昔ながらの有線放送からは、その様式とよく似合う古ぼけた音がしていた。
様々な楽器の入り混じった伴奏と、色々な物を含めたような豊かな声と。
軋みが入るような錯覚すら起こす古いスピーカーはその身を震わせ、自分の周囲を書き換えつづける。
すぐに消えてしまうような、音という手段で。
しかし、その儚さは確かに美しさをともなう。
緩やかで、しかし空を見上げて伸び上がって行くような、大きく、自由そのものの旋律は留まらず、空へと、宇宙へと駆け上がる。
身近な物の名前を呼び、それと同じくらい自分に近い感情を、その歌は告げる。
あかぬけない、ふいに見つけたような思いだけれど。
そんな気持ちだけれど、伝えたい、と。

その感情は
―――――――――……



『一曲ぶんのThinking Time』
From.氷紅梦無さま






―――いつ乾いたのかTシャツが

窓の端で良い色になってた
――


 朝起きて、耳に入ってきたのは歌声だった。
 目に入った時計は適当な時間…目覚ましをかけた頃だ。ホテルのサービスなのかただの目覚ましの代わりなのか、有線放送が自動で入っていた。音楽が流れ出すのは古いとしか言いようの無い見た目のスピーカー。
 目覚ましかと思って起こした身体と伸ばした手は行き場を失ってふらりと揺れた。
 ……あー…電子音のベルよか寝起きにはやさしい……か?
 寝ぼけ頭でぼんやりとした感想を抱き、とりあえず切る必要も無いかとそのまま放置。中途半端に起こした身体を再びベッドに仰向けに倒れこませた。

 ばふ、と。身体の下から厚みのある音がする。
 視界に広がっているのは、白地に薄い色のしま模様の壁紙が貼られた天井。
 起き上がれば、ある物のどれもこれも使い込まれた感のある、しかし何処か上品に纏められた部屋が見える筈だ。配置する人間の腕と調度品の格のなせる技だろう…と昨日考えていた事を思い出した。
 その他にあるものと言ったら、右手側にある大きな窓と、ベランダに通じるガラス戸。あとはそこから覗く、蒼ではない『真白い』空。
 宙に浮かぶ微妙な陰影は雲だろうか。

「………あ?」

 もらした声は我ながら間抜けで、力が抜けていた。

「……空が…白、い?」

 ぽかん、とした表情をしているとは自分でも思う。でも同時に、寝起きなんだしそれくらい良いだろう、とも思う。
 それよりも、自分にとって不思議だったのは空の色。雲が垂れ込めている重苦しい空とは違い、どこまでも続いていそうな光の色。全く見慣れていないのに不思議と違和感は無い。
 ……あん? 空って普通…蒼くなかったっけか…?
「あー、」
 そういえばキャナルに言われてた。『この星は変わっている』とかなんとか。この星に降りたのは(ここの時間で)まだ日が昇らない、時間的には早朝。まだその時は空は普通に黒かった。光が届かないんだから当たり前と言えば当たり前だろうが。

『この星、空が白いそうなんですよ。それで、海が紅いんです。宇宙から見ると透き通る紅い瞳みたいだから、惑星アルビノ』

『本来の色が作れない星』とはすごい名前だと笑った覚えが…あったような無かったような。眠い頭で引きずり出す記憶はずいぶんと曖昧だ。
 ……あぁ駄目だ、やっぱし眠いなー。
 ごろん、とベッドの上で転がる。引き寄せる枕に頭を乗せ、窓から差し込む陽射しからずるずると遠ざかる。
「………うー…」

 さっきから呻いてばかりな気もするが、睡眠時間が足りなくて眠たくて寝起きでそれ所じゃ無い。寝起きは悪い方ではないが良い方でもない。
 目覚ましをかけたは良いが、正直なところ睡眠時間は足りていない。体内時計でも現地時間でも夜中の時間にこの星に降りて、手間と時間だけが無駄に掛かる様々な手続きを終えてホテルに転がり込んだのが数時間前。いっそ朝日を拝んでやろうかと思った。……まぁ、相方も今ごろはまだ寝ているだろう。
 ……こんな時間に目覚し掛けるんじゃなかったー……。
 とりあえず目覚ましのアラームをセットした事を速攻で後悔中。

 とはいえ、この星の時間では今は朝より昼に近い。陽射しはほぼ真上から照っており、少しベランダに目をむけるだけ……いや、ベットまで差しこんでいる光の照射範囲の近くに居るだけで眩しい。そして暑い。夜が涼しかったためにクーラーをかけ忘れた。
 白い空は、色が違うだけで普通の青空と紫外線やらの阻害率は変わらないらしい。つまりは今、この星のこの辺りは夏と言っていいのだろう。
「……あー」
 うだるような暑さではないが、空を見ていれば陽射しの強さは容易に想像ができる。自分でも解るぐらい眠そうで嫌そうな声を上げ、ごろん、と転がってうつ伏せになってみた。
 しっかりと日に干されているからか、シーツからも枕からもひなたの匂いがしていた。ソードブレカー内ではあまり感じる事もないからか、少しばかりの懐かしささえ覚える。小さい頃はよくこの匂いのする毛布で寝ていた。

 その匂いで、不意に気付いた。
 ここが星の上で、この部屋には誰もおらず、自分が今……本当に一人である事に。

 ……あ、そーか…ソードブレイカーの外か。今はキャナルも見てねーし、この部屋には誰もいないってことは、

「ひとりか」
 ぼんやりとした呟きが歌声に混ざる。
 点けっぱなしの有線放送はまだ歌を流していた。

―――削れていく声にどうか気づいて


 少し、歌詞と歌声に必死さが混じった。静かだった音楽に背景が出来て、急に厚みを増して行く。

 そのまま、歌の中の人影は空に意識をむける。
 降り注いでくるような真昼の陽射しに見抜かれ、熱を上げる身体を抱え、しかし風に背中を押されて足を踏み出した。
 あかぬけない、でも見つけ出せた『君』への言葉を握り締めて。

 今ベッドで寝転がる自分には、それがどんな物なのか想像もできない。持ち得た言葉は本人だけの物だ。
 でも、見つける事が出来た事実は本物だと、そうも思う。
――…いつになくらしくない事を思ってるのは寝ぼけてるということでひとつ片を着けよう。口に出してもいないことだし、それぐらいは良いだろう。

「よっ…」

 歌う声を背中に聞きながら起き上がり、窓に身体を向ければ、海側に面したこのホテルの売りである景色として紅い海が見えた。解りづらい雲が流れる真白の空と紅の海をしばらく眺める。見慣れないのに違和感が無い不思議な海。えてして自然とはそういう物かもしれない。
 浮かんだ考えに、らしくねぇー、と自分で思いつつ、座った姿勢のまま横にぱったり倒れた。
 流れる歌と雲を同時に追いながら、
 ……違和感無いならそれでいいかー。…良い天気だよ。本当に。
 だんだんハッキリしてしまった頭で思う。こうして無意味に目が冴えてきたのでは二度寝は無理そうだ。眠るのを諦めて潔くなった途端、再び歌詞とメロディに必死さが漂い始めた。歌声は、今度は必死さではなくて呼び掛けの意味合いが強い。


僕は 僕は君を思う


 静かな強さの歌を聴き、シーツを手繰り寄せ、見えなくなった紅い海を思い出し。
 窓から見える真白の空を仰いで、歌に挟まる一瞬だけの静けさで、まとまりの無い事を思い出して考えた。

自分の事と、彼女の事を。


 ばーちゃんが死んだとき、俺はこれ以上に哀しくなる事は無いだろうなって思った。
 でも、キャナルが何時の間にかすぐそばまで来ていた。この距離からいきなり消えられたら、俺はまた物凄く哀しくなるんだろうなって思った。
 これ以上が無いくらい。

 でも、そのうちに思った。じゃあ、俺が死んだとき、キャナルはどのくらい哀しくなるのか、って。

 想像すらできなかった。これっぽっちも。
 ばーちゃんが死んだときの俺よりも泣くんじゃないか…そんなふうに漠然と思えただけで、実感なんてできるはずが無くて。
 例えるなら、子供に、それこそ孫とか曾孫とか、自分の子孫に先に死なれるような気分。
 そんなの、解らなかった。全然、解らなかった。
 喪失する感覚なんて、本当に喪うまで解る筈が無いのだから。
 誰かを失う感覚は、誰を喪うかで大きく変わる。
 自分自身が消えた時、近しい人がどんな感覚を得るのか、なんて実感できる筈も無いのだ。


 いつしか俺は大人になっていて、ちっさい時から年数を数えて、よく死なずにいたな、とか振りかえれるようになった頃。
 あいつが転がり込んできて。
 死線を潜り抜けてきたら、一応『相棒』と呼べるくらいには近い距離にいて。
 ふと、気付いた。

 俺は、こいつがいなくなっても哀しくなるんだろうな、と。

 キャナルは、一緒に暮らす内に、俺よりも先に消える事が想像出来なくなっていた。消える事は怖いけれど、ちょっとやそっとじゃ壊れもしないような存在だと思えてきたから。
 だが、あいつは違った。俺と同じで、ふとした事であっさり消えて…死んでしまう。
 あいつが消えた時、俺はどうなっているだろう。キャナルは。


 死んで欲しくは無い。
 なのに、俺が消えた時に悲しむのを思いたくも無い。
 キャナルにだって悲しんで欲しくない。
 遠い未来の筈で、しかし確実に来る別れのタイミング。
 俺とあいつはほんの少しの差だろう。そうであって欲しい。
 キャナルは、永い時に遺される事は多分、避けられない。俺達が人間である以上。


 ならせめて、少しでも楽しい記憶を残しておきたい。
 思い出しても辛くないような、笑っていられる幸いの記憶を。


 俺達がキャナルと一緒に暮らしていた事。俺がキャナルを心から信頼しているって事。あいつがキャナルを大好きだって事。俺達は幸せだって事。
 できる限り、伝えていこうと思う。
 キャナルは、俺達と違って鮮明に覚えておく事が出来る。
 それこそ、遥か遠くの未来まで。
 だから、辛いだろうし…辛いって事すらキャナルは表現できないんだろうけども。

 俺達はキャナルに、幸せだった記憶をたくさん遺して消えて行く。
 忘れられないぐらいに楽しい記憶を。
 思い出した時に、涙を伴っても笑えるように。
 長い永い時を、キャナルが渡って行けるように。
 どうしたらそう出来るだろうか?

 あとで、あいつとそんな話をしようと思う。




 そこまで考えて、それよりも自分があいつをどう扱いたいかを話す方が先か、と気付いた。

―――――――――…っ!!!」
 最後に思った事が一番普段の自分らしくなくて、思いっきりシーツを膨らませた。



君へのあかぬけない思いだけど
背中から追い越した風に歩き出す…




「ん?」

 ふと廊下に足音。
 やがてこの部屋唯一の出入り口の前でそれは止まり、足音と少し似た音を響かせた。

 扉を拳で叩き、あいつはいつものように声をかけてくる。

「ケインー? 早く起きてよ、朝ごはん食べにいきましょ? って言ってもここではもう昼なんだけどね
――……」
「ミリィか………あぁ。すぐ行く」

 なんとなく、そうなんとなく気が進まなくてのろのろとベッドから抜け出す。いや、あいつの顔が見づらいとかそんなんじゃない。
 …しかし、あいつは随分と起きるのが早い。目覚ましで流れた歌が少し前に終わったばかりだから、まだこちらが起きてから十分と経っていない。……ということはあいつはもっと前に起きている訳で。

「………元気だなー、お前」
「そう? まぁ、ここは夏だものね。…ケインがバテ過ぎなだけじゃない?」
「そーかー…?
 …あぁ、そーいえばそーだな。ミリィは入港と入星と入国の審査と手続きとホテルのチェックインと……ややこしー手続きの最中ぜんぶ寝てたんだっけか。
 そりゃ元気な筈だぁな」
「って墓穴っ?! ……だ、だってケインが何もするなって言ったんじゃないっ!」

 それはお前があまりに無茶をするからだ。徹夜で裏を取ってた奴に手続きなんぞ任せられるか、危なっかしい。
 マントを羽織れば支度は終了。扉を開ければちょっと赤くなりつつも慌てている相棒がいる。あやすように頭を二、三回叩き、追いぬいて歩き出す。

「ほれ、飯行くぞ。言い訳ならそっちで聞いてやるから。な?」
「う、うぅ……」



 背中を押してくれる風なんてモノは無いけれど。
 ほら、歩き出すぐらいは自分で出来るもんだろう。










カンシャのキモチ。
氷紅梦無さまに頂きましたその@。
その@です、AとBもあります(笑)。
たくさん頂きましたよきゃっほう!
まずはケインバージョンです。
我が家では決して見られない、へたれでないケインがご降臨…!
直情型のクセして、結構考えてるんですよねケインは。
そしてさっさと自覚するが良い!!
素敵なものをありがとうございました!

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