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開け放たれた窓からは賑やかしい子ども達の声が飛び込んでくる。
子ども達が出払った屋内の廊下はしんと静まり返り、
いつもの喧騒が嘘のようだ。
ハリネズミを思わせるかつて長かった黄金の髪も今では短く切り揃えられていて、
そこまでしてようやっと歳相応に見せてくれる。
決して幼く見える顔立ちではないのだが、彼の性格と言動、行動を総合すると、
どうしても幼く見られるのがしばしば。
彼は辺りをきょろきょろと見回しながら、口元に手を当てて探し人を呼ぶ。
「ルーティ、ルーティ?…守銭奴」
「誰がよっ!!」
「あ、居た」
屋根裏から顔を出す、
だけならば良かったがご丁寧に彼の上に飛び降りて尚且つ踏み潰すという暴挙に出たルーティを下から見上げる。
彼女が退くまで動かない辺りは愛と呼んでよいのかもしれないが、
どうにもこうにも文字通り尻に敷かれているスタンは根性無し以外の何物にも見えない。
服を叩いて砂埃を落とすと、彼女へと視線を投げた。
彼を下敷きにしてくれただけあって至って無傷、ピンピンしている。
「居ないと思ってる相手を呼んでたの、アンタ」
呆れて嘆息する彼女の腕には、大きなアルバムが収まっていた。
ぱらぱらと開けば、黴臭い埃っぽさを憶える。
懐かしい革表紙に、スタンは思わず覗き込む。
開かれたそれには彼がこの孤児院で過ごすようになる前からのものが多々あった。
色褪せてしまい、元の色の判別は付き難かったが、
楽しそうな子ども達の笑顔だけは変わらない。
中には泣き出してしまった子どもを、
年長の子どもがあやしているものもあって中々に感慨深い。
「その内出てくると思って」
アンタねぇ、とまたもや嘆息するしかないルーティは、スタンからアルバムを取り上げた。
「で?」
「ん?」
「用事あったんじゃないの?」
お茶でもしようと、キッチンへと向かう2人は窓から子ども達を見やる。
面倒見が良い年長組は幼子の手を引いて何かを教えているようだった。
別の子どもが転がってきたボールを投げ返すが、上手く受け取れずにヤギ達の下へと転がる。
草を食んでいた彼女達の頭を撫で付け、今度は別の方向へ向かってボールを転がす。
傍を流れる小川に足を浸し、
珍しい石でも見つけたであろう子どもが太陽にそれを透かして、
他の子ども達と笑い合うのが分かった。
何でもない風景。
どこにでもある風景。
のどかで、穏やかで、ほっとするそれは、彼らが望んだ未来。
闘い続けてきた彼らが望んだ、世界。
「あるような、無いような」
風に揺られていたカーテンを紐で留め、窓際を後にする。
キッチンのテーブルにルーティを座らせ、湯を沸かした。
紅茶の缶を開けると芳しい香りがふわりと漂う。
「何よ、ソレ」
「さぁ?」
くらり、と軽い眩暈が襲う。
額に片手を押さえ、大仰に肩を落としてみた。
「アンタと話してるとこっちが疲れるわ」
用ならあるよ、とスタンはテーブルに置かれた紙袋をルーティの前に示した。
「町でオレンジたくさん貰ったんだ。ルーティにって」
橙色の丸い果実をひとつ手に取り、香りを楽しむ。
甘酸っぱい香りはルーティの好むものだ。
「…嬉しいんだけど、何か恥ずかしいわ」
「愛されてる証拠だよ」
「あんたもクサイことさらりと言わないで」
微かに頬を染めながら、ルーティはスタンをじとりとねめつける。
彼女の中に新しい命が宿ったと分かったのはつい先日のこと。
デュナミス孤児院のあるクレスタは本当に小さな町で、他愛も無い噂でもすぐに広まる。
それ故に、おめでたい話であればあるほど余計に町中でお祝いムードに染まり易いのだ。
買い物に出ただけで、聞いたよおめでとう、だの、これからが大変よ、だの声をかけられる。
既に母親である女達からは色々なアドバイスまで受けるというおまけ付き。
元々、他人との関わりが稀薄だったルーティだが故郷においては別のようだ。
最初こそ、スタンはいつ怒鳴りだすやらとはらはらしたものだが、
彼女の嬉しそうな気恥ずかしそうな表情からどうやらそれは単なる杞憂だったらしい。
「勿論、俺が一番ルーティのこと想ってるけどね」
ことりと彼女の前に湯気の立ち昇るマグカップを置くと、向かい側に腰掛けた。
先程、昼食を済ませたばかりで流石のルーティでもオレンジを食べる食欲は無いらしい。
夕飯の時にでも皆と一緒に食べようと紙袋に仕舞い込んだ。
「…どっからそーいうこっ恥ずかしい台詞が出てくるのよ」
出会って、旅をして、闘って。
長い時を共に過ごしてきた彼が、こんなことを言うようになったのはいつからだろう。
はっきりとは思い出せない気がしたが、あぁ違うと思い直した。
(あの頃からだわ)
こくりとひとくちあたたかな紅茶を流し込み、自嘲気味に笑った。
あの頃とは、数年前。
数年前と言えば、彼女の父親でもあるヒューゴ・ジルクリスト達が引き起こしたと言われる争乱の頃。
ルーティは自覚した。
そう、彼が想いを口にするようになったのは、丁度あの頃なのだ。
安心させようと、少しでも支えになろうと
――もしかしたらそんなことは考えていなかったのかもしれないが――
彼がルーティの傍に居るようになったのは。
そのことでどれだけ、彼に救われていたかは計り知れない。
そうでなければ本当にひとりになってしまったのだと、
声を押し殺して泣かなければならなかったのかもしれない。
口にしたことは無いけれど、言い様の無いほどにスタンに感謝していた。
「うん、でも…そうね」
「ルーティ?」
「大事なことは口にしなきゃ伝わらないわね」
何を思い出しているのかを察し、スタンは口を噤んだ。
「いつ、何があるか分からないものね」
ほんの少しでも、仲間だと思っていてくれただろうか。
ほんの少しでも、安らぎを感じていてくれただろうか。
ほんの少しだけでも、共に行きたいと願ってくれたのだろうか――彼は。
愛する者を護る為だけに、敵になることすら厭わなかったリオン・マグナスと名乗らされた少年は。
初めて聞いた心からの言葉が、殺してくれと懇願する台詞だなんて哀し過ぎる。
大切だった。
信じていた。
方法が違っていたとしても、護りたいものがある心は同じだった。
例え、歴史が彼を裏切り者だと詰ろうともスタン達だけは彼は仲間だったのだと、
仲間なのだと言うのだろう。
ぽつりと零したルーティは深い紫水晶の瞳に影を落とす。
俯いてしまった彼女の頬に、スタンはそ、と手を伸ばすと、
撫でるでもなく徐に横にぐいっと引っ張った。
頬に痛みを覚えて、思わずルーティは目の前に居るスタンの頭を殴り付ける。
同時に落下速度が付いたまま、ゴス、と鈍い音と共にテーブルへ顔面キスは居た堪れない。
「何すんのよ、スカタン!」
「笑わなきゃ」
殴られてうつ伏せになったまま、スタンは口を開く。
くぐもったその声は、孤児院の子ども達を叱り付ける優しい声とよく似ていた。
「笑ってなきゃ、駄目だ」
顔を上げて、スタンは繰り返す。




「ルーティは、お母さんなんだから」




無意識に、ルーティの掌は下腹部に触れた。
まだまだ平らなそこは、見ただけでは赤子を宿しているなどとは全く分からない。
宿している彼女ですら、殆ど実感は無い。
けれど確かに、じんと熱くなった腹をルーティは撫でた。
「お腹の子だけじゃなくて、このデュナミス孤児院のお母さんなんだから」
お母さん。
ルーティ自身、母と言うものを織らない。
自分がそう呼ばれるものになるのだと言われても、どういうものなのか分からない。
母のような存在はあったけれど、血の繋がった母では無かった。
だから益々分からなくなる。
見聞きしたものを積み上げて、こういうものなのだと想い描いてみるが、
やはりそれは想像の域で現実にはなりえない。
ルーティはルーティのままで、いつも通りで良いのだと、
肩肘張って頑張っていた彼女の背中を優しく撫でてくれたのは彼だった。
そう、いつでも。
込み上げて来るものは決して哀しいものではなかったけれど、
涙を見せたくは無くて、何か言わなければと口を開く。
「…どうしても、笑えないときは?」
「俺が笑わせてあげるよ」
「泣きたいときは?」
「見えないように抱き締める」
それじゃあ、と口を開きかけた彼女を遮り、スタンはぴっと人差し指を立てた。
「子ども達を護りたいなら、愛したいなら、まずは俺達が倖せにならなくちゃ」
ね、ルーティ?
片目を瞑ってウインクする彼に、張り詰めていたものがすぅっと抜けていく。
思い悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなっていく。
「アンタにしちゃ正論だわ。悔しいけど」
袋に入ったオレンジを抱え、流しの盥へと放り込んだ。
夕飯のデザートに出すなら、先に皮を剥いてしまってオレンジピールにしてしまおう。
そんなルーティの提案にスタンは笑って頷く。
隣に立って手伝う彼を見ずに、オレンジを洗う為にきゅっと蛇口を捻る。
「笑うわ、笑える。スタン、アンタと一緒なんだもの」
勢い良く流れ出る水飛沫がひんやりとしていて気持ち良い。
たくさんの仲間と出会えた。
愛するヒトと出会えた。
大切なものを織ることが出来た。
その喜びの大きさは、抱えていた哀しみの比ではない。



「私はもう、ひとりじゃない」



自分に言い聞かせるような呟きは、
確かにスタンにも届いていたけれど、彼は何も言わなかった。
濡れたままの手を腰に当て、スタンに向き直る。
「くよくよしてる暇は無いのよ、ルーティ母さんは!」
気の強そうな
――否、間違いなく強い――彼女の笑みに、スタンはそっと安堵する。
いつもいつも何を言えば良いのか分からずに、
ただ、哀しませたくない、泣かせたくないのだという想いだけで言の葉を紡ぐ。
そうして微笑ってくれるだけで、泣きたくなる程嬉しいのだ。
「それでこそルーティだよね」
たまには頼って欲しいのだけれど、それは本当にたまにしか無いから、
寄り掛かってきた時には精一杯支えたい。
我慢している時には、誰よりも早く気付きたい。
自分勝手で身勝手で、どうしようもないほど愛おしい恋心は、
結婚した今でもまだ恋心のままなのだ。
どうしようもないなと呟いた声は、
遊び疲れて帰って来た子ども達の喧騒に掻き消された。





過去を想って。未来を謳う。
未来を謳って、過去を描く。
結局ヒトの世はいつも廻り行くもの。
だからこそ。



未来にある過去が哀しいものであるなどと、決め付けることは誰にも出来ないのだ。









END



あとがき。
和泉さまに捧げます。

スタンが確信犯っぽいのは書いてる途中で挫折しました。
だってあの頭のわっるいスタンがルーティ騙し果せるだなんて思えない!(スタンに謝れ)
スタンですよ?関ボイスに騙されてはいけない!
そーいうワケで恰好よ、く見えると良いな風スタンに(どんなだ)。
宜しければお持ち帰りくださいませーv
リクありがとうございました。

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