□ C r y 



      バシャ。
      水が跳ねる音がした。
      彼らは、手分けして辺りを探し回った。
      しかし、悟空は見つからない。
      八戒はジープに頼み、三蔵と悟浄を呼んできてもらった。

      「お願いします」

      しばらくして、
      2人が姿を現す。
      「こっちにはいない」
      「こっちも、同じく」
      期待した訳ではなかったが、それが吉報ではないことに八戒はため息をついた。
      「どこに行ったんでしょう」
      彼らもまた、傘も差さずに外へ出たため、ずぶ濡れである。
      髪からは水滴が流れ落ち、雨なのか、その雫なのか分からなくなっている。

      ぼんやりと、先ほどの会話が八戒の脳裏に浮かんでくる。

      『何か、記憶を取り戻す方法はないんですか?』

      少女は首を振った。

      『分からないんです。ただ…』

      『ただ?』

      『何か、きっかけになるものがあれば、思い出すときがあるって』

      『きっかけ…』

      『その人自身を取り戻すことが出来る様な、強いきっかけが』

      『分かりました』

      『ごめんなさい、ごめんなさいっ』

      『こうなってしまった以上、謝ったってどうにもならん』

      『あとは俺達で何とかするからさ。な?』


      「きっと…」
      ふと、八戒が口を開く。
      「悟空にとって、忘れたいことなんてなかったんでしょうね」
      耳障りな雨の音が、辺りに響き渡る。
      ぐっしょりと濡れた服が、重たく、気持ち悪い。
      「何一つ」
      三蔵は面倒くさそうに、瞳を閉じた。
      額に張り付いた髪を掻き上げながら、ため息をつく。

      「あの草から、微量だが神気を感じた」

      ゆっくりと目を開き、2人の視線と合わせる。
      「どうせ、どっかの暇な神サマが、人間界に齎したモノだろう」
      「だったら…」
      どうにもならないのではないか。
      八戒の紡ごうとした言葉が分かったかのように、三蔵は口を開く。
      「神の齎したモノだからと言って、完全である訳じゃない」
      話を聞きながら、悟浄は濡れて重たくなった髪を一つに縛り上げる。
      「じゃあ、まだ手はあるってコト?」
      少しの希望。
      だけどそれは、50%50%。
      半分の確率。
      どうにかなるかもしれないが、どうにもならないかもしれない。
      「まだ分からん」
      試してみないことには。
      暗に、そう言う三蔵に、八戒は頷く。

      「少しでも可能性があるのなら、それを信じるまでです」


      一層、雨が強くなる。


      漆黒の闇は、どこまでも続いて見えた。




      まるで、覚めない悪夢のように。




      暗い。
      重い。
      冷たい。
      知っているのに、何も分からないんだ。
      何も知らないんだ。

      耳に響く雨音は、
      いつ聞いたことがあったんだろう。



      水溜りの跳ねる音がして、
      誰かが何か言ってる。

      「悟空!」

      八戒は、やっとのことで見つけた悟空に駆け寄った。
      「心配したんですよ」
      虚ろに、八戒を映し出す瞳は光を失ったまま。
      綺麗な色だな。
      そう思った。

      今、ここで思った?

      いつか、そう感じなかっただろうか。

      「ったく、手間かけさせやがって」
      けれど、
      どこか安堵した口調。
      この暗闇でも、ハッキリと分かる紅い髪。

      …誰だっけ?

      記憶を辿り。
      さっき、部屋にいた者だと気付く。

      それだけ…だった?

      奥へ視線を運べば、
      神々しいまでの金糸の髪。
      不機嫌な紫暗の瞳は悟空を睨みつけた。


      コイツ、誰?


      心のどこかで、
      恐怖と同時に、安堵感を持った。

      「悟空」

      口を開くと、
      低い声が雨の音を遮って響く。
      八戒は悟空から離れた。
      「八戒?」
      不思議そうに、彼を見やる。
      「三蔵に任せましょう」
      以前、記憶がなくなったとき、
      取り戻したのは三蔵だった。
      だったら、今度も、何とかできるのは彼ではないか。
      そう思った。
      否。
      悟空を取り戻すことが出来るのは、
      三蔵だけではないのだろうかとさえ思う。
      悟空は、三蔵から目を離さずに、じっと見つめてた。


      見たこと…ある…?


      今、口に出されたのは、何?
      何かの名前?
      誰かの名前?



      違う…?



      「………っ」



      何かを言おうとして、言葉に詰まる。
      何を言うつもりだったのか、すぐに分からなくなった。


      「お前は、何を忘れたくなかった?」


      問う。


      「お前は、何を感じていた?」


      再び、問うた。



      「あの時、お前は何を望んだ?」




      『あの時』が何を指すのか。
      分からなかった。
      分からなかったけれど。
      頭ではなく。
      記憶ではなく。


      心が。


      何かを叫んでいる。


      「…かった」


      声にならない叫びが。

      自分の中で渦巻いている。


      「…」


      悟空と三蔵の様子を、
      固唾を飲んで見守る2人。


      「…いきた…かった」


      黙って、三蔵は悟空の返答を待つ。


      「強くなりたかった…強くならなきゃダメだった」


      「何のために?」


      「大切なものを…もう…失いたくない…から…」


      途切れ途切れに紡がれる、
      悟空の言葉。
      それは段々と言霊を持って、
      紡がれていく。

      段々と。


      意思を宿して。




      俺は、誰……?





      誰かが、つけてくれた。
      誰かが呼んでくれた。
      誰が?
      何て呼んでいた?





      俺の……名前……は…。










      「俺……は……っ」























      「悟空」


























      低い声。
      気付けばそばにあった、
      太陽の光。

      触れてはならなかった、
      眩しいまでの黄金。

      雨が。
      声に反応するように、
      ゆっくりと止み始める。



      いつか見た、
      懐かしい太陽の光。

      楽しかった時間。

      だけど、今、ここにあるのは…。



      「こ…ん…」


      まだぼんやりとした瞳は、
      『三蔵』ではない誰かを映す。

      「て…んちゃ…」


      首を動かし、
      周囲に目を向ける。

      どこかで、見た。
      深い緑の瞳。


      「ケン…にぃ…」


      子どものあどけなさを持つ雰囲気。
      いつも、
      遊んでくれた、『誰か』。

      たどたどしく、
      口に乗せられる言葉は、
      ここにはなくて。


      「違…う…っ」


      悟空は首を振る。
      頭を抱え、蹲った。

      過去と現在の記憶が、混沌としている。
      断片的に、
      思い出されるソレは、
      決して、楽しいものではなくて。
      決して、
      意思を宿したものではなくて。
      覚えているのに、
      何もわからない。
      心が。

      かき乱される。




      「…嫌…だ……っっ!!」


      真っ赤に染まる、
      全ての記憶。
      過去の記憶が、

      浮かんで、






      消えた。









      残ったのは。




      ここにいるのは。


      アイツらじゃない。



      アイツら…?



      見開かれた瞳は、
      目の前に立っている人物へと向けられる。

      暗い、闇の中。

      雲が流れ、雨が上がる。

      光が満ちる。

      白い、
      淡い、
      月の光が。

      悟空の瞳に降りてくるように。






      「三…ぞ…」





      ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

      光を宿したその瞳は、
      悲しげに歪められる。



      「八戒…、悟じょ…う」



      自分の手を見つめ、
      きつく、握り締める。
      雨に濡れた身体は、重く、動きにくい。
      ぎゅ、と目を閉じて、眉根を寄せた。





      「ごめ…ん…」




      忘れてしまって。





      「ごめん」






      絶対に忘れてはならなかったのに。




      「俺は…」








      開かれた双眸は、
      天真爛漫なそれとは違う。




      「孫、悟空だ」




      自分で、自分の存在を確かめるように。
      一つ一つの言葉を、
      噛み締めながら。




      「…えぇ…」





      八戒は、微笑んだ。






      「知っていますよ」








      濡れてしまった煙草をくわえ、
      三蔵は悟空から視線を外す。
      「…フン」
      悟浄も、濡れた髪を掻き揚げて、
      悪ガキのような笑みを浮かべる。
      「どんな魔法使ったわけ?三蔵サマ」
      「…言霊、だ」
      「コトダマ?」
      「言葉に力を持たせた」
      面倒くさそうに、口を開く。
      「悟空の場合、一番思い入れがあるのは自分の『名前』だった」
      全ての記憶を失っても、
      変わらず覚えていたその『名』。
      くわえていた煙草を、手で握りつぶす。
      「『名』には、もともと力がある」
      手のひらで、
      形を崩した煙草がばらばらになっていた。
      「『きっかけ』にするには丁度いい媒介だったわけだ」
      そうして、神気を吹き飛ばした。

      「さすが、最高僧サマってとこだな」

      茶化すように、悟浄は三蔵を見た。

      ぽたぽたと、木々の雫が大地へ降り注ぐ。
      星々が輝く中、
      月が淡い光を放つ。
      高く、届かないソレは、まるで過去の記憶のようだった。






      忘れ去られた記憶。
      封じられた思い。

      だけど、いつか。


      「思い出す日が来るんだろうよ」


      蓮の花が浮かぶ水面を眺め、
      破天荒な神が、呟いた。



      その口元に、
      『観世音菩薩』の微笑みを浮かべて。












      END

あとがき

無駄に長い!
今までで、一番長いですよ!
Wordで、30P軽く超えるくらい!!
でも、きっかけは、
悟空殿の『アンタたち、誰?』って台詞を書きたくて、なんですよね。
それだけで、ココまで話をややこしくするか、お前は。
途中書いていて、
『ヤバイ!このままじゃ、最遊記小説1巻みたいになってしまう!』
と、危機感を覚えましたね(マジで)。
そっちを考えてないで、
似てるようになってしまうのも問題があると思うが。
一応、メインは悟空殿。
八戒殿のは、甘さとか優しさじゃなくて、
自分が嫌だからという、『我侭』なんです。
それが悪いとか、悪くないとかは別として。
んで、おいしいトコかっさらうのはやっぱり三蔵殿v(笑)
悟浄殿は相変わらず出番少ない…。
嫌いじゃないけど、
何か扱いにくいと言うか。
最後のシメは観世音菩薩様の特別出演ですな。
何で出てきたんだろう、このヒト。