添う言えば、かごめが国に帰ったときに珍妙な形をした箱の前で、 誰も居ないのに壁に向かって話をしていたことが在った。 其のときの犬夜叉は自分に見えない何かが居るのかと警戒したものだが、 如何やら見当外れだったらしく、静かにしていろと怒鳴られたのだ。 微かに、かごめが耳に当てていたものから声が聞こえた気がする。 『此れは電話って言って、離れたヒトと話が出来る道具なの!』 喧嘩腰で一方的な説明を受け、犬夜叉はこくこくと頷くことしか出来なかった。 其れと同じものなのだろうか。 だが然し形が違うし、かごめの言う通りならば曲がりくねった紐のようなもので繋がっていた記憶のものでは到底声など届かない筈だ。 疑問符を浮かべて胸中で唸っている犬夜叉の手に、弥勒はかごめの持っていた紙筒をぽすりと納めた。 極近くで弥勒は犬夜叉にぼそぼそと耳打ちする。 耳が頭の上にある少年に対して耳打ちが果たして正しい表現か如何かは分からないが、 兎に角女性陣に聞き取れない声では在った。 「犬夜叉、盗み聞きされずにかごめ様に想いの丈を打ち明ける好機ですよ!」 「盗み聞き、って御前ら矢っ張り何時もどっかで聞いてやがるな…っ」 「失敬な、本当に大事な話のときはやってません」 「…前にかごめを国に帰したとき、隠れて傍に居ただろうが」 「おや、気付いてないかと思っていました」 しれっと告白する弥勒に、此奴は絶対狸の親戚だと犬夜叉は払拭出来ない疑念を確信に変えた。 軽い眩暈を覚えている間に、弥勒は片方の紙筒をかごめへと放り投げる。 少女の手の中に落ちて行く紙筒を止めることの出来なかった少年は、声も無く現実を受け入れるしかなかった。 「何よ、矢っじ張り興味在ったんじゃない」 違うとは言えなかった。 言おうとしたのだが、かごめの背後で凄まじい形相の珊瑚が睨んでいた為、 吐き出そうとした言の葉をもう一度飲み下したのは仕方のないことだと思う。 此の面子で女子に敵った試しは一度として無い。 どんな場面で在ったとしても、女子は矢張り強いのだ。 だが、憎まれ口を叩きながらも何処か嬉しそうなかごめを見ていると、 自分のつまらない狭量さなど如何でも良い気がした。 一歩、二歩、三歩。 距離を開けて行くかごめの後姿は幼い子どものようにも見えた。 知らず、笑みが零れる。 「犬夜叉、耳当ててねー!」 逸る鼓動が自分のものではないようで、犬夜叉は落ち着かない。 彼は気付かなかったが、落ち着かないのはかごめも同じだった。 (何て言おうかな) 幼い頃に母や弟と遊んだ糸電話。 母と話していると、弟は姉ちゃんばっかりずるいと地団太を踏むのだ。 会話は憶えていないけれど、大したことではなかった気がする。 さっき、トンボがとんでたよ。 草太がね、ぶよとケンカしてたの。 じいちゃんのくちぐせ、もうおぼえちゃった。 あのね、あのね、お母さん。 何でも良いから聞いて欲しかった。 誰にも聞かれていないと思ったから、ちょっとだけ素直になれたのだ。 (そっか) 小さく笑った気配に気付いた犬夜叉が、視線だけを此方に向けて何事だと問う。 かごめの唇が音を宿して動いた。 言の葉は言霊。 想いが宿れば、其れは呪と成る。 犬夜叉だけを絡め取る、呪へと転じる。 『だぁいすき』 ―――わたし、お母さんがだいすきよ 此方を見やる視線がぎこちない。 動く度にからくり人形のようにぎしぎしと音がしそうな動きだ。 若しかすると、聞き間違いだとでも思われたのだろうか。 だとすれば其れは心外極まりない。 ヒトが折角、意を決して口にした言の葉を聞き間違いとは甚だ失礼だ。 反応を返さない彼に、かごめはむすりと頬を膨らませる。 「…聞こえなかった?もっかい言って欲しい?」 紙筒から口元を離しても普通に声は聞き取れる。 一拍の間を置いて、犬夜叉はぶんぶんと左右に首を振った。 にまにまと様子を眺めている仲間を思い出し、紙筒をかごめへと乱暴に放る。 おや、と感じたのもほんの僅か、 犬夜叉は早々と行くぞとずかずか道を先に行ってしまった。 (さっき…気のせい?) 戻って来た糸電話を荷物袋に仕舞い込み、かごめは珊瑚達と共に歩み出す。 一歩一歩が何故だろう、ふわふわと雲の上を歩いているように現実味が無い。 珊瑚は隣のかごめを垣間見ると、込み上げて来るものを噛み殺して肩を震わせた。 「顔、真っ赤」 「うん、犬夜叉でしょ?」 違う違う、と珊瑚はかごめの頬を突いた。 「かごめちゃんが、だよ」 足元でみぃと猫又が鳴く。 少女の緩みそうに成る口元に気付いたのは雲母だけだ。 言葉は要らない、添う決めていた。 言の葉に込められた想いを違えられるのが怖かった。 想いがひとつではないのだと、知っていたから求めなかった。 けれど、かごめの言の葉に頬を染めてくれた犬夜叉に如何しようもなく嬉しく成った。 嘘の吐けない少年の仕草は言の葉よりも如実に彼の心を映してくれる。 其れが、嬉しい。 切ないけれども、嬉しいのだ。 (我儘、だなぁ) かごめはひとりごちる。 想い、想われ、恋い、焦がれ。 恋心は何処までも欲張りだ。 だから静かに、秘めやかに。 誰にも気付かれないように。 そうっと耳打ち、内緒の御話。 君にだけ聞こえる声で。 君にだけ、届ける想いを。 了 |
あとがき。 |
fionさまに捧げます。 特に指定が無かったのでほのぼの犬かご〜。 『想い、想われ、恋い、焦がれ』って言うのが私の犬かごのテーマなんです。 しかし糸電話って懐かしいなぁ…!(笑) 宜しければお持ち帰りくださいませーv リクありがとうございました。 |
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