忘れない。 忘れられない。 忘れたくない。 あの日、私に微笑ってくれた貴女を、 この命続く限り忘れることはないだろう。 |
Unforgettable |
静かな星の海に漂う一隻の船。 剣を破壊するものの名を刻まれた美しい白く大きな機体は、 今日も変わらず、変わらぬ目的の為に真っ直ぐと突き進んでいく。 その静かな船室で、パァンと小気味良い音。 カラフルなテープと小さく刻まれた紙と、微かな火薬の匂い。 「ハッピー・ハロウィン!」 クラッカーを手にした初老の女性が絵本に出てくるような魔女の姿で、 目の前に立つ若い女性に向かって反応を待っている。 例えるならばギリシャ神話に出てくる女神のような、 大昔の地球に生きていた画家アルフォンス・ミュシャが描いた、 アールヌーボー風の女性のような、 ともかく一般人ではない不可思議な恰好をした女性だった。 それもそのはず、彼女はヒトではない。 ソードブレイカー、正しくはヴォルフィードと名付けられた白い船は、 遺失船と呼ばれる伝説の中で生きるモノ言う船のひとつ。 遠い、遠い、科学が発達し過ぎた遠い歴史上で生み出された船だ。 彼女、キャナル・ヴォルフィードはその意思を反映したホログラムにしか過ぎない。 白銀の長い髪、神話から飛び出したような格好をした神秘的にも映る女性の姿は、 本来彼女の創造主のものだということは最早誰も知らない。 「………」 「………」 暫くの間が空いた後、初老の女性はきょとんと眼を瞬かせた。 「あら?キャナル、もしかして知らなかった?これはハロウィンって言ってね」 キャナルは表情をあまり変えることなく、代わりに肩から掛けたローブが微かに動いた。 「…知っています、が、まだ1週間も先です。そもそもハロウィンとは、ホームのヨーロッパを起源とする民俗行事で」 「はい、スト―――ップ!」 「何でしょう?」 「知ってるならノってくれてもいいじゃないっ」 ぷぅっと幼い少女のように頬を膨らませた彼女に、アリシア、とキャナルは呼びかける。 けれど彼女は聞かない。 「ケインがね、今年はヴァンパイアやるんですって」 「アリシア」 「魔女っておそろいっぽくて良いと思うの、黒装束だし!ハロウィンまでには帰るって約束しちゃったわ」 「アリシア、それは」 「キャナルは…そうね、ワンダーランドのアリスか、オズの魔法使いのドロシーはどうかしら。もうちょっと頭身縮めて、フリルのエプロンドレスを着るの!きっと可愛いわ」 「アリシア」 尖った背の高い魔女の帽子を外しながら、アリシアは小さく笑う。 キャナルとの付き合いは長い。 幼い頃、モノ言う船と出会ったのは運命だったのか、それとも偶然だったのか。 出会ったのは小さな兄妹。 ヴォルフィードが選んだのは幼い妹だった。 その対となるように、正反対の遺失船が選んだのは兄だった。 闘い続ける遺失船の運命の下、巻き込まれた兄妹の絆もふたつに分かたれた。 彼女の戦闘力はヴォルフィードを用いても、彼女自身の実践でも、 そこらの人間では敵わないくらいに高い。 実の兄と、彼がマスターとなった遺失船との戦闘を繰り返す彼女は、 幸か不幸か強くならざるを得なかった。 子どもが居て、孫も居て、それなのに彼女は出会った頃の少女のまま。 「ねぇ、キャナル」 けれど、幅広の帽子のつばに飾られた小さなカボチャをつついて、 ふとした折に見せる表情は少女の頃とは全く違うもの。 多くのものを見聞きし、傷付き、喜びを得、成長した大人の女性のもの。 幼い頃のように、キャナルに『何故?』『どうして?』と訊ねることはしない。 訊ねてはいけないこと、彼女が答えられないことを今は理解している。 彼女がヒトでなくとも感じるものはヒトと同じ。 ホログラムに現れる細かな動作は、表情にないものを教えてくれる。 「私はね、そんな場合じゃないからって、楽しいことを忘れてしまおうとは思わないわ」 微かに、キャナルの瞳が見開かれる。 「守れない約束が増えるかもしれない。未来は、そんなに残されていないかもしれない」 小さな幼い手のひらを最後に握ったのはいつだったろう。 目を輝かせて見上げてくる孫息子に二度と会えないかもしれない。 そんな不安を取り払うように頭を振って、幼子を抱き締めて頬にキスをする。 「だからって、大切なもの、愛おしいものを手放す理由にはならないわ」 愛おしくて、愛おしくて、かけがえの無いもの。 勿論、肉親だけではない。 アリシアはキャナルの頬へと手を伸ばす。 「私は欲張りなの。知っているはずよ、キャナル」 彼女は、自分が死んだら泣いてくれるだろうか。 それとも次のマスターを受け入れ、すぐに飛び立つだろうか。 「私は最後の最後まで、何ひとつとして諦めない」 どちらでも良かった。 泣いてくれなかったとしても、 キャナルが沈黙してしまうくらいなら自分のことなど忘れて、 新しいマスターを受け入れてくれた方がずっと良い。 彼女の美しい機体は広い宇宙の星の海にこそ相応しい。 「…それは…私には理解しがたいものです、マスター・アリシア」 彼女が何故笑えるのか、キャナルには分からない。 巻き込んでしまった自分を憎んで、恨んで、蔑んだとしても、それは当然のことだ。 アリシアにはその権利がある。 途中で付き合っていられないと、放り出されてしまうかもしれない可能性を、 彼女は今でも捨ててはいない。 心のどこかではそうしてくれることを願っている自分も居る。 相反する感情を持て余し、理解出来ずにいるキャナルのシステムは未だ発展途上だ。 「今は分からなくてもいつか…いつかで良いわ。私が死んだずぅっと後にでも思い出して頂戴」 彼女の言葉を。 彼女の意思を。 彼女の想いを。 姉であり、妹であり、もうひとりの家族であった彼女の、存在した証を。 キャナルはアリシアのように笑えない。 笑う意義を見出せない。 いつだって大輪の花のように微笑むアリシアの、 紡いだ言葉のひとつひとつの意味を追いかけるのに精一杯で。 前向きに、どんなことだって『大丈夫』の一言で切り抜けてしまう彼女が眩しかった。 ヒトの強さを、教えてくれた。 楽しいもの、美しいもの、伝わるはずのないぬくもりをたくさん、たくさん、教えてくれた。 好きだった。 大好きだった。 かけがえのない愛おしいもの、キャナルにとってのそれはアリシアだった。 最期の最後まで、力の及ばなかった彼女を責めるでもなく、 笑って逝く彼女にどうしたら伝えられただろう。 笑うことの出来なかったキャナルは、理解出来なかった感情を唐突に理解した。 喪失への恐怖。不安。憤り。哀しみ。 ヒトはいつだってころころと表情を変える。 必要だからではない、己がそうあるから、ありたいからだ。 『FCSキャナルは哀しみを、理解しました』 投影された涙に、どれほどの意味があっただろう。 ようやっと見せた彼女の『感情』に、アリシアは微笑んだ。 『良いのよ、キャナル』 良いのよ、と繰り返す彼女に縋り付いて大声で泣けるヒトであれば良かった。 逝かないで、と口に出すことは出来なかった。 これはキャナルの罪科だ。 アリシアを死へと追いやった責任は少なからず彼女にもある。 死に逝く彼女への我儘は許されない。 アリシア、動いた唇に音が伴わなかったのは不具合だったのだろうか。 たったひとりの大切なヒトに手向けた言葉は、 何と味気ないものだったのかと今になって悔やむ。 間に合わなかったハロウィンと、遺された背の高い魔女帽子。 過ぎた時間は、もう戻らない。 「ハッピー・ハロウィン!」 パァン、と小気味良い音がキャナルの目の前で弾けた。 物思いに耽っていた彼女は、それこそヒトそっくりにぱちくりと目を瞬かせる。 反応の返って来ない彼女に、目の前の金髪を肩で短く切り揃えた少女は小首を傾げた。 「あれ?もしかしてハロウィンを知らないとか?」 「…知ってます、莫迦にしないで下さいな。ってそれよりコンパネに紙屑がぁっっ!!ちょっと、ミリィ!?」 細かいこと言わないでよ、とミリィはひらひらと手を振る。 あの頃と同じコクピットの中で、あの頃とは違う顔と喧騒が広がる。 「ケインからも言ってやってくださいよ!」 「俺から言っても無駄だと思うけどな、あ、コレうまい」 「でしょ。我ながら上出来なパンプキン・パイだわ」 「言ってる傍からコンパネの上で食事をしないでぇぇぇえええ!!」 コントロールパネルをテーブル代わりに、 マスターであるケインと助手のミリィはティーパーティを始める。 キッチンには他にも料理が所狭しと並べられているのだろう。 ミリィの料理の腕は超一流だ―――キッチンを破壊さえしなければ。 数年前のソードブレイカーでは考えもしなかった日常が今ここにある。 それは、きっとアリシアが望んでやまなかった日常だ。 キャナルが欲しくても手に入れられないと思っていた日常だ。 ―――アリシア、これは貴女が結んだ縁? 最初は同じだと思っていた。 アリシアの遺言通り幼いケインをマスターに招き入れ、 トラブルコントラクターの仕事を隠れ蓑に、残された遺失船の手がかりを捜した。 最愛の祖母を失ったばかりの幼子に戦い方を教えることに抵抗が無かったとは言わない。 アリシアの仇を討ちたい、そう願わなかったとも言わない。 日に日に、全てを語らないキャナルへのケインの不信感が、 首を擡げていたことにも気付いていた。 お互いに差し障りのない会話と情報。 アリシアという愛おしいヒトを失った傷跡にお互いどこか依存していたのかもしれない。 時期尚早だと言い聞かせながら、真実を口にすることが怖かった。 けれど、ミリィが現れてからの日常は一変した。 彼女の闇を知りながら受け入れてしまったのは利用価値があると判断しただけでなく、 いつかのアリシアと重ねてしまったから。 全く違うのに、時折彼女と重なる影。 放っておけなかった。 手を伸ばして、抱き締めたかった。 ひとりで傷付かなくて良い。 ひとりで闘わなくて良い。 言いたくて、伝えられなかった言葉。 きっとあの頃の彼女は微笑って、その手を振り解いただろうけれど。 キャナルだけでは駄目だった。 ケインだけでは駄目だった。 ミリィだけでは駄目だった。 3人が揃って初めて、世界が動き出した。 その事実を、もう否定はしない。 否定、出来ない。 泣いて、笑って、怒って、笑って。 アリシアと過ごしたあの頃に、 同じように笑えていたら、もっと何かが変わっていただろうか。 戻れない過去を思ったところで、やり直しは出来ない。 ―――貴女が見せたがった世界は、こんなにも広い 理解出来ないと言ったキャナルに、アリシアは笑った。 あのときの意味が、今なら分かる。 きっとこれからも、迷って、悩んで、答えを出して、また躓きながら歩いていく。 諦めていたら、世界はこんな風には映らなかった。 ミリィとも出会わず、ケインと灯台の無い闇へと進まなければならなかった。 遺失船に寿命というものがあるのであれば、 ヒトと同じようにいつ動かなくなるか分からない。 けれど不思議とその日を怖いとは思わない。 明日を、未来を恐れずに生きていく。 どこまででも広がる世界と、幾筋にも伸びる道を、 共に成長しながら――例え、彼らが先に逝こうとも――、 見届ける道を選んだことに決して後悔はしないのだと心に誓って。 END |
あとがき。 |
akiさまに捧げます。 キャナルメインだとアリシアが面白いひとになってしまうので要注意です。 もっと知的な女性だった、はず・・・!多分! シリアスになっているかどうか怪しいですが、 宜しければお持ち帰り下さいませ! リクありがとうございました。 |
ぶらうざの戻るでお戻りください