igNore |
ミレニアム・フェリア・ノクターンは非常に切迫していた。 例えるならば、カレーを作っているのにカレーのスパイスが根こそぎ空っぽだったとか、 9時の待ち合わせなのに8時55分に目を覚ましてしまっただとか、 まぁ、その程度には慌てていた。 「―――…ない」 呆然と呟いたミリィの声を拾い、 依頼のディスプレイを開いていたケインとキャナルはシート越し振り返った。 「何がです?」 ごそごそと何かを探していた風の彼女の背に向かって訊ねると、 大きく肩を揺らしてぶんぶんと手と顔を左右に振った。 オーバーリアクションは昔からだが、ついでに顔も蒼い気がする。 2人は訝しげに眉を顰め――ただしメインシステムであるキャナルに至っては特に必要のない仕草だ――、 もう1度問い掛けようとしたのだが、それを阻んでミリィは声を荒げた。 「なっ、何でも無い!!」 何でも無いから、と繰り返し、彼女は慌しくコクピットから出て行く。 取り残された2人は閉じてしまった扉をじっと眺めるしかなかった。 コツコツと静かな廊下にパンプスの踵が音を立てて響かせる。 (嘘うそッ!いつ外したっけ?!) そもそも外したことすら憶えていない。 外すことはままあった。 傷を付けたくなかったから何をするにも外して、 けれど箱に収めてしまっておくのは勿体無くて。 こんなことになるのなら、後生大事にしまい込んでおけば良かったとも思う。 (エンゲージリング無くしただなんて、シャレになんないっ) ミリィは今日1日の行動を思い出しながら、深い溜息を吐いた。 「どうしよう…」 他にすることはと言えば後はもう、 ずきずきと痛みを覚える頭を抱えるしかないのだ。 すっかりと静かになったコクピットには、未だに沈黙が落ちていた。 無言でキャナルに睨まれていることも含めて、それはさほど珍しいことでもなかったが、 ケインが耐え切れずに口を開いて終わる沈黙とはまた違っていたらしい。 「マスター、ちょっと意地悪なんじゃないですか」 ケインのシートの隣に立っていた少女は腕組みをして嘆息してみせる。 長い髪とエプロンドレスが動きに合わせてふわりと揺れた。 シートの背凭れに埋まり、そ知らぬ顔でケインは目を閉じる。 「何が」 「知ってるんでしょ?」 「何を?」 主語のない問答を繰り返し、痺れを切らしたキャナルは眉根を吊り上げ、 両手でそれぞれ拳を作って口元へと寄せた。 「んまっ、性格悪いったら!誰に似たのかしらッ」 その台詞に、ケインはべぇっと舌を出した。 「ガキの頃から誰かさんを見てたらこーなったんですぅ」 笑みを浮かべたキャナルの額に、何か不穏なものが見えたのは気のせいではないだろう。 証拠だといわんばかりに、パネルに灯っていた明かりが次々と消えて行く。 「厭だわケイン、その誰かさんって誰のことです?あらっ、何故かしら?生命維持装置を停止させたくなってきちゃったわ」 「止めてる止めてる!!」 ついには重力制御まで効かなくなったルーム内でふわふわと浮かんでいたケインが、 息苦しさを憶えて段々蒼くなって来ている。 ようやっとのことでギブアップを認めた彼が謝る仕草を見せるまで優に3分は経っていた。 「ケイン?」 自分の腿の上で頬杖を付いて、はぁあっと溜息を吐いたかと思うと、 横に倒れ込み肘置きにだらりと凭れたケインは不貞腐れたように口を尖らせる。 「…自信無くすよなー」 ごそりとポケットを探り、銀色に光るものを取り出す。 見覚えがあり過ぎるそれは、紛れも無くケインがミリィへと贈った物。 蒼い石が嵌め込まれた指輪を天井に翳し、もう1度溜息を吐いた。 紆余曲折を経た彼がそのようなことを考えるのはムリも無い話なのだと分かっていても、 キャナルに出来るのは叱咤することくらいだ。 ペチリと彼の頭を叩くと呆れたように見下ろす。 「後ろ向きな考え方しない!」 とっとと返してきなさいと言わんばかりに、 未だ不貞腐れたままの彼のマントを掴むと、椅子から容赦なく引き摺り落とした。 どさりばたりとそこら中を引っ繰り返すような騒々しさがミリィの自室から漏れている。 硝子張りのドアに付いている窓から覗くとその通りで、部屋中が空き巣でも入ったかのように荒らされていた。 軽くノックをして部屋に入れば、あからさまにぎくりとした様子のミリィが目に入る。 これは確かに少し苛めすぎたかもしれないと反省はするが、 あちらにも責任はあるのだと思うとやはり謝る気にはなれない。 「ミリィ」 ケインはミリィの前に座り込むと人差し指と親指でちょい、と摘んだものを眼前に示した。 認識するまでに時間がかかったのか、 彼女はじぃっと眺めた後に大きな蒼い目をさらに見開いた。 「それ!?」 手を伸ばした彼女からひょいっと避ける。 「キッチンに置きっ放しだったんだよなぁ、コレ」 指先でピン、と弾くと、銀色に光る指輪は宙で弧を描きながら、再びケインの掌に収まる。 彼女が指輪を失くしていたことはとっくにバレていた。 そう理解すると、頬がみるみる紅潮していくのが分かった。 視線は居心地の悪そうに泳ぐばかり。 「洗い物した時、に…?」 「だろうな」 両手を顔の前でぱんっと合わせて、ミリィは平謝りするしかなかった。 「ご、ごめんっ」 「…重いか」 「へ?」 一瞬だけ、反応が遅れる。 彼の言った台詞の意味が、寸分たりとも頭に入って来なかった。 何に対しての言葉なのかも、分からなかった。 「やっぱ重いか、コレ」 だからこそ、訊ね直す前にもう1度紡がれた言の葉に言葉を失ったのはミリィだけだった。 彼の台詞を反芻する。 ―――重い、って それは一体何に対してなのか、理解出来ないほど愚かではいられない。 弾かれるようにミリィはケインに手を伸ばし、彼のマントにしがみ付く。 「違―――…ッ」 「返して、くれないか?」 ―――なに、を…? 分かっているのに目を逸らす、昔からの悪い癖。 弁解すらもさせてくれないのだろうか。 ミリィはワケも分からず泣きたくなった。 理由は、後から幾らでもついてくる。 ただ、泣きたかった。 それでも、やはりそれは仕方のないことなのだと納得しかけている自分がいる。 今更、都合が良過ぎたのだと諦めてしまうことを厭わない自分がいる。 子どものように泣きじゃくりたい自分と、 今までのように後腐れなく上手な別れ方を織っている自分とが混在していて、 余計に泣きたくなった。 笑わなければ。 仕方ないよね、と言って、頷かなければ。 今の彼女にそれが、出来るだろうか。 黙りこくってしまったミリィの掌に自分の手を重ね、 ぽんぽんと子どもをあやすように甲を撫でた。 「…とか言ったら、お前は絶対何も言わずに微笑って頷くだろうから、そーいう駆け引きはしたくないワケだ」 ぐいっと手を引かれ、ケインの胸に倒れ込めば、今度は髪を撫でられた。 ミリィはどういう状況なのか上手く思考回路を繋ぐことが出来ない。 「かと言って、大人しく手放す気も全く無い」 辛うじて理解出来たのは、先程の彼の台詞が本心ではないということだけで、 彼に必要とされているということだけで。 違う涙が溢れそうになるけれど、悔しくて、堪える。 「ケイン?」 肩が竦められるのを感じ、彼を見上げる。 「一緒に渡していれば良かったな」 すっと彼の腕が伸びた後、首元にひやりとしたものが触れた。 冷たさを辿るように滑らせた指先がそれが何なのかを教えてくれる。 「チェーン…?」 するりと指先を更に下へと動かせば、 胸元でエンゲージリングがチェーンに引っ掛かっていた。 「大事にしてくれてるのは、織ってた」 かちりと首の後ろで金具が留まる音がする。 「何をするにもわざわざ外してたよな」 戻した手で、ケインはミリィの両頬を両手で包んだ。 「嬉しかったんだぞ、俺は」 だから、とケインは珍しく微かに頬を染めて嘆息した。 「こうしていれば、ずっと付けたままで居られるだろ」 「…ありがと」 自然に、零れた。 彼の贈り物にだけではない。 彼自身に、きっと感謝している。 心は、彼を求めていた。 どうしようもなく切なくて、嬉しくて、ミリィは彼の胸に顔を押し付けた。 「ありがと、ケイン」 背中に回した腕に力を込める。 泣き顔は、見られたくなかった。 「ごめんなさい、大好き」 ケインの顎が、ミリィの頭に乗せられる。 軽く唸った後に、ぽつりと漏らした。 「…大好きついでにもういっこ」 「へ?」 ミリィはきょとんと顔を上げる。 至極真面目な面持ちの彼に首を傾げた。 「お返し、くれるか?」 とん、とケインは自分の唇を指で叩く。 彼の意図が分かると、ミリィは噴出してくすくすと笑い出した。 初めてでもないのに、早鐘を打つ鼓動が擽ったくて仕方が無い。 「…ばか」 こういうのは奪ってよね、と呟くとほんの少しだけ彼へと身を乗り出した。 END |
あとがき。 |
けいこさまに捧げます。 ハジケ切れなかった残骸がちらほら(爆)。 キャナルのノリは大抵あんな感じなんで、書いてて楽しいです。 結婚前提ネタは書くのも見るのも大好きだという趣味に凝り固まった話でゴメンナサイ! 宜しければお持ち帰りどぞー。 リクありがとうございましたv |
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