じくうびと |
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■■3時空■■ |
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深い暗闇の中、『時空人』は囁く。 「ねぇ。貴方の名前教えて?」 織らないものなど無い癖に。 織ろうと思えば、簡単に分かる癖に。 それでも、彼女は尋ねるのだ。 「私?」 それでも、彼女は名乗るのだ。 不意に、気付くようにして、自分を指さす。 「私は」 ゆっくりと動かされる口元は、そこには無いはずの音を作り出す。 否、無いはずのものこそ、無いのだ。 そこは、『時空間』。 全てのものがあり、全てのものが失せる場所。 それこそが、彼女を創り上げた。 「『時空人』」 彼女だけが、その空間に存在を許された『時空人』なのだから。 騒がしい人ごみの中、彼女は顔を上げた。 そう、不意に。 非道く、それが絶対のように感じた。 間違ってはいなかったのかもしれない。 視線の先には、ひとりの少女が居た。 高いところで2つに結われた長く、淡い紫の髪。 深い紫の衣装。 そうして、何よりも目についたのは、遠くからでも分かる、黄金の瞳。 目が合ってしまう、どこか儚さを宿した瞳。 彼女の手から力が抜けて、持っていた買い物篭を落とす。 ゆっくりと、スローモーションのように感じた動き。 全ての時間が、2人を残して止まった気がした。 「こんにちは」 先に、少女の口が動いた。 ニコリと微笑む少女は、どこからどう見ても子どものそれと同じで。 けれど、間違いなく違うと思える自分がいた。 彼女は驚愕とも、困惑とも取れる顔で、踵を返して走り去る。 人ごみに紛れていく後姿。 足元に、こつり、とリンゴが転がってくる。 女の落とした買い物篭が、人込みの中、紛れていった。 リンゴを拾い上げると、少女は唇を寄せて呟く。 「…逃げても変わらないのに」 慌しく開かれるドア。 息切れした女が入ってきた。 宿屋と思われるその建物が、女の住まいのようだった。 カウンターではひとりの男が接客をしている。 「では、こちらが部屋の鍵になります」 客に鍵を渡し、その後姿を見送った。 そうして、入ってきた女に笑いかける。 「おかえり、リムル」 リムルは客がいなくなると、男に抱きついた。 「リムル?」 「ウィン、私…ここにいるよね?」 ぎゅ、と手の力を強める。 「いるんだよね?!」 俯いたまま表情が見えない彼女を気遣わしげに見やる。 突然、大声を出したリムルに、 ウィンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに目を閉じて微笑んだ。 宥めるようにして、背中を二三度叩く。 「当たり前だろう?」 ふと、ドア越しの人影に気付き、リムルから離れる。 リムルも気付いたのか、すぐに離れた。 後ろを向いて、涙を拭く。 カラ、とドアの鈴が鳴る。 「いらっしゃいませ」 「こんにちは」 聞き覚えのある声に、リムルはビクリ、と肩を揺らす。 「お1人ですか?大人の方は…」 恐る恐る、ゆっくりと振り向いて行く。 見てはならない。 気付いてはならない。 どこかでそう、感じた。 「ごめんなさい」 けれど、それは逃げられるはずの無い現実。 「ここでヒトと待ち合わせているの」 ちらり、とウィンの後ろに居るリムルへと、少女は微笑んだ。 「だから、今は私ひとりで」 彼女は目を見開いたまま、口元を抑えた。 それに気付かないのか、彼は営業スマイルのまま、了承した。 「そういうことなら」 宿帳を引き出し、少女の前に差し出す。 抑えの効かない震えが、リムルを襲う。 少女がひとつひとつ動く度に、鼓動が大きく耳障りに聞えた。 羽ペンをとり、少女は名前を綴る。 ―――シア・レイトール…? 宿帳が目に入ると、リムルは不思議そうに少女を見やる。 それに気付くと、少女は微笑んだ。 「そちらは奥様?」 照れ笑いしながら、彼は頷いた。 「えぇ」 「そう」 ひとつ、間を置くと、 今まで見せていた不敵な笑みは一変して、哀しげな微笑に変わる時空人。 (―――…え?) 「とてもお似合いね」 あまりに。 あまりに、そのセリフと釣り合わない表情が腑に落ちなかった。 『ずっと、一緒にいたいんです』 『何だかプロポーズみたいね』 くすくすと笑い声が響く。 けれどそれは、遠い日の思い出であり、これから起こる未来。 どちらでもあるソレは、別の時空での出来事。 重たく瞬きすると、少女は口を開いた。 「お部屋は、どこかしら?」 「わ…私がご案内します」 鍵を取り出し、カウンターから外に出る。 「どうぞ」 無理矢理作った笑みに、少女は可笑しさを覚えたのか、笑った。 「ありがとう」 「ごゆっくり」 背後に、ウィンの声が追ってきた。 こつこつと響く足音。 「素敵なヒトね」 軽く振り返りながら、少女は言った。 社交辞令の様に、リムルは礼を紡ぐ。 「ありがとうございます」 「そんなに怯えないで」 彼女は不意に立ち止まり、持っていた鍵を握り締めた。 何度か、音を紡ぎ出せずに動かしていた唇を、一度引き締める。 意を決したようにして、確信を持っているはずなのに、問い掛けた。 「…貴方は…『時空人』、ね?」 こわごわと尋ねるリムル。 一息置いて、答える『時空人』。 「そう。『シア・レイトール』は別の世界で『時空人』の意」 何かを思い出すようにして、『時空人』は苦笑した。 「それじゃあ、私は…」 瞬きを繰り返し、そうして、閉じられる瞳。 リムルは、掠れる、吐息のような声で呟いた。 「『世迷人』なのね」 ザァア。 雨が降っている。 幾千もの針雨が、木々に、大地に降り注ぐ。 窓辺に腰掛け、『時空人』は外を見やった。 窓を開け放ち、カーテンは濡れている。 なのに、『時空人』は濡れていない。 冷たいはずの雨は、何度も何度も『時空人』を打ち付けているのに。 「何か…願い事はある?」 「願い?」 『時空人』は頷く。 それはどこか、突き放した感のある動きである気がした。 「そう」 ひとつ、確かめるように尋ねるリムル。 「どんな、ことでも?」 表情を無くし、ただ、義務的に『時空人』は頷く。 「内容によるわね」 「じゃあ…」 「駄目よ」 人差し指を立てて、リムルの口元へ。 言うよりも先に、彼女は笑う。 ゆっくりと腕を戻し、自分の口元へ。 「ソレは駄目」 どんな願い事が紡ぎ出されるのか、すでに織り得ていたのだろうか。 「どう…して…?」 半ば、呆然と口を開いた。 「内容によると言ったでしょ?」 鍵をリムルの手からスルリと抜き取る。 何事も無かったかの如く、彼女の脇を通り過ぎた。 否、『時空人』にとってはその通りだったのかもしれない。 「『世迷人』は存在してはならない」 背中越しに言う。 「『時空人』は『世迷人』を消さなければならない」 まるで、言い聞かせるかのように。 「ソレが決まり」 チャリ、と鍵がなる。 ドアに手をかけて、リムルを振り返った。 「だから私には」 少しだけ哀しげで、少しだけ辛そうな表情。 不意に見せる、儚げな雰囲気。 「『世迷人』が誰の大切なヒトであったとしても」 ―――何故…? 窓越しに見える2人の姿は、降り出した雨に輪郭が暈け始めた。 「関係ないのよ」 ―――だったら、何故? 拭い去れない違和感だけが、リムルを襲う。 ―――貴方はそんなに辛そうな瞳をしているの? 休憩室ではウィンが何かを持ってきていた。 扉で立ち呆けて、彼を見やる。 「あぁ、リムル」 リムルに気付いて、手の中のタルトを自慢げに掲げた。 「ブルーベリータルトが上手く焼けたんだ」 椅子に腰掛けながら、続ける。 「今夜のデザートに出そうと思うんだけど…」 一向に返事の帰って来ない妻を、不思議そうに眺めた。 「…リムル?」 瞬間、ポツリ、と落ちる雫。 「…っ」 両手で顔を覆い、リムルは泣き崩れた。 訳も分からないはずなのに、ウィンは何も言わずに、優しく抱き締める。 「何か、あった?」 リムルは首を振る。 「本当に?」 首を振るのを止めて、彼を見上げた。 リムルは何も言えずに、ただ、見つめる。 その様子に、彼は淋しげに笑うと、彼女の額にキスをした。 「…ごめんなさい。」 何も言えないことへの謝罪と。 本当はあるはずのない倖せを壊すことへ。 ―――このヒトには絶対に言えない 鎖に繋がれたその両手足は、足掻くことすら許されない。 ―――私が…『世迷人』だなんて 上から、声が降ってきた。 「願い事は決まった?」 客から返される鍵を受け取り、見上げる。 上の階の格子から、『時空人』がこちらを見下ろしていた。 「……どうしても…駄目なの?」 「どうしても駄目なの」 どこまでも続く押し問答に苛つきを憶える。 「…貴方は、誰かを愛したことは無いの?」 『時空人』は僅かに目を見開いて、言葉を紡いだ。 ぽつり、と零れる涙のような声だった。 「あるよ」 「だったら…!」 思わず、声を荒げそうになった。 けれど、それは出来なかった。 どの微笑みよりも、 寂しげで、 哀しげで、 悔しそうな『時空人』を初めて見た瞬間に。 「私の愛したヒトは『世迷人』だったわ」 『時空人』は言うと、格子を離れた。 リムルは言葉を失ったまま、動きを止める。 「…『時空人』…?」 聞いてはならないことだった。 そう感じるまでに時間はかからない。 ―――貴方は、その手で愛するヒトを… 『それでも、構いませんよ』 『無理だと、分かっているのに?』 『えぇ』 『…ありがとう』 部屋に戻り、『時空人』はベッドに寝転んだ。 天上へ向かって、手を突き上げる。 指の隙間から、見える天井はどこか遠く感じた。 「誰の大切なヒトでも…関係、ないわ。」 きつく目を閉じて、『時空人』は蒲団を被った。 ウィンが悪戦苦闘しながら、花瓶に花を活けているのが目に入った。 横からソレを取ると、リムルは角度を変えて活け直す。 「あ」 「もう、下手ね。こうするのよ」 微笑みながら、彼女は手直しする。 苦笑して、ウィンは後片付けに廻った。 活けながら、リムルは問い掛けた。 「もし…私が、突然いなくなってしまったら、どうする?」 それが、意味の無い問いかけであると、織っているのに。 「え?」 数本の花の茎を手にしたまま、彼は振り返る。 「もしものハナシ」 意味の無い念を押して。 「そうだね…」 片付けながら、言の葉を紡いだ。 「愛してると思うよ」 リムルは動きを止めて、手元を見つめる。 「それでも、愛し続ける」 彼は、繰り返し言う。 それは、根拠の無いセリフだった。 「どんなことが、あっても?」 「うん」 「絶対に?」 「信じられない?」 一瞬だけ、目を見開く。 緩やかに首を振った。 それはすぐに微笑みへと変わる。 「ありがとう」 リムルの声が聞えたのだろうか。 『時空人』はゆっくりと瞼を上げた。 「願い…見つけたみたいね」 呟いて、『時空人』は姿を消した。 闇に紛れていくように。 ベッドで眠るウィン。 隣りにリムルの姿は無かった。 ドアの外に立ち、彼女は部屋へ入ろうとしない。 そ、とドアに触れて微笑む。 「ウィン…」 額を扉へと擦りつける。 「私、倖せだよ」 ―――だから 「ごめんなさい」 ―――私を愛してくれて 「ありがとう」 微笑む彼女の瞳には、涙は無かった。 「もう、いいの?」 背後からかかる声に、リムルは頷いた。 「ウィンは私を愛してくれた」 いるはずの無い私を。 「私はウィンを愛している」 いるはずの無い私が。 くるりと振り返って、『時空人』と向き合う。 彼女が浮かんでいる所為で、自然と視線が高くなった。 「それこそが私の『願い』だから」 精一杯、彼女は笑顔を見せた。 「私の『願い』はすでに叶っているでしょう?」 『時空人』も微笑んで頷いた。 「そう…ね」 彼女の頭を抱きかかえる様にして、『時空人』はリムルを抱き締める。 グローブの無い腕に絡みつく文様。 『時空人』の、証。 段々とリムルの体は、色を失っていく。 半透明になって、光の粉のように消え失せた。 「また、ね」 それを見送りながら、『時空人』は呟いた。 ―――ウィン、私も 眠っているウィンの瞳から、涙が一筋零れた。 ―――変わらず愛し続けるわ 暗闇を歩く『時空人』。 「正常な世界に戻り始めた」 立ち止まり見上げる。 昏い『時空間』をぐるりと見回した。 「『世迷人』のいた世界も記憶も消え失せる」 意味の無いことだと分かっていても、 手を前に差し出すように伸ばす。 「元いた輪廻へと還るだけ」 けれど、そこはどこまでも闇が続くだけで。 そんなことはとうの昔に分かっていたはずなのに、だ。 「その魂は、正常な世界へと転生するの」 どんなに足掻いても、それが、ホントウ。 「織っているわ」 ふわり、と倒れこむ。 どこが上か下かさえも分からない。 「だからこそ、私が憶えているのだもの」 つ、と流れる涙は、どこへともなく闇に吸い込まれた。 目を閉じながら、『時空人』は愛するヒトへと語りかける。 「…そうでしょう、シェイド?」 誰かを愛することが、 どんなに苦しいのか織っていても尚、ヒトは誰かを愛する。 そうして、『時空人』もまた、彼を愛するのだろう。 END |
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あとがき。 | ||||
『時空人』第三弾。 どえらく間が開きましたが(汗)。 1時空と被るのは、これを第1話目と想定して描いたからです(滝汗)。 その辺はご愛嬌で!! |