目が覚めて、腕を天へと突き出す。
「うぅ…んっ」
窓からは太陽の光が部屋へと降り注ぐ。
何度か目を瞬かせて、ベッドから降りた。
しかし、そこで硬直する。
「ここ…何処…?」
見たこともない部屋だった。
なんと言うか、質素な部屋だ。
仮にも『王女』という肩書きを持つ李厘である。
城の中にある自室は立派なものであったし、ベッドはもっとふかふかだ。
ハッキリ言って、こんなボロ屋には寝泊りした経験がない。
混乱する頭を捻って、昨晩を思い出す。
が、覚えがない。
確か、昨日は八百鼡と話しながら一緒に眠った。
眠れないから、と遅くまでおしゃべりしていたはずだ。
なのに、だ。
目が覚めると、こんな部屋にいる。
訳がわからない。
頭を抱え込んで悩んでいると、部屋のドアがノックされ、開いた。
「おや、起きていたんですね」
翡翠色した瞳の青年が、笑顔で部屋へ入ってくる。
「お前…!!」
言いながら、彼女は青年を指さす。
李厘はよぉく覚えていた。
彼は『敵』に位置する者。
八戒、確かそんな名前。
「?」
相変わらず笑みを絶やさず、彼は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか?李厘」
「どうした、じゃないっっ!!何でお前がここにいるんだよ?!」
立ち上がって、壁際に寄る。
まるで、威嚇している猫を思い出す仕草だった。
「何で…って…。何言っているです、貴女は」
呆れたように、八戒は笑う。
「まだ寝ぼけているんですか?」
それでも警戒を解こうとしない李厘に、肩をすくめる。
開いた扉から、もう一人入ってきた。
「朝から何騒いでいるんだ、手前ェ等は」
嘆息して、額を抑える。
顰められた眉は、少々つりあがっている。
整った顔立ちも歪められた。
「三蔵ッ?!」
ますます訳が分からなくなって、頭が混乱する。
気が遠くなる感じがし、ふらついた。
「何だ。熱でもあんのか、お前は」
ぐい、と彼女の頭を寄せて自分の額と合わせる。
「…熱はないな」
いつもの、紅孩児がしてくれる熱の計り方と同じだった。
その仕草にぼんやりしていると、次は明るい声が聞こえてくる。
「朝から元気だねー、子猫ちゃんは」
紅い髪と瞳の男。
独角の義弟だと聞いたことがある。
名は悟浄。
その男は、軽口を叩きながら煙草に火をつけた。
ちょっと待って。
一体、何が起こっているんだ?
どうでもいいから、考える暇をくれ。
李厘の心境はまさに、それであった。
悟浄が、冗談めかして口を開く。
「何で何で、って。一緒に旅してるからだろ」
「まぁ、簡単に言えばそうですね」
「折角の唯一のオンナが、こんなガキじゃ話にならねーけ……」
即座に、三蔵が後ろからベシリとハリセンで殴る。
「テメェ、ヒトの妹に変なこと吹き込んでるんじゃねぇよ」
…………………………ハイ?
頭の中が真っ白になるとはこのことだろう。
彼女は何も考えられなかった。
ダレがダレの妹だって…?
「さんぞ…?今、なんて…」
呆然と、紫暗の瞳を見上げる。
「ダレが…妹…?」
「李厘、悪ふざけもいい加減に…」
「あんまりそんなこと言ってると、三蔵様傷付いちゃうぜ?」
李厘はその場にへたり込む。
「だって…本当にオイラ、三蔵の妹じゃないよ!!」
俯いて、叫ぶ。
「李厘!」
八戒は嗜めるように、李厘の肩を掴む。
「触るなッ!!」
その手を振り払う。
ざ、と必要以上に足音が部屋に響く。
しんとした重たい空気。
三蔵は振り返って部屋を出ようとする。
「さ…三蔵」
恐る恐る悟浄が声をかける。
「勝手にしろ」
背を向けたまま、三蔵は言葉を綴る。
怒っているのは、雰囲気で伝わっていた。
けれど、彼女は自分の言った台詞を訂正しようとはしない。
違うのだから。
決して真実ではないのだから。
姿見に映った自分の姿には、いつもの尖った耳はなく、顔の痣も消えていた。
『人間』と呼ばれる種族のものだった。
「何を怒っているのか知らんが、どんなに否定しようとも、血の繋がりは変えられねぇんだ」
ぎゅ、と拳を作ったときの衣擦れの音がする。
そのまま、部屋を出て行ってしまった。
「李厘、今のは言いすぎですよ」
俯いた彼女を、軽く叱る。
こつん、と頭に何かが触れる。
悟浄の手だった。
「そうだな。あそこまで言われると、結構イタイかもな」
言われても、李厘は何も言えない。
何も言うことが出来ない。
「…だって…っ!!」
どんなに姿が『人間』になろうとも、違うものは違うのだ。
この場所にいるのは、自分ではない。
李厘は思いついたように、顔を上げる。
「…そうだ、猿は?!孫悟空は何処にいるの?!」
八戒と悟浄は、不思議そうに顔をあわせる。
「ソン…ゴクウ…?」
いかにも、それはダレだと言わんばかりであった。
「貴女の友達ですか?」
「犬か何か拾ってきたのか?」
だったら、三蔵が怒るモンなあ、と笑いながら問い掛ける。
イナイ。
ここにはアイツが存在しない。
そして。
妖怪の『李厘』という存在も、在り得ない。
ジープのエンジン音が荒野に広がる。
誰一人声を発せず、静かな車内。
走っても走っても、干からびた、大地という絨毯が敷き詰められているようだ。
突然、ジープの前に爆発音が轟いた。
八戒は慌てて、ハンドルを右に切る。
続けざまに、進む方向へと爆発音が響く。
「見つけたぞ、三蔵一行!」
耳に届く、聞きなれた声。
「今日こそは、魔天経文を頂く!!」
顔を上げれば、そこには見慣れた顔があった。
李厘は思わず笑みを零しそうになったが、それが許される状況ではなかった。
すぐに戦闘が開始され、色んな音が混ざり合う。
金属と金属の擦れあう音は、キィンと耳にぶつかるようだ。
気孔弾と爆弾の爆発音は、空気を震えさせる。
拳銃の音が風を凪ぐ。
いつもなら楽しいはずの、戦闘。
遊びの感覚で参加した。
なのに。
いるはずの仲間が、ここには居ない。
「…お兄ちゃん…っ!」
李厘は堪らず、紅孩児の傍に駆け寄った。
「李厘!!」
三蔵の静止の声が聞こえたが、体は言うことを聞かない。
彼女は、紅孩児からの攻撃をまともに受け、体が吹き飛んだ。
「お前は、闘いを甘くみているのか?」
紅孩児は、忌々しそうに吹き飛んだ李厘を見下ろす。
腕も脚も痛くて、思うように動かない。
それでも、這うようにして体を動かす。
「お…にぃ…ちゃ…」
悟浄も八戒も、李厘の名を呼ぶが届かない。
「何だよ、アイツ!まだ寝ぼけてんのかよ?!」
独角の剣を鎖で受け止めながら、歯噛みする。
「そうかも、しれませんねッッ!!」
叫ぶと同時に気孔弾を八百鼡に向かって放つ。
「いや…だ…」
ぽつり、と李厘が呟く。
「こんなの…厭…だ…」
辺りが、嘘のように静まり返る。
「三蔵と一緒にいたら…楽しいかもしれない」
ずるりと、重たい体を持ち上げ、立ち上がる。
思うように動かない腕を抑え、顔を上げた。
「面白い、かも…しれない…」
紅孩児は、先程の表情と何ら変わりない。
ただ黙っているだけだ。
「だけど…っ!!」
声を振り絞って叫んだ。
「何かよくわかんないけど、こんなの厭だよッッ!!」
全然、倖せじゃないよ…。
聞こえるか否かの、小さな呟き。
ぽん、と背中を押された。
振り返ると、三蔵が不機嫌そうな、
でも笑っているような顔をして立っていた。
「お前は自分の居場所を知っている」
痛みが、嘘のように引いていった。
怪我した腕や脚も、元に戻っていった。
行け、と口が動く。
「お前は、自由だ」
耳に触れると、『人間』ではない形があった。
きっと、顔にも痣があるだろう。
彼が微笑んでくれたような気がして、李厘は目を閉じた。
ゆっくりと目を開くと、そこには八百鼡がいた。
「李厘様っ!」
そうして抱きしめられる。
「八百鼡ちゃん?」
目をぱちくりとさせて、彼女の名を呼ぶ。
「何?どうしたの?」
「もう、貴女という方は!」
最後まで声にならずに、八百鼡が口を抑える。
周りを見れば、見慣れた顔が並んでいる。
どうやらソファに寝かされていたようだ。
「えーと…?」
状況がイマイチ理解できずに、とりあえずへらりと笑う。
「棚の上にあるクッキー缶を取ろうとしたが、椅子から落ちて頭を打って、気絶したんだ」
簡潔に説明する独角。
紅孩児が嘆息して、李厘の頭をぽん、と叩く。
「お前は、いつもいつも心配ばかりかけさせるな」
「ごめんなさい…」
バツが悪そうに、舌を出して謝る。
「紅のやつ、心配で心配で部屋の中をウロウロしていたんだぞ」
狼狽して、紅孩児が反論する。
「だ…ダレがだッ!」
くすくすと笑う李厘と八百鼡。
温かな雰囲気。
自分の居場所。
「何か…夢見てたんだけど…」
「どのような?」
そう言われて、李厘は瞬きを繰り返す。
「…あれ?」
かりかりと、頬を掻く。
「忘れちゃったみたい」
もしそこに、今の自分のいない世界が広がっていて。
でも、大切なヒトがいる世界があって。
手を伸ばしても、届かないとしたら。
オイラはきっと、思うよ。
つまんない、って感じると思うんだ。
END |
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