空っぽになることすら出来ずに。 けれどそれは、何十倍もの苦痛を齎すものだと織っていた。 だからこそ罪咎なのだと、理解していた。 痛くて、辛くて、苦しくて。 それでも、何処かで仕方の無いことなのだと、 妙に納得している自分がいた。 いっそのこと、 光を求めようとするこの両手足が切り落とされていたのなら、 這いずることすら出来ない身体であったのなら、 全てが絶望と映り、深い眠りへと堕ちて行けたかもしれないのに。 幼子を繋ぎ止める荊の枷は、絶望に堕ちることすら赦してはくれなかったけれど。 |
Dark and Dark |
目が覚めれば、いつもの風景。 とうに見慣れたはずの殺風景な室内は、ただ静かにそこに在り続ける。 幼子に宛がわれた部屋。 窓から差し込む光は、太陽の力強いそれではなく、 淡く、儚い色を宿した優しいそれ。 全てを照らすのが太陽ならば、 全てを包み込むのが月なのかもしれない。 ぼんやりと寝台に寝転がったまま、窓から見える空を見上げた。 最初からそこにあるのが当然の如く、 幼子の黄金の瞳に浮かび上がる月が、白く煌めく。 まだ夜中だ。 それも、深夜と呼ばれる宵闇。 額や頬に張り付いた髪を煩わしげに払う。 ふと、指先に冷たい感触がぶつかる。 額に着けられた金鈷が存在を主張するように、 月光を反射させて壁に黄金の光を泳がせた。 これを外してしまったらどうなるだろう。 思い浮かび、だが、すぐに立ち消える。 その度に脳裏を掠める紅い残像。 言いようの無い昂揚感。 駄目だ、と言い聞かせる。 何度も、何度も、抑え込む。 不意に、抑え込む必要などあるのか、と何かが問い掛ける。 それが本質ならば、何を我慢する必要があるのだ、と。 ヒトから生まれた人間でも無く、 妖かしから生まれた妖怪でも無く、 宿るものから生まれた神でも無い。 あらゆる束縛から放たれ、何ものにも属さぬ唯一つの存在。 それは特別でもあったし、異端でもあった。 理解の及ばぬものを蔑み、妬み、厭う。 触れてはならぬ禁忌だと定めるのは、何時であったとしても、畏れる心。 ヒトであろうと、神であろうと同じこと。 愚かだと分かっていながら、 愚かであることを認めようとはしない弱いもの。 だから、憎むことも出来ない。 けれど、赦すことも出来ない。 愛おしいからこそ、どうにも出来ない。 顔を顰め、ぎゅ、と目を瞑る。 浮かんでくるものは、無い。 ただ、闇が広がるだけ。 薄ら恐ろしくなって、耐え切れず目を開く。 たった数秒が数十時間、数十年の恐怖を齎す。 夜は好きだ。 煌々と耀く月が浮かび、星が瞬く。 けれど、闇は嫌い。 耀くものだけでなく、形有るもの全てを飲み込む。 確実に幼子を蝕むものは闇であり、恐怖となるもの。 考え出せばキリが無い。 そうして、眠れなくなる。 燭台の蝋燭に灯りを点せば、部屋は明るくなるだろう。 それでも、夜は終わらない。 闇は広がり続け、終わりは来ない。 だから恐い。 だから、畏れる。 縋りつくものすら織らない幼子は、泣き叫ぶことすら出来ない。 苦し紛れにシーツを握り締める。 幼子が寝転がっている場所とは違い、 体から離れているそれは、すっかりと冷たくなっている。 「…っ」 恐い、そう紡ごうとして、止めた。 否、出来なかった。 口にしてしまえば、全てが現実になってしまいそうで、 それこそ恐かったのかもしれない。 ひとりではない。 織っているからこそ、ひとりで居る時間を畏れた。 余計に、孤独感が苛む。 苦しい。 寂しい。 辛い。 恐い。 それらに総じて、繋がるもの。 「くや、し…ぃっ」 やっとのことで搾り出された言の葉。 幼子は、起き上がり膝を抱える。 衣擦れの音が、静かな室内に響いた。 膝に額を押し付け、声を押し殺す。 「…くやしいよぉっ」 もう一度、呟く。 己の弱さが。 無力さが。 情けなさが。 どっと溢れて、零れ出す。 強くなりたい、と奥底から叫びが聞こえる。 そうなれない自分が、厭わしく、呪わしく、惨めだった。 どんなに虚勢を張っていても、 そうではないと分かっていた。 だからこそ、強くならなければならなかった。 憶えてはいない護れなかった約束も、 憶えてはいない護れなかった何かも。 己の所業で、引き起こされた災厄であるのならば。 安らぎを求めているワケでは無かった。 倖せになりたいワケでは無かった。 ただ、贖うべきものを求めていた。 それに辿り着く前に、倒れてしまうのが恐かった。 その所為で、己の所為で、 『また』畏れている何かが仲間に起きてしまうことが恐かった。 ただ、それだけ。 それだけのことが、恐かった。 「…あ」 幼子は、顔を上げ、窓の外を見やった。 薄らと、山の向こう側が白んで行く。 藍と茜と薄紅と山吹が白に溶けて行く中で、 星々は輝きを潜め、月は霞を深くしていった。 夜明けと呼ばれるもの。 全ての目覚めを誘うものとされる、夜明け。 雲ですら茜色に染まり、流れ行く。 悠然と、予め決められていたその光景は、 誰に望まれたワケでも無く――否、全てに望まれていたのかもしれない――、 ゆっくり、ゆっくりと、地上に光を満たし始める。 あたたかいものが、頬を流れた。 たった、一筋ではあったけれど、確かにそれはあたたかかった。 宵闇は明け行き、綺羅綺羅しい声や風景が広がる。 明けぬものだと思っていた。 心のどこかで、この光景が決して訪うものではないと思っていた。 そのようなことは、あるはずがないのに。 明けぬ夜など、無いと言うのに。 ほんの一瞬。 見落としてしまいそうな、本人ですら気付いていないような、一瞬だけ。 幼子の闇に、光が差した気がした。 それは、誰の願いとも、望みとも知れないものであったけれど。 END |
あとがき。 |
77777hitのキリ番踏んでくださった如月翡翠サマへ捧げます。 『悟空のシリアス話』ってことだったんですが、 名前が一度も出て来てねぇし(爆)。 ふと夜中に目覚めてしまった、というシチュエーションで。 不安になって、眠れなくなって、朝が来てほっとしている、みたいな(要約)。 キリ番申告ありがとうございますー! どぞ、困難で宜しければ貰ってやって下さい。 |
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