夢、と言うのだろうか。 あまりにそれは現実味を帯びていて、 夢と現の境目が分からなくなっていた。 今でもまだ、憶えている。 きっと、忘れることなど叶わない。 彼の魂を宿したモノを、奇怪な音と共に壊したあの日を。 |
緋色の痛みと赦しを請わない僕の記憶 |
目を開けた。 ガラス戸の無い窓からは淡い光が差し込んでいる。 ―――夜、か… いつの間に眠っていたのだろう。 自分の手を見下ろしてみれば、深い紅色をした血管の浮き出た異様な左手。 その手の甲には十字架が埋め込まれている。 埃を被ってしまった衣服を払い、頭を振った。 月明りが石造りの床へと影を縫い付ける。 ざらりとした砂の感触を感じながら影へと触れれば、 ここは現世なのだとようやっと思い当たった。 「何をしている、アレン・ウォーカー」 低い、最近になって聞き慣れて来た声が前方から聞こえる。 顔を上げて暗がりを見つめた。 夜闇に溶けるようにして、黒尽くめに仮面を被った男がどかりと座り込んでいるのが分かる。 不機嫌そうに見えたが、仮面の所為でもあるのだろう。 はっきりとした表情は窺えなかった。 「クロス師匠こそ」 「俺は高々あれくらいの修行で倒れ込んだ莫迦弟子を起きるまで見張っていてやったんだ、感謝しろ」 感謝の言葉がただのひとつも浮かびそうに無い台詞を連ねられ、 アレンは口の端を引きつらせた。 古城、と呼んでも差し支えの無い建物は既に遺跡のようであり、 がらんどうとした各階からは獣の咆哮に良く似た風の吹きぬける音が響いている。 不気味だと怯える時間も無く、彼が言った修行はそれこそ朝から晩まで続いた。 異形だと蔑まれたアレンの紅い左腕は、イノセンスと呼ばれるもの。 だが、アレンが対アクマ武器をそう呼ぶのだと織るのはまだずっと先のこと。 千年伯爵の造るアクマと言う兵器を壊す為の武器。 イノセンスには適合者、不適合者があり、更にはその形態も様々である。 そうであるからこそ、イノセンス適合者を選ばれたる神の使徒と呼ぶこともしばしばだ。 尤も、そのような選民思想は極一部のみで、 適合者にしてみればそれこそが地獄だと思うのかもしれない。 彼らは選ばれたる者では無く、選ばせられた者なのだ。 クロスがいつか言った。 お前もまた神に取り憑かれた使徒のようだ、と。 その意味を、アレンはまだ理解するには至っていない。 「…師匠、ひとつ質問しても良いですか?」 ぱたぱたとアレンの肩へ1匹のゴーレムが飛んで来る。 全身黄金の色をした丸い球状の物体に羽根が生えていた。 ちょこりとした手足、長い尻尾の先は燃えているように漂っている。 表面、顔面だろうか。 そこには十字架が浮かび上がっていた。 「50文字以内ならば許してやる」 「お、横暴な…」 綴りに使うアルファベットの文字を数えながら、えぇと、とアレンは唸る。 彼がそう言ったのなら、恐らくは本気。 それ以上の文字を口にすれば間違いなく答えては貰えない。 短く濃い付き合いのお蔭で、 彼の性格や思考――もしくは嗜好――は厭と言うほど身に染みていた。 「アクマを、壊す時」 アレンは静かに口を開く。 白銀に染まった髪が、月明りに仄かに光を浮かび上がらせた。 「躊躇ったことは、ありませんか?」 例えば、その中に愛おしいヒトが居たとして。 「無いな」 クロスは当然のように言い放った。 確かに、アレンの肩にいたゴーレムに、ティムキャンピー、と呼んで指を引く。 気付いたティムキャンピーはクロスの傍へと飛んでいった。 アレンは信じられないように、呆然と彼を見やる。 幼い眼は悲痛に歪められ、その色は分からない、と言っていた。 「どう、して」 「ならばお前は何故躊躇う」 何故。 アレンは、その台詞を反芻する。 理由など、織れていた。 「視えるんです」 ぽつり、とアレンは雫のように言の葉を落とした。 ペンタクルを頂に記された、額から頬に至る左眼の痣。 それはまるで、歪んだ十字架を真逆に描いたかのような紅い、紅い業の刻印。 「この目には、アクマの魂が映る」 紅い左手で左眼の瞼をなぞる。 何も感じることは無い。 感じるとするのならば、きっと目には見えない過去の幻影。 褪せることのない記憶。 深く貫いたままの、楔。 「僕は、もう一度そのヒトを殺すのが怖いんです…っ」 俯き、自分の膝へと視線を落とす。 腿の上で強く握り締められた両手が、一瞬だけ、紅く染まって見えた。 息を呑む。 はぁ、と言う擬音では足りないくらいに、クロスは大仰に溜息を吐いた。 それはもう、深々と。 「お前は根本的な所で思い違いをしている」 呆けた顔で、アレンはえ、と返す。 「確かに、お前の持つ対アクマ武器も俺の持つ対アクマ武器も、アクマを破壊する為にある」 ヒトの骨格に似せた骨組みを、忘れるはずも無い。 それに繋がれた魂を、あれから何度も視てきた。 ヒトと呼ぶにはあまりにも程遠いアクマと言う名の兵器が砕かれる様を、何度も見てきた。 彼の行使する対アクマ武器が、躊躇いを見せたことは一度も無い。 だからこそ、アレンは訝しんだ。 彼が非道で、冷たい人間に見えた。 だのに、どんなに口汚く罵られようとも、手酷く扱われようとも、 彼がそのような人間だとは思えなかった。 あの時差し伸べられた手は、確かに、彼の養父と同じぬくもりをしていたのを憶えている。 「アクマを破壊するということは、その魂を砕くことじゃない」 クロスは、説明するのが好きではない。 苦手ではなく、面倒臭いのが厭なのだと思う。 一息置いて、クロスは再び口を開く。 「囚われた魂を解放するということだ」 アレンの瞳が瞬いた。 塞がれていた感覚のする耳が、鮮明に、音を齎す。 「蝕まれ行くしかないアクマから、魂を救済するということだ」 (そうだ、このヒトはあの時言っていたじゃないか) ―――破壊するしか救う手は無い 忘れていたものを思い出す。 養父を失った悲しみで、髪から抜け落ちていく色を留める術は無く、 涙とともに意識を手放してしまいたかったあの時。 けれど、それを飲み込めない自分がいる。 「マナ・ウォーカー、だったな」 突然、クロスの口から零れた言に、アレンは唇を噛んで頷いた。 「…はい」 視えるというのなら、とクロスは言う。 「お前の目には映らなかったか、お前の耳には届かなかったか」 どうして思ったのだろう。 仮面の奥に見えた瞳の色が、酷い慈しみと優しさを宿していたなどと。 この先もきっと、分からない。 「本当のアクマになるには、お前を殺さねばならなかった。だが、それを望まなかった」 抗う術は、無かったはずだ。 千年伯爵と呼ばれる<製造者>の玩具たるアクマ。 ―――よくも、アクマにしたな… 「あの男は、お前にこそ壊して欲しかったんだろうよ」 ―――アレン!!よくもアクマに!!! 見織った声で耳に届いた、謗りの言の葉。 ―――呪うぞ、呪うぞアレン!! 響いた悲鳴と、下半身の砕かれた、彼のヒトを宿した骨組み。 ―――アレン…お前を…愛しているぞ… 届けられた、愛の言霊。 ―――壊してくれ 『うわあああああああああああっっっっ!!!!』 ―――あれが、救い アレンはゆるゆると首を振る。 「マナ、は」 見開かれたままの目が、揺らいだ。 忘れていたはずのものがこみ上げてくる。 忘れなければならないはずのものが、溢れてくる。 「赦してなど、くれない」 痛い、痛い、痛い、痛い。 左腕が、左眼が―――心が。 ―――赦されては、ならない 「僕はそれで、良いと…そうで、なければ…っ」 ぼたぼたと、両の瞳から零れ落ちる雫。 まだ成長しきれない心と身体は、現実を受け止めるには足りなくて。 漏れそうになる嗚咽を、歯を食い縛って堪える。 「お前がそう思いたければそれで良いさ」 指でティムキャンピーの顎だと思われる部分を撫でながら、 クロスは片方だけ口の端を吊り上げて笑う。 「生きる理由が無いのなら、理由の為に生きろ」 ゆっくりと立ち上がり、アレンの前へと座り込む。 いつか見た光景によく似ていた。 「理由があれば、生きて行ける」 伸ばされた腕はアレンの頭に触れたかと思うと、 前髪を掴み、無理矢理に顔を上げさせた。 不適に笑うクロスの面。 「強くしてやるよ、お前を。アレン・ウォーカー」 空が、白んでいく。 宵闇が、明けていく。 ―――エクソシストにならないか 少年が生きる、理由。 今はただ、それに縋るしか無いから。 「…はい」 アレンは瞳を閉じて、静かに頷いた。 また、長い1日が始まる。 END |
あとがき。 何でDグレネタばっかり浮かぶのちょっと(悪いのか/笑)。 師匠とアレンで、マナも入れて。 マナとアレンが好きです。 師匠が『弟子』って言ってるのは、まだ教えるばっかりの段階だからです。 もう少ししたら助手扱いしてくれます(笑)。 いや、漫画じゃ助手って言ってたから一応補足。 コレ実は、途中まで書いてて、オチを忘れたから書き直しました(爆)。 |
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