空っぽの砂時計。 返しても返しても、零れるものなど無いと言うのに、 それは確かに心の隅からゆっくりと穏やかに、蝕んで行く。 硝子の器も、木製の支柱も、とうに壊れて無くなってしまったのに。 |
砂時計 |
プシュ、と乾いた音を響かせ、コクピットのドアが開く。 おかえりと声を掛ける2人の少女にただいまと返事をして、 マスターであるケイン・ブルーリバーは自分のシートへと向かった。 ひらひらとした少女趣味な衣装を纏っているのは、 ソードブレイカーのメインシステムのホログラフィであるキャナル・ヴォルフィード。 3つある内のひとつのシートに腰掛け、 欠伸を噛み殺している金髪のショートヘアの少女がミレニアム・フェリア・ノクターンだ。 見た限り、この宇宙船のクルーは少々変わっているっぽい。 のんびりと調理器具のカタログ雑誌を眺めていたミリィの上から、 ケインは思い出したように懐を探り、小さなものを放り投げた。 「ミリィ、これやる」 降って来たものを条件反射か両手で受け取り、硬い感触に手のひらを開いてみる。 「へ?わ、砂時計」 「あらま、随分レトロだこと」 後ろから覗き込んだキャナルは口元に手を当てて、ぱちくりと目を瞬かせた。 すっかりと廃れてしまった母星でも滅多に見ないそれは、 刻を計るものではなくオブジェのようなものだ。 料理をするミリィならば使うかもしれないと思われがちだが、 何しろ彼女の調理風景は文字通り砂時計ひとつくらい簡単に吹っ飛ぶ凄まじさだ。 調理での実用性は皆無と言って良い。 「さっき買い出し行った店で貰ったんだよ」 砂がそれぞれ半分ほどに分かれてしまっている砂時計を垂直に立ててみると、 すぐに重力に逆らうことなく零れ始める。 静かに耳を澄ませばさらさらと小さな山を作って行くのが分かった。 『あれ欲しい!』 ふと、脳裏に幼い声が掠める。 ミリィはただじっと落ちて行く砂を眺めながら、掠めた幼い声に目を細めた。 空色の双眸に僅かに宿った険は一度瞬けばたちまち消える。 ぽつんと黙りこくってしまったミリィに、 ケインはキャナルと同じように彼女のシートの後ろから怪訝そうに覗き込んだ。 「気に入らね?」 ひとつ間を空けて、彼女は首を左右に振った。 「ううん、ありがと」 シートから立ち上がり、部屋に置いて来るとコクピットを出て行く。 いつも通りの笑顔で、いつもどおりの口調で、なのにいつもと違う雰囲気。 出て行ってしまった扉を見つめ、彼は何も言わないキャナルを振り返る。 「あいつ、何かあったのか?」 エプロンドレスの上で重ねていた手をぎゅっと握り、キャナルは思案顔で軽く目を伏せた。 長い睫毛が頬に影を落とす。 「いいえ、何も」 ミリィには。 その小さな呟きをケインは聞き逃さない。 彼が遺失船と呼ばれる特別な宇宙船を譲り受けてから、 ずっとキャナルと2人きり――この言い方が正しいかどうか分からないが――だったソードブレイカーに客人としてでなく、 クルーとして乗り込んだのはミリィが初めてだった。 ほぼ押し掛けの体だった彼女を煩わしく思いながらも、 次第にパートナーと、仲間だと思うようになって行った。 そうして今、それとは違う感情があることにも気付き始めている。 だからこそ、もどかしい。 「訊いても無駄、か」 嘆息するケインに、キャナルは困ったように微笑む。 キャナルは何かとミリィの素性を知っているようだったが、 どれひとつとして語ることはない。 詮索するのは趣味ではないが、 ミリィが時折作った笑顔を見せる原因がその中にあるのだということくらいは推測出来た。 彼女の引いたボーダーラインに踏み込もうとすれば、 喉元にナイフを突き付けられているような錯覚すら起きる。 「女の秘密を知りたがるもんじゃありません」 でも、とキャナルは静かに目を伏せた。 「訊ねれば、答えてくれるかもしれませんよ」 詮索するのは趣味ではない。 だが、もし、と思うのだ。 もし、ほんの一時であったとしても、彼女の障りを取り除くことが出来るのであれば、 1歩だけ境界線の向こう側に足を踏み出したいと切に。 理由は分からなかったが、部屋に戻る気になれずにキャビンへと足を向ける。 予想通り誰も居ないことに何故か安堵し、椅子を引いた。 テーブルの上に片方が空になってしまった砂時計を引っ繰り返して据え置く。 再び砂が零れ始めた。 「懐かしいなぁ」 テーブルに突っ伏して角度の違う砂時計をぼんやりと眺める。 曲線を描く硝子に沿って映るミリィの輪郭もぐにゃりと曲がっている。 ついでにすごくタイムリー、思わず口を吐いた独り言と同時にキャビンのドアが開いた。 「独り言多いな、お前」 ずっと聞かれていたなんてことは無いはずだが、 ミリィは微かに憶えた気不味さを誤魔化すように身を起こす。 「そ?」 珈琲を2人分淹れ、ひとつをミリィに手渡す。 ぬくもりが指先から手のひらへと伝わって、じんわりとあたたかさが浸透して行く。 ケインは彼女の隣の椅子を引くと、テーブルに背を向けて腰掛けた。 「どうかした?」 「お前は?」 「私?」 「どうもしてないか?」 一瞬だけ、返答に詰まる。 ほんの一瞬だったけれど、驚いたように見開かれる瞳が雄弁に彼女の胸の内を物語っていた。 気付くまで暫く掛かったが、ミリィは他人の思うミリィを演じるのが得意だ。 付き合いの短くないケインやキャナルが気付いていないと思うほど愚かでもないはずなのに、 ミリィは敢えて演じ続けている。 ともすれば気付くことなどない本当に小さな違和感で、 恐らくは顔見知りであるレイル・フレイマーらでは分からないだろう。 そうまでして誤魔化そうとしているものをケインは知らない。 ミリィは知られたくないと思っている。 だけど、だから、知らねばならないと思ってしまう。 今ケインの立っている場所は、境界線のどちら側なのだろう。 「…教えて貰ったから、これでイーヴンか」 暫く押し黙っていたミリィが肩を竦めるのが目の端に映った。 思い出すのは在りし日々。 想いを廻らすのはここには無い場所。 幼い少女を護ろうとした背中は今も瞼の裏に焼き付いている。 「両親の命日」 目の前を染め上げた、深紅も全て。 背を向けているケインから、彼女の表情は見えない。 からりと笑って口を開く彼女はまるで泣いている気がした。 「言ったこと、無かったっけ?私、両親居ないのよ」 何と返事をして良いのか分からずに、ケインはそうかとだけ相槌を打つ。 うんと頷き、ミリィは珈琲をひとくち含んだ。 「でね、砂時計欲しがったことがあってさ…思い出しちゃった」 無邪気に両親の手を引いて、何気ない日常が崩れ去る刻が来るなどとは夢にも思わずに。 彼等が必死に護ろうとしていたものに気付くことも出来ずに、 駄々を捏ねて、小さな店先に飾られていた砂時計を強請った。 「この時代でしょ、珍しかったのかも」 根負けした父が母に甘いと言われながら苦笑していたのを覚えている。 手に入れた宝物はきらきらしていて、中身が砂だなんて信じられなかった。 「さらさらと落ちていくのがすごく綺麗で」 あまりに食い入るように見つめていたものだから、 母が引いていた手を離して抱き上げてくれた。 「買って貰ったときには、飽きずにずぅっと眺めてた」 小さな手には大きく感じられた砂時計は多分、 今テーブルに置かれているものと同じくらいだった。 自分の部屋に飾っていたはずのそれは、あの夜、粉々に砕け散ってしまったけれど。 「もう、無いけどね」 暗がりではっきりとは見えなかったが、 半開きのドアから差し込む灯りに反射して硝子の欠片が煌いていた。 ドアが大きく開かれ、目に映るもの全てが深紅に染まったのが記憶の最後。 そこに立っていた人間の顔は靄が掛かったようにどうしても思い出せない。 「形あるものは皆いつか壊れる、って分かってるつもりなのに」 繋がれていた手も、触れていたぬくもりも、きっと倖せと言う名のカタチだった。 カタチだったからこそ、壊れてしまったのだ。 どんなものにも終わりがある。 壊れ、崩れ去る日が訪れる。 頭では理解しているのに、心はいつまで経っても納得してはくれない。 「やっぱり、つもりでしかないんだろうね」 とっくに分かっているはずのものを理解しようとしない心が、歯痒い。 ずず、と音を立ててケインはカップに口を付けた。 ミルクも砂糖も入っていない珈琲は真っ先に苦味を伝えて来る。 腰掛けていた椅子が、キィと軋んだ。 「納得、出来なくて良いんじゃないのか?」 くるりと椅子を半回転させて、ケインはミリィに向き直る。 「壊れるって分かってるから仕方が無いって、全部に思えるかって言われると違うだろ。モノに限らずな」 例えばそれがお気に入りのオルゴールだったり、思い出だったり、誰かだったり。 好きだからこそ、愛おしく想う。かけがえなく想う。 いつか終わりが来ると分かっているから、壊れてしまわないようにそっと慈しむ。 最初から終わりを望んでなどいないのだから。 「壊す為に作るんじゃない、形ある刻を大事に思って欲しいから、思いたいから、作るんだ」 どんなものであったとしても。 例えそれが、形の無い相互関係を示すカタチだったとしても。 腕を伸ばして何度でも、求める。 そっと触れるケインの指先がミリィの乾いた頬にくすぐったい。 多くを語らない彼の言の葉はひとつひとつが強い。 直情型の癖に、必要以上は口にしない。 大事なことを話そうとしないのはどこか、自分の姿と重なった。 (違うのは、向かう場所) 光と、闇。 相反する彼の傍にはいつまでも居られない。 納得ではなく、理解。 彼は求めても良いのだと言ったけれど、これだけは絶対に望んではならないのだ。 「…うん、そうね」 頬に触れたままの彼の手に自分のそれを重ねようとして、踏み留まる。 ―――もし、今ここで貴方の手を掴んで離したくないと言ったとしたら 「ミリィ?」 ―――さっきと同じことを答えられない貴方を知っている 言いながらケインもまた、求めてはいないのだと知っていた。 彼の言の葉は自分自身にではなく、あくまで自分を取り巻くものに対して。 己が身のことになると、途端に淡白になる。 お互いに求めていないのだと知っているのに、夢物語のような会話はいっそ白々しい。 「…何でもない」 自嘲気味に笑ったミリィは、彼に気付かれないように小さく嘆息した。 何もかもが中途半端で、埋まらないパズルのピースはどこにあるのだろう。 ―――まるで、喜劇だわ 気付かないのは、気付こうとしないのは、やはり躊躇っているからなのだ。 己が行く先に光など無いと分かっていた。 己が行く先に望んでいるものを見ようとは思わない。 それは絶対に、叶ってはならないものなのだから。 ―――お願い、気付きたくないの 込み上げる想いに気付かないふりをして。 宿る想いに素知らぬふりをして。 だのに願ってしまう想いもいつかは、柵を壊して溢れるのだろう。 砂時計の最後の欠片が、落ちる。 END |
あとがき。 |
| 麻緒さまに捧げます。 特に指定が無かったので、まだまだ決戦前のケイミリです。 アリシアの墓参りの後くらいの設定。 シリアス街道まっしぐら〜(貴様)。 宜しければお持ち帰りくださいませーv リクありがとうございました。 |
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