Though He is Frightened





ソンナニ優シクシナイデ。
僕ハアマリ人ニ愛サレ慣レテナインダ。
デモソンナコト言ッテルクセニ、
誰ヨリモ強ク愛サレタイト望ンデル。



ビクリと揺れる肩。
屈んでいた悟空は慌てて振り向いた。


「悟空?」


訝しげに八戒は彼の顔を覗き込む。
「どうかしたんですか?」
驚くでもなく、何かを感じているでもなく、
ただ呆けたように悟空は彼を見上げた。
八戒は悟空の肩を叩いて、食事の時間を知らせようとしただけなのに、だ。
「悟空?」
もう一度、彼の名を呼んでみる。
我に返り、悟空はすっくと立ち上がった。
「何?飯?んじゃ、はやく行こーよ、八戒!」
無邪気に笑い、彼は八戒を手招きする。
そんな悟空に違和感を憶えながらも、後姿を見送る。






いつからだろう。

手を伸ばせば、いつも温もりがそばにあったのは。

触れることのできる温もりが、






『罪』だと思うようになったのは。






ぱたぱたと家の中に足音が響く。
悟空の走っていった後には静けさが広がった。

「……悟空?」

三蔵と共に、悟浄の家を訪れていた悟空だったが、
八戒の部屋へ行ったきり戻ってこなかった。
夕飯の時刻になっても、珍しく戻ってこなかったのだ。
八戒が呼びに行けば、本を広げて読んでいる。
真剣に読み入っていたので気付かなかったのだろう、と思った。
だから驚いたのだろうと。

だが。

それにしては、あまりに――――――





あまりに、『怯えて』いるように見えた。





居間に戻ると、いつもの風景。
三蔵は新聞を広げ、悟空と悟浄はじゃれあっている。
八戒は、三蔵に近付き小声で告げる。
「三蔵、後でちょっといいですか?」
彼は顔を上げると、訝しげに見上げてきた。
「……何だ?」
「大丈夫ですよ、リンチとかじゃないですから」
笑って冗談を言う八戒に、ますます眉根を寄せる。
「…当たり前だ」
諦めるようにため息をつき、新聞に目を落とした。



食事を終え、満腹になったのか、悟空はソファでうとうとし始める。
「オイ、バカ猿。寝るんじゃねぇぞ」
この場合、相手を思いやっての言葉じゃない。
眠ってしまえば、ここに泊まるはめになるか、
自分が背負って帰るはめになるかの選択肢しかないからに他ならない。
「うぅ…ん…?」
返事をしようとしたが、抵抗空しく段々と瞼が重くなってくる。
終いには、本格的に眠ってしまった。
「…ったく、ガキだな。本当に」
「ま、いーじゃん。久しぶりなんだから、泊まってけば?三蔵サマ」
喉を鳴らして笑いながら、悟浄は煙草に火をつける。
椅子に逆に腰掛けて、背もたれに体重を預けた。
ギシ、と椅子は音を立てる。
「仕事が溜まってるんでな。そう言うわけにもいかんだろ」
ため息をついて、ソファで眠る悟空を見やる。
「帰る時間になっても起きなかったら、アイツを置いて帰るからな」
増えた選択肢を口にする。
人数分のコーヒーカップを盆に乗せて、八戒は居間に戻ってきた。
どうやら、後片付けも済んだようだ。
「悟空が起きたとき、貴方がいなかったら僕たちが大変ですよ」
どうぞ、と三蔵の前にカップを差し出す。
「どういう意味だ」
「そういう意味です」
これでは悪循環である。
どう質問しても、はぐらかされるのがオチだろう。
「…八戒に、口で敵うわけないっしょ」
自分にも覚えがあるのか、悟浄は渋い顔をして三蔵に忠告する。
「で、何だ?」
三蔵はカップを受け取り、八戒に問い返した。
聞いていなかった悟浄だけが怪訝そうな顔をして八戒を見やる。
「?」
ちらりとソファで眠る悟空を眺めて、八戒は口を開いた。
「悟空のことです」
「アイツがどうした」
見当もつかない話に、2人はどうリアクションして良いのか分からない。
「悟空って…何て言うか…子どもらしくありませんよね?」
切り出した台詞はソレ。
ますます分からなくなる。
15歳の少年に、子どもらしいも何もない。
立派な大人に近い年齢であるし、
この歳になっても子どもっぽいと言うのも問題だろう。
「言っている意味を理解しかねるが?」
眉を顰めて、八戒に尋ねる。
「何が言いたい?」
疑問文ばかりの台詞に、八戒は苦笑する。
悟浄にもカップを渡して、自分も腰掛けた。
「貴方が気付いていないはず、ないですよね?」
「だから、何の…」
それを遮るようにして、八戒は言葉を紡ぐ。



「悟空は、人に触れられることを極端に怯えていませんか?」



わずかに細められる双眸。
ため息をつくように、彼は俯いて煙草をくわえた。
悟浄の持っていたライターをむしりとるようにして火をつける。
納得できないようで、悟浄は反論した。
「アイツ、自分からくっついてくるぜ?んな訳ねぇだろ」
そうだ。
例えば、『悟能』が『八戒』に変わったとき、悟空は彼に抱きついてきた。
怯えた様子など、どこにもなかった。
悟浄と取っ組み合いのケンカをするときにも。


「そうかもしれんな」


打ち破ったのは、低い声。
三蔵は肯定とも、否定とも取れない言葉を返す。
「三蔵?」
驚いたように、悟浄は彼の名を呼んだ。
「どういうことだよ?」
「確信はないということだ」


幼いながらも、懸命に呼ぶその声が不安を形作るモノだと気付いたのはいつだったか。
返事をしなければ、いつまででも呼び続ける。

あの時もそうだった。

悟空を見つける前。
ずっと呼び続ける、声ならぬ声。


声。
コエ。
孤獲。


獲らえられた孤独な思いは、いつしか『孤獲』になった。


反対に、名を呼べば嬉しそうに返事をする。
自分がそこに在ることを、まるで確認するかのように。
そこに誰かが在ることを、まるで確認するかのように。



「自分から触れるのは構わんらしい」



三蔵はぽつりと零した。
「何で?」
悟浄は不思議そうに尋ねる。
「俺が知るか」
つっけんどんに返し、灰皿に灰を落とす。

しがみついてきたり。
抱きついてきたり。



ふと思うのは、悟空が人に触れるのが何かを確かめるようだということ。



恐る恐る触れるくせに、その温もりがあると安心したように微笑む。



その温もりが、まるで。






いつか壊れることを知っているかのように。





深々とため息をつき、悟浄はだらりと腕の力を抜いた。
「なぁんかさ…」
呟く悟浄に、2人は視線を向ける。


「こういうのって…見てらんねぇよな」


本人の痛みなど、本人にしか分からない。
だが。
この場合、本人の気付いていない痛みが、他の者に伝わっている。
見ていて痛々しい。
辛い。

だけれど。

どんなに感じていても、本当の想いなど分かるはずがない。




皆に背を向けて眠っていた悟空の目がうっすらと開く。
3人はそれに気付いていなかった。

―――――声が、聞こえる。

ぼんやりと思った。

―――――誰かがいる。

胸がぎゅ、っと苦しくなった。

何故だか分からないけれど。

すごく懐かしくて。

すごく嬉しくて。

すごく。


「悟空?」


八戒は、悟空を呼ぶ。
寝返りを打ち、その瞳が開いていた為にかけられた声。


「起きたんですか?」





すごく。

すごく。













怖かったんだ。













イツモ僕ハ心ノドコカデ冷メテテ。
優シサヲハネツケル弱イ自分ガイタ。
ナノニ人ニ見放サレテシマウノガ怖クテ。
誰カガクレル愛情ニスガリツイテタ。


八戒は立ち上がり、悟空の額に触れた。
「どこか具合でも…」

パシ。


ネエ僕ハ。
君ノ温カサニ触レル資格ナンテアルノカナ?


瞬間、悟空は彼の手を払った。
先ほど肩を叩かれたときと同じように、震えていた。
なのに、自分のした行動に酷く驚いた顔をしていて。
「……あ…」
彼の手を払った自分の腕を、震える瞳で凝視する。
「悟空?」
「…ご…め…っ」
離れようとした彼の手を両手で強く握り締めた。
「違うんだ…っ、俺っ、俺は…」
必死に何かを弁解するように、八戒を見上げて悟空はまくしたてる。
震える両手は、言葉よりも如実で。
何となく感じた。








あぁ、この子は何かを恐れているんだ。







永い、永い、
人間にとっては永遠とも思える時間をたった一人で生きてきた。





「ごめん…、ごめん…っ」






決して、見えたわけではないけれど。
見えない涙が、悟空の頬を伝うように。

決して、涙など流さないけれど。
まるで、泣き方を忘れてしまったかのように。







泣いている。








痛いほどに、聞こえぬ泣き声が。
聞こえぬ叫びが。




「…ごめん…なさい…」




俯いてしまった悟空の表情は、彼らからは見えない。


耐えて。
耐えて。
耐えて。

だけど。

その後は?
その痛みはどこに吐き出す?
苦しみは何が癒してくれる?
言葉などなくても伝わるなんて、そんなの信じられない。
言ってくれなければ、本当のことなんて知る術がない。







だったら。






「…全く、困った人ですね」
ぐしゃぐしゃと、八戒は悟空の頭を掻き乱す。
「っ?!」
屈んで、下から悟空を覗き込む。
「はっか…い?」
「ここには誰がいますか?」
回りを見渡して、悟空に促した。
彼は顔を上げて、部屋を見渡す。
そこには、不機嫌そうな紫暗の瞳と、燃えるような深紅の瞳があった。
目の前には、吸い込まれそうな新緑の瞳。
「三蔵…と、悟浄と…八戒」




「違いますよ」




軽く、悟空の答えを否定する。







「貴方もいるでしょう?」






わずかに見開かれる悟空の瞳。
「ここにいるじゃないですか。」
ゆっくりと掴んでいた八戒の手を解放していく。


「こんな風に、触れようと思えば触れることも出来る」


逆に、悟空の両手をそっと包み込む。
今度は振り払うことはしなかった。
じっと、包まれた両手を眺めて。


目ニ映ルかたちハ壊レタケド。
揺ルギナイモノヲ僕ガ作リ出スンダ。
潰レソウナ夜ハ君ヲ想ウ。
君ガココニイルコトヲ念ウヨ。



強張っていた顔が、段々と緩んでいく。


いつものそれではなく、もっと大人びた、柔らかな笑顔。













「アリガトウ」











静かだったから聞こえるような、かすかな声。
それでも、確かなカンシャの言葉。

心からの。



『アリガトウ』。




「僕」モ「君」モ最期ハ独リダケド。
僕ハ君ノ眠レナイ夜ヲ知ッテイル…ダカラ。
潰レソウナ夜ハ思イ出スヨ。
モガイテル誰カガイル事ヲ。






モウ、ヒトリジャナイ。











END
あとがき

何で…悟空殿の話になると、
こう長くなるんでしょ。
途中に使ってあるのは、、
『fra-foa』というグループの
『プラスチックルームと雨の庭』
と言う歌の歌詞です。
どうしてもこの歌は悟空殿の歌に聞こえて
仕方がなかったのです。
んで、書いてみた、と。
ウチの悟空殿はあんまり元気よくないですな。
むぅ。
もう少しハジけてもらってもよいのだが(笑)。
タイトルは『怯えるくせに』です。
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