Make a Fire |
奴隷解放にも似たソレは、私達の居場所を簡単に奪い去った。 路銀程度のはした金を、店から渡された。 「一体、どこに行けばいいってのよ」 遊郭の花魁達は、行く当ても無く路頭に迷った。 そのまま身を売る者。 まっとうに働こうとする者。 死を選ぶ者。 その行く末は様々だった。 酒を煽って、軽く朱に頬を染めながら夜道を歩く。 ここ最近の由美の日課だった。 遊郭を追い出されて以来、酔いつぶれることが多かった。 渡された金もそれなりにしか無かった為、古い長屋に居を置いた。 後は、適当に稼いで過ごしていくしかなかったのだ。 「なぁにが、犬畜生と同じよぉ」 火照った顔を煽ぐ。 持っていた巾着をくるくると振り回した。 ―――冗談じゃないわ ギリ、と歯噛みする。 途端。 聞えてきた罵声。 「待てッッ!!」 目の前を、物凄い速さで警官が走っていく。 警官といえば、居場所を奪った政府の管轄下。 由美は彼らを見ただけで嫌悪感に襲われた。 邪魔してやろうか。 ふと、思いついた。 けれど、その思い付きが彼女の一生を左右するものになることを織らずに。 誰かを追いかけているのは分かった。 視線を奥に投げても、先には暗闇が広がるばかりで、何も見えない。 分かるのは、足音ばかりだ。 「志々雄さん、そろそろ殺りますか?」 走りながら、少年は共にいる男へと問い掛ける。 志々雄というのが男の名前らしい。 「そうだな。数も増えてきたようだし」 楽しくなりそうだ。 そう呟いた。 ニィ、と笑い、男は邪悪な氣を漂わせた。 組み合わせも妙だが、出で立ちも普通ではなかった。 全身包帯だらけで、腰から刀をぶら下げている男。 少年はそれを気にも留めていない様子だ。 やっとのことで目が慣れてきて、由美は2人を繁々と眺めた。 「何なの、アレ」 しかし、苛立ちの方が先立ったのだろう。 素早く彼らの先に、裏道から回りこんだ。 「ちょっと、お兄さん方」 小さく囁く。 ひらひらと手招きして、自分の部屋へと誘い込んだのだった。 一寸ほど障子を開けて、外の様子をうかがう。 どうやら、完全に撒いたようだ。 「もう、大丈夫みたいよ」 くるりと振り返り、志々雄たちに教える。 「ありがとうございます、おばひゃ…」 少年はにっこりと微笑み、礼を言った。 最後まで続かなかったのは、由美が彼の頬をつねり上げたからだ。 「『お姉さん』、でしょ?」 だが、当の本人は礼どころか、笑いもしない。 「何のつもりだ?」 偉そうに座り込んではいるが、警戒心を解こうとはしない。 とは言え、がっちりと自分を護っている風体ではない。 例えるならば、邪魔なものがあれば容赦なく斬り捨てる、 そんな類の人間のようだった。 「別に?ただ、アイツらに厭ガラセしたかっただけよ」 少年から離れ、上がり口に座り込む。 宙を仰ぐように、そのまま倒れこんだ。 「私、花魁だったの。知ってるでしょ?例の事件」 ぽつり、ぽつりと話し出す。 初対面の人間に話したとて、どうにもならない。 分かっていたのだが、何故だか口をついた。 志々雄は聞いているのかいないのか分からないが、ただ黙っている。 「…『復讐』を望むか?」 見上げて、彼と視線を絡める。 くす、と微笑んだ。 「さぁ?」 まだ酔いがさめていないのだろう。 意識がぼんやりとする。 「ね、お兄さん」 見れば、いつのまにか少年は志々雄の傍に寄り添っている。 「貴方、悪いヒト?」 聞き覚えのある台詞に、志々雄達は、ふ、と笑う。 そうして答えた。 「あぁ、極悪人だぜ」 不敵に笑う彼に、織らず由美の胸は高鳴る。 起き上がって、彼女は微笑んだ。 「そう」 軽く目を伏せて、口を開く。 「良かった」 言った時、初めて彼が笑った気がした。 迂闊に出回ることに飽きたのか、志々雄はここに世話になると言い出した。 利用できるものは利用する。 それが彼の信条だ。 もし、裏切るようなことがあるなら殺せばいい。 ただそれだけのこと。 「俺の名は志々雄真実。こっちは宗次郎」 礼儀としてなのか、彼は名乗る。 宗次郎と呼ばれた少年はにこ、と笑う。 先ほどから、笑った顔しか見ていない気がした。 「私は…駒形由美」 漠然と襲い来る、感じたことの無い熱。 言い表せない感情に、由美は戸惑う。 ―――志々雄、様 彼の名を胸中で呟いてみる。 自分が元花魁だと織ると、いやらしい目で見たり、 汚いモノでも見るような目をしたり、そうされるのが常だった。 だが、彼は違った。 自分以外の人間には興味が無いのかもしれない。 それでも、『由美』という人格を認めてくれた。 遊郭の人間でもなく、落伍者でもなく。 1人の女として。 何者をも信じてはいなくて。 自分しか信じてはいなくて。 けれど、その強い瞳に惹かれた。 『どうして、警察に追われていたのか』 その理由を聞くことさえ、忘れてしまうくらい。 どうしようもなく、惹かれた。 一目惚れというのだろうか。 今まで信じたことなど無かったが、実際ここにある感情は正にそれだった。 彼らを家に置くに当たって、 とりあえず、着物をどうにかしなければならないと思った。 宗次郎の着ている者もそうだが、不衛生極まりなかった。 志々雄は全身包帯で、不衛生などもってのほかだと感じたらしい。 日雇いの仕事で稼いできては、彼らに必要なものを用意した。 貢いでいると感じることは無かった。 何と言うのだろう。 こう、母親のような気分だったのかもしれない。 決して苦にはならなかった。 変わった事と言えば、 宗次郎が時々、ふらっといなくなることがあった。 志々雄が気にしていないということは、恐らく、外の情報を集める為だろう。 彼自身が外に出れば、騒ぎになるどころではすまない。 宗次郎であれば、子どもであることに油断するし、警戒もされない。 情報収集にはうってつけだったようだ。 その日も、遅くまで宗次郎は長屋に戻らなかった。 由美も、それほど気にならなくなってきていた。 だから、いつもの様に志々雄に身を委ね、抱かれていたのだ。 中から微かに聞える嬌声に、宗次郎は入りかねていたとも織らずに。 (…邪魔、ですよね) もう少しして帰って来よう、思うと同時に長屋から離れた。 ガラガラと馬車が走っていく。 宗次郎は顔を上げて、ソレを見送った。 「こんな場所に、何の用事かな」 馬車なんぞを使うような人間といえば、金持ちか、政府の人間か。 はたまた、士族や華族。 それなりに位を持つ人間だ。 由美の長屋があるこの辺りは、そんな人間が足を踏み入れるには、 不自然極まりない場所である。 感づかれないように、ゆっくりと足取りを馬車の方へと転換した。 夜闇の中、幼い少年の姿が吸い込まれるように消えていった。 馬車は、ある長屋の前で止まる。 何事かと、顔を覗かせる輩もいない。 面倒事には関わりたくないのだろう。 馬車から降りた男は、中年で、太った体躯をしていた。 目は濁ったような錯覚さえ起こすくらいに、曇っている。 運転していた青年に待つように言って、用心棒らしい男と2人で歩き出す。 長屋の部屋のうち、1つの障子を叩いた。 面倒臭そうに声が帰ってきた後、障子が開く。 出てきたのは、由美であった。 (由美さんにご用事、ですか) 遠目に宗次郎は眺めながら、事の様子をうかがう。 わざわざ、姿を晒す必要などないかもしれない。 志々雄と違って、配慮はする。 逃げ隠れるよりも、襲ってきた人間を皆殺しするような子どもではあったが。 「何の、ご用ですか?」 由美は、素早く外に出て障子を閉めた。 居心地が悪そうなことは、様子から見て取れた。 「ご挨拶だな、由美」 中年の男は、いやらしい目つきで、彼女を舐めるように眺める。 視線で汚される思いがして、由美は睨んだ。 「そんな目で見るな。ワシはお前を身請けしようと来ただけだ」 「身請け、ですって?」 頷き、下卑た笑みを浮かべる。 後ろにいた男に、トランクを開かせた。 中にはぎっしりと札束が入っている。 「あの遊郭が倒れて以来、ずっとお前を探していたんだよ」 憶えている。 何度も足繁く通ってきた男だ。 何度も抱かれた男だ。 「ワシのところに来るだろう?」 ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、由美を見やる。 由美はゆっくりと、トランクの札束に手を伸ばした。 幾つか掴むと、男は一層笑いを深くする。 だが。 ――――バサァッッ!! 由美は躊躇うこともせず、男に投げつけた。 金を束ねていた紙が千切れ、バラバラに舞う。 「莫迦にしないで欲しいわね」 彼女の笑みは、夜闇に映える妖艶さを纏っていた。 「もう、私は花魁でも何でもないの」 ジャリ、と足元の金を踏みつける。 「でもね」 口元に笑みを浮かべ、睨む。 「こんなはした金じゃ、私は買えないわ」 莫迦にされたことが癪に障ったのか。 顔を真っ赤にして怒鳴る。 「甘い顔をしておれば、いい気になりおって!!」 由美の白い腕を掴み、無理矢理引き寄せようとする。 「痛…ッ!」 その痛みは、長く続かなかった。 『何か』が斬れる音がして、ボトリ、と『何か』が落ちた。 一瞬、何が起こったのか分からなかった。 ただ、生ぬるい液体が、頬を伝う感触だけが残っている。 「…え…?」 直後に響いたのは、男の悲鳴だった。 「ぎゃあぁぁぁあッッ!!」 由美を掴んでいた腕を抑えながら、言葉にならない言葉を叫んでいる。 「腕が、ワシの腕がぁッッ!!」 段々と目が慣れてくると、足元にあるのが男の腕だと分かった。 畏れなど感じない。 ざまぁみろ、と嘲る感情が渦巻いた。 ふと横を見れば、短刀を構えた少年の姿。 「汚い手で、そのヒトに触らないで下さいね?」 にこ、と微笑んだまま、血の滴る短刀を薙ぎ払う。 後ろから襲い掛かろうとしていた用心棒の上半身と下半身が、 真っ二つに分かれた。 悲鳴をあげる暇も無く、肉塊へと変じる。 真っ赤な水溜りは、白い月を映し出した。 「ワシに手を出せば、どうなるか分かっているのか?!」 「おしゃべりなヒトは嫌われるって織ってます?」 言うが早いか、宗次郎は男の眉間に刀を突き立てた。 ゴリ、と鈍い感触が手に伝わってくる。 頭蓋骨を貫いたのだろう。 真っ赤な血に染まり、微笑む少年の姿は、狂気を招くほどに美しかった。 呆然と、その様子を眺めている由美の背後から声がかかる。 「由美」 振り向くと、志々雄の姿。 「俺達が追われている理由を教えていなかったな」 目の前の風景を気にも留めずに、彼は微笑う。 「もう一度、『動乱』を起こすためだ」 僅かに見開く瞳。 由美は息を飲んだ。 「『政府』を地獄に陥れる」 ヒュ、と宙を薙ぎ、宗次郎は短刀の血を払う。 鞘に刀を収め、志々雄に並んだ。 「どうだ。一緒に来るか?」 気付けば彼の手を取っていた。 「…はい、志々雄様」 一生、付いて行こうと思った。 この人の夢に。 だから、その為にこの身が犠牲になろうとも、構わなかった。 「由美は、一足先に…地獄で、お待ちして…おりま、す」 最期に見たのが、あの方の穏やかな顔。 私は、それだけで倖せだった。 だから、微笑って逝けた。 全てが始まったあの夜を、私は後悔などしないだろう。 狂気の月が浮かぶあの夜に、心から感謝するだろう。 END |
あとがき。 |
結構昔に、ノートに走り書きした漫画タイプを小説にしたもの。 別に、嫌いじゃないんですよね。この2人。 剣心と違う生き方をしたヒトたちなだけで。 彼らには彼らの唱える正義があったわけだし。 |