That So Much
あの時、君は何を思ったのだろう。
『さよなら、悟能』
あの時、僕は何を思ったのだろう。
『花喃!』
目の前が真っ赤に染まって、僕は君を失ってしまった。
君を抱きしめていたこの腕は、まだ温かいままなのに。
この腕は、君を守る為のものだったのに。
テーブルの上に、何かが置かれる音がして、僕は目が覚めた。
「ゴメン、起こしちゃった?」
花喃が僕の前にカップを置いた音だったようだ。
「ううん」
僕は読み掛けの本にしおりを挟んで、本を閉じた。
すぐ前に座っている花喃は、自分のカップを口に運んでいる。
「でも、珍しいね。悟能が本を読んでる最中に、居眠りするなんて」
「そうかな」
彼女は、上体を曲げて本を覗きこむ。
「面白くない本なの?」
そういうわけではなかった。
本はよく読むけど、興味のないものは読まない。
興味のないものの方が少ないかもしれないけど。
「どうして?」
「何となく」
本当に、ふと思ったのだろう。
深くは聞いては来なかったし、答えもしなかった。
「話し相手がいなくて、暇じゃなかった?」
一体どれくらいの時間が経ったのか、時計を見ていないから分からない。
少なくとも、僕が本を読んでいるときには花喃はいなかった。
入ってきたことにも気付かないほど寝入っていたのか。
「そんなことないよ。私、悟能の寝顔って好きなの」
そう言うと、彼女はこちらを見て微笑んだ。
「安心してくれているんだなあ、って思えるもの」
確かにそうかもしれない。
気を許せる人の前でしか、眠れないって事があるから。
普通の人間でもそう感じるのか、それとも、僕だけなのか分からない。
でも、花喃は僕の大切な人だ。
間違ってはいない。
「ね、悟能」
しばらく黙っていた花喃が、僕の本を取って言った。
ぱらぱらと中身の文字だけを見ているようだ。
「ツライことがあったら、言ってね」
僕は、唐突なその言葉に驚いた。
今、こんなに幸せなのに。
幸せなのは、僕だけなんだろうか。
そんな僕の気持ちを悟ってか、慌てて、彼女は訂正してきた。
「あ!違うの、幸せじゃないとか、そう言う事じゃなくって」
「なくて?」
「悟能って、ツライこととか苦しいこと、全部一人で背負っちゃうところあるもの。だから、そういう時は言ってね。私が、平気になるまで」
彼女は僕を真っ直ぐ見つめた。
「抱きしめてあげるから」
「じゃあ」
嬉しかった。
彼女がそう言ってくれたことが。
一人じゃないんだって思えるこの空間が。
「花喃がツライ時は、僕が抱きしめてあげるよ」
同じ言葉を口にして、僕たちは顔を見合わせて吹き出した。
『運命共同体だね』
声が重なって、それがおかしくてまた笑い出す。
幸せな時間。
永遠だと思えた。
それが壊れる日が来るなんて、思ってもいなかった。
花を見て、『綺麗だね』って一緒に微笑んだ。
朝起きたら、『おはよう』って顔を合わせる。
一緒に出かけたり、たわいもない話で笑ったり、怒ったり。
色のない世界が彼女と出会って、全てが変わった。
彼女といるだけで、全てが輝きだしたんだ。
それだけで、良かったんだ。
花喃を失って、全てがどうでも良くなった。
『誰か、僕を殺して』
死にたくて、殺して欲しくて。
でも、変わったんだ、花喃。
彼らに出会って、僕はやっと動き出せる気がしたんだ。
『野郎をベッドに運ぶのは、最初で最後だからな』
『お前が生きて、変わるものもある』
『名前ちゃんと覚えたかんな!もう、変えんなよ!?』
暗くなっていた世界が、また見えるようになってきて。
生きようと思えた、君の思い出を捨てずに。
許されるなら、君を愛した僕のままでいたいんだ。
僕にまだ人を愛する資格があると言うのなら。
静かな森に、ふくろうの鳴き声が響いている。
もう、ジープの中で三人とも眠っている。僕だけが、起きているようだ。
明るく、白い月の光が、この世界を照らし出す。
手を伸ばしてみても、届かないことくらい分かっている。
「花喃」
ふと、口から出たのは愛しい人の名前。
伸ばした手で、顔を覆う。
「愛しているよ、花喃」
今でも、ずっと。
最後に見たのは泣き顔だったけど、僕は、君に笑っていて欲しかったんだ。
その笑顔を、僕が守っていきたかったんだ。
――――もう、叶わぬ夢だけれど
月の光が夜を包み込むように、君は僕を包み込んでいてくれた。
白く、淡く、輝いている月は、僕には眩しすぎて。
君を愛することも、罪のように思えた。
それでも、心から想っているんだね。
―――花喃、君を愛しているよ
END
あとがき
暇なんでしょうね、私は。
そういう時に限って、こういうくだらないものばかり書いてしまいます。
花喃殿が幸せだったのも、八戒(悟能)殿が幸せだったのも偽りではなかったはずです。
きっと、あの事の寸前まで幸せだったんだと思います。
花喃殿は夕飯の支度でもしながら、悟能殿の帰りを待っていたんだろうな、
と思うと切なくなってきます。
帰ってきたら、今日あった出来事を話そう、彼の学校の子どもの話を聞こう、
そんな事を思いながら待っていたのだったらなお更です。
幸せな時間がずっと続いたらいいのにって、本当だと思います。
ちなみに、題名の意味は『それで全て』という意味です。
名前など、思い切り和風なのに、題名は英語ばかりですね。
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