Can't Give Feel |
『勝ち戦だけをするような、男になってはなりませんよ』 それが母の口癖だった。 幼かった俺には、その意味がよく分からなかったけれど、 今になればよく分かる。 あの時、母が何を思ってそう言ったのか。 何を祈ってそう教えたのか。 そう、『今』ならば。 足音が響く、長く暗い廊下。 幼子特有の軽い足取り。 どこへ向かって走っているのだろうか。 所々にある灯が、風を伴って小さく揺れる。 バタン、と大きな音がして扉が開いた。 「母上!」 キィの高い声は母を呼んだ。 長く紅い髪が肩に、背中に流れる。 褐色の肌の小さな手が、扉を押しやっていた。 少年の母は、驚いた顔をして彼を見る。 「まぁ、どうしたの?紅孩児」 掛けていた椅子から腰を上げ、彼のところまで歩み寄った。 裾の長い着物のようなドレスが、シュルリと衣擦れを起こす。 ゆっくりと扉を閉めながら、紅孩児に話し掛けた。 屈んで、少年を見ると、その瞳からは大粒の涙がこぼれている。 「紅孩児?」 優しく涙を拭ってやり、頬に触れる。 「泣いていたら分からないわ」 羅刹女は微笑む。 それを見て安堵したのか、声を押し殺したまま、 紅孩児は再び泣き出した。 「あらあら。男の子がそう簡単に泣くものではありませんよ」 苦笑して、彼女は愛子を抱きしめた。 「…り…りんが、可愛そうだ…っっ」 嗚咽の混ざった声で、紅孩児はポツリポツリと話し始める。 「李厘が?」 こくりと頷く。 「玉面公主が、言ったんだ」 何を意味することを言ったのか、察したのだろう。 彼女は黙し、悲しげな表情を浮かべた。 「李厘なんか、いなくても構わないって」 しゃくりあげて、紅孩児は尚も続ける。 「玉面公主は、李厘が嫌いなんだ」 羅刹女と李厘は、直接には面識がない。 子どもである紅孩児と李厘が、 いくら城の中を自由に行き来できるとしても、 正室や後室をうろつくことは出来なかった。 玉面公主の部屋は、後室であった為、少しは出入りが出来たのだが。 ポンポン、と落ち着けるように背中を叩く。 そうして首を振った。 「紅孩児」 悲しげに微笑むと、彼女の艶やかな口元は言葉を紡ぐ。 「玉面は李厘が嫌いな訳じゃないわ」 じゃあ、どうして。 そう言いたげな紅孩児だが、母の表情を見て口を噤む。 「彼女は悲しいヒト」 彼女も、そして自分自身も、牛魔王に愛された者。 彼は、大妖怪に位置する存在でありながら、妻をたった2人しか娶らなかった。 百眼魔王のように、妾を侍らすコトだって出来たはずだ。 なのに、しなかった。 本当に愛したのは彼女達だけだったから。 羅刹女は、その優しさ、気高さを。 玉面公主は、その強さ、激しさを。 どんなに、他から畏れられる存在であったとしても。 傍若無人な振る舞いをするヒトだったとしても。 私たちを愛してくれた、そのココロだけは本当だと思えるから。 そのヒトが愛した、もう1人の女性。 「牛魔王しか愛せないの」 紅孩児にはまだ分からない感情なのだろう。 不思議そうな、納得行かないような表情を浮かべていた。 そんな彼にまた苦笑する羅刹女。 「どうか、玉面を憎まないで。あのヒトは不器用なだけなの」 同時に、多くのヒトを愛せないだけ。 ただ、愛情と言う名の想いにほんのちょっと不器用なだけ。 「でも、母上…っ」 「紅孩児」 ピシャリと、紅孩児の抗議の声を遮る。 「ヒトには譲れない想いがあります」 静かに、穏やかに話し始める母を、彼は真っ直ぐに見つめた。 「…はい…」 「でも、それだけでは上手く行かないことだってある」 「はい」 「その時は、闘いなさい」 その闘いとは、戦闘のことを指してはいなかった。 紅孩児にも、それは分かった。 ココロの闘い。 譲れない想いを賭けての。 「だから、紅孩児」 一言、一言に力を宿すようなコトダマ。 「勝ち戦だけをするような、男になってはなりませんよ」 良いですね?そう言った母の声が甦る。 ばさりと、被っていた白い布を取り去る褐色の肌。 今は成長して、青年と呼ぶに相応しい両腕。 チリチリと陽の光が肌を焼く。 どこまでも広がる砂漠の海が、鬱陶しい。 踏みつける砂は、音を伴って山を作る。 風が吹き、砂が舞い上がった。 「――決着をつけよう」 勝てるかどうかも分からない。 「紅孩児…?」 けれど、後へは戻れない。 「間違えるなよ」 前へひたすら、進むだけ。 「俺は、貴様の敵だ」 だから、 今はただ、譲れない想いの為に。 End |
あとがき。 |
毎度の事ながら、どうして、こう脱線するんだ。私の書くのは。 |