初春





不機嫌になる理由なんて、幾らでもあるワケで。
まぁ、些細だの、何だの様々で。
だがこれは、怒っても良い部類に入るのでは無いだろうか。
眠たい目を擦り、中々起き出せない思考回路をフル回転させながら、
かごめは胸中で頷いた。
「…こんな夜中に起きろって何よ」
「良いから、行くぞ」
超絶不機嫌な声を絞り出し、もそりと起き上がったかごめが、
眼前の少年をねめつける。
どう見てもひとでなしである姿が、
薄らとした月灯りの中、白く浮かび上がる。
頭上の銀髪の合間に覗く耳は獣のそれで、
紅く染まる衣は、平安の狩衣を思い出させる。
半妖。それが彼を彼たらしめる呼び名。
妖かしとヒトが結ばれ、成された結果。
それを禁忌と呼び、忌み嫌ったのは今も昔も同じこと。
そのような容姿をした彼は謝るどころか、気にした様子も無く少女を促した。
ますますかごめの機嫌は氷点下に近付いていく。
「だから、何処に」
薄暗い部屋の中、カーテンの隙間から変わらず月明かりが差し込んでくる。
今現在、冬真っ只中。
寒い気がするどころの話じゃ無い。
寒い。すこぶる寒い。
夜着で、布団の中に潜り込んでいたかごめにとっては、
南極に居るのではないかと思うほど寒い。
それもそのはず、閉めていたはずの窓は大きく開き、時折、カーテンが夜風に弧を描く。
「あっち」
完結に述べられた回答に、とうとう少女の堪忍袋の緒がブチリと切れた。
「…アンタ、ねぇっ!!」
冬はつとめて、と清女の君は綴っていた。
その様がいとをかし、と。
確かに、霜が降っている庭は寒いにしても幻想的であるし、
雪などが薄らと積もっていれば、それなりに心が躍る。
嫌いではない。
だがそれは、決してこのような状況下では無いはずだ。
犬夜叉の横に垂らされた白銀の髪を掴み、強引に顔を寄せる。
寝起きが悪い人間など、ざらに居る。
それはあるとしても、真夜中に叩き起こされれば、大抵の人間が腹を立てる。
というか、キレる。
それらを踏まえた上で、彼女の立腹は筋が通っている。
「イキナリ、女の子が寝てる部屋に来といて、あまつさえ叩き起こしておいて、詫びの一つも無いワケ!?」
普段の彼女を考えるのならば、夜中に大声を出したりしない。
他の人間が起きてしまうと気を遣う。
そう、この場合の欠点はと言えば、睡魔によって理性が殆ど失われ、
思考回路が正常に作動しないこと、なのである。
「後で幾らでも謝ってやらぁ!時間が無ぇからさっさと支度しろ!!」
しかし、これもまた気の強いもの同士では、多々起こりうる事象。
怒鳴るかごめに、犬夜叉も怒鳴り返す。
彼の場合は意識がハッキリしている所為か、普段よりはまだ声音を落としていたが、
少女がそれに気付く様子など微塵も無い。
「ちょっと、逆切れ?!あぁもう、何だって言うのよ!折角の新年、こんなコトで始めたくないわ!!」
暦の上では、つい数時間前であった昨日と呼ばれる1日が大晦日。
午前5時を回った今現在は元旦、新年と呼ばれるものとなる。
まだ明けやらぬ空を見上げ、時間を確認しなかったかごめが夜中と言ったのは頷ける。
除夜の鐘を聞き、年越し蕎麦を食べて、
風呂に入ったり何だのと、布団に入ったのは3時過ぎ。
寝入った時間はほんの僅か。
本当なら、昼に近い朝に起き、神社の参拝客が一段落した頃に、
バイトの巫女さんたちに後を任せ、家族揃って雑煮と御節をつつく。
その予定だったはずだ。
目の前のイレギュラーである犬夜叉を睨みつけ、
少年を鎮める為の言霊を発動させようと口を開きかけている。
それを遮り、少年は焦ったように叫んだ。
否、事実最初から焦っていたように思う。
「だからさっさとしろって言ってんだろ!あぁ、もう良い!!」
一向に支度をする様子の無いかごめに、
緋衣を上着代わりに被せようと己が襟に手を掛けた。
銀髪を掴んでいた少女の手首を、反対に掴んでそこから遠ざける。
がちゃり、と金属がぶつかる音がして、部屋のドアが開いた。
「姉ちゃん、さっきから何騒いでんのさ。僕、さっきやっと寝たばっか…り…」
「草太」
幼い弟に気付き、かごめはそちらを見やる。
眠たそうに目を擦りながら、苦情を口にしていたかと思えば、
草太は凍ったように固まり、勢い良くドアを閉めた。
顔が紅かったのは気の所為だろうか。
「…ぼ、僕、何も見てないからっっ!!」
は?と返す間もなく、ばたばたと忙しない足音が響き、
向かい側の部屋のドアが大きな音を立てて閉まるのが聞こえた。
考えてみれば、最近のテレビドラマなどは簡単に子どもの目にも付きやすく、
2人の様子を大いなる勘違いの下に見てしまったのは致し方の無いことなのかもしれない。
つまる所、簡単に言ってしまえば、そう、誤解だ。
「何だ、今の?」
「さぁ?」
首を傾げてみるが、一向にそれをアレだと理解する様子は見当たらない。
そもそも当人達にそのつもりなど一切無いのだから、
当たり前と言えば当たり前なのだが。
兎に角、犬夜叉は無造作に少女に緋衣を被せると、
そのまま軽々と抱き上げた。
「え、ちょっ?!」
慌てて抗議の声を上げるも、どうやら通用しそうに無い。
「口閉じて無ぇと舌噛むぞ」
言うが早いか、窓枠に犬夜叉は足を掛けた。
身軽に2階の部屋から1階へと飛び降りる。
怪我などするはずも無い。
土の上にたす、と乾いた音が染み込む。
降り立った足を軸足にして、神社の隅にある祠へと駆けた。
開かれたままの格子戸がきし、と鳴る。
古めかしい造りの井戸が暗闇の中、目に入った。
釣瓶は見当たらない。
水の気配も、無い。
そうして、そのようなことは重々承知している。
それはあちらとこちらを繋ぐもの。
こちらとは『現代』と呼ばれる21世紀の日ノ本であり、
あちらとは『戦国』と呼ばれる古の日ノ本。
時を越え、行き来する為のあるはずの無い扉がここにある。
あってはならないはずの扉がここに、ある。
それもまた、古より今へと、ここにある『未来』へと繋げる為に必要な楔。
犬夜叉は一足飛びに、その井戸へと飛び込んだ。
紅い衣が翻る。
振り落とされないように、かごめは犬夜叉の首に回した腕に無意識に力を込めた。
一瞬よりほんの少しだけ長い、何とも言えない浮遊感。
何度体験しても、不可思議な感覚が残る。
犬夜叉が軽く膝を曲げ、高く跳躍する。
煌めく月の光が、彼の髪を撫でるように照らした。
井戸から飛び出し、大地に足を着けると再び駆け出す。
「ねぇ、一体何なの?!」
耳元を通り過ぎる風に掻き消されないよう、かごめは叫ぶ。
先程から、彼は一言たりとも説明しようとはしない。
舌を噛む、と言われたことふと思い出し、仕方無しに口を噤んだ。
連れ出されたその瞬間に、怒りなど吹き飛んでしまった気がする。
何時の間にか、怒りは好奇心へと姿を変えていた。
少しすると、見覚えのある高い杉が映った。
常緑樹のはずのその木は、枯れかけているのか、或いは既に枯れているのか、
枝に緑を茂らせることも無く、裸同然でそこに聳えている。
いつも、幾らか太めの枝に留まる緋色を見上げて、名を呼ぶ。
時には、心がここに無いことに不安を覚えながら、呼ぶ。
必ずこちらを向いて、ぶっきらぼうに返事をしてくれるのを織っているから。
振り向いてくれるその表情に、言いようのない切なさを憶える時もあるけれど。
考えてみれば、同じ高さから戦国の村を見下ろしたのはたったの一度きりだ。
かごめを抱えたまま、犬夜叉は枝から枝へと飛び移り、
一番高い幹の上で少女を降ろす。
「…間に、合った」
ぽつり、と漏れた呟き。
かごめは不思議そうに少年を見上げる。
「犬夜叉?」
不意に、目の端に眩いものが映った。
橙色の、温かく、力強い光。
「夜明けだ」
指差された方向へ顔を向けると、空が白み始め、
ゆっくりと橙色に染まって行く様が目前に広がる。
山々の端が一瞬白く染まり、立ち消え、深い緑を震えさせた。
「初日の出…」
感嘆の声を漏らし、かごめは白く染まった息をほう、と吐き出す。
美しい、と言う形容すら滑稽な雄大で壮大なその様を、恍惚と眺めた。
どかり、と少女の隣に腰を下ろし、犬夜叉は照れ臭そうに目を逸らす。
「…一緒に見たかったんだ、悪ぃかっ」
非道く言い難そうに、事実、普段そういう台詞を吐くような性格ではない彼が、
たまに真っ直ぐにぶつけてくる言葉は非道く擽ったい。
擽ったくて、頬が緩む。
顔が綻ぶ。
「ううん、嬉しい」
微かに頬を染めて微笑む少女に、心臓が高鳴るのを必死で堪える。
抱き締めてしまいたい。
手を伸ばしかけ、いきなり顔をあげた少女の動作に驚き、引っ込める。
「折角だから、合格祈願!御利益ありそうじゃない?」
「お前、な」
呆れたように、じとりと半眼で睨む。
諦めて日の出を眺め、溜息を吐いた。
ことり、と肩に微かな重みを感じる。
視線を向ければ、うつらうつらと船を漕ぐかごめの姿。
そう言えば、叩き起こしたことに散々文句を言っていた気がする。
「こんなとこで寝たら落っこちるぞ」
聞こえているのかいないのか、曖昧な言が返って来た。
冗談半分で、こっちに来るかと尋ねてみれば、
かごめは素直に犬夜叉の腕の中にすっぽりと収まる。
抱き締めるようにして枝の上に掛け、
完全に安全圏と認識されている己が身に、ほんの少し情けなさが込み上げた。
頬に掛かった髪を払ってやれば、かごめは微かに身じろぎをする。
肌の柔らかさに、少なからずたじろいだ。
自然に。
本当に自然に。
犬夜叉はかごめの頬に手を当てたまま、ゆっくりと顔を近付た。
少女の顔に翳りが出来る。
「…ん」
唇が触れるか否かの直前で、少女の目が開いた。
思わず身体を強張らせ、顔を遠ざける。
冷や汗がどっと噴き出た。
しかし、かごめは夢現といった様子で、
ぼんやりと犬夜叉を見つめると、ふわっと微笑った。
「忘れてた」
「へ?」
紅いのか蒼いのかハッキリしない犬夜叉の胸へと手を置いて、
軽く背伸びをした。
瞬間、唇に触れる温かいもの。
未だ状況把握できない少年が、固まったままかごめを見下ろす。
「今年も、宜しくね」
虚ろな瞳でもう一度微笑み、犬夜叉の腕の中へとゆっくりと倒れ込む。
落ちないように慌てて抱き留めた。
「…卑怯だ」
ようやっと現状を理解した少年は、
燃えるように顔を紅く染め、ぽつりと呟いた。












―おまけ―

その頃の日暮家。
「…考えてみれば、犬のにーちゃんにそんな度胸あるワケ無いか」
「お雑煮出来たわよー」
「かごめはまだ起きんのか」
「犬のにーちゃんが連れてったみたい」
「あら、じゃあお雑煮2人分準備しとかなきゃね」







あとがき。
今頃、新年小説かという苦情は受け付けません(爆)。
本当は犬夜叉で時期モノ、季節モノは扱いたくなかったんですが、
思いついてしまったものは仕方が無い。
と言うのも、時期モノとか季節モノとか出せば、
特にこういう新年だとかだと、かごめちゃんの受験が差し迫ってきたりするわけですよ。
私立だと1月には入学試験が始まったりするわけですよ。
原作ではそういう状況になっていないんで、どうしても避けたかったんですが(笑)。
そういう理由で、バレンタイン企画も犬夜叉じゃ出来ない・・・。

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