あの日。
暗闇から連れ出された、あの日。
俺の歯車がもう一度、動きだしたあの日。



過ちさえも忘れ、太陽の光に触れた罪深き
――――…。



Break




目覚めると、そこは無機質な飾り気のない部屋。
何度か瞬きをすると、ボンヤリとした頭で考えた。
「あぁ、そっか…」
そうして、納得する。


(ココは五行山じゃないんだっけ…)


頭を振って、意識を覚醒させる。
ふと、いつもあるはずの気配がないのに気付いた。
「あれ?」
寝台から飛び降りて、『彼』の仕事机を仰ぎ見る。
椅子によじ登ると、机の上に1枚の紙が置かれていた。

『我出暫旅。待静。』

ただ、それだけぽつりと書かれていた。
達筆な文字で書かれていたのと、漢字を理解できないのが重なって、
案の定、悟空には読めなかったらしい。
「…何て書いてあるんだろ?」
きょとんと首を傾げる。
とりあえず、身支度を整えて部屋を出た。



廊下を歩けば、何か言いたげな視線を幾つも感じた。
不快なソレは、彼の心をもやもやとさせる。

言いたいことがあるのなら、直接言えばいいのに。

歩きながらそう思う。
話し掛けようとすれば、そそくさと逃げ出す僧徒。
わざとらしく、他の用事を思い出したなどと聞いてもいないのに、
声高にして去るのだ。
「何だよ…っ。変なヤツら!」
つまらなさそうに、渡り廊下の柵へと腰掛けた。


けれど、織っている。


あの視線を、織っている。
何故か、そう感じた。
ココに来たのは、ほんの数日前。
ソレまでの期間だけの話ではない。
ずっと昔。
とてつもなく、気が遠くなるほどの昔。
あの視線の意味を織っていた。
「…さんぞ、早く帰って来ないかな」
泣きそうになる瞳を堪えて、目を擦る。
織らず、バランスをとるために掴んでいた柱を握る手に、力が篭った。


『異端ナル存在』


悟空は思わず、顔を上げた。
傍を通り過ぎようとしていた僧侶が、目が合った瞬間早足で通り過ぎる。
それでも彼の視線は、何もない宙を彷徨っていた。
「………?」
不可思議な感覚に囚われ、辺りをゆっくりと見回した。
震えが身体を支配し、バランスを保てなくなる。
「…
――――っ?」
ぐらりと傾いだ身体を、何とか保ち着地する。
眩暈、と言うのだろうか。
ガンガンと、忙しなく浮かんでは消え行く、歪んだ記憶。



『殺セ』



ふ、と浮かんだ卑しい口元。
呆然と、己の手を見やる。



「…あ…?」



其処には無いはずの鎖が両腕を戒め。



「…あ…ぁ……っ」



其処には無いはずの鮮血が、悟空の両手を染めていた。



「…
――――ッッ!!」
声にならない叫びをあげて、悟空は走り出した。
どうしようもない吐き気が全身を駆け巡る。
三蔵の自室へと戻ると、荒々しく扉を閉めた。
息は乱れ、諾々とした汗が頬を伝う。
「織ら…ないっ」
途切れ途切れの呼吸で、悟空はまるで、自分に言い聞かせるように呟く。
「織らないッ!」
ぶんぶんと首を振り、襲い来る全てを払うように、ぎゅ、と目を瞑った。



「織らない織らない織らない織らない織らない織らない…ッッ!!」



涙を湛えながら、しかし決して零れない瞳は、今にも壊れそうで。
悟空はずるずると、冷たい床へと座り込んだ。
耳を塞ぎ、膝を抱えて丸くなる。
「…でも」



『殺セ』



「織ってるんだ…」



瞳を閉じて、吐息のように零れる言の葉。




「俺にはやっぱり…みえない、よぉお…っ」




『…ミエルダロ?』




誰かの、哀しくて寂しい声が聞えた気がした。





1週間。
今の悟空が暦を織っていれば、の話だが。
三蔵が帰って来るまで、それだけの時間が流れた。
彼が戻るまで、悟空は部屋から1歩も出ようとしなかった。
三蔵が出かけたことさえ織らない彼には、とても長い時間に感じただろう。



ゴン。
妙な衝撃音に、珍しく彼が僅かに目を見開いた。
「…?」
三蔵が視線を落とすと、扉の前に座り込んだ悟空が目に入る。
暫く沈黙していた三蔵だったが、やっとのことで口を開いた。
「…何やってんだ?」
ぼんやりとした、寝起きの顔で見上げていた悟空。
彼の存在を確認すると同時に、その黄金の瞳は輝きだした。
「三蔵!?」
がば、と立ち上がり、彼の腰へと抱きついた。
「何しやがる!離せッッ!!」
悟空の頭を掴んで、引き離そうとするが、悟空も負けてはいない。
小さな両腕で必死で掴む。
「やだやだやだっ!」
彼の様子を怪訝に思い、見下ろす。
不意に大人しくなり、俯いた。
「悟空?」



「独りはもう…やだよ…っ」



今まで堪えていた涙が、ぽろりと零れた。
「黙っていなくなるなよなッ!」
1粒零れた涙は、次から次へと続く。
三蔵は、卓上の置き手紙を見て、ふと思う。
「お前…漢字読めるか?」
「読めねぇよ」
「…じゃあ、何を織っている?」
「ひらがなとカタカナ」
「……悪かったな」
聞き取れるか否かの小さな謝罪。
「…へ?何?」
「何でもねぇよ」
この1週間仕事尽くしで、三蔵はいくら若いと言っても限界に達していた。
苛々も体力も、だ。
1度寝てしまおうと、歩を進めようとした。
しかし、悟空が腰に巻きついたまま離れようとしない。
暫く迷惑そうにしていた三蔵だったが、観念したのかため息をついた。



「今日だけ、だからな」



ぽむ、と幼子の頭を叩いた。






独りには慣れているはずだったのに、独りでは厭だと言う自分がいる。
思い出したいのに、思い出せない自分がいる。
どうにも出来ないことが、たくさんあるのだと織った。



何もかもがまだ始まったばかりなのだと、気付いた。





ゼロから歩き出そう。





『みえるだろ…?』




見えなかった何かに、気付くことが出来る君だから。






End

あとがき。

キリ番踏んでくださった、咲羅様に捧げます!
『寺院時代、不安に揺れる悟空』ってのが御代でしたが、いかがなもので・・・。
何故か李塔天やらナタクやら出て来てしまいましたが(笑)。
独りになると、考えたくないことまで考えちゃうってのとはまた違うと思いますけれど、
不安になるってのはあると思うのですよね。

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