Alive

希望。
期待。
信頼。
敬愛。
私はそれを受けるだけの相応しい人間ではない。
何度もそう言ってきたはずなのに。
自分に。他人に。貴方に。
それでも、
貴方の言葉は嬉しいと思ったんですよ。
不思議ですね、江流。



空を見上げて、流れる雲を眺めていた。
「お師匠様」
ふと、呼ばれて振り返る。
くわえていたキセルを口元から離し、
彼は微笑んだ。
「おや、江流」
白い煙が浮かんで消えた。
呆れた様子で、江流はため息をつく。
手にした箒をみると、
どうやら掃除の途中だったようだ。
いや、
掃除にかこつけて、光明を探しにきたのかもしれない。
「また、ここでしたか」
「江流は、私のことを何でもお見通しなんですねえ」
「誰だって分かりますよ」
光明三蔵法師ではなく。
「貴方を知っている人間であれば」
「そうですか?」
確かに、三蔵という称号を持ち合わせている人間が、
説法をサボり、
日々のお勤めを適当にこなしているなどとは
夢にも思うまい。
三蔵法師を知っているものならば。
他の三蔵法師とは彼は違った。
明らかに、と言うべきだろうか。
纏う雰囲気、言葉の一つ一つ。
それらは三蔵法師に相応しい。
ただ、人間性を問われると答えにつまるだろう。
たとえば、彼がこのような場所に居座って、
お勤めをサボっているときに、
来客があったとしたら?
寺の者たちは返答にさぞかし困ったことだろう。
説法の時間なのに、どこにもいない彼を、
自分達も探しているのだから。
しかし、寺の威信のためにそれを正直に話すわけにもいかない。
『三蔵様は、生憎とお仕事中でして』
とか何とか言ってごまかすのだ。
彼は遠目にその様子を見て苦笑する。
そのたびに、
『あぁ、悪いことをしたな』
とは思うのだが、
反省するだけできちんとお勤めを果たそうなどとは思わないのがこの人。
『自分らしく生きなければ意味が無いでしょう?』
はたから聞けば言い訳に過ぎないのだが。
カサ、と足元の落ち葉が音を立てて宙に舞う。
空が高い。
もう秋なのだと実感する。
天高く馬肥ゆる秋。
そんな言葉があったとふと思い出して、
隣にいる少年に目を向けた。
「何です?」
「江流…身長、低い方ですよね?」
「な……っっ!!」
イキナリ何を言い出すのだ、この人は。
そんな顔をして、彼は光明から顔を背けた。
気にしていたのかもしれない。
本気ではないにしても、怒っていることは分かった。
「すみません、江流」
「お師匠様…?」
しゅんとした彼の声に、思わず訝しんで顔をあげた。
が、心配したのも束の間。
江流はすぐに後悔した。
「気にしていたんですね?」
口は災いの元。
次から次へと彼は江流の神経を逆撫でしている。
それを知ってか知らずか。
「お師匠様……っ」
声が震えている。
額に大きく血管が浮かんでいそうな雰囲気である。
光明はそんな彼の頭にポン、と手をのせた。
「すぐに大きくなりますよ」
クスクスと笑う彼に、
江流は納得いかないらしい。
相変わらず憮然とした表情で彼を見上げている。
「私なんか、追い越してしまうくらい」
「そりゃ、お師匠様は成長止まってますけど」
何気に言葉にトゲがある。
ザカザカと、思い出したように足元の落ち葉を掃き始めた。
風が吹き、頭上から落ち葉がそのたびに落ちてくる。
掃き掃除をしても無駄だと思ったのか、
彼はため息をついて、手を止めた。
空を見上げ、太陽の光に目を細める。
「…追い越してみせますから」
そう言って、彼は光明を振り返る。
「すぐに追い越してみせますから、見ていてくださいね?」
宣戦布告。
いたずらっぽくに笑う江流に、光明は微笑んだ。
「待っていますよ」
光明は小指を立てて、彼の前に差し出した。
江流も、同じようにして彼の指に自分の指を絡める。
「約束ですからね」
「おや、私を信じてくれないんですか?」
指を離して、
江流はそっぽを向く。
「俺は…」
背を向けたまま。
「信じてねぇ奴のそばになんか…いませんから」
照れているのか、
口に出すのが面倒くさかったのか。
機嫌が悪いわけではないと分かっているのに、
どこか不機嫌に見えて。
でも、彼なりの言葉で、そう言ってくれたことが嬉しくて。
素直に『信じている』と言われるよりも、
飾りの無い、不器用な台詞が。
木々の影が、時折、光の雨を降らせる。
輝くような陽の光は、江流の髪を一層眩くさせる。
そんな江流を見て、丸くしていた目を細め、
光明は微笑んだ。
「前に…」
「え?」
「前に言いましたよね」
小さく、呟くような声で空を見上げる。
「相反する色だからこそ、美しく見える」
どこまでも広がる、蒼い空と。
「…えぇ…?」
橙色の紙飛行機と。
「いつか」
見上げた紫暗の瞳。
穢れの無い、
純粋無垢な瞳。
言葉。
『はい、綺麗です。お師匠様』
「貴方も、そんな人と出会えるといいですね」
自分と全く正反対だけれども、
それでも、
大切だと思えるような。
それでも、
大切だと言ってくれるような。
そんな人と。
「それが、貴方が一番綺麗に見える時です」
優しく微笑み、
江流の横に並ぶ光明。
「…男が綺麗だなんて言われたって嬉しかないですよ」
「そうですか?」
「そうです」
またもや呆れたようにため息をつく。
それに、
彼は付け足した。
「自分と正反対なんて、ウザイだけです」
箒を肩にかけて、目を閉じる。
「冷たいですねえ」
苦笑する光明に、江流は憮然と言い放った。
「構いません」
目を開いて、彼を見やる。
「俺と正反対な奴は、お師匠様だけで間に合ってます」
その言葉に、
光明は一瞬言葉をなくす。
一体、どこをどう考えて自分と正反対なのだと言うのだろう。
思わず尋ねてみる。
「どうして、そう思うんです?どこが、正反対だと思えるんですか?」
「全部です」
「全部?」
「貴方の優しさも、強さも、何もかも」
自分にあてつけるような言い方。
彼は、何を思って言ったのだろう。
その寂しそうな瞳に、
何を思っているのだろう。
「俺は、そんなもの持ち合わせていません」
貴方のようには、なることが出来ない。
言外にそう言う江流に、
光明はキセルを持ち直す。




「必要ありません」




きっぱりと言う。




「私は私。貴方は貴方」




微笑んで、
自分の子どもへ言い聞かせた。




「貴方なりの優しさ、強さがある」




ひとつ、ひとつ、ゆっくりと。




「焦ることはありません」




持ち上げられた彼の手は、
金糸の髪を優しく撫でる。
まるで、風のように。




「見つけて、感じていけばいいんです」




風のように、つかみ所のない感情の声。
彼らしい声。




「貴方の歩く速さで」




時には走って、
時には立ち止まって、
そして、




「進んでいけば良いんです」




また歩き出す。
繰り返し、繰り返し、
何かにつまずきながら、
何かを越えながら。




「それが、貴方らしさになるでしょう?」




私になる必要はない。
誰かになる必要はない。
貴方自身であればいい。
だから。




「そんな貴方だからこそ、集まる人だっているはずですよ」




優しく、説いていく彼に、江流は光明の手を静かに払う。
「…そんなモンですかね」
彼の頭から手を離して、腕を組んだ。
「そんなモンです」
今はまだ、小さな背中を見ながら。
この背中を押す日が、いつかやってくるのだろうか。
そんなことを考えながら、
飛び立つ鳥を見上げた。




私に、守れる約束などありはしなかった。
彼らが襲ってきたあの夜。
全てが動き始めた、あの夜。
江流が『玄奘三蔵』となり、
歩き始めたあの日。
あの子の前に立った時、
呑気にも思ったんです。
『江流が成長した姿、見たかったですねえ』って。
約束を守ることが出来なくて、
本当にすまないと思っています。
でもね、江流。
別れの後には、必ず出会いがあるんです。
私が貴方に出会ったように、
貴方も、出会えたでしょう?
貴方を必要としてくれる誰かに。
貴方が必要とする誰かに。
心を許せる『友』と呼べる人たちに。
だから。
もう、泣かないでください。
私は、嬉しいんです。
貴方が生きていることが。
貴方が、
歩き続けていることが―――







END

とがき
8888Hitを申告してくださった菜枝様にささげる小説でございます〜。紙飛行機の話のとき、ただ、単に色だけを言っているようには思えなかったんです。何がどこに、どうあれば美しく見えるか。その意味は人それぞれですけれどね。