強い光は夏ならではで。

「………ん…」

目を覚ましたら、一人だった。




『鳥の詩』
From.氷紅梦無さま






 出掛けるからにはホテルに部屋の鍵を預けなければならない訳で。
 クーラーのきいたロビーでかっちりした服のボーイに鍵を差し出す。彼は朝らしい笑顔で、
「どちらへ?」
「うーん、ちょっと、散歩してこようかな、と思って。だから特に行き先は無いんですけど」
「そうですか。…では、これを」
「…えーと、麦わら帽子?」
「今は夏ですから」
「……ですねー。ありがとうございます」

 麦わら帽子とは懐かしい。被って外に出れば、いつのまにか自分の服装が白いワンピース。
 なんで? と思うけれどもまぁいいか。

 外に出た。

 夏の陽射しだ。懐かしい。



 しばらく歩くうちに、この街が見えてくる。ここでは色々な物がヘンな形を持つらしい。
 そこでふよふよやりながらトマトを齧っているのは風だろう。すれ違う時に涼しかった。
 ……あれって、本人は涼しいのかしら? 後で聞いてみよう。

――――…あ、海だ」 

 汐っぽい香りがして、そう言った途端に海がよく見えた。思ったことは口にした方がいいらしい。頷きながらとりあえず歩き出す。夏はやっぱり海だ。海で食べる御飯と磯釣りは良い物なのだ。
 暑さにへばった車の間を縫って行き着いたのはコンクリートの分厚い壁。……あ、防波堤だ防波堤。
 手すり無しの階段を上れば、コンクリートは案外熱くなかった。意外に思いながらも昇りきれば、コンクリートの分厚い壁の上には、たくさんの風がカモメに遊ばれながら並んで座っていた。互いにお喋りをしている風は楽しそうだ。……風ってこういう所が好きなのかしら? と思う。
 風と並んでコンクリートの防波堤に座る。サンダル履きの足元が怖かったので、脱いだそれを右手の横に置いた。夏っぽく熱い、しかし不思議と湿った感じのしない風が素足をくすぐって過ぎ去り、なかなかに気持ちがいい。ワンピースの裾を適当に押さえて真正面を、海を見た。

「なんかすごいなぁ…」
 紅く赤いまったりした海。海だけが濃い夕焼けのまま取り残された感じだ。空が白いのはご愛嬌。雲が解りづらいと拗ねている。

 しかし、こうして見ると結構色味が少ない事に気付いた。

 空は真白く海が紅。蒼どうしに馴染んだ身としては何とはなしに空に物足りなさを感じてしまう。贅沢だろうか。
 ひょいと自分の髪を摘んで目の前にかざす。最近少し伸びてきたと思う金色の髪。白い空には結構合うんじゃないかとぼんやり考えた。
「ちょっとは伸ばしとけば良かったかな…」
 そうすれば、このワンピースにも、麦わら帽子にも似合っただろうし。しばらく伸ばしてみようか、とも思ったが、
「……やっぱ邪魔?」
 走るにも銃を振りまわすにも、とてもじゃないが向いているとは言い難い。あきらめよう。
 それに、この髪型は両親が死んだ時から変えていない。
「あの日のあたしでいられる大切な要素だし。忘れたくないわ。
 ……なんにしろ、そうしなきゃいけない生活が終わってから、かしらね」
 そんな日が来るのかどうかはまた別の話として。あと、その日が来るまで自分が生きているのかも別の話。

「ま、そんなの来てみないと解んないわね」

 呟けば、少しは気分が軽い。横を見れば、いつのまにか風達はごろ寝に入っている。基本的に呑気なのだろう。
 くすりと笑い、また海を見ようと思った。なんだかこの紅さは目を惹き付ける物がある。物足りなさを感じているくせに矛盾かなー、とも思うが、やっぱりもう一度見たい。

「何してるの?」

 その時、不意に耳元で声がした。
 斜めに見上げると、まず白が目に入る。次いで金色。
 ……? と思ってさらに見れば、金色の束の先には笑顔があった。
 少女だ。自分が着ている物と似ているワンピースを身に付け、柔らかそうな金の長髪のてっぺんには麦わらの帽子が乗っている。帽子に巻きついた紅いリボンが可愛らしい。自分の頭の上のは蒼いリボンだった筈だ。
 思い返した自分のリボンと同じ色の瞳で少女が笑った。サンダル履きで数歩近付いた少女は麦わら帽子を押さえ、同じ言葉を繰り返した。

「何してるの?」

「んー? そうね…海見てるんだと思うわ」

「そっかー」

「あなたは?」

「んー。…おねーさん見てたの。今はうみ、なの」

「そっかぁ」

「そうなの」

 頷きながら少女は左隣にぺたりと座った。海へと投げ出した脚の先、足をつかむようなデザインの白いサンダルは、意外なほど大人びて見えた。
 ……しかし、その大人びた雰囲気のサンダルを履いた足をぶらぶら揺らしているあたりが子供らしい。笑みが浮かぶのは仕方が無いとしてもらおう。
 しばらくそうして足を揺らしていた少女だが、さっきの自分と同じようにサンダルを落としそうになり、慌てたように脱いだ。落とさずに済んだことで安心したのか、サンダルを小さな手で持って薄い胸に手を当てて吐息を一つ。子供ながらもお気に入りのサンダルなのだろう。

 そして、不意にこちらをむいた。

 一部始終を見ていた自分に気付いたのか、少女はぱっと頬を赤くし、サンダルを脇に置いた。空いた両手で麦わら帽子を頭から取り、帽子を抱えるように持って口元を隠した。赤い頬が更に恥ずかしいのか左右をきょろきょろと見回し、困ったような上目遣いで自分を見てくる。
 ……うわぁ。ちっちゃい子って何しても可愛いから得よねー。
 思いと共に柔らかな髪を撫でると、一回びっくりしたような顔を見せ、すぐに赤い頬をほころばせる。あぁもう可愛いなぁコノー、と思いつつ更に撫でれば、くく、と喉から小さな声が上がった。
「あら、猫みたいね?」
 言えば、恥ずかしそうにころりと笑う。小さく傾げられた首の動きに合わせて揺れたのは金の長髪。やっぱり白には金が良く似合う。


「うみ、元気なの」
 
「元気?」

「うん。…ほら、あそこ」

 少女が指差すのは波立てる岩のある方向。そこにぶつかって飛び散る飛沫をじっと眺め、

「あんなに元気なの」

「……そうねー。そこでだべってる風くらい元気ねー」

「今日は、北風、元気ないの。西とか、南風のが元気なの」

「夏だもの」

「そっかー」

「そーよー」


ひとり、風が防波堤から飛び立った。あまり元気が無い所から見るに北風辺りだろう。涼しい所が見つかればいいなと思った。

海と空を一緒に見るためにやや首は上向き。二人そろって間延びしたテンポで風に吹かれる。


「おねーさん、なんでここにいるのー?」

「ここに居るからよー?」

「隣のひとは? どーしたの?」

「隣?」

「どーしたの?」

 考える。さて、普段隣には誰がいるだろう。……しまった。思い付かない。
 答えたいが、答えが見つからない。どうしたのと聞かれてもどうもしないとしか言いようが無い。しかし、そんな人はいないと言い切る事ができない。
 ……無い無いづくしね………。困った。なので、


「まだ寝てるわ。起こしても起きなくて、ヒマだから置いてきたの」

盛大にはったりをかましてみる。

「そっかー」

信じてくれた。

「だったらね、隣のひとがいないうちに、おねーさんに聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと? なーに?」

「おねーさん、幸せになりたい?」


「え……」


 思わぬ所の質問だった。だから言葉に詰まり、答えが見つからない。
 幸せになりたくない訳が無い。でも、この自分にそうなる資格は無いんじゃないかと思う。自分にとっての幸せとは何を意味するのか。それすらも解らない。また無い無い尽くしだ。


「……幸せ…に……なり…………」

「たい? たくない?」

「…………わから……ない」

「わかんないの? なりたくない、じゃなくて、わかんないなの?」

「うん…」

 情けない話だ。幸せくらい、なりたいと言い切れば良いのに。言うだけはタダで、内側に仕舞うよりは建設的なのに。
 あたしは、どうして『幸せになりたい』と言えないのだろう。

 でも、その子は何よりも嬉しそうな顔をした。
 小さな手を白いワンピースの胸元に当て、誰よりも嬉しそうで、本当に心の底から安心したような声で、一言だけ言った。

「…………………………………………………………よかったの…」

「え?」

「おねーさん、幸せになりたいけど、なっていいのか、わかんないだけなの。だから、よかったの」

「ちょ、ちょっとまってよ、あたし別にそんな」

「だって、わかんないんでしょ? 幸せになりたいのか、わかんないでしょ?」

「そうよ、だから…!」

「だったら、なんで『幸せになりたい』って言えないの?」

「……それは」

「わかんないなら、いつかわかるの。答えられないだけのおねーさんなら、それはもうわかってるはずなの」

 ……解らない。確かに答えられないだけと言えるのだろう。でも、今の自分はやはり、幸せになるべきではないとしか思えない。なりたいとなれるは違うのだから。
 小さい頃の夢が叶うとは限らないのは誰でも知っている事だから。
 なりたかった自分と、なれる自分がいつも違うのは何故だろう。ほんの小さな言葉さえ紡げないような、怖がりな自分はもう受け入れている。受け入れてしまったから、だからこそ余計に小さな一言が怖かった。

 でも。
 このちいさな女の子は、それを突き付けに来たのではなかった。


「おねーさんはね、幸せにならなきゃいけないの」

「……どうして?」

「おねーさんの戦いはね、てきを倒して終わり、じゃダメなの。おねーさんが、ちゃんと笑えるようにならないと、ダメなの。
 おねーさんはね、最後は幸せじゃないといけないの。笑って、幸せで、それでいいんだって思えないと、おねーさん負けなの」

 ……負け。ここまで色々な物から外れて生きてきたのだ。今から何に勝つのだろう。
 でも、この子が言いたい『負ける相手』が何なのかには興味があった。

「負けって…何に?」

「過去。それと、自分」

「過去と、自分?」

「うーんと、その次ぐらいに、てきに負け、なの。
 おねーさんは、てきに…ううん、あの人に言われてるはずなの。血は流れてるって。おまえも、こっちに来るんだって」

「……知ってるの?」

「気にしてるんでしょ? おねーさん。知ってるの、おねーさんのことなら。
 てきを倒して、言った人がいなくなっても、おねーさんはまだ気にしちゃうの。気にしてた自分が嫌になっちゃうの。知らなかった自分がくやしくて、助けたかったのって泣いちゃうの。いっぱいいっぱい泣いちゃって、でも、負けたまんまになっちゃうの。
 ずっと気にしてて、ずっと泣いてて、ずっと昔ばっかり見てることになっちゃうの。それじゃあ、おねーさん負けなの。
 おねーさんはね、幸せにならなきゃ負けなの。生きてかなきゃ負けなの。
 大切なモノ、たくさん持って、護っていって、無くしてもまた持って。怖くなるのが怖くなくなったら、おねーさん勝ちなの」

「………それがあたしの……あたしにとっての勝ち……?」

「うんっ。幸せになったもん勝ち、なの」

「うーん
―――――――――……ねぇ、あたし、勝たなきゃ駄目?」

「…自分でわかってること聞かないでほしいの。
 おねーさんは、もう一人じゃないの。だから、隣のひとは勝って欲しいと思ってるはずなの」

「思われてるの……かなぁ」

「いやなの?」

「嫌って言うかねー…期待は重いわ?」

「……重りが無かったら、ひとはみんな飛んでっちゃうの。おねーさんが思ってる期待も、重さも、大切に思ってもらってるあかし、なの。
 おねーさんも、隣のひとは、まわりのひとは、みーんな大切なひとなんでしょ?」

「なのかな。……だといいけどね」

「大丈夫なの。
 だって、おねーさん信じたいって思ってるの、信じようとしてるの」

「え?」

「隣のひとが大切なひとなんだ、ってもう知ってるおねーさんが、負けたいはずがないの。
 負けたら、おねーさんが泣くんじゃないって、つらくなるのは、まわりの人だって知ってるはずなの。だから、負けたくはないはずなの」

「……でも。
 あたし、一人じゃないって、思えてないよ?」

「でも、一人ぼっちで、哀しくて、さびしくて、だれか助けて、なんて思ってないはずなの。
 思い出せないだけで、今もすぐそばにいるはずなの」

「そう………かな」

「もう言ったの。おねーさんは、幸せにならなきゃ負けなの。笑顔になれたら勝ちなの」

「……あたし、笑ってる? 笑ってられる?」

「今は、少しさびしそうなの……でも、笑おうとはしてるの。
 これから笑っていられるかは、おねーさんが頑張ることなの」

「頑張ってなんとかなる事かな?」

「ならなかったときは、おねーさんの負けなの。
 大丈夫なの。おねーさんは、ひとりじゃないおねーさんは、手を合わせられる人がいるの」

「……大丈夫、かな。勝てるかな、あたし」

「きっと勝てるの。絶対の絶対に、大丈夫なの」

「絶対?」

「絶対の、絶対なのっ!」

「……力強い肯定をありがとね」

「えへ…。
 ねぇおねーさん。幸せに、なりたい?」

――――――――――――…うん」

「なら、もう大丈夫なの」


 そう言って少女が立ち上がると同時に、風が何かに押されるように一斉に飛び立った。
 一瞬、強い力が少女と自分を揺らした。
 飛びそうになった麦わら帽子をとっさに押さえ、少女を見上げる。少女は何もかもを受けとめて包み込むような笑みを浮かべ、麦わら帽子を放った。
 静かな静かな声が、風音の隙間に滑り込む。少女はただ、年齢という概念を吹き飛ばすように笑っていた。



―――――――………がんばって、明日のわたし…」






 風が吹いていた。
「……………………え?」

 がば、と跳ね起きる。右を見て左を見て、落ちそうになっていた麦わら帽子を慌てて押さえる。
 服装はさっき着替えた物。暑いから風通しのいい物、と久しぶりにスカートなんぞ穿いてみている。座っている防波堤には、先程と同じようにカモメだけが翼を休めていた。

 今のは夢だろう。姿を持つ風など、見た事も想像した事もない。変な夢だ。
「……ほんと、変な夢」
 良く解らない笑みが口元に浮かぶ。なんのために笑っているのかもさっぱり解らない、あいまいな笑顔。自分でそう思うようじゃ駄目かなー、と、少しだけ自分で笑う。

 横に置いたサンダルをそろえ、防波堤の上に立ち上がる。はだしの足裏に熱を感じた。さっきまで自分がいた証の、自分の熱だった。
 そして、一つの色が白いワンピースから滑り落ちた。

 するりと落ちたのは一輪の華。
 赤い紅い、八重の華。
 風が吹いて、押さえられたのは頭上の麦わら帽子だけ。
 華はくるくると回り、一枚葉っぱを切り離し、それと一緒に海に着いた。
 紅い海に紅い花びらが溶けるように消えた。
 残った茎も、すぐに沈んだ。
 ばいばい、と、手を振るように揺れていた葉っぱも、やがて流れて行く。
 それを呆然と見送り、やがてもう一度笑顔を浮かべられた。
 今度は自分の意思で、淋しさをなるべく思わないように。

「……どっから何所までユメ…かしらね」

 サンダルを履き、片手で少し調節。歩きやすいようにしっかり履いて、よし、と頷く。
 一つ大きく身体を伸ばし、太陽を片目で見上げ、くるりと背を向けた。
「……隣の人でも…起こしに行きますか…っ!」



 頑張るよ、今日のあたしは。










カンシャのキモチ。
氷紅梦無さまに頂きましたそのA。
ミリィバージョンです!
ちょ、女の子が可愛いんですけど!
倖せはなったもん勝ちですよ、ほんとに。
辛い思いをたくさん知っているから余計に、ミリィだったら大丈夫だと思うのです。
素敵なものをありがとうございました!

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