「あ―――ッッ!!!!」
突然の叫び声が、吠登城に響き渡る。
その声の主は頭を抱えて、座り込んでいた。
前を歩いていたが、叫び声に驚いて振り向く紅孩児、八百鼡、独角は
その様子を眺めている。
「ど…どうなさったのですかっ?!」
一足先に我に返った八百鼡が李厘に近付き、声をかけた。
しかし、うなっているだけで李厘は顔を上げようとしない。
紅孩児と独角も我に返り、李厘の傍に寄った。
「李厘様?」
恐る恐るもう一度、彼女の名を呼ぶ。
手を出して、李厘の背中に触れようとした。
が、いきなり起き上がった彼女に驚いて引っ込める。
「?!」
「無い!」
「え…?」
「無いのっ!!」
主語の無い彼女の言葉に、八百鼡が首を傾げながら尋ねた。
「何を失くされたんですか?」
「鈴!」
「す…ず…?」
見ると、彼女の髪を結っている部分にいつもあるはずの鈴が無い。
「お兄ちゃんから貰ったのにぃっ!」
「先程の戦闘の時でしょうか」
振り返って紅孩児に問う。
頤に手を当て、軽く頷いた。
「だろうな」
彼らは、三蔵一行との戦闘を終えたばかりであった。
特に、というわけではないが、
李厘に至ってはチョロチョロと動物のように動き回る為
物を落としても何ら不思議はない。
ましてや、爆音が轟くことが珍しくない闘いの中では、
鈴のように音がする物を落としても気付かないだろう。
「オイラ、探してくるっ!!」
「え…李厘様?!」
慌てて李厘に視線を戻したが、時、既に遅し。
疾風の如く走り去ってしまった。
彼女の姿はあっという間に消えてしまう。
「ど、どうしましょう、紅孩児様!?」
オロオロとする八百鼡に苦笑しながら、紅孩児と独角は顔を合わせた。
「三蔵一行とて、敵意の無い者に攻撃することはないだろう」
「ま、奴等に常識があったとしたら、の話だがな」
冗談めかして笑う独角に苦笑しながら、八百鼡は紅孩児に頷く。
「そうですね。彼らもそこまで鬼ではないでしょうから」
そこまで、ということは、少しは、と思っているということだろうか。
仕方なさそうに、彼女の走り去った方向とは反対の廊下を、
彼らは歩みを進めた。
風が彼女の頬をかすめていく。
温かいので、痛みは感じない。
反対に、飛竜の速さは風を気持ちよく感じるほどだ。
それになびく髪を押さえながら、
彼女は三蔵一行と闘っていた場所へと向かった。
ただでさえ、今日は野宿だというのに、
紅孩児達が戦闘をしかけてきて、疲れが積み重ねられる。
大きくあくびをすると、悟浄は踵を返した。
悟空はといえば、半分眠りながらふらふらと歩いている。
「おい、馬鹿ザル。歩きながら寝てんじゃねーよ」
それに気付いた悟浄が、煙草を取り出しながら忠告した。
「うぅ、ん・・・?」
返事はするが、寝ぼけているのは明白だ。
もう空には星が瞬いていた。
細く、白く輝く月は彼らを見下ろすように高い位置にある。
ふと、三蔵の足の先に何かが当たった。
(何だ?)
石かと思ったが、それにしては軽い。
三蔵は不思議そうに足元を見下ろす。
地面に触れている所為で音はしなかったが、
それは、
(…鈴?)
鈴だった。
少し屈んで拾い上げる。
大地から離れたそれは、解放されたかのように音色を奏でた。
「三蔵?どうかしましたか?」
ジープへ戻ろうと、森の中に入っていく3人。
八戒は、三蔵が動かないことを不思議に思ったようだ。
悟空と悟浄は気にすることなく、スタスタと進んでいく。
「…いや」
進めていた歩みを戻して、三蔵の傍に来る。
彼のつまんでいる物を覗き込むようにして確認すると、呟くように尋ねた。
「鈴?」
「にしか見えんだろう」
他に何に見えるんだ、とぶっきらぼうに言い放つ彼に苦笑しながら、
八戒は思い当たったように人差し指を立てた。
「あぁ、さっきの戦闘で落としたんですね」
「……あいつか」
言われて、三蔵は初めて気付く。
そう言われてみれば、彼女が動く度に猫のように、鈴の音が耳に入って来ていた。
まるで、彼女がそこにいることを知らせるように。
「今度来た時に渡せばいいんじゃないですか?」
「俺が持っていろ、と?」
「え?やだなあ、僕、そんなこと言ってませんよ」
しかし、楽しそうに答える八戒に、三蔵は顔を顰めた。
「じゃあ何だ、その面は」
「別に、貴方が李厘に一番気に入られていて、それを見ているのが面白いだなんて、少しも思ってませんからv」
「…………」
わざわざ語尾にハートマークを付けて笑いかける。
三蔵は一層顔を顰めた。
(…面白がってんじゃねえか)
まあ、この旅では個人の荷物はジープにまとめてある。
その都度、持ち歩かなければならないこともない。
鈴など持っているくらいで邪魔になる訳でもなかった。
諦めたように嘆息して、鈴の土を払うと懐に入れる。
そうして、三蔵と八戒は悟空と悟浄に続くようにして、
森の中へ戻っていった。
三蔵たちが去った後、李厘が飛竜に乗って現れた。
身軽に飛竜から飛び降りるとすぐに、
地面に這うようにして辺りを探った。
夜ということもあり、足元などはっきりと見えるはずがない。
月明かりと言えども、そこまで明るくはないのだ。
「無いなあ…」
一通り探し回った彼女は、
胡座をかき、両手を組んでその場に座り込んだ。
飛竜が、傍に寄って来て、李厘の頬を舐める。
頭を撫でてやると、嬉しそうに頬を寄せてきた。
くすぐったくなって笑いながら、李厘はある可能性を思い付いた。
「…アイツらが拾ってないかなあ」
思い立ったが吉日。
彼女は颯爽と飛竜に飛び乗り、空を駆けて行った。
梟の鳴き声が聞こえる。
寝苦しくなって、三蔵は身体を動かした。
後部座席では、悟空と悟浄が気持ち良さそうに眠っている。
目を閉じているのも面倒になったのか、
溜め息を吐いて、空を見上げた。
先程と変わらず輝く星が散りばめられた夜空。
変わったことと言えば、月が傾いた程度だ。
静けさが虚無の空間を広げている。
(ちっぽけだな)
空を見上げるたびに思う。
何て自分は小さいのだろう。
こんな広々とした空の下で、
人間という生き物は、
どれほどの価値があるのだろうと。
(あるわけねえ)
小さく頭を振って、ドアを開ける。
「…その辺りを歩いてくる」
隣で眠っているはずの八戒に、
小声でそう言うと、三蔵はジープを降りた。
下の方で、何かが輝いていた気がした。
李厘は飛竜の飛行を止めると、
手を翳し、目を凝らして見下ろした。
「…三蔵だ」
彼の髪は、月に照らされて輝きを帯びていた。
暗闇の中で、三蔵は白く淡いそれと似ている。
李厘は飛竜の手綱を強く引いて急降下した。
何かが降りてくる。
そんな感じがして、彼は頭上を見上げた。
先程まであった月が見えない。
「…?」
怪訝に思い、目を細める。
よく見ると、彼の丁度頭上に黒い影が降りて来ている所だった。
「な…っ?!」
それが分かるや否や、三蔵は大きく後ろに飛びのく。
続けて、巻き起こる土埃。
濛々と煙が舞う中で、李厘は飛竜から飛び降りた。
「着陸失敗しちゃったかな?」
後ろを振り向き、飛竜を顧みる。
盛んに首を振り、土埃を避けようとする飛竜の頭を抱きしめて、
李厘はごめんねと謝る。
「…てめぇ…、何のつもりだ?」
顔を袖で覆ったまま、三蔵はこの状況の元凶を睨み付けた。
怒気に満ちたその声に、李厘は飛竜から離れ振り向く。
「さっきのじゃ、まだ暴れたりねえってのか?」
「それもあるけど」
顎に人差し指を立て、空を仰ぐ。
「って、そうじゃなくてっ!」
慌てて、最初の言葉を否定する。
「あぁ?」
「ね、鈴落ちてなかった?鈴ッッ!!」
三蔵は一瞬、黙り込む。
しかし、すぐに口を開いて尋ね返した。
「…そんなモン、こんな時間に探す必要があるのか?明け方にでも探した方が高率良いだろ」
「駄目っ!!」
彼女は即答する。
その瞳は真剣だった。
思わず、三蔵は目を見張る。
(……?)
李厘の髪飾りの鈴は、
古くはないが、新しい物でも綺麗な物でも、珍しい物でもない。
探せば、その辺りの小さな町の市場でも手に入るような品物だ。
決して、高価な物ではない。
どうして、それほどまでにムキになる必要があるのか。
「絶対駄目だもんっ!」
拳を握り締めて言い張る彼女に疑問を覚える。
「あれは、お兄ちゃんから貰ったんだからっ!」
「普通、母親から貰ったりするんじゃねえのか?」
三蔵は軽く受け流す。
紅孩児から貰った物であれば、
大切な物でも仕方ないか、と考えたからだ。
「母上はオイラに物をくれたりしないよ?」
それがさも当然のように言う李厘。
「母上はオイラのこと嫌いだもん」
三蔵にも母親はいない。
川流れの江流。
その名の通り、彼は生まれてすぐ川に流された。
母親の温もりも知らない。
どんなものかも知らない。
そんなことどうでも良かった。
最初から知らないのだから。
だが、李厘は違う。
母親が傍にいる。
傍にいるのに、遠くにいる。
しかし、李厘にとってはそれが当たり前。
今更、気にすることではなかった。
彼女には、紅孩児がいるし、八百鼡がいるし、独角がいる。
それだけで十分だった。
『私も、紅孩児様も、李厘様が大好きです』
そう言ってくれるヒトがいてくれるだけで。
だから、笑顔で返せる。
『うん、オイラも八百鼡ちゃんたち好き』
自分も、大好きだと。
一人じゃないから。
煩いことを言っても、紅孩児は李厘をいつも大切にしてくれる。
優しくて、時には叱ってくれる八百鼡。
独角はいつも一緒に遊んでくれて、もう一人の兄のようだった。
『大好き』を教えてくれたのは、彼らだから。
「お兄ちゃんから貰ったこの鈴が鳴れば、オイラがここにいるって分かるんだ」
残った一つの鈴を、彼女が鳴らす。
生まれてから、母親の愛情を知らずに育った。
ここにいるのに、彼女は振り向くことも、
笑いかけることもしてくれなかった。
嫌いだということは知っていた。
しかし、必要とされていることも知っていた。
幼いながらも、それが当然のことと頭で割り切っていたのだ。
どんなに、自分がどこにいるのかさえ分からなかったとしても。
『李厘、これやるよ』
兄から差し出された手に、妹は首を傾げる。
『なぁに?』
側室である玉面公主は、正妻の羅刹女とは別の階で暮らしていた。
その為、紅孩児は玉面公主に会うことは無かったし、
李厘も羅刹女に会うことは無かった。
そして、羅刹女達が動くことの出来る範囲も限られていた。
自由に動き回ることの出来るのは、
牛魔王の子どもである彼らと、牛魔王自身くらいだ。
『こうしてつけていれば、李厘がどこにいてもすぐにわかるだろ?』
紅孩児は、髪を結っている部分にそれを付けてやった。
李厘はくるりと回ると、楽しそうに笑う。
『ありがとう、お兄ちゃん』
「お兄ちゃんが見つけてくれるんだ」
微笑む彼女に、三蔵は冷たく嘲笑う
「…馬鹿か?」
三蔵が、沈黙を破って口を開く。
「へ?」
「馬鹿かと聞いたんだ」
懐から煙草の箱を取り出し、
一本口にくわえた。
ジッポから火を出し、
風からそれを護るように手を翳す。
李厘は呆然と、それを見ていた。
いきなり馬鹿扱いされたなら、誰でも唖然とするだろう。
しかも、どうして馬鹿などと言われたのか見当も付かない。
「…テメェがそこにいるのは、テメェが分かってりゃ良い」
紫煙を吐き出しながら、三蔵は李厘を見据えた。
「え?」
「他人に自分の存在を求めてどうする?」
は、と彼は笑う。
「誰かに気付いてもらうだとか、誰かが見つけてくれるだとか。甘えてるんだよ、結局な」
「そんなこと…!」
「ないと言えるのか?」
反論しかけた彼女の声を遮って、再度、三蔵は尋ねた。
ぐっと、李厘は言葉に詰まる。
「そんなモンなら、捨てちまえ」
自分の居場所を確かめる為の物なら。
そんな事をしなければ、自分の存在さえも危ういのなら。
(いっそ消えちまった方が楽じゃねえか)
誰かに必要だと言われて、生きているくらいなら。
その存在を失った時に、どれほど絶望するか知っているから。
「……」
(オイラは誰かに存在を求めているの?誰かの為に生きてるの?)
存在を認めてくれる誰かがいなければ生きていけないのか。
李厘の頭の中で、それが巡る。
俯いて、小さな声で言葉を紡ぐ。
しかし、三蔵にはその声は届かない。
口を金魚の様にパクパクさせているようにしか見えなかった。
「?」
煙草を人差し指と中指の間に挟み、
彼女に視線を投げる。
「…い」
「あ?」
「オイラは、自分の為に生きてるんだ!誰かの為じゃない!!」
例え、存在を認めてくれる誰かがいなくても、そこにいるのだ。
生きるとは、そんなこと。
とても単純で、とても簡単で、とても複雑で、とても難しいこと。
答えはいつでも、自分の中にある。
見つけてくれなかったのなら、自分で探しに行けば良い。
気付いてくれないのなら、こちらから声をかければ良い。
存在を確かめることなどしなくても良いのだ。
そこにいること。
それが存在するということなのだ。
認めてもらうものでも、何でもなくて、
最初からそこにあるのだ。
「それなら、それで良いだろ」
フン、と皮肉気に口を歪めると、彼は彼女に背を向けた。
李厘は、はっと顔を上げる。
「あ…」
声をかけようとしたが、何を言って良いのか分からない。
歩き出そうとした三蔵が、ふと立ち止まる。
「……?」
「忘れていた」
ポーンと彼の上で弧を描きながら、何かが李厘の手に収まった。
彼女の手に乗った時、それはリンと音を奏でる。
「あっ!」
気付いて、李厘は嬉しそうに声をあげた。
「煩いのが来たのを知らせる物くらいにはなるだろ」
吐き捨てるように彼は言うと、李厘から離れていく。
「三蔵っ!!」
振り返ることなく、彼は立ち止まる。
「ありがと!」
お互いに顔を見ることはかなわなかったが、
李厘が笑っていることは分かった。
嘆息すると、三蔵は暗闇に吸い込まれるようにして消えていった。
彼から受け取った鈴を元の位置に付け直すと、彼女は一度くるりと回ってみせた。
二つの鈴の音色が重なる。
飛竜は不思議そうに首を傾げた。
へへっと笑うと飛竜に飛び乗って、再び空へと舞い上がった。
考えたことなんか無かった。
自分の存在なんて。
母上でも認めてくれなかった、自分を。
ただ、
お兄ちゃんがいて、
八百鼡ちゃんがいて、
独角がいて。
だからオイラがいるんだと思ってた。
でも、
そんなの、お兄ちゃん達に失礼だよね。
あいつは、それを気付かせてくれたんだ。
―――ありがと
END
あとがき
キリ番5555を踏んでしまわれたまいほ様へのキリリク小説です。三蔵×李厘のお話ですv三蔵が言い方酷いのは、あんまり気にしないで下さいね☆そこまで酷くないですかね?いえ、私自身が口悪いからそう思うだけでしょうか?(汗)どうも、暗くなるのは性分ですかね。話が暗いよー!!はてさて、三蔵はあの後眠れたのか?!という疑問はさて置き、李厘、紅孩児の幼い頃を書いてみました。名前以外全部ひらがなのあたりに注目☆(笑)何歳くらいだ、あれ。いかん、脱線して来た!というわけで、まいほ様、キリ番申告ありがとうございました〜v |
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