Under Cherry Blossoms


あの桜の下。
月が白く輝いていて。

まるで夢の中みたいだと感じた。

ふ、と息を吹きかければ、
消えてしまいそうな。

そんな景色の中で、
俺は倖せだと感じていたんだろうか。

今更思ったとしても、
もう、遅いけれど。



ガタガタと耳につく音に、
江流は目を覚ました。




―――泥棒か…?




時間は深夜の12時過ぎ。
早寝早起きが基本の寺の人間が
起き出すような時間ではない。
江流は静かに布団を退けると、
立ち上がり、部屋を出る。
普通の小坊主ならば、
怯えて何もせずに朝を待つだろうが、
江流は違っていたようだ。
野生の熊の前にも平気で立つ。
ある意味、怖いもの知らずとも言えよう。


相手に気付かれないように、
燭台も持たずに、
気配を絶ち、
足音を忍ばせた。
その音のする場所の直前まで来て、
江流は一度足を止める。
話し声が聞こえた。
ぎゅ、と拳を固めると、
彼は足を踏み出した。

「そこにいるのは誰だ!」

叫んで、硬直した。
いや、脱力した。
そこにいたのは。

「…お師匠様…」

見ると、雨戸が開け放たれている。
月光が差し込んできていた。
光明が何かを持って外へ出ようとしているところであった。
よくよく見れば、朱泱もいる。

「〜っっ!!」

頭痛を覚えた。
額を抑えて、口を開く。
少しだが、怒りさえも感じた。

「一体、こんな時分に何をやってら…ッッ!!」

そう叫ぶ彼に、朱泱は慌てて江流の口を抑える。
『…何すんだよっっ!!』
『バカッ!静かにしろって!!』
抑えられた手を外して、
江流は朱泱を非難する。
朱泱は、江流を制するように人差し指を立てて、
口の前に立てた。
一応、二人とも小声である。
夜中だと言うことをわきまえるくらいは常識人なのであろう。

「…で」

ようやく落ち着いて、
江流は光明の傍まで歩み寄る。
そこには、シートや、ツマミ、酒瓶など、
いわゆるお花見道具がそろっていた。
「一体何をするおつもりだったんですか?」
呆れた口調で、彼は光明に詰問する。
江流は鼻につく酒の匂いが嫌なのか、
顔をしかめた。
「夜桜でも、と思いまして」
彼が怒っていることに、気付いているのかいないのか。
光明はのほほんと言ってのける。
「酒まで持ち出して、ですか?」
ため息と共に吐き出される棘のある言葉。
「嫌ですねえ、これは…」
酒瓶を持ち上げて、江流の目前に持ってくる。

「般若湯です」

「…屁理屈言わないでください」
脱力して、その場に座り込む。
呼び方を変えたところで、
そのものの本質は変わらない。
「一体、何でそんなこと思いついたんですか…」
問い掛けるだけ無駄なような気がしたが、
一応、光明に尋ねる。
「たまには、骨休めが必要なんですよ」
「貴方は休み過ぎです」
江流と朱泱に、即座にツッコミをうける。
朱泱は、置いてあったシートを片手で持ち上げると、
もう片方の手で酒瓶を持った。
「そんなわけで、俺は三蔵様にお誘いを受けたっつーわけだ」
「一人じゃ寂しいじゃないですか」
笑いながら、光明が言う。
「そしたら、そこを俺に発見された、と」
じとり、と睨む江流に、
光明は苦笑した。
カラン、と下駄の音がして、
江流は顔を上げる。
朱泱が外に出たようだった。
「でも、ま」
「?」

「たまにはいいだろ」

に、と笑い朱泱は彼を見下ろした。
途端。

「ッ?!」

一気に変わった視線の高さに、
江流は驚いて目を見開く。

「というわけで、貴方も共犯です」

さらりと言ってのける光明に、
江流は足をバタつかせる。
「何するんですかっ!!」
どうやら、彼の肩に担がれたらしかった。
「待…っ!降ろしてください、お師匠様っっ!!」
「おや、江流は軽いですねえ」
聞く耳を持たないのだろうか。
彼の叫ぶ声も何のその。
ツマミを片方の手で持ち上げ、
外に出た。



一本の大きな桜の木の下。
舞い散る花びらは幻想的で。
輝く月に照らされて、
さらに白みを帯びる。
淡い桃色は透き通り、
雪と見紛うばかりだ。

が。

江流は不機嫌そのものであった。
「ほら、江流。いつまでもそんな顔しないでください」
敷かれたシートに座し、
目の前には酒やツマミ。
無礼講なのか、
光明の前にも関わらず、
朱泱は足を崩している。
ほんのり染まった頬は、
彼が酔っ払っていることを示している。
「そうだぞ。どうだ、お前も飲むか?」
「いらねぇよ」
この酔っ払いが。
江流は毒づいて、朱泱を一瞥する。
「それじゃあ、こっちですね」
どこからかオレンジジュースを取り出し、
江流に渡す。
「…お茶でいいです」
「でも、そんなもの持って来て…」
「お師匠様の後ろ、水筒隠してるでしょう」
見てないようで、よく見ている。
江流は彼らが何を持って来ているか把握しているようだった。
「江流には敵いませんねえ」
苦笑して、それを江流に差し出した。
受け取って、
きゅ、と蓋を捻る。
春とは言っても、
夜はまだ冷える。
酒を飲んでいる光明たちはともかく、
寝巻き姿で連れ出された江流には、
温まるお茶の方がありがたかった。

再び見上げて、
月の光に目を細める。
月が桜を引き立たせているのか。
それとも。
桜が月を引き立たせているのか。
分からないほどに美しかった。
怖いほど、


綺麗だった。


はらはらと、
元いた枝を離れて落ちてくる桜。
それは、
散ると言うよりも、
舞うと言った方が似つかわしかった。

ふと、光明が口を開く。

「…桜とかけて、人と解く。その心は?」

そう言った光明を、彼らは見やった。
どうやら、江流と同じように
光明と朱泱もまた、
桜を見上げていたようだった。
朱泱は思案して、答えを出す。

「『限り』…ですか?」

光明は微笑んで、ゆっくりと首を振った。
「近いんですけどね」
「じゃあ、何ですか?」
江流は尋ねる。
「江流は何だと思いますか?」
まだ答えを出していなかった江流に、
彼は再度問い掛けた。
「俺は…」
桜と人間。
同じところがあるだなんて、
考えたこともない。
桜は植物。
人間は生物。
同じところなんて、
思いつかなかった。
もし、あるとしたら。




「『死』だと思います」




いつか来る、逃れられないもの。
朽ち果てていく、生命。




「怖いですね」




江流の答えに、光明は苦笑した。
同じ年頃の少年だったらどう答えるだろう。
思ったけれど、
江流は江流。
彼なりの考え方がある。
それを否定はしなかった。

「私は、ね」

持っていた杯に、月が映る。
少し動けば、
波紋が広がり、月が歪んだ。





「『生き様』だと思うんです」





言って、微笑む彼に、
江流と朱泱は目を見開く。




「花を見事に咲かせて、散るときも美しく」




酒を仰ぎ、
酒瓶に手を伸ばす。
新しく注ぐ酒にも、
月は変わらず映っていた。




「そんな風に生きたいものですね」




暗闇に白く浮かび上がる、
月の光と、
桜の輝き。




「自分の生き方に誇りを持って」




悔やむことはあるだろう。
納得できないことはあるだろう。
だったら、
どうやって生きていくか。
どうやって、
進んでいくか。




「あるがままに」




『無一物』。
彼の説いた言葉。




江流は、彼がどれほど大きな人物か改めて感じた。
自分が、どれほど囚われているか。
それは朱泱も同じだった。




この方には敵わないな。




そう、思った。




「お師匠様」




光明を呼ぶ声に、彼は振り返る。




「散るときまで考えてたら、早死にしますよ」

苦笑して、光明を見やる。
「手厳しいですね」
言うが、
彼は微笑んでいる。
「『生き様』なんて」
朱泱も口を開く。
「無様に決まってますよ」
笑いながら。
でも、と付け加える。
「カッコ悪くても、見苦しくても」
いつものように、
意地の悪そうな笑みを浮かべて。




「それが『生き様』ですからね」




そんな自分が嫌いではない。
まるでそう言っている彼に、
江流は、小さく笑う。

「人生そのものが」

正座していた足を崩して、
持っていたお茶をシートの上に置く。




「『悪あがき』なんだから、当たり前だろ」




江流のその言葉に、彼らは吹き出す。
三人で笑いあって、
そうして、夜が更けていった。



いつかの、忘れ去られた風景のように。



そうして、
散っていった。

あの方は。

貴方は、今でもまだ言えますか?

自分の『生き様』に誇りが持てると。

俺は、どうだろうか。


『生き様』なんて、言える生き方をしているんだろうか。


ただ、俺は。

何も出来ずに死んでいくなんて、
カッコ悪い真似だけは御免だと思っているんです。

そんな矛盾だらけの俺を、
貴方は笑いますか?

お師匠様。






END

あとがき。
10000HITリク小説、江流のお話です〜。mati様、こんなもんでいかがでしょう。
私は、担がれた江流が書いていて楽しかったですな!(笑)
軽そうですものねえ。彼は。
ちなみに、とっとと帰ればいいだろうというツッコミは受け付けておりません(死)。
っていうか、担がれてきたんで、何も履いてないんですよね。
草履もないから帰れないんです。
この辺り、光明様確信犯です。