Live



あまりの眩しさに、眩暈がしたんだ。
そこには『生』が溢れていて、僕なんかには相応しくない場所で。


見えない右目が疼いて、仕方が無かった。


ガタン。
仰々しい音がキッチンから響いて、悟浄は顔を上げた。
食事を終え、リビングのソファで一服しているときだった。
「何やってんだ?八戒」
呼びかけてみたが、しばらくしても返事が戻ってこない。
怪訝に思い、悟浄は腰をあげた。


キッチンに入ってみれば、八戒は床で蹲っている。
慌てて、彼の傍に寄った。
水道は流れっぱなしで、食器も水に浸かったまま。
スポンジは泡が付いたままで床に転がっている。
「八戒?オイ、八戒!」
彼は八戒の肩を掴むと無理矢理こちらを向かせた。
ぼんやりと顔を上げる。
「スミマセン、ちょっと立ちくらみしちゃって」
ははは、と力の無い笑みを返した。
「立ちくらみって、お前……」
言った瞬間、目を見開く。
僅かに触れた首筋。
素早い動作で、悟浄は彼の額に手を触れる。
「熱があるじゃねぇか!」
彼の高すぎる体温に、悟浄は内心舌打ちした。
何故気付かなかったのだろう。
たった今、突然発熱することなどまず無い。
今の今まで、我慢していたということだ。
彼の性格からして、変な気を使うことは明白だ。
こちらが気付かなければ、治るまでずっと黙っていただろう。
「大丈夫です。ちょっと風邪引いただけですから」
微笑って、悟浄の手を退ける。
洗い物の続きをしようと、流し台を支えに立ち上がった。
「明日やればいいだろ。寝てろ」
悟浄は彼の腕を掴み、寝室へと追いやろうとする。
「ですが…」
チラ、と汚れ物を見やって、八戒は躊躇う。


「それとも、有難い超鬼畜生臭ボーズに経あげて貰いたい?」


に、と笑って八戒へ問う。
一瞬、強張った表情が、困ったように微笑む。


「それだけはゴメンです」


諦めて、自室へと引っ込む八戒。
背中を見やって、悟浄はため息をついた。
「ツマンナイ意地張っちゃって」



八戒は重たい意識を保ちながら、何とかベッドにたどり着いた。
ふぅ、とため息をつく。
八戒の自室にいたジープはきゅう、と心配そうに飼主を見上げた。
「また…心配かけちゃいましたね」
背を優しく撫でながら、笑いかける。
モノクルを外して、脇のテーブルへと放った。



―――ズキン



最近、入れたばかりの義眼が微かに疼く。
僅かに寄せられる眉根。
そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
「オイコラ、そこの重病人」
ノックも無く、氷枕と薬を持って悟浄が現れた。
「大人しく寝てろって言っただろーが」
「あはは、見つかっちゃいましたね」
「お前がそんなだと、俺が文句言われるんだよ」
ポォンと氷枕を放り投げて、悟浄はテーブルに薬を置く。
ひんやりとしたソレは、僅かに重みを腕の中に残した。
「冷たくて気持ちいいですね」
ぽつりと八戒は呟く。
水差しからグラスに水を注ぎながら、悟浄が呆れたように顔を顰めた。
「それだけ熱が上がってんだよ」
今度こそ大人しく床に入る。
決して口には出さなかったが、不思議だと思った。
ヒトであったときにかかる病気に、妖怪になった今でもかかるだなんて。
妖怪と言えども、形態はヒトそのもの。
見分ける術と言ったら、耳のカタチ、体の痣。
けれど、妖力制御装置を身に付ければ、見分けなど出来ない。
外のカタチだけは、ヒトそのものなのだ。


――――こんなにも、この手は穢れていたはずなのに


天井へと手を翳して、八戒はじ、と眺めた。
今でも時折、幻を見る。
自分の手が真っ赤に染まり、そうして、周りは血の海と化していた。
びくりと身体を震えさせ、息を飲み込むとすぐに、それは暈けて消えていったけれど。
確かにあった罪から目を逸らすことなど出来なくて、
立ち直ったつもりでも、立ち直りきれていない自分が居て。
そんな自分を感づかれたくなくて、同居人とも真っ直ぐに
目を合わせることも出来なかった。
弱い自分が、情けなくて嘲笑えた。
「…優しいんですね」
「は?」
ぽかんと聞き返す悟浄に苦笑して、八戒は繰り返した。

「貴方は優しいんですね」

聞きなれぬ台詞を何度か頭の中で反芻しながら、
悟浄は瞬きを繰り返す。
やっとのことで理解した彼は、大爆笑を始めた。
「何言ってんの、お前」
笑いを押し殺しながら、床に座り込んだ。
ひとしきり笑い終えると、髪を掻き揚げて、八戒を見上げる。
「今頃気付いた?」
今度は八戒がぱちくりと瞬きした。
すぐにそれは微笑みに変わり、首を振る。


「いいえ」


ぼんやりと天井を見上げ、目を閉じた。


「こんな僕を助けてくれた時点で、貴方が優しいヒトだと織っていましたよ」


立てた膝にほお杖をついて、悟浄は不機嫌そうに口を歪ませた。


「なーんか気に食わない言い方」


放り出すように吐かれた台詞に、八戒は目を開く。
「え?」
「何で自分を貶める言い方すんの?」
カチリ、とライターを擦る音が耳に届く。
「そういうつもりじゃ…」
八戒の弁解を聞き流し、悟浄は煙草を咥える。
一度吸い込み、紫煙を吐き出した。
「んじゃ、元々からそんなん?」
携帯灰皿に灰を落としながら、悟浄は拗ねた子どものように口を尖らせる。
「だったら尚更、気に食わねー」
煙草を指に挟んだまま、左手を動かす。
「いいか?」
真剣な眼差しなはずなのに、どこか巫山けた感のする紅玉のような瞳。
それは、彼が相手を深く関わらせない為に身につけた術。
猫のように気ままで、踏み込もうとすれば、するりとかわす。
けれど、人一倍心配性で、優しいことを八戒は織っていた。


「お前は『猪八戒』なんだぞ?」


ジリ、と煙草の先が紅く染まる。


「生まれ変わったんだ」


鼻につく煙草の匂いが、部屋の中にうっすらと染み付く。
「以前のお前を捨てろなんて言わない」
真っ直ぐに、彼の言わんとしていることを受け止める。
それでも、否定したがっている自分が居る。
2つの感情は決して交わることなく、しかも、どちらかに打ち消されることも無い。



「だから、な」



水と油のような、渦巻く2つの感情は紅い炎に包み込まれ、同時に消滅した。



「少しくらい、変わっていっても良いんじゃねぇか?」



水は炎によって蒸発し。
油は炎となって燃え盛る。
織っていた。
理解していた。

どちらの感情も、未だ囚われた『猪悟能』のものなのだと。


八戒は諦めたように、ため息をついた。
誰かに気付かれるなどとは思っていなかった。
それくらい、些細な意識に彼は気付いた。
心の中で、八戒は両手をあげたくなる。
「貴方の言う通りですよ、悟浄」
微笑んで、頷く。
悟浄は、そんな彼の様子を怪訝に思う。
彼にしてはあっさりしすぎている。
とは言え、彼の中の葛藤など、悟浄は織る由も無い。
「でも、変わりきれない自分が居る事も確かなんです」
呟くように、八戒は哀しげに微笑む。
「貴方達と出会った時、正直言うと…息苦しかった」
自分には無い輝きを持っていた彼ら。
同じ輝きなど有り得ないけれど、同じくらい眩しくて。
一番近く思えた悟浄さえも、自分のようには曇っていなかった。
戒めだと思った『紅』は、生きている証の『紅』だった。
「なんて、強いヒト達なんだろうって」
力ではない。
強いと感じたのは『ココロ』。
何者にも侵されない、侵せない、真っ直ぐな瞳。
「反対に」
己のくすんだ瞳は、一体何を映していたのだろう。
復讐の為だけに、己の手を染めた。
それを悔やむことはないけれど、無性に虚しくなることはあった。


「僕はなんて弱いんだろうって」


だからこそ。


「僕には、貴方達が眩しすぎて仕方が無かった」


澄んだ、翠色の瞳に紅が映る。
「とても、羨ましかった」
力なく微笑う八戒に、悟浄は何も言えなくなる。
「あの時…新しい名前と生を与えられた時、素直に嬉しかった」
まだ生きても良いのだと言われた。
どんな刑にも甘んじるつもりだった八戒は、面食らったのを憶えている。


「嬉しくもあり、苦しくもあった」


だが、悟った。
それが、どんな刑罰よりも重いということを。


『生きる』とはそういうこと。



「それでも、生きたいと思ったんでしょうね、僕は」



自分の為に生き、自分の為に死ぬ。
その為に、多くのヒトを傷つけようとも。
多くの傷を背負おうとも。
多くの闇を見ようとも。




『自分が自分である為には避けては通れない』




それが。
それこそが。





『生きる』ということに他ならない。




「…こんなこと言うと、また叱られちゃいますよね」
あはは、と笑うと、悟浄も笑い返した。
「いや」
目を伏せ、首を振る。


「笑い飛ばすだろうよ」


瞼の裏に、見織った顔を映した。


「アイツらは」


八戒も同じことを思ったのか、軽く頷く。
「…かもしれませんね」
八戒が生きようが死のうが、彼らは関係無いと言い放つだろう。
それを選ぶのは自分自身。
阻むことはしないだろう。
ただ。
『見ていて気分が悪いから』と、止めには入るかもしれないけれど。
「でも、三蔵が笑うんですか?」
「それはそれで不気味だな」
「あ」
思わず、八戒は声を上げたが、間に合わなかったようだ。
言ったと同時に、持っていた煙草の灰が、悟浄の素足に落ちる。
ジリ、と肌を焦がした。
苦痛に顔を歪め、悟浄は冷や汗をかいた。
「…偶然…だよな?」
「さぁ、どうでしょう」
どっちともとれぬ笑顔で、八戒は首を傾げた。




『生きたい』と思ったのは僕。
『死にたい』と思ったのも僕。

あの輝きに近付きたいと思ったのも僕であるのなら、
僕が僕であり続けることには違いない。


きっと僕はとても気まぐれで、優柔不断で、仕方の無い奴なのだろうけれど、
それでも必要としてくれる誰かがいるから、
僕は僕であろうとするのだろう。



『生きたい』と思ったのは、嘘じゃない。





END

アトガキ
26262を自己申告してくださった美歩様へ贈ります。
八戒が風邪引いて〜でしたが、クリア・・・してるといいなぁ(希望)。
まだ、そこまで立ち直っていない八戒です。
そうして、何でこう、私の書く悟浄はやさしいかな・・・?
もう少し厳しくてもいいと思うのだけれども。

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