機械鎧に素手で触れることはまず無い。
金属を扱うには素手ではそれなりに危険であるし、怪我もする。
オイルで汚れた手で他の部品をべたべた触るのも避けたい。
そこまで考えて初めて、
素手で触れたことのある機械鎧が愛犬と、幼馴染のものだけなのだと気付いた。







18:触れればたい







いつも通りの風景。
いつも通りの日常。
いつも通りのリゼンブールは今日も平和だ。
いつも通りではないのは汽車から降りた小さな少年と大きな鎧の並ぶ姿。
いつも通りではないけれど、駅長はほんの少しずつ成長していく彼等におかえりを告げた。
小高い丘に建つ、村にひとつの工房に向かう彼らの背を見送る。
ただいまと言って上げた腕は左で、荷物を持っているのも左。
右腕がぴくりとも動いていないところを見れば、
また叱られに帰ってきたのだろうと推察出来た。
あれもまた、彼等のコミュニケーションのひとつと思えば可愛いものだ。
年頃の女の子が工具を振り回している姿は、まぁ、他では見たことも無いが。
切符売り場の窓口から顔を出す女性と顔を見合わせると、ふたりは可笑しそうに笑った。



これで何度見たか分からないほどに繰り返される喧騒を最早仲裁する者も居ない。
鉄は熱いうちに打て。
犬の躾は3つ数えるまでに。
幼馴染への制裁は帰ってすぐさま、ただいまの後、言い訳をするよりも先に。
「こ…っの、ばかちん
――――――ッッッ!!」
盛大に響く少女の可愛らしい怒声と、鈍い金属音。
ついでに言えば、床に何かが――否、誰かが、倒れこむ音。
「毎回毎回毎回毎回、エド!あんたは何度言えば学習するの!?脳みそつるっつるじゃないの!?」
「〜ッ、おまっ、ウィンリィ!!この天才に向かって!!」
「天才でも言い付け護れないような奴は莫迦よ莫迦!!大莫迦者よぅッッ!!」
「言い付けってお前はオレの母親か!!」
「こんな聞き分けの無い子ども要らないわよ!!莫迦!!」
「莫迦莫迦言うな!」
いがみ合うふたりに、工房の愛犬がくぅんと心配そうに耳を垂らす。
その背を撫でる大きな鎧が、
溜息
―――見しても分からない――を零すと我関せずを貫く祖母を振り返った。
「ピナコばっちゃん、あれ…」
「放っておきな。それよりこっちを手伝っておくれ、アル」
アルと呼ばれた大きな鎧が肩を竦める。
言い争いを続ける兄と幼馴染は、疲れれば勝手に収束するだろう。
デン、と呼ぶと足元の黒い犬が耳と尻尾をぴんと伸ばす。
お茶を淹れると言って奥へと向かうピナコの背を追い、
アルフォンスは愛犬を連れて工房を後にした。



まだがんがんと頭の奥が鳴り響く。
結構、かなり、強かに殴られた頭は暫く元に戻りそうにも無い。
エドワードは補助台に腕を置いて、彼女のベッドにうつ伏せで寝転がった。
「オレの脳細胞が死んでいく…」
「それで脳細胞が死ぬなら、あんたの中身はとっくにすっからかんよ」
動かない彼の右腕を持ち上げ、ためつすがめつしながらウィンリィはあははと笑う。
笑い事じゃない、と口を尖らせるエドワードは結局のところ彼女に勝てた例が無い。
装甲を外し、構造をひとつひとつ確認していく彼女の瞳は酷く真剣で、
彼は自然と口を閉じる。
整備の間はほぼ会話も無く静かだが、決して不快ではなかった。
ドライバーで配線を弄っている彼女の横顔も、
前に帰ったときより少しだけ伸びた髪も、
頬に落ちる長い睫毛の影も、嫌いじゃなかった。
幼い頃、見事に玉砕してしまった感情が未だ深い深い内側に残っている。
例えエドワード自身が、認めなかったとしても。
ぴり、と鋭い痛みが腕を伝って脳天まで走りぬけた。
慣れない痛みに思わず顔を顰める。
「あ、ここ?配線触ったから、一瞬だけ神経が繋がったのね」
コードの中の線が切れているのかも、と他の部分も試していく。
思いっきり眉根を寄せたまま動かない彼に、ウィンリィはひとつ溜息を吐いた。
「そんなに痛いなら、1回外そうか?」
「どうせ神経繋ぐんだろ」
「そりゃ、繋がなきゃ動かないし」
「…このままで、良い」
妙な葛藤をしている彼に、もうひとつ嘆息する。
後で痛いのも、今痛いのも同じような気がするが違うのだろうか。
幾度か彼女が手を加えれば、段々と動かなかった指が、腕が、元の動作を取り戻していく。
だが、やはりまだ動きが鈍い。
「取り合えず動くようにしただけだから」
無理矢理動かさないで、と暗にやんわりと釘を差す。
「大体ね、あんたがちゃんと手入れしてればこんなことにはならないのよ?」
「…た、たまには、ちゃんとして、る」
「手入れが嫌なら、定期的に帰って来るとか。壊れたときじゃなくて」
「嫌とか、そんなんじゃなくて、さぁ?」
ウィンリィは誤魔化すように笑う彼の耳をぎゅうっと摘み上げた。
痛いと非難めいた苦情は聞こえないフリをする。
彼が面倒臭がりなのは知っている。
生まれた頃からの付き合いだ、知らないはずもない。
けれど、こちらがどんなに丹精込めて作っても、使う側がこれではどうにもならない。
必要なとき、必要なだけ動かなければ、鋼の手足も意味が無いのだ。
全力でサポートすると宣言した自分を含めて、軽んじて見られているようで本当は悔しい。
時には怒りすら感じる。
彼が心配を掛けないように、わざと軽い言葉を選んでいることを差し引いたとしても、だ。
同時に怖くもあった。
もしもがあったらどうしよう。
機械鎧が上手く動かなかった所為で、彼が、彼等が危険な目にあったらどうしよう、と。
自分の知らない場所で、大切なヒトを失う恐ろしさを彼女は覚えている。
旅に出ると言い出した幼馴染の兄弟が無事でありますようにと、いつも眠る前に祈るのだ。
整備を終え、装甲を被せて最後の螺子を締めると、ウィンリィは鋼の腕をぽんと叩いた。
「はい、終了っ」
オイルで少し汚れた軍手を外しながら、関節を動かすように指示し動作を確認していく。
彼が動かした手のひらをじっと見つめ、おもむろに自分の手のひらを重ねた。
「…なに?」
怪訝そうに見やるエドワードに、うんと小さく頷く。
「前はあたしと同じくらいだったのになぁって」
「前、ってどんくらい前だよ」
「ちょっとでしょ。左手と大差ない?」
「まだ大丈夫」
そう、とウィンリィが手を離そうとした瞬間、エドワードは彼女の手をぎゅ、と握った。
「なに?」
今度はウィンリィが不思議そうに目を瞬かせる。
交互に組まれた彼と自分の指が不釣合いで、組み合わせの間違えたパズルピースみたいだ。
そんなことをぼんやりと思う。
「動作確認……ただの」
「わざわざ、ただのって付け足さなくても」
ただの動作確認じゃなかったら、何だと言うのか。
ウィンリィが考えていると、手のひらに金属の冷たさがじわじわと広がっていく。
「冷たい」
「機械鎧だからな」
「動作確認、終わったんだけど」
「うん」
分かっているのなら放してはくれないものか。
時々、彼の行動は不可解だ。
振り解くのは、多分簡単だった。
彼はそんなに強く握ってはいないし、接着剤でくっついているワケでもない。
振り解いたところで彼が怒るとも思えなかったし、
それでどうこうなるとも考えにくかった。
けれど、離れるのは何だか
――…怖い、ではなくて、
不安でも、嫌でもなくて、ぴったりと当てはまる言葉が浮かばない。
繋がれた指を見ていた猫のような琥珀色の瞳が、ウィンリィをまっすぐに射た。
彼の瞳に映った自分は頼りなさげで、困ったように眉根を下げている。
ふと、エドワードが小さく笑った。
(あぁ、そうか)
悪戯が見つかったときのように小さく、笑った。
そろりと彼の指が離れた。
冷たい空気が手のひらの間に生まれる。
そしてもう1度、ウィンリィからエドワードの手を握った。
ずっと触れていた機械鎧の表面はほんのりとあたたかい。
彼は驚いたのか軽く目を瞠った。
さっきから何をやっているのだろう。
触れては離れ、離れては掴んで、それは幼子が母から離れ難い仕草によく似ていた。
「…寂しい、だわ」
「は?」
彼の手のひらを握ったまま、ウィンリィは鋼の手に頬を摺り寄せた。
この状況に泡を食ったように慌てる彼を尻目に、ひとり得心する。
「離れるのが寂しい、と思ったんだわ」
何を言って、と叫ぶ前に彼女がにこりと微笑ったので、彼は口を噤んだ。
「きっと、機械鎧と離れるのが寂しかったのねっ」
そして、脱力。
一瞬で身体中の骨と筋肉が義務労働を放棄した。
握って離してくれないかと思った右腕は、案外簡単に彼女の手を離れた。
エドワードは背中からベッドへと倒れ込む。
期待などをしていたのでは決して無い。
まさか、まかり間違えても彼女が、
ちょっとだけ彼の考えたように想ってくれるだなんてあろうはずもない。
そもそも彼女はただの幼馴染で、
エドワード自身だって特別意識なんてしてない
――と、思う。
だから泣きたくなっているなんて嘘だ。
何かの間違いに決まってる。
突然倒れたエドワードをウィンリィは怪訝そうに覗き込んだ。
「エド?ちょっと、何?どしたの?気分悪い?」
故郷の空と同じ色をした彼女のまぁるい瞳がくるりと瞬いて、
ほんの少しどころか、ミジンコほども意識してませんと主張している。
生まれた頃から一緒の幼馴染なのだから、
今更手を握ったくらいで動揺して欲しいとか無理難題を言うつもりもさらさら無いが、
それでももうちょっと、こう、違った反応が見たかったのも事実だ。
範囲外、は未だ続行中らしい。
「……………最悪だ」
この程近い距離ですら、彼女は彼を幼馴染や家族以上には考えてくれない。
今、この場で抱き締めたとしても、どうしたのと首を傾げるだけだろう。
微かに頬を染めることもまず、無い。
動揺するのはいつもこちらばかりで、
彼女との仲をからかわれてうろたえるのもエドワードで。
自分ばかりが意識しているのだと悟った事実は、想像以上に虚しい。
エドワードは片腕で目元を覆うと、噛み殺すように呻いたのだった。



繋いだ鋼の手が冷たいだけでなかったのはどうしてだろう。
本当は、寂しさの中にほんのちょっとだけ違うものがあったのだけれど、
どんなに探してもまだ名前が見つからなかった。
小さく小さな種が芽を出して、何色の花が咲くのか分からないような。
だからまだ、知らないフリをする。
触れれば冷たい、けれど、触れていれば生身の手足と同じようにあたたかくなる。
君がそれに気付いた頃に、この想いにもまた、名前が与えられるのだろう。











to be continued....?












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