この想いを、どう伝えれば良いのだろう。
どのように伝えれば、深く深く伝わるのだろう。
君の瞳に僕が映った瞬間、言い様の無い光が心で爆ぜる。
あぁ、そうだ。
僕は君に、とびっきり甘い恋してる。





Honey Suger






午後の授業も終わり、終業ベルが鳴り響く。
各々の寮に戻る者もあれば、クィディッチの練習に急ぐ者もいる。
宿題をする為に図書館へと向かう者もいれば、
中庭で他愛なく談笑する者もいた。
「そこを行くのは、愛しいリリー!」
そうして、意中の相手へ愛を賛美する者も。
「今日はとびきり綺麗だね、あぁ、誤解しないで。勿論、昨日の君も素敵だったよ。僕が言いたいのは、昨日よりも更にってことさ!そんな君の恋人でいられる僕は、何と言う倖せ者なんだろう!ねぇ、そう思わない?そういうわけで、今度の休暇、僕と一緒に…」
「お断りするわ」
彼が言う所での、正に天国へと誘われるような微笑みで、リリーはきっぱりと告げた。
先程の彼が言った通り、2人は恋仲で、
甘い睦言などを囁いていても、決しておかしくは無い、はずなのだが。
中庭へ面した渡り廊下では、いっそ清々しいくらいに陽の光が満ちている。
暖かな日差しだと言うのに、隙間風に吹かれたように彼の心は氷点下まで落ちていった。
わざとらしいくらいに落ち込み、項垂れる彼を前にしても、
リリーは毅然とした態度を崩さない。
「…先週も、先々週も、そのまた先週も!」
悲観的に叫ぶ彼を尻目に、彼女は待ってくれている友人に、
長くなりそうだからと先に行くよう促した。
「えぇ、すぐに追いつくから。煩いわ、ジェームズ」
手を振って友人へと微笑みを向け、とうの恋人にはぴしゃりと言い放つ。
「君は僕の誘いを断ってばかりじゃ無いか!せめて、理由を聞かせてよ!」
あちこちに飛び跳ねている髪を引っ張り、リリーは呆れて溜息を吐いた。
はしばみ色の瞳を覗き込めば、潤んでいるのが分かる。
尤も、それが本当なのか、わざとなのかは判断が出来かねた。
彼は悪戯に精通しすぎていて、疑わしくなることなど稀では無い。
「本当に分からないの?」
胡乱げに眺められるも、彼女が何を言っているのか理解出来ていないのだろう。
ジェームズはきょとんと、目を瞬かせた。
「何が?」
「…もう、良いわ」
それだけ言うと、リリーは先を行った友人達の背を追った。
ひとり残されたジェームズは、難しい顔をして、傍の芝生へ座り込む。
最後の授業の教科書を放り出し、そのまま寝転んだ。
「リリーが断る、理由…?」
ぽつり、と呟き、うぅんと唸る。
悪戯でもしただろうか、と考える。
心当たりが多すぎて、手のつけようが無い。
とは言え、今更彼女がそのようなことを気にするとは思えない。
彼女が本気で立腹するような悪戯は、したことが無い
―――と、思う。恐らく。
友人達との約束。
まさか、と首を振る。
有り得ない、とは言わないが、立て続けに予定が入るものだろうか。
「お前に愛想つかしたんじゃねぇの?」
上から降ってきた声に、ジェームズは目を開く。
ずり落ち掛けた眼鏡のフレームを持ち上げた。
整った顔立ちの少年が、悪戯っぽく笑うのが見える。
「何だ、シリウスか。リリーを見た後じゃ、醜悪この上無いよ」
「…その喧嘩、買うぞ?」
さらりと親友に悪態を吐くジェームズを、
シリウスは踏み付けようと足を僅かに持ち上げる。
慌てて小柄な、見るからに鈍臭そうな少年が割って入る。
「もう、2人共!あんまり騒いでると、また減点されるよ」
「そうそう。蛙が踏み潰されたような声は聞きたく無いしね」
後ろに立って、のんびりと状況を眺めていた少年も頷く。
彼に至っては、本気とも付かない台詞をさらりと言ってのける。
「ピーターは心配性だな。そんな減点、すぐに取り戻せるのに」
「そういう問題じゃないでしょ」
ジェームズの何とも言えない回答に、肩を落として溜息を吐く。
彼に対しての意見など、軽くスルーされると分かっていながら、
それでも言い続けるピーターは、ある意味辛抱強いと思う。
彼等の中で、尤も態度が優等生とも言えるリーマスですら、
既にそれを口にするのを止めて久しい。
「監督生の前で、よく抜け抜けと言えるな、お前」
呆れて、シリウスは親指でリーマスを指差す。
ジェームズは彼を見上げると、ニヤリ、と笑った。
「リーマスは僕達を減点なんて出来ないよ。何せ、我等は『同志』なんだから」
悪びれもせずに言ってのける。
まぁ尤も、自分の寮の人間を減点する物好きはいない。
後悔か、それとも呆れか、はたまた困惑か。
恐らくどれでもないであろう溜息を吐きながら、リーマスは苦笑した。
「我ながら、変な友達持っちゃったなぁ」
「誇りに思えよ?」
彼の肩を叩きながら、悪戯っぽく笑うシリウスにさわやかな笑みを返す。
「埃くらいになら思ってあげる」
「リーマスも言うよね」
うわぁ、と零しながら、ピーターは口の端が引きつるのを憶える。
「しかし、今回は難問だ。フクロウにすらこんな問題は出ていなかった」
「出てるわけ無ぇだろ」
ジェームズに手を貸し、立ち上がらせる。
シリウスの目が、さも楽しげに細められた。
「リリーに振られた回数更新させてるばっかだもんな」
ざまぁみろ、と面白そうに笑う。
他人の不幸、
しかもそれが普段から抜け目の無いジェームズのものであるのなら格別な蜜の味だ。
ぽつり、とピーターが漏らす。
「もしかして、他に好きなヒトでも…」
我知らず、零れたのだろう。
その瞬間、口を抑えて辺りを見回す。
ピーターへと浴びせられる3人の視線。
ジェームズが目に入ると、うろたえた様子でぶんぶんと手を振った。
「ゴ、ゴメン!無し!!今の無し!!忘れて、ジェームズ!!」
その甲斐虚しく、ジェームスの瞳から光が消え失せるのが見えた。
小さく、呆然と呟く。
「リリー、が…?」
その彼を見やりながら、リーマスとシリウスは平然と口を開く。
普段から、珍しいことでもないのかもしれない。
「あっちの世界へ行ってきまーす、だね」
「戻ってくるか、アレ」
「どうだろ」
「ど、どうしよう」
彼がトリップする原因の一言を発してしまったピーターは、
うろたえながら、他の2人に縋りつくような視線を向ける。
「放っとけ、放っとけ。たまには面白いから」
気にする様子など欠片も無く、シリウスは手をひらひらと振った。
「ま、何となく分かるんだけどね。リリーの気持ち」
どこからか取り出したチョコレートを齧り、リーマスは息を吐いた。
彼の台詞に、ピーターは不思議そうに見つめる。
自分はさっぱりだと言わんばかりだ。
「え?分かるの?」
うぅんと唸り、曖昧に頷く。
「何となぁく、ね」
「そういや、リリーと一番仲良いよね」
「僕じゃ無いからね、ジェームズ」
ぴくりとジェームズの肩が動くよりも先に、リーマスはわざと声を大きくした。
「先手打つ所がリーマスだよな」
身に憶えがありすぎるのか、シリウスは何とも言えない苦笑を漏らす。
彼等の中で一番食えないのは、ジェームズでは、無い。
「じゃあ、一体ドコの馬の骨がリリーを誑かしたと言うんだ!」
噛み付かんばかりの勢いで、彼はがなる。
身振り手振りの、大げさとも言えるリアクションに、
彼らは驚くことも突っ込むこともしない。
これは、彼等以外にとっての非日常で、彼等にとっての日常だ。
つまりは、どうってことない光景。
「リリーが惚れたとか言うのは無しなの?」
食べ終わったチョコレートの包みをポケットに押し込み、指先を舐める。
空を仰いでいた顔を戻し、リーマスに掴みかかった。
「僕のリリーはそんな子じゃない!!」
やんわりとその腕を逃れ、傍に居たシリウスを盾にする。
ジェームズに肩を揺すられながら、彼の顔はとうに呆れきっていた。
リーマスは肩越しにひょこりと顔を覗かせる。
「なら、行って玉砕してくりゃ良いのに」
「なぁ?」
そう言うリーマスとシリウスの除言、もとい、助言は当然、
喚き捲っている彼の耳に届くことは無かった。





言われてみれば、最近のリリーは普段に増して冷たい。
否、笑顔を向けてはくれるが、
何と言うか氷の微笑みと言うか、底冷えする微笑みと言うか。
段々と落下して行く思考。
明るかった中庭も、段々と薄暗くなっていく。
ついでに言うと、全く浮上して来ない彼を見限り、
友人達はさっさと寮へと戻っていった。
改めて言っておくが、彼等はジェームズの親友と呼べる人間である。
風が吹く度に心持ち寒い気がしたが、
普段滅多に使わない頭での考え事に没頭している所為か、
あまり気にならない。
「…いや、でもまさか」
笑い飛ばそうとして、止めた。
ピーターの発言を真に受けたわけじゃ無い。
ただ、ほんの少しでも疑ってしまう自分が情けなかった。
リリーの口から直接聞いたわけでもないのに、
それが真実かもしれないと思ってしまう自分が厭だった。
「僕は、ただ…」
がっくりと項垂れ、膝に頭を擡げる。
ぼんやりと顔を横倒しにしたまま、煌めき始めた星を見上げた。





「リリーと一緒に居たいだけなのになぁ」





「最初から、そう言えば良いのよ」





突然聞こえた声に、ジェームズは飛び起きた。
振り返ると、仁王立ちになっているリリーが目に入る。
「リリー?何やってるの、こんなトコで」
呆れ果てたと言う様子で、彼女は持っていたショールを彼の頭に乱暴に被せた。
「誰かさんが戻ってこないから、探しに行ってくれって泣きつかれたのよ!」
リリーの甘い香りに包まれる。
部屋に置いているコロンかポプリの香りだろうか。
彼女らしくて、優しい香り。
それだけで、心が擽ったくなる。
「君に?後で、うんときつく言っておかなきゃ。こんな時間にリリーを出歩かせるなん…」
「そうじゃないでしょ」
彼の言葉を遮り、少し怒ったようにジェームズを見下ろした。
「一体誰が、他の誰かを好きになったですって?」
苛ついて見える瞳は、恐らく見間違いではないだろう。
口調も心なし、何処か速い。
「貴方はよっぽど私を怒らせたいみたいね」
怒っている理由も、怒らせようとしている理由も、全く分からない。
心当たりが無い。
分からないから、尋ねた。
「じゃあ、どうしていつも僕の誘いを断るのさ?」
その台詞が引き金になったかのように、リリーは矢継ぎ早に捲くし立てた。
「呆れた!まだ分からないの?!」
座り込んだままのジェームズを、芝生の上に押し倒す。
と言えば、艶っぽいかもしれないが、立場は逆転の上に、
どう見ても技をかけられる直前にしか見えないので、
もし、他の誰かがいれば、殴りかかろうとするリリーを止めようとするに違いない。
彼女は、ほんのちょっとばかり気が強い。
「ジェームズ、貴方はどうしてあぁいう言い方しか出来ないの?」
尋ね返す暇も与えずに、彼の肩を抑えつける腕に力を入れる。
「何でもかんでも、言葉を飾り立てて、並べ立てて」
赤毛がリリーの肩を流れる。
薄暗くなってきたココでは、彼女の表情は陰になっていて覗えない。
「別に、厭だって言うんじゃないの」
押し倒されたまま、ジェームズはリリーを見上げる。
押さえつけられた肩は痛くなど無い。
微かに震えているのに気付いたから、気付かない振りをした。
「ただ、不安になるのよ。どれが真実で、どれが嘘なのか。時々分からなくて、不安になる」
「嘘なんて、ドコにも無いよ!」
目を見開き、リリーが転ばないようにして起き上がる。
とん、と胸を叩かれた。
そのまま、ぎゅ、と強く握られる拳。
「織ってる!分かってるけど、それでも不安なのよ。貴方は…っ」
俯き、声が荒げられる。





「貴方は、とても上手に嘘を吐くから」





彼女の手を包もうとして、ほんの一瞬動きが遅れる。
戸惑う、と言うものだったのかもしれない。
けれど、彼はそれに気付かない。
「苦しい時だって、辛い時だって、冗談めかして笑ってるじゃない」
『上手に嘘を吐く』とリリーは言った。
だが、ジェームズにしてみれば、それは至極当然のことで、
呼吸をするのと同じくらいに身に付いた自然の動作で。
それを咎められるなど、思ってもみなかった。
そうすることで、己が身を護り、他人に気負いさせることを無くした。
一番スムーズに人間関係を運ぶ為に身につけた術。
そうしてそれは今迄、彼の親友達以外に気付かれたことなどなかったし、
気付かせもしなかった。
これからもきっと、変わらないのだと思っていた。
だがそれは、リリーを信用していないのとは違った。
格好悪い自分を晒したくなかっただけで、簡単に言えば、ただの見栄っ張りだ。
それで彼女を傷つけてしまうという事態など、想定してはいなかったろう。
「気付いていないと思っていたの?莫迦ね、大莫迦者だわ」
1回しか言わない、良く聞きなさい、リリーはそう言って彼を真っ直ぐ射抜いた。
「私がどれだけ、貴方を見ていたと思っているの?」
両の手で彼の顔を包み、目を逸らせないようにする。
彼が彼女から目を逸らすなど、
地球が反対にまわったとしても有り得ないことではあったけれど。
「傍に居たいと想うのは私も同じ。だけど、たくさんの言葉の中ではそれが本心なのか曖昧に聞こえてしまうのよ」
ひとつ、ひとつ。
ゆっくりと言の葉を紡ぐ。
ジェームズは、黙って耳を傾ける。
「飾り立てる必要なんて、どこにも無いでしょ?」
肩に下りたショールを外し、リリーへと掛け直す。
ふわりと彼女をそれで包み込み、抱き締めた。
「…君を想うと、色んな言葉が渦巻いて、どれから言えば良いのか分からなくなる。だから全部を伝えようとして、だけど」
パズルを組み立てようとするように、或いは崩れたジェンガを組み立てるように。
ゆっくりと、注意深く。
いつもの饒舌なそれとは違う、確かな、言の葉。
「僕は、焦りすぎてたのかもしれないね」
苦笑したのが、見なくても分かる。
子どもっぽいくせに、こういう所だけはやけに大人びているのをリリーは織っている。
そんな彼が余計に危なっかしく感じられて、やっぱり彼女も苦笑した。
彼等に与えられた時間は、まだたっぷりある。
「今度から、少しずつ伝えることにするよ、リリー」
額がこつんと触れる。
大分冷えてしまっている、前髪越しの微かな温もり。
「えぇ、そうして頂戴」
わざと呆れた顔をしてみせれば、ジェームズは嬉しそうに微笑う。
"No"ではない、彼女の返事は久しぶりだ。
暗がりでも分かる、深い海の色に似た瞳に映った自分の姿。
「じゃあ、まずはコレだけ」
彼女の手を取り、手の平に口付けた。
上目遣いに、悪戯っぽく笑う。
そのまま、息が触れるほど近くに顔を寄せた。








「僕の可愛いリリー、今度の休暇を一緒に過ごして頂けますか?」








そうね、と呟き、リリーは目を閉じる。








「考えておくわ」








瞬間、掠るような感触が唇に残った。
瞼を上げる前にもう一度。
今度は優しく、静かに。
"Good night"の代わりに、交わしたそれは、
はちみつに砂糖を塗したかのような、甘く、甘い恋の魔法。







ほら、やっぱり。
僕は君に、とびっきり甘い恋してる。









END




あとがき。
ジェームズが阿呆に見えて仕方が無い上に、
書けば書くほどリリーの男前度が上がっていく。
さらには、リーマスのソツの無さが浮き彫りに・・・。

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