夢を見た。 未だ、父も母も在った頃の夢。 他愛の無い話で笑いながら、食卓を囲んで。 温かく点った蝋燭の炎は、優しく揺らめいていた。 とても、とても、倖せな夢。 |
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衣擦れの音が耳に届く。 息を漏らして、胎児のように丸くなった。 瞑っていた目をゆっくりと開けば、 シーツの海が波を作って漂っている。 ぼんやりと起き上がり、幾度か瞬きを繰り返した。 すぐ後に、目覚ましのアラームが鳴り響く。 自分でも意識していない程の呟きが漏れた。 「厭な夢」 喧しく鳴り続ける目覚ましを乱暴に叩くと、 ミリィは、そのままベッドへと再び倒れこんだ。 起きなくてはいけないと分かっているのに、 どうしても起き上がる気にはなれなかった。 遅くなりすぎた朝食は、殆ど昼食へと変わっていた。 ミリィが乗っている船の主は、1人で簡単な朝食を済ませたのだと、 メインコンピュータの少女から聞いた。 「ゴメンね、昨日夜更かししちゃって」 料理の乗った皿を並べながら、笑いながら謝る。 「反省の色が見えねぇな」 「ゴメンってば」 ミリィの持っていた皿から、料理を指で摘んで口に放り込む。 「行儀が悪いですよ、ケイン。そんな子に育ったなんて、キャナルは哀しいです」 言いながら、キャナルはその手をぺしりと叩き堕とす。 叩かれた手の甲を摩り、生返事を一応しておく。 納得の行かない表情で溜息を付き、キャナルはミリィの手伝いを再開した。 席に着いて食事を始めるも、口を開いているのは専らキャナルとケインだ。 適当に相槌を打つが、彼らの会話の中身は全く入って来なかった。 不味いなぁ、とミリィはひとりごちる。 「ミリィ?」 不意に視線を落とした彼女に、キャナルは目聡く気付く。 「どうかしました?体調が優れませんか?」 「ううん、別に…」 言いかけて、首を振る。 ナイフとフォークを皿に置くと、気まずそうに顔を上げた。 「…やっぱ、そうかも。部屋に戻るわ。あ、そのままにしておいて良いよ。起きてから片付ける」 忙しなく席を立ち、ミリィは部屋を後にした。 呼び止める暇すら与えなかった。 廊下を歩く時の足音すら耳障りに感じる。 焦っているのが分かる。 駄目だ、駄目だ、駄目だ。 忸怩たる思いが拘泥し、その中へ彼女を引き込んでいく。 唇に指で触れてみるが、すぐに強くその手を握る。 「味、しなかった」 ぽつり、と零れた。 「不味いなぁ」 渇いた笑いを浮かべ、その自分に苦笑する。 疲れた時や落ち込んだ時は、美味しい物をたくさん食べて元気を出す。 いつも、口癖のようにして言っていた。 けれど、それを口にしながらも、自分の矛盾に気付いていた。 そういう時に限って、何を食べても味がしなくなる。 美味しい物とは何だったのか、思い出せなくなる。 混沌とした不安が襲って来ると、 頭を抱えて蹲って、それが過ぎるのを待った。 一生懸命思い出そうとすると、 決まって浮かんで来るのは、家族と過ごした倖せな食卓。 どんな料理でもご馳走で、嬉しくて、楽しくて、美味しかった。 思い出した直後、鏡が割れるように罅割れる映像。 紅く染まり、黒く潰れていく。 覆い尽くす、虚ろな感覚。 ―――怖い 訳も無く、感じる恐怖。 自分が犯した罪ではないのに、贖いたくなる罪咎。 身体を流れる血が、それらの宿業から決して逃さない。 ―――何故そのような処にいる、ミレニアム いつか会った見織らぬ男がそう、漏らした。 言われた瞬間、心がざわめき、背筋が凍った。 何も無い風を装うのが精一杯だった。 彼の傍に居るのは相応しくない。 漠然と感じていたものが、形を成した。 そうだ、きっと。 「私は、ヒトを殺す」 部屋に戻るなり、ベッドに倒れ込んだ。 言い様の無い疲労感が、どっと押し寄せる。 枕に顔を埋め、何度も打ち付けた。 空気が抜ける音が零れるのと同じに、 時折、枕から羽毛が舞う。 「相応しく、ない」 強く歯を食い縛れば、つられるように眉根もきつく寄った。 開いた手が、一瞬紅く染まって見える。 目を見張るようにして睨む。 握って開いてを繰り返せば、それは何の変哲も無い常の手だった。 想いだけが見せた幻は、もう1つの想いがあるからこそ感じたもの。 ミリィは自分の想いに名を付けようとはしなかった。 かと言って、強く突き放し、自分から離れることも出来なかった。 意気地無し、と自分を罵ってみても、現状が変わるわけではなかった。 今の状況に甘えている。 居心地の良さに、自分のこれから犯すべき罪を忘れてしまいそうになる。 いっそ、忘れてしまいたかったのかもしれない。 何も無かったことにして、全てを委ねてしまいたかったのかもしれない。 けれど、無かったことには出来ない。 目の前で、ヒトが息絶える瞬間を。 返り血で、己が身が紅く染まる光景を。 その時覚えた、慄然たる憎悪と恐怖を。 本懐を遂げるその時まで、どんなことがあっても生き抜こうと決めた自分自身を。 無かったことにしてしまえば、 それまで自分を作り上げてきたもの全てを否定することになる。 実弾を込めた銃の重さを、今更、手放す訳には行かない。 引き返すことなど、赦されない。 「ミリィ」 ドアの向こうから呼ばれて、顔を上げた。 無言でそちらを眺めていると、 彼女の返事を待たずにドアが開く。 「まだ具合が悪いのか?」 ミリィが起きているのを確認し、ベッドの脇に腰掛けた。 彼女は起き上がる気配は無かったものの、 ケインをぼんやりと眺めている。 無気力に思えた。 「これなら食えるだろ」 ナプキンを被せたトレイを示し、ベッド脇のテーブルへ置く。 それを取れば、見慣れた果物が並べてあった。 丁寧にひとつひとつウサギを模された切り方に、思わず苦笑する。 「林檎」 添えられているフォークで1つを刺す。 ミリィの口元に近付けた。 「ほら、口開けろ」 幾度か瞬きをして、彼女は起き上がる。 「自分で出来るわよ」 ケインの手からフォークごと取ろうとして、交わされる。 「病人は大人しく言うことを聞いてろ」 「本気にはしてないくせに」 もう一度手を伸ばして、今度こそ彼の手から林檎を取った。 「さぁ、何のことやら」 嘯いて、溜息を吐く。 彼は、彼女の仮病など分かりきっている。 それは確信していた。 先程の食卓での会話も、何気ない風を装っていても、 お互いに違和感を感じていた。 そのような場の雰囲気を造っているだけだ、と。 「都合の良い」 「どっちが」 手の中にある林檎には口を付けずに、フォークの柄を撫でた。 目を細めて、自嘲気味に笑う。 「…私かも、ね」 林檎を口に運び、一口だけ齧った。 咀嚼する前に、彼女は僅かに目を見開く。 ゆっくりと咀嚼して飲み込む。 ただ、黙り込んでしまった彼女を怪訝そうに覗き込んだ。 「何だ」 一口齧っただけの林檎を皿に戻すと、 彼とは視線を合わせないまま、呟いた。 「美味、しい」 口元を抑える。 何処か驚いている感を覚えなかった訳では無いが、 ケインはそれには触れなかった。 「そりゃ良かった」 ゆるゆると首を振り、搾り出された声は微かに震えていた。 「違うの、そうじゃなくて」 ―――駄目だ ミリィは胸元を強く抑え付ける。 泣きたくなる想いを、抑え込む。 「そうじゃ、なくて」 ―――駄目だ サイレンが頭の中で鳴り響く。 怪訝そうに眉を顰める。 何故だろう。 彼女の姿は追い詰められているように見えた。 事実、そうだったのかもしれない。 「?」 けれど、もう逃げられない。 想いが溢れて、零れ出す。 張り詰めていたものが、音を立てて弾けた。 ミリィは縋りつくように、彼の胸に倒れ込んだ。 肩口に額を押し付けて、表情はケインからは覗えない。 「美味しい、の」 震える声音は、何処か畏れを抱いている。 必死になって抑え付けていたものが、壊れ始めている。 「ミリィ?」 突然抱き付いてきた彼女を宥めるように、優しく背中を撫でる。 彼の背中に腕を回し、ミリィは彼の胸に顔を埋めた。 「ゴメン」 くぐもった声で、漏らされた謝罪。 何を謝るのか、分からなかった。 「ごめんなさい」 縋り付く指に力が篭る。 きっとそれは、何よりも強い言霊。 『愛している』よりも深い、想いの言の葉。 謝罪の言葉は、謝罪ではない。 彼女の紡ぐ言の葉は、その通りの意味を成していない。 けれど、繰り返す。 「ごめんなさい、ケイン」 言を交わす度に想いが募った。 共に行動する度に、愛おしさが締め付けた。 その度に、赦されないのだと、相応しくないのだと、自分に言い聞かせて。 彼が自分を想ってくれているのだと織った時、現実に引き戻された。 駄目だ、駄目だ、駄目だ。 私のような人間が、彼に想われて良い筈が無い。 私のような人間が、彼を想って良い筈が無い。 ―――お前の居場所は其処ではない 遠い昔、誰かに言われた。 何度も、何度も己が身に刻み付けた。 彼を想う感情に、名前を付けようとはしなかった。 けれど、それは無駄なこと。 「ごめんなさい」 募る想いは、止め処無く。 「…うん」 溢れるしか、無かったのだから。 ―――貴方を愛してしまって、ごめんなさい 繋がる絆と、離れる絆。 出会いがあって、別れがあるように、それらは2つで1つ。 やっと結ばれた絆は、強く想うが故に断ち切られた。 ターミナルに響く宇宙船の発進音。 その常識織らずに腹立たしさを覚えながら、ミリィ顔を上げた。 横切ったのは、よく見織った1隻の船。 「…何よ、それ」 けれど、見送った後に生まれた感情は、今までとは全く異なっていた。 前向きとも言える純粋な怒り。 追いかけて、掴まえて、死ぬほど後悔させてやる。 失って気付くのでは遅い。 ならば、気付く前に分からせてやる。 誰かに執着するのも初めてならば、 そうまでして手に入れたいと想うのも初めてだった。 このような状況だと言うのに、何処か楽しんでいたのかもしれない。 二度と会えないとは、欠片ほども思わなかった。 絶対に見つけ出せると確信していた。 何故かと問われても、理由など分からない。 ただ、想いの強さが、そう叫んでいた。 神すら織らぬ、廻り行く星の軌跡を描いて。 END |
あとがき。 |
良かった、終わった! 毒吐きまくりミリィでスミマセンでした!(笑) この時の、ケインサイドも書きたいかなぁ。 |
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