狡い、と少女は小さな肩を震わせ、声を押し殺して泣いた。 |
| きずあと 創痕 |
妖かしの襲撃は何時も唐突だ。 四魂の欠片の気配を探り当てたのか、其れとも餌の匂いを嗅ぎ付けたのか。 或いは只の偶然だったのかもしれない。 山中を歩いていた犬夜叉等一行へ向かって、 突然姿を現した身の丈が大杉程も有る妖かしが足を振り下ろした。 丸い身体は長い体毛で覆われており、 身体中から触手のように伸びた数十本の足が蠢いている、見たことも無い妖かしだった。 足が触れた箇所は土が抉れ、木々は腐臭を漂わせて朽ちて行く。 身体と思っていたものの中心には大きな目玉がひとつ、 ぎょろりと瞳が動いたかと思うと獲物を見つけた瞬間にはっきりとした愉悦が浮かんだ。 『此れは何と…女、持っているな、四魂の欠片を』 一体何処から喋っているのか見当も付かないが、地に響く声が空気を震わせる。 「下がってろ、かごめ!」 ひっと喉を引き攣らせ、妖かしの童は失神しそうになりながらも、 弓を構えるかごめの前へと気丈に立ち上がった。 二人を背に庇い、犬夜叉は腰の太刀へと手を掛ける。 弥勒が腕に巻き付いた数珠を外そうとするのに気付き、 飛来骨を構えた珊瑚が彼の腕を押さえ付けながら武器を放った。 「莫迦!未だ万全じゃない癖に!!」 円を描いて滑空する飛来骨が妖かしの足を切断して行く。 激痛に苛まれているらしい妖かしの身体がぐらりと後方に傾いだ。 「ううむ。矢張り添う思いますか」 仕方無しに懐から呪符を取り出し、 短い呪を唱えれば其れ等は吸い付くようにして倒れ込んだ妖かしへと向かう。 同時に変化させた鉄砕牙を犬夜叉が妖かし目掛けて振り下ろした。 滑空していた飛来骨が珊瑚の手へと戻る。 「図体がでかいだけだったな」 真っ二つに分かれた身体が断末魔の悲鳴を轟かせ、緑色の体液をばら撒いて果てて行く。 白い煙のようなものがしゅうしゅうと音を立てて死骸から噴出した。 腐臭に顔を顰めていたかごめと七宝は、穢れを浄化させる為にそろりと近付く。 丸い尻尾を更に縮こまらせ、幼子は少女にしがみ付いた。 「本当に死んで居るのじゃろうなあ」 「うん、大丈夫みた…」 矢を番えようとしたかごめの足元で、 切断された妖かしの足が蠢くのを見た犬夜叉が少女の名を呼ぶのと駆け出すのは同時だった。 ものを腐敗させていた其れは器用にかごめへと向かって跳ね上がる。 驚いた拍子に抉れていた地面に足を取られ、背後へ傾いだかごめは思わず目を瞑った。 (避け切れない…!!) だが、何時まで経っても痛みは襲って来ない。 「犬夜叉!」 仲間の声で状況を把握したかごめの顔色はみるみる内に蒼褪めて行った。 肉の焦げる臭いが鼻を付く。 「…っく」 痛みを堪えて眉根を寄せる犬夜叉の腕は火鼠の衣を突き抜けて爛れ、 衣とは別の紅に染め上げられていた。 抉れた肉の表面に滲み滴る血がかごめを現実へと引き戻す。 我に返った少女は背負っていた荷物を引っ繰り返して救急箱を取り出した。 「珊瑚ちゃん、毒消し有る!?」 手際良く、適当な布で少年の腕を縛って止血する。 応急処置は悔しいけれども慣れてしまう程には染み付いている。 「此れぐらい大したこと無ぇよ」 「あんたの大したこと無いって言うのが一番当てに成らないのよ!」 手渡された瓢に入った毒消しを傷の上からたっぷり掛けると、流石に沁みたのか犬夜叉は押し黙った。 大き目の布で負傷した腕をぐるりと巻いて完了した応急処置は、矢張り応急処置でしかない。 かごめが国へ帰る為に目指していた楓の村は直ぐ其処だ。 巫女の楓ならば良く効く薬草を知っているだろう。 一行は平気だと言い張る犬夜叉を引っ張って、村への道を急いだ。 村に着くと、先ず嘆息された。 老巫女は非道い有様の犬夜叉の腕を診て、無茶をするなと嗜める。 「其の身の代わりはないのだぞ」 「…分かってるよ」 引き出しに仕舞われた薬草を数種取り出し、擂鉢に放り込んだ。 薬湯を時々加えながら、細かく磨り潰して行く。 妙な臭いが小屋中に広がったが、薬なので仕方が無い。 弥勒と珊瑚は七宝を連れて外に出ている。 犬夜叉の傷の処置は楓に任せておけば問題無いと、久方振りの休息に羽を伸ばすつもりなのだろう。 「楓婆ちゃん」 此処へ来るまでかごめは一言も発しなかった。 今も犬夜叉と視線を合わせようとせずに、楓の袖を指先で引っ張る。 「私やるから、やり方教えて」 不穏な様子の二人に老巫女はやれやれと肩を竦めた。 深く追求するつもりはないらしい。 手順を説明すると、練り上げたものを湿布してやれと言って早々に小屋を出て行ってしまった。 擂鉢を擦る音だけが響き、沈黙が訪れる。 「…何、怒ってんだよ」 俯いて顔を上げないかごめに胸中びくびくとしている犬夜叉は可能な限り平常心を装った。 根が正直である少年が誤魔化そうとして誤魔化せる筈も無かったけれど、相変わらずかごめは無反応だ。 余計に気不味い。 擂鉢の中身が糊状に変わった頃、漸くかごめは口を開いた。 布で抑えていた犬夜叉の腕に直接其れを湿布し、もう一度布を当てる。 「犬夜叉が、分からず屋だからよ」 細く長く切った布をぐるぐると少しきつめに巻いて行く。 少年が顔を顰めたが、構わずに作業を続けた。 彼女に分からず屋だと罵られるような覚えが無い犬夜叉は、反論しようと口を開きかける。 「私が怪我したら怒る癖に、私があんたの怪我に腹を立てないとでも思ってるの?」 音を成さずに閉じられた口元が、所在なさげに引き結ばれた。 宿敵奈落との戦いは手を出さなければ無事で居られるなどと生半なものではない。 護りたいものがあるからこそ戦い、傷付く。 かごめとて例外ではなかった。 寧ろ、奈落が葬りたがっている巫女の生まれ変わりであるかごめが最も縁が深いのかもしれない。 強い霊力を宿した少女は目障りなこと此の上ないに違いないのだ。 「咄嗟だった、他に方法が無かった、護ってくれた、でも!」 かごめが傷付く度、涙を零す度、犬夜叉は済まないと謝る。 もっと強く成るからと誓いを立てる。 けれど、かごめは其れが何よりも畏い。 ―――誰よりも強くと願うけれど、強く成って行くけれど 「…犬夜叉は、狡い」 ―――死を畏れないあんたが、畏い 其れでも彼は、ずっと傍に居ると約束することは出来ないのだ。 小さな肩を震わせ、かごめは声を押し殺して涙を落とす。 ぱたぱたと床板に雫が痕を残した。 「…んだよ、其れ」 巻き終えた細布の端を掴んだまま、俯くかごめの肩を掴む。 「だったら怪我した方が良かったってのか!?」 「其んなこと言ってない!!」 噛み付くように叫ぶ犬夜叉にかごめも負けじと声を張り上げる。 護りたい者を護ろうとする、其れの何処が悪いのか。 犬夜叉にはかごめの方が余程分からず屋に思えた。 遠い昔に心に刻み付けられた傷痕は、未だ消えずに其の胸に在る。 満身創痍で血を流し、怒りと哀しみを湛えた瞳を忘れることなど出来ない。 其の姿が、其の流れが全て仕組まれていたのだと分かったとき、 身体中を駆け巡ったのは怒りだけでなく言い様の無い恐怖だった。 己が無力さ故に喪われたものが在った。 愛しく、大切に想う筈だった其れは今、 哀れな死魂を糧に土くれの人形と成って生き長らえているのだ。 だが、目の前の少女を愛おしいと想う気持ちにも嘘偽りはない。 ならば、今度こそと願うのは罪だろうか。 (如何して、伝わらないの?) 犬夜叉が短絡的思考の持ち主だと言うこと位熟知している。 想いが上手く伝わらない。 言葉の境界線が、色濃く二人の間に刻まれているようだと何時も思う。 其れを差し引いたとしても、かごめは悔しくてもどかしくて仕方が無い。 堪え切れずに、掴まれた肩に掛かる腕を振り解いた。 「怖いのに、私だって怖いのに!!」 指先から離れた細布の端がはらりと結びを緩くする。 「かご、め」 「あんたは何時も、直ぐ治るからって怪我しても気にしない」 ぼろぼろと零れる涙を其の儘に、 かごめはともすれば嗚咽で掠れそうに成る声を必死に絞り出した。 どんなに心配していても、煩わしいと言われれば其れ迄だ。 「ねぇ、怪我って痛いんだよ?」 何時の間にか再生していた禁色の裳の袖が心許無く揺れる。 犬夜叉の腕がことりと床に落ちた。 少し痺れるだけで、三日もすれば治るだろう。 だから案ずることはないと、かごめも承知しているのだと犬夜叉は錯覚していた。 「死なない、なんて保証何処にも無いんだよ?」 否、添う言い聞かせて彼女の不安げな双眸を敢えて見ようとはしなかったのだ。 ―――狡いと言われても、仕方が無ぇ 少女が哀しまないように、傷付かないように、願えば願うほど裏切られる。 勿論、犬夜叉も好きで怪我をするような莫迦ではない。 其れでも、かごめの為にならと己が命を軽んじているのも自覚していた。 (…俺は、卑怯だ) 其れでも、矢張り願うのだ。 例えば後世に外つ国で語り継がれる恋物語のように、 満ち欠けのする月にではなく彼女へ誓いを、立てる。 「添う簡単に、くたばるかよ」 「だから…っ」 保証など無いと言っている。 かごめは分かろうとしない犬夜叉に歯噛みした。 悔しくて、子どもみたいな自分が情けなくて、涙が溢れる。 否が応にも彼の巫女と比べてしまう自分にさえ嫌気が差した。 犬夜叉は違うと首を振る。 「おめーみてぇな泣き虫残して、簡単にくたばるかって言ってんだ!」 大きく見開かれた空五倍子色の瞳が、少年を凝視する。 今、彼は何と言ったのだろう。 何と言ってくれたのだろう。 信じられない想いで、かごめは犬夜叉を見つめた。 「…闘うな、なんて言わない。だけど」 返った言の葉は、其れだけで十分だった。 「怪我、しないで。もっと自分を大切にして」 約束めいた彼の言霊は、確かに生きると言ってくれたのだから。 からからに乾いていた心にゆっくりとじんわりと広がっていくものを感じる。 かごめは敢えて犬夜叉に多くを求めない。 けれど、犬夜叉が多くを求めることを嬉しく想うのだ。 「命懸けで護って貰っても、私には重過ぎて背負えない」 哀しみとは違うあたたかなものが、頬をすうっと流れた。 道が、未来へと伸びて行く。 「自分の命は、自分で背負って」 ―――私の命は、私が背負うから 「添うじゃなきゃ、承知しないわ」 ―――生きていて 分かったとも、応とも、勿論否とも犬夜叉は答えなかった。 代わりとばかりに痛まない腕でかごめを抱き寄せる。 鼻頭まで埋めた彼の衣は陽女神の匂いでいっぱいだ。 少年のぬくもりが傍に在ることにようやっとかごめは安堵して、 柔らかな微笑みを浮かべた。 頬を濡らす涙が乾く頃にはきっと、皆で微笑って居られると信じて―――…。 了 |
あとがき。 |
| 良夜さまに捧げます。 かごめちゃんが怪我なんぞしたら犬夜叉が大変なことになりそうだったのでこっちで(爆)。 だって嫁入り前ですもの! 昔の言の葉使うのが楽しくて仕方がありません。 空五倍子色(うつぶしいろ)は濃い茶色のことです(どうでも良い)。 宜しければお持ち帰りくださいませーv リクありがとうございました。 |
ぶらうざの戻るでお戻りください