―――もう、待たせてくれないんだね ―――え? 彼女のあの台詞は、一体何を想って紡がれたのだろう。 |
紅の向こうに想いを馳せた |
リゼンブールと書かれた駅に降り立てば、 顔見知りになった駅長が少女にやぁ、と声をかけた。 他に降りるような客も居ない。 「今日和、駅長さん」 「シェスカ、今日はウィンリィの所に?」 「はい、それと」 持っていた花を軽く掲げる。 イーストシティで買ってきた真っ赤な薔薇の花束。 涼しくなってきた気候のお陰か、萎れることなく姿を保つ。 数年前まで確かに見ていた誰かを思い出したのか、彼は微かに寂しそうな色を浮かべた。 「エドワードさん達にも」 でも、これじゃ墓参りみたいですよね、とシェスカは笑った。 似たようなものかもしれない、そう思っている自分を慌てて彼は打ち消す。 家を焼いた少年たちが根無し草になったのはもう何年も前。 そうして、幼い頃のままの弟が帰って来たと同時に、 いつも共にあったはずの兄は忽然と姿を消した。 それから更に数年後、兄を探しに行くのだと旅に出た弟もまた、 いつの頃からか姿を見なくなった。 詳しいことは織らない。 ただ、最も近しかった少女が『もう2人は帰って来ない』のだと小さく漏らした頃から、 それは何処かタブーのような重みを持ってしまった。 太陽を写し取ったかと思うような黄金色の髪と瞳を、 もう2度と見ることが無いのは容易く織れた。 「宜しく言っといてくれ」 駅長は帽子を正すと、シェスカに向かって手を振った。 長閑に広がる草原には、時折牛がのっそりと草を食んでいる。 羊の群れに道を塞がれて近くの岩に座り込んだ。 高く透き通った空は変わりなく、のんびりのんびりと流れていく雲。 じん、と熱いものが奥からこみ上げてきたのを感じ、シェスカはぐっと目を瞑った。 (いけない、いけない) 眼鏡を外して、目を擦る。 暫く俯いた後、眼鏡を着けて腰を上げた。 良い天気だった。 技師装具のロックベルと書かれた看板を通り過ぎ、敷地内へと脚を踏み入れる。 庭に寝そべっていた黒犬が素早く顔を上げて、ひとつ吼えると彼女の元へと走ってきた。 「デンは相変わらず美人さんだね。元気にしてた?」 撫でてやれば、ぱたぱたと尻尾を振ってシェスカに飛びついてくる。 「あれ、シェスカ?」 「ウィンリィさん」 デンの声で顔を出したウィンリィはシェスカを見るなり笑顔を見せた。 だが、真っ赤な薔薇の花束に目を丸くする。 彼等に、と告げると呆れたように破顔する彼女はとても綺麗だと思った。 余計に切なさが込み上げる。 「早かったじゃない。今から夕飯の買い出しにでも行こうかと思ってたんだけど」 振り返って、居間の壁掛け時計を見やる。 陽もまだ高い。 「だったら、私も行きますよ」 「そう?じゃ、一緒に行こ」 ウィンリィは手渡された花束をバケツの水に浸し、濡れた手を払う。 掛けてあったタオルで手を拭くと、シェスカにその辺りに荷物を置くよう勧めた。 そうして、家の奥に向かって大声で叫ぶ。 「ばっちゃん、買出ししてくるねー!」 一間置いて、同じく大声の返事。 「あぁ、行っといで!」 シェスカはそのやりとりに思わず噴出す。 この村の時間は心地良い。 ゆっくり、ゆっくり過ぎて行く時間と、出会うヒト達は皆優しい。 時折、すれ違うヒトに挨拶をしながら、雑貨屋を目指す。 小さな村だ。 生鮮食品は兎も角、それ以外は大抵雑貨屋で揃う。 デンのお気に入りの食事もここで求める。 「夕飯、何にします?私も手伝いますよ」 まだ空っぽの籠を覗き込み、ぐるりと店内を見回した。 店番をしていた女将さんが、目が合った瞬間にこりと笑う。 それだけのことにあたたかくなる。 「そうねぇ…」 先程、シェスカが持ってきた薔薇の花束が脳裏を過ぎった。 鮮やかな、視界を覆い尽くすかのような、紅。 そこに浮かんでいたのは、彼のヒトを示す刻印。 棚の缶詰を見上げていたウィンリィは、 ホワイトアスパラの缶詰に手を伸ばしながら、彼女を振り返る。 「久しぶりにシチューにしよっかな」 だったらアレとコレと、ウィンリィは材料を確認する。 牛乳は家にあったはずだ。 野菜も確か先日、分けて貰ったばかり。 揃えるものはあまり無さそうだった。 パンを焼いて、牛蒡をカリカリに揚げて、前菜のカルパッチョに盛り付ける。 デザートに果物のコンポートはどうだろう。 メニューを考えつつ、食材を揃えていく。 「…ウィンリィさん」 「うん?」 またね、と女将さんの声を背に、雑貨屋の扉を開ける。 カランカランと鈴の音が耳の奥に響いた。 2つの紙袋をそれぞれ1つずつ持ち、ウィンリィとシェスカは帰途に着く。 重たいのは缶詰くらいで、他はそれ程では無い。 途中、通りかかる肉屋に立ち寄り、隣の八百屋で林檎を買った。 「待って、いるんですか?」 前を歩いてたウィンリィは肩越しに振り返った。 きょとん、と首を傾げる。 はちみつ色の髪が、さらりと肩から流れた。 「何を?」 本当に分かっていないらしいウィンリィに、シェスカは視線を上げた。 「エドワードさんを、です」 思い掛けない台詞、だったのだろうか。 本当に一瞬だけだったが、ウィンリィは目を見開く。 身体ごと振り返り、目を伏せた。 ゆるゆると首を振る。 「…待ってないよ」 「嘘!」 即座に否定するシェスカに苦笑した。 カコン、と紙袋の中の缶詰同士がぶつかる。 「待ってない」 念を押すように、強く言い切る。 だがシェスカは強く左右に首を振った。 ぐっと前に歩み出る。 「だったら、どうしてそんな顔してるんですか!」 眉根を寄せ、眼鏡の奥の瞳を曇らせる。 今にも雨が降り出しそうだ。 「そんな顔?」 思い当たらず、ウィンリィは訊ね返す。 遠くに羊の群れが見えた。 「無理矢理の笑顔なんて、ウィンリィさんらしくないです」 うぅん、とウィンリィは頭を掻いた。 くるりと踵を返し、シェスカにも歩みを促す。 「そりゃあ、さ」 隣に並んだシェスカは押し黙ったまま、俯いていた。 優しい子だと思う。 彼女が居てくれることが嬉しい。 「寂しいとは思うよ?でも、大人になればいつかは離れて行くんだし」 風が流れ、どこかの家の夕餉の香が鼻腔を擽った。 色を宿すのであれば、橙色の夕焼けのようなあたたかな色。 家路を急ぐ子ども達が目に浮かぶようだ。 「私の道はこっちで、エド達の道はあっちだった」 ウィンリィは丁度行き当たった分岐点を指差し、自分の家への道とそうでない道を示す。 中央や大きな街ほど整備らしい整備はされていないが、 ヒトが歩き易く、馬車や牛車が通り易くはしてある。 時々、石に躓いたり、雨の日に泥水が跳ねたりもする。 「分かれ道は仕方ないよ」 足元の小石を蹴れば、草むらに転がって行って見えなくなった。 片腕だけで背伸びをし、蒼い空を見上げた。 風に流されるままに雲がのんびりと漂っている。 端の方は薄らと橙色が滲んで来ていた。 もうすぐ、陽が暮れる。 「確かに、同じ空の下に居られないのは…うん、やっぱり寂しいかな」 荷物を抱え直し、ウィンリィは前を見る。 ぽつりぽつりと点在する家々の煙突からは白い煙が上がっていた。 早く帰らねば、夕飯が遅くなってしまう。 「でもね、多分、前とは違う」 楽しげに口を開くウィンリィに、シェスカは顔を上げた。 なのに、込み上げる切なさは増すばかりだ。 どうしてだろう、自問自答を繰り返す。 「あの時、居なくなったのはエドだけで、どこで何してるんだろとか、ちゃんと食事してるのかなとか、心配ばっかりしてた」 直す必要の無い機械鎧。 彼のヒトに良く似た背格好をした少年。 屈託の無い笑顔など、彼は滅多に見せなかった。 いつもヒトを小莫迦にしたように笑うのだ。 泣けば、散々莫迦だの罵りながらも、泣き止むまで待ってくれた。 「時々、顔を見せてくれるアルとは違って、不安だったよ」 あれから何年過ぎたのだろう。 少しは身長が伸びただろうか。 牛乳嫌いは治っただろうか。 無茶する性格は相変わらず? ぐるぐる、ぽかんと空いた時間にふと思い出す日々。 「だけど、今度は違う。アルも一緒なんだもの」 ようやく帰って来たかと思えば、再会は慌しい中で。 成長したはずの彼は、昔とちっとも変わっていなくて、懐かしさに涙が零れた。 声は、少し低くなっていた気がする。 身長は、残念ながら自分よりも低かったような。 切り離された空を飛ぶ物体に、確信にも似た予感が心の中にぽつんと浮かんだ。 当然のようにして浮かんだのだ。 「2人なら、大丈夫だって信じてる。心配する必要も、不安になる必要も無い」 行ってしまうのはひとりじゃ、無かった。 「もう、待っていなくても大丈夫」 ―――気付いていないのだろうか、このヒトは 「あの2人なら、きっと」 ―――それはまるで、愛の告白のようだ 抗い拭えぬ、彼のヒトへの。 ―――深く深い限り無い、もう見えぬ彼のヒトへの想い シェスカは立ち止まる。 何の脈絡も無く、唐突に口を開いた。 「エドワードさんはずるいです」 「え?」 聞き逃しそうになったウィンリィは、 再び後ろに行ってしまったシェスカを振り返った。 「ずるくて、卑怯で、非道いヒトです」 散々な言われ様だが、否定する気は起きない。 並べ立てられる罵詈雑言に苦笑する。 ―――想いだけを、強く、強く焼き付けて 「ずっと待ってたウィンリィさんを置いて、さよならも言わずに行ってしまうなんて」 ―――こんなのはあまりにも残酷だ 持っていた荷物に顔を埋め、シェスカは真一文字に唇を食い縛った。 ずるい、ずるい、ずるい、ずるい。 年下なのに偉そうな態度で、けれどそれは不快ではなく、 彼らしいと納得出来る程似つかわしかった。 だがそれも、今は憎らしくて仕方が無い。 「…エドの、優しさだったのかもしれない」 微笑むようにして、ウィンリィは呟く。 「もう帰って来られないのに、約束を残して行くのはきっと、辛過ぎるから」 いつか、両親と交わした約束のように。 待てど暮らせど、帰る日は無かった。 泣いても喚いても、決して叶う日は無かった。 ただ、逢いたいと想うだけの願いでも、許されることは無かった。 「だから、いってらっしゃいも、さよならも言わなかった―――…言わせなかった」 ウィンリィは溜息を吐いて、困ったように笑う。 「本当に、どうしようもなく不器用なヤツだわ」 長い付き合いとでも言うのだろうか。 彼女は彼がどのような性格であるか熟知していたし、 どんな時にどのような道を選ぶかも織っているのではないかと思わせた。 そうしてそれは、正しかった。 限りなく、正確だった。 それでも、とシェスカは胸中でひとりごちる。 ―――私はあのヒトに、どうしようもなく不器用なこのヒトの傍に居て欲しかった ウィンリィが慌てた表情を見せた。 駆け寄ってきて、頬に触れる。 「…厭だ、どうしてシェスカが泣くの」 苦笑して、シェスカの涙をポケットのハンカチで拭った。 こつん、と額を合わせてそっと片腕だけで抱き締める。 ぐしゃぐしゃな泣き顔で、シェスカは声を押し殺した。 「シェスカは優しいね」 否定しようとしても、今口を開いてしまえば嗚咽しか出そうに無い。 「ありがとう、大好きよ」 ウィンリィの腕にしがみ付き、ごめんなさいと風にかき消されそうな声で囁いた。 泣く理由の無いウィンリィの代わりに泣いているようだ。 泣かせてしまったのは恐らく彼女。 困ったなぁ、と感じながらも、 そこまで親身に想っていてくれるヒトが居るのはやはり嬉しい。 少なくともウィンリィは彼女に救われている。 シェスカが泣き止んだのなら、それを教えてあげようとこっそり思った。 END |
あとがき。 |
シャンバラ忠実と思うも良し、『空に溶けた、君が僕を呼ぶ声』に繋げるも良し、な雰囲気で。 但し、後者の場合、エドはシェスカに平手食らった上に散々罵倒されます(笑)。 シェスカの性格は原作忠実に! アニメのシェスカは出張りすぎだであまり好かんので。 |
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