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バシャ。 水が跳ねる音がした。 彼らは、手分けして辺りを探し回った。 しかし、悟空は見つからない。 八戒はジープに頼み、三蔵と悟浄を呼んできてもらった。 「お願いします」 しばらくして、 2人が姿を現す。 「こっちにはいない」 「こっちも、同じく」 期待した訳ではなかったが、それが吉報ではないことに八戒はため息をついた。 「どこに行ったんでしょう」 彼らもまた、傘も差さずに外へ出たため、ずぶ濡れである。 髪からは水滴が流れ落ち、雨なのか、その雫なのか分からなくなっている。 ぼんやりと、先ほどの会話が八戒の脳裏に浮かんでくる。 『何か、記憶を取り戻す方法はないんですか?』 少女は首を振った。 『分からないんです。ただ…』 『ただ?』 『何か、きっかけになるものがあれば、思い出すときがあるって』 『きっかけ…』 『その人自身を取り戻すことが出来る様な、強いきっかけが』 『分かりました』 『ごめんなさい、ごめんなさいっ』 『こうなってしまった以上、謝ったってどうにもならん』 『あとは俺達で何とかするからさ。な?』 「きっと…」 ふと、八戒が口を開く。 「悟空にとって、忘れたいことなんてなかったんでしょうね」 耳障りな雨の音が、辺りに響き渡る。 ぐっしょりと濡れた服が、重たく、気持ち悪い。 「何一つ」 三蔵は面倒くさそうに、瞳を閉じた。 額に張り付いた髪を掻き上げながら、ため息をつく。 「あの草から、微量だが神気を感じた」 ゆっくりと目を開き、2人の視線と合わせる。 「どうせ、どっかの暇な神サマが、人間界に齎したモノだろう」 「だったら…」 どうにもならないのではないか。 八戒の紡ごうとした言葉が分かったかのように、三蔵は口を開く。 「神の齎したモノだからと言って、完全である訳じゃない」 話を聞きながら、悟浄は濡れて重たくなった髪を一つに縛り上げる。 「じゃあ、まだ手はあるってコト?」 少しの希望。 だけどそれは、50%50%。 半分の確率。 どうにかなるかもしれないが、どうにもならないかもしれない。 「まだ分からん」 試してみないことには。 暗に、そう言う三蔵に、八戒は頷く。 「少しでも可能性があるのなら、それを信じるまでです」 一層、雨が強くなる。 漆黒の闇は、どこまでも続いて見えた。 まるで、覚めない悪夢のように。 暗い。 重い。 冷たい。 知っているのに、何も分からないんだ。 何も知らないんだ。 耳に響く雨音は、 いつ聞いたことがあったんだろう。 水溜りの跳ねる音がして、 誰かが何か言ってる。 「悟空!」 八戒は、やっとのことで見つけた悟空に駆け寄った。 「心配したんですよ」 虚ろに、八戒を映し出す瞳は光を失ったまま。 綺麗な色だな。 そう思った。 今、ここで思った? いつか、そう感じなかっただろうか。 「ったく、手間かけさせやがって」 けれど、 どこか安堵した口調。 この暗闇でも、ハッキリと分かる紅い髪。 …誰だっけ? 記憶を辿り。 さっき、部屋にいた者だと気付く。 それだけ…だった? 奥へ視線を運べば、 神々しいまでの金糸の髪。 不機嫌な紫暗の瞳は悟空を睨みつけた。 コイツ、誰? 心のどこかで、 恐怖と同時に、安堵感を持った。 「悟空」 口を開くと、 低い声が雨の音を遮って響く。 八戒は悟空から離れた。 「八戒?」 不思議そうに、彼を見やる。 「三蔵に任せましょう」 以前、記憶がなくなったとき、 取り戻したのは三蔵だった。 だったら、今度も、何とかできるのは彼ではないか。 そう思った。 否。 悟空を取り戻すことが出来るのは、 三蔵だけではないのだろうかとさえ思う。 悟空は、三蔵から目を離さずに、じっと見つめてた。 見たこと…ある…? 今、口に出されたのは、何? 何かの名前? 誰かの名前? 違う…? 「………っ」 何かを言おうとして、言葉に詰まる。 何を言うつもりだったのか、すぐに分からなくなった。 「お前は、何を忘れたくなかった?」 問う。 「お前は、何を感じていた?」 再び、問うた。 「あの時、お前は何を望んだ?」 『あの時』が何を指すのか。 分からなかった。 分からなかったけれど。 頭ではなく。 記憶ではなく。 心が。 何かを叫んでいる。 「…かった」 声にならない叫びが。 自分の中で渦巻いている。 「…」 悟空と三蔵の様子を、 固唾を飲んで見守る2人。 「…いきた…かった」 黙って、三蔵は悟空の返答を待つ。 「強くなりたかった…強くならなきゃダメだった」 「何のために?」 「大切なものを…もう…失いたくない…から…」 途切れ途切れに紡がれる、 悟空の言葉。 それは段々と言霊を持って、 紡がれていく。 段々と。 意思を宿して。 俺は、誰……? 誰かが、つけてくれた。 誰かが呼んでくれた。 誰が? 何て呼んでいた? 俺の……名前……は…。 「俺……は……っ」 「悟空」 低い声。 気付けばそばにあった、 太陽の光。 触れてはならなかった、 眩しいまでの黄金。 雨が。 声に反応するように、 ゆっくりと止み始める。 いつか見た、 懐かしい太陽の光。 楽しかった時間。 だけど、今、ここにあるのは…。 「こ…ん…」 まだぼんやりとした瞳は、 『三蔵』ではない誰かを映す。 「て…んちゃ…」 首を動かし、 周囲に目を向ける。 どこかで、見た。 深い緑の瞳。 「ケン…にぃ…」 子どものあどけなさを持つ雰囲気。 いつも、 遊んでくれた、『誰か』。 たどたどしく、 口に乗せられる言葉は、 ここにはなくて。 「違…う…っ」 悟空は首を振る。 頭を抱え、蹲った。 過去と現在の記憶が、混沌としている。 断片的に、 思い出されるソレは、 決して、楽しいものではなくて。 決して、 意思を宿したものではなくて。 覚えているのに、 何もわからない。 心が。 かき乱される。 「…嫌…だ……っっ!!」 真っ赤に染まる、 全ての記憶。 過去の記憶が、 浮かんで、 消えた。 残ったのは。 ここにいるのは。 アイツらじゃない。 アイツら…? 見開かれた瞳は、 目の前に立っている人物へと向けられる。 暗い、闇の中。 雲が流れ、雨が上がる。 光が満ちる。 白い、 淡い、 月の光が。 悟空の瞳に降りてくるように。 「三…ぞ…」 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。 光を宿したその瞳は、 悲しげに歪められる。 「八戒…、悟じょ…う」 自分の手を見つめ、 きつく、握り締める。 雨に濡れた身体は、重く、動きにくい。 ぎゅ、と目を閉じて、眉根を寄せた。 「ごめ…ん…」 忘れてしまって。 「ごめん」 絶対に忘れてはならなかったのに。 「俺は…」 開かれた双眸は、 天真爛漫なそれとは違う。 「孫、悟空だ」 自分で、自分の存在を確かめるように。 一つ一つの言葉を、 噛み締めながら。 「…えぇ…」 八戒は、微笑んだ。 「知っていますよ」 濡れてしまった煙草をくわえ、 三蔵は悟空から視線を外す。 「…フン」 悟浄も、濡れた髪を掻き揚げて、 悪ガキのような笑みを浮かべる。 「どんな魔法使ったわけ?三蔵サマ」 「…言霊、だ」 「コトダマ?」 「言葉に力を持たせた」 面倒くさそうに、口を開く。 「悟空の場合、一番思い入れがあるのは自分の『名前』だった」 全ての記憶を失っても、 変わらず覚えていたその『名』。 くわえていた煙草を、手で握りつぶす。 「『名』には、もともと力がある」 手のひらで、 形を崩した煙草がばらばらになっていた。 「『きっかけ』にするには丁度いい媒介だったわけだ」 そうして、神気を吹き飛ばした。 「さすが、最高僧サマってとこだな」 茶化すように、悟浄は三蔵を見た。 ぽたぽたと、木々の雫が大地へ降り注ぐ。 星々が輝く中、 月が淡い光を放つ。 高く、届かないソレは、まるで過去の記憶のようだった。 忘れ去られた記憶。 封じられた思い。 だけど、いつか。 「思い出す日が来るんだろうよ」 蓮の花が浮かぶ水面を眺め、 破天荒な神が、呟いた。 その口元に、 『観世音菩薩』の微笑みを浮かべて。 END |
あとがき |
無駄に長い! |