「あいつ、どこに行ったんだ?」 まだ少年のあどけなさが残った有髪僧が、あたりをきょろきょろと見回す。 法衣に袈裟を纏っており、誰が見ても坊主だという事は分かる。 ただ、誰が見ても分からないのは、彼の年齢だろう。 元々童顔な所為もあるが、この時点で摩多羅神に呪いをかけられ、 あと50年はその顔のままなのである。 その摩多羅神曰く、 『若いままでいられるんだからいいじゃない』 だそうである。 彼――カイにとっては大迷惑な話である。 悪気があるのか、ないのか、良く分からない程度に振る舞われる為、 彼女の真意も分からないのも事実だ。 分かっているのは、カイはその摩多羅神に好かれており、 摩多羅神と婚約していると言う事。 常識ではありえないカップルである事は、彼が一番理解しているだろう。 「団子食いたいから買ってこい、って言ったのはお前だろ、テン」 ぼやくように、手の中にある団子に目を落とす。 摩多羅神――テンの姿は、彼のそばにはない様だ。 テンは普段、少女の姿をしており、巫女装束を身につけている。 普段は、ということは、その姿を変える事が出来るのだ。 今は、少女の姿をしているらしい。 彼は所在無なさ気に、近くの石のうえに腰を下ろした。 「どこ行ったんだか」 確かに、彼女が突然いなくなる事はある。 だが、必ず帰ってくるし、あえてカイはその理由を聞こうともしない。 今回の状況は特別だ。 何の前触れもなくいなくなる事はあっても、 何か頼み事をしていなくなるなんて事はない。 近くの茂みに気配を感じて、彼は振り返った。 そこにいたのは、心なしかテンの面影を残した少年だった。 手には扇子を持ち、それを開いて口元を隠している。 彼は、カイに優しく微笑みかけた。 「ハル…?」 「御久しぶりです、カイ」 話を聞けば、テンがいなくなったのはハルが頼んだ所為らしかった。 ちなみにハルは、実際に生きているわけではない。 言ってしまえば幽霊のような存在で、過去の人なのだ。 しかも、あのテンの息子だと言うのだから、カイも驚いた。 もっと驚いたのは、テンとカイの息子だと聞かされた時。 正しくはカイの前世、保名の息子、だが。 ハルの本名は安倍清明。 読み方はセイメイではなく、ハルアキだ。 そんな、頭に超がつくほどの有名人の親だったのだから、 カイが思わず喜んだのもうなずける。 実際は、ハルが陰陽術に長けている為、朝起こされるのに鬼に踏み潰されたりと、 決して楽な生活でもなかったのだが。 テンが摩多羅神になる前、辰狐だった頃は、葛葉と名乗り、保名と結婚した。 その後色々あって、保名の生まれ変わるほどの年月が過ぎた時に、 カイと出会ったのだ。 いつも計算高いテンだが、これは本当に偶然だったらしい。 会うつもりはなかったのだ。 「で?今日はどうしたんだ?」 「…母上様に、どこかおかしな所はありませんでしたか?」 「は…?」 突然の質問に、カイは一瞬呆気に取られる。 この場合、『母上様』と言うのはテンの事だ。 カイは保名の生まれ変わり、保名自身ではない。 だから、名前で呼ぶのだが、 テンは葛葉の頃から、生まれ変わってなどいないのだから母上様と呼んでいるのだろう。 「行動とか、言動が不自然だとか」 「テンの変は今に始まった事じゃ…」 そこまで言って、反射的にあたりを見回す。 どこでテンが聞いているか分からないのもあるが、 いつもなら、ここで蹴りの一つでも入ってくるのが常だからだ。 「母上様は近くにはいらっしゃいませんよ、カイ」 苦笑しながら、カイを見やる。 傍には、ね。 小さく呟いた声が、彼に聞えたかどうか。 安堵してため息をつき、ハルに尋ね返す。 「でも、何で?」 「そ、れは」 彼は、扇子で口元を隠し、口篭もる。 ハルにしては珍しい。 回りくどい言い方をする事はある。 笑いながら結局教えてくれない事もある。 しかし、口篭もるように、躊躇するのは見た事がない。 少なくともカイは、だが。 保名の頃の記憶はないのだから、仕方がない話だ。 「もうすぐなんです」 「何が?」 ハルの回りくどい言い方に慣れたのか、カイは辛抱強く彼の言葉を待つ。 意を決したように、パチンと扇子を閉じた。 「貴方が…父上様が、お亡くなりになった日です」 彼は、あえてカイとは呼ばずに、そう呼んだ。 思わず息を呑む。 ハルは、カイに向けていた視線を、自分の手元に落とす。 「どんな、気持ちなのでしょうね。自分の愛する人が死んで行くというのは」 カイは黙って、ハルの話に耳を傾けた。 「どんなに願っても人間にはなれない。例え、それより超越した存在だったとしても、 愛する人のいない世界が楽しいなんて、少なくとも、私は思いません」 扇子を持っていた手に、力がこもる。 ハルは目を閉じ、眉根を寄せた。 「でも、私も母上様を残して死んでしまいました」 ―――例え、そばにいなかったとしても カイは、頭を掻きながら、空を見上げた。 「…あのさぁ。」 「?」 ハルが彼の顔を覗き込むと、カイもハルに目線を合わせた。 「それはテンが一番分かってるんじゃねえの?」 「そうかも、しれません。ですが・・・」 「テンは、人間を好きになった時点から覚悟してたと思うんだ」 ハルの目がわずかに見開かれる。 「人間の命には限りがある。それは当然の事だ」 「…えぇ」 頷きながら、カイの話を聞く。 「だから、一生懸命生きようとするのも当然の事だろう」 「…?」 「ハルは、テンが嫌いか?」 彼は呆けた顔で、カイを眺める。 しかし、カイの表情は真剣そのものだ。 「いいえ、大好きです」 ハルのその返事を聞くと、カイは微笑んで彼の頭を撫でた。 「人は、その短い一生の中で一生懸命生きようとするし、一生懸命、誰かを愛そうとする」 カイは続けた。 「テンは、それが分かっていたんだ。お前と、前世の俺がテンを愛していたって。…愛されていたから、それで十分だったんだよ」 ハルは、自分の頭にあったカイの手を取り、俯いた。 ぽろぽろと、その瞳から涙が溢れる。 小さな子どものように。 「は、はうえ、さまっ…」 カイは手を解こうとはせずに、優しく見守るようにハルを見ていた。 ハルが消えて、しばらくするとテンが戻ってきた。 「お団子は?」 「お前、なあ」 呆れたように、カイは頭を抱え込む。 そんなカイの脇を通りぬけ、置いてあった団子を手に取った。 「ふぁに?」 もごもごと団子を口に運びながらカイを見やる。 「ただいまの一言くらい言ったらどうだ?」 テンは口の中のものを飲み込むと、にっこりと笑って口を開く。 「ただいまv」 「…おかえり」 カイの反応も何のその、テンは団子の串を一本取るとカイに向けた。 「はい、あーんv」 どう見ても、テンがカイに食べさせてあげたいと言っているようだ。 「自分で…」 そこまで言って、膝の裏側を思いっきり蹴られる。 ガクンと体勢を崩し、カイはうずくまった。 もちろん、痛みの所為もあったが。 「食べさせてあ・げ・るv」 最後にハートマークはついているものの、殆ど脅しのようだ。 カイは直感的にそう思った。 テンは、カイと同じように座り込み、団子を差し出している。 観念したのか、渋々と口を開く。 「うふふっ、おいしい?」 「あぁ」 テンから団子の串を受け取り、手で弄ぶ。 ふと、気付いてテンを見やる。 「なあ」 「何?」 「何か、機嫌良くないか?」 テンは、一瞬だけきょとんとしたが、いつものように笑みを浮かべた。 「知りたい?」 そして、カイの背中にのしかかる。 「!?」 「だってね」 彼女は、カイの耳元で小さな声で囁いた。 「貴方が私の事、とても分かっていてくれたから」 「な…」 カイの顔が見る見る紅潮していく。 「お…おま…っ、俺達の会話聞いて…ッッ!!?」 傍にない存在の会話を聞くなど、摩多羅神には他愛もないこと。 必死で意見しようとするが、口が追いつかない。 テンはくすくすと笑いながら、カイの背中から離れる。 「前世の貴方は私を愛してくれたのよね。それなら、今は?」 わざと、テンはかがんで、カイの顔に自分の顔を近づける。 真っ赤な顔で、カイはテンから離れた。 (こいつ、わざとだな…っ!) 「ね、カイ?」 「……だよっ」 「え、なあに?聞こえないな〜」 大袈裟に耳に手を当て、再度カイに詰め寄る。 「好きだって言ってるだろっ!!」 大声で怒鳴るような彼の声に、テンは耳を押さえる。 しかし、どこか楽しそうだ。 「愛してるって言ってくれないの?」 彼女の様子に、言葉に詰まる。 でも、とテンは言葉を繋げた。 「今日は、これで勘弁してあげる♪」 どうやら、カイは摩多羅神に解放されたようだ。 優しすぎる愛情も、時には苦しかった愛情も、 全部、私を愛していてくれたから。 貴方達に出会えて良かったって、ずっと、ずっと思ってた。 今もそう。 貴方に出会えて良かった。 会えない苦しみよりも、共に生きる苦しみを私は選んだの。 「カイ」 呼ばれると、彼は俯いていた顔を上げた。 「覚えていてね。あたしはいつでも貴方を愛しているわ」 カイは、彼女の大人びた表情に言葉を失う。 ―――愛している 「嘘じゃ、ないからね」 「テン…?」 ふっと、彼女はカイと同じ歳くらいの女性に姿を変えた。 あくまで、外見がカイと同じ歳くらいだ。 立ち上がったカイの懐に、静かに顔を埋める。 「貴方と出会えて良かった」 保名、将門、かつて愛した人達。 でも今は…。 「…カイ」 彼女は愛しい人の名を呼んだ。 今、愛しい人の名だけを。 過去でも、未来でもない。ここにあるのは現在なのだ。 それを自分自身で確かめるように。 END あとがき 小説を更に小説化するという、無謀な事をしてみました(笑)。 この姫神さまシリーズは、私が、一番好きな藤原先生の作品です。 イメージを壊したくないので、書くのは止めようかとも思ったんですけど、結局書いてしまいました。 テンちゃんは、長く生きてきたからそれなりに、いろんな事を考えてきたんじゃないかと思ったのです。 テンちゃんになってから泣いたのだって、見た(読んだ)事ありませんし。 泣かないって、つらいんですよね。 強いとか、そんな一言で終わらせられるような簡単な事ではないと思います。 |