乾いた音が響いて、扉が閉まる。
足音が遠退いていくのを確認すると、
キャナルはひとつ溜息を吐いた。
元より『剣を破壊せし者』の名を持つ、
宇宙船の中枢が作り出したホログラフィである彼女に、
そのような動作は必要ない。
頬に手を当て、片肘を抱き寄せ、
如何にも困ったように装う必要など、どこにもないのだ。
けれど彼女は人間染みた、時には人間よりも人間らしい振る舞いを見せる。
「どうにも、駄目ですね」
「駄目、とか言うな」
ケインはぶすっとした、不機嫌な面持ちを向けるが、彼女にはどこ吹く風。
言いながら、分かっていた。
たった今、立ち去った少女が彼等に心を開いていないことなど。
開いたように見せかけ、けれど寸での処でするりとかわされる。
変わらぬ笑みは、境界線。
そこから先は踏み入ることが出来ない。
近付けば近付くほど拒まれ、その度に壊れそうに、崩れそうに、儚く映る。
きっと彼女は、倒れるその瞬間まで、
決して誰にも触れさせはしないだろう。
触れられるくらいなら、自分で道を断つだろう。
手を離してしまうことを罪悪に思えないほど、
わざとらしいくらいに汚い所を見せ付けるだろう。
決して誰も、あちら側に行けないように。
境界線は、予防線。
彼女もまた、何かを護ろうとしている。
何かに挑もうとしている。
どんな手段で、どんな想いでそれを成そうとしているのかは分からない。
ただ、生半な感情で突き進んでいる訳では無いのは織れた。
弾丸を篭める瞬間。
安全装置を外す瞬間。
的を見据え、手にした銀の銃の引き金を引く瞬間。
言い様の無いものに襲われる。
ほんの一瞬、眉を顰め、歯噛みする癖。
その先に一体何を、否、誰を見ていたのだろう。
その目には、何が映っていたのだろう。
ケインは黙ったまま、フォークを置いて立ち上がる。
「ケイン?」
怪訝そうに彼を見やり、その背を追う。
ご丁寧に足音までしている。
依然、口を閉じたまま、彼は廊下を歩いた。
一瞬だけ、キャナルが泣きそうな顔になったことにも気付かない。
心と等しいものを備えるこの船は、ヒトの感情にも敏感に出来ている。
投影される、と言えば如何にもコンピュータらしい。
わざわざ、その状態を口にし、投影していた昔は、とうに過ぎた。
―――FCSキャナルは、悲しみを理解、しました
きっと、今も同じ。
キャナルは今、『哀しい』。
何も出来ないであろうことが、解析され、結果を導き出す。
自分がヒトで無いことが、とても悔しい。
「ねぇ、ケイン」
優しく、呼びかける。
彼の隣に並ばず、後ろに付いて行きながら。
「美味しそうな林檎が、キッチンにありましたよ」
ようやくのことで、ケインは足を止めた。
キャナルもそれに合わせて立ち止まる。
「言っても伝わらないことって、あると思う」
言い聞かせる、とは違う。
説き伏せる、とも違う。
長く、彼の祖母と連れ添っていた船なのだから、
残り香でもあるのかもしれない。
例えるならば、昔語りでもしているような。
それはきっと、懐かしいと思わせる言の葉。
「でも、だからって、言わなかったら、結局最後まで伝わらないんだよ」
思い出す、遠い日の懐かしい風。
小さく灯る、ランプのような温もり。
憶えている。
「大事なこと、大切なこと。貴方、伝えた?」
いつだって、物怖じする背中を、ぽん、と押してくれた柔らかな―――…。
振り向かぬまま、ケインは口を開いた。
「お前は、織っているんだな」
何を、とは言わない。
言わずとも分かっている。
キャナルは小さく頷いた。
「…えぇ、織っています」
続けて、問うた。
「俺だけ、織らないんだな」
ほんの少し躊躇ったように、間が空く。
「はい」
それでも、是と彼女は頷いた。
「言う気は、無いんだろ」
「ありません」
きっぱりと告げられた答えに、ケインは気分を害した様子でも無く、
微かに振り向いた後、マントを翻して歩き出した。
表情は未だ、硬いものではあったけれど。
「…行って来る」
独り言のようで、けれど簡潔に告げられた台詞。
キャナルは嬉しそうに微笑み、もう一度頷いた。
「行って、らっしゃい」
ふわりと春色のドレスを靡かせ、少女は彼とは反対方向へと歩き出す。
穏やかな日々を願う。
闘いの無い、誰も傷付くことの無い、平和な日々の訪れを願う。
いつか、笑いあえる日を思い描く。
それが夢で無いようにと、願い、祈る。
「…どうか、お願い」
小さく小さく呟かれた声は、反響することも無く宙へと消えた。
抱いた身体は小さくて、細くて、簡単に手折ってしまえそうで恐かった。
涙を流すこと無く、謝りながら泣き崩れる彼女を、ただ愛おしいと思った。
失いたくない、そう、思った。
だから、この手を離した。
どんなに傷付けると分かっていても、自分から手離した。
自分勝手な我侭に、心に大きな洞が空いたとしても。
ただ、君を護りたかった。
END
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