窓越しの世界 |
淡い乳白色のカーテンを開けると、視界を覆う光に彼女は目を瞑った。 「わ…!」 徐々に瞳を開ける。窓の外に広がるのは一面の銀。リゼンブールに昨日から降り積もった雪は大地を覆っていた。木々にもまるで白い花のようにその残雪を残している。 そんな白に包まれた世界――その向こうに見える、鋼色の大きな巨体とその近くの小さな影。絶え間なく動くそれらに、彼女―ウィンリィは感心したような声を出す。 「あいつら元気ねえ」 エルリック兄弟が故郷に戻ったのは二日前のこと。例によって半壊状態の機械鎧を直し、昨日には出発する予定が雪のため列車がストップし、足止めを食っていたのだ。だが今日の昼には出てしまうだろう。 時計はまだ七時前を指している。朝食前の組み手とはいえ、ご苦労なことだ。そう思いながらも彼女は開けようとして窓を開けかけて――ふとその手を止める。 「あ……」 窓は曇り始めていた。白い靄は徐々に増え、彼女の視界を遮っていく。この部屋―リビングも先程暖炉を付け始めたし、当然だろう。だが、彼女は呆然と佇むしか出来なかった。 (あいつらが……見えなくなっちゃう……) 未だ組み手をしている兄弟の姿が白に塗り潰されていく。それがどうしようもなく切なく、寂しく、彼女は窓に当てたままの拳を軽く握る。 窓さえ開けてしまえば、または暖炉さえ切れば、その姿はまた遮られることもなく、鮮明に見ることも出来るはずだ。だがそれさえも出来ない。何故なら。 (これがあいつらとの距離感なのかな) 幼い頃からずっと一緒にいた兄弟は元の身体に戻るための旅の途中だ。今はこうして帰ってきているが、機械鎧を壊した時くらいしか帰って来ない。つまり、単純に幼馴染としてのみ帰ってきたことがないのだ。彼らのサポートをしたい。だからそんな邪魔になるようなことは言わない。だが時に彼らの住んでいる世界と自分の世界とは違うようで。 (こんな風に、半透明の窓に遮られるみたいに) 時々夢に見る。幾ら兄弟を追っても、名を呼んでも、追いつけはしないのだ。大抵起きると涙を零す悪夢。 (私らしくない) いつも明るく、彼らを迎えるのが自分の役目ではないか。ネガティブになりかけた精神を叱咤するように俯き、無理に微笑む。 どれくらいそうしていたのか。窓を叩く音に、彼女は弾かれたように顔を上げた。掌で窓の一部を拭う。そこにはクリアになった変わらない雪景色。だが遠くに兄弟の姿はない。 「?」 不思議そうに首を傾げたその時。再び聴こえた叩く音は下から。見下げると、壁に凭れ掛かって見上げる、幼馴染の片割れ。 「エド?!」 ウィンリィは驚いたように声を出す。だがそんな彼女を見ながら、当の彼は不機嫌そうだ。家の中とは床の高さが違うため、幾ら一階とはいえ見上げざるを得ないことが腹立たしいのだろう。横顔はそのままに視線だけこちらに向けて、口を開く。 『開けろ』 声は窓に遮られ、くぐもって聴こえた。遠い位置にいるような声に彼女は応えることが出来ない。痺れを切らした彼が紡ぐ同じ台詞。だが彼女は応える代わりに指先で、曇った窓に文字を書き込む。 “嫌” 『おまっ…!!』 大声と同時に壁から離れて窓の前に立つ。怒鳴り声は窓越しでもよく聴こえた。 『馬鹿なことやってんじゃねえ!さっさと開けろ!!』 “嫌だって言ってんでしょ?判らない豆ね” 『豆じゃねえ!何なんだ一体!』 “別に。錬金術で無理矢理開けたら二度と家に入れないわよ” 釘を刺された彼の額には青筋が浮かんだことだろう。だがそれを確認する術はない。窓は再び曇り、僅かな視界さえも遮ってしまうのだから。 “このまま話そう?” 彼女は冷たくなる指先にも構わず、そんな一言を書き込んだ。 彼が怒るのも仕方がないことも、よく理解している。こんな理不尽なこと許されるはずもない。だが言葉がなくても、姿が見えなくても。いやだからこそその状態で話したいと――強く思ったのだ。 暫くの静寂。やがて窓の淵に近い下に書き込まれるのは流暢な文字だ。 “何がしたいんだ、お前” “たまにはいいじゃない。アルとの組み手は終わったの?” “それよりお前のことだよ。質問に答えてねえぞ” “また負けたんでしょ” “うっせえ!!” 普段の小競り合いと変わらない、何気ない会話。幼馴染の文字は全て鏡に映したように反転しなければ読むことが出来ない。自然、返事を書くのにも暫し時間が掛かる。その状況を楽しみながらも、彼女は胸が締め付けられる感覚を覚えた。 この窓は実際の距離だ。幾らそちら側に行こうとしても、彼らの世界に踏み込むことは出来ない。それを嫌というほどに思い知っているのに――何故気付くのだろう。 “ウィンリィ?” ぶっきらぼうでどうしようもなく無神経で。錬金術馬鹿でアルよりずっと人の気持ちに鈍感な幼馴染は、時々驚くほど敏感に感じ取って、こんな風に心配してくるのだ。 それがどうしようもなく感情を溢れさせる。この感情を言葉になど出来ないことを知っている。彼にとってこれを伝えることは障害にしかならない。判っていてそれでも、彼女は人差し指に想いを込めて、すぐに消えてしまう言葉を紡いだ。 “大好き” 途端聴こえてきたのは手を鳴らす音。同時に窓に置いた彼の手によって一瞬にして窓から煙が上がる。 「?!」 驚いたのも一瞬のこと。一歩下がった彼女が見ると窓の水滴は全てなくなり、曇りも晴れていた。広がる視界に、錬金術によって窓に付く水分を蒸発させたのだと知る。しかし、雪景色の中に彼の姿はなかった。彼女は慌てて窓を開ける。 「エド?!」 「俺は何も見なかったからな!」 聴こえてきた声は下から。見ると、彼は窓の真下、雪の上に座り込んでいた。見下げる彼女の位置からは彼の表情は見えない。きょとんとする彼女に業を煮やしたのか、彼は小声で漏らす。 「ずるいだろうが…あんな……!」 「え?」 「あんなもん窓越しに伝えるな!そんなことしなくても口で伝えられるだろう!!」 その言葉は彼女の中に沈み込んでいく。 口で伝えられると。窓越しでなくても、会って、話すことが出来るのだと。 それがどのくらい嬉しいかなんて。心の氷を溶かしてくれるなんて、きっと幼馴染は知りもしないのだろう。 「それにな…!こういうことは男から……!!」 ぶつぶつと何やら独り言を繰り返す彼の耳は真っ赤だ。彼女は笑いたいのを堪えながらも窓枠を掴んだまま問い掛ける。 「で?結局何が言いたいの、あんたは」 「だからっ!!いつか俺から言ってやるから今のは無効だっ!!」 一方的な物言いに呆れながらも彼らしいと思わず笑う。からかわれたと思ったのか、彼は一層機嫌悪く剥れてしまったようだ。彼女は膝を折って彼に高さを合わせ、そっと微笑む。 「待ってるから」 「……おう」 ぶっきらぼうな台詞は振り向くこともなく、だが確実に応えてくれた。 世界は繋がっているから。いつか面と向かってこの気持ちを伝えることが出来る日まで、そっと大事に育てていこう。 隔たれることもない広大な雪原の下では、今はまだ小さな蕾が雪解けの時をじっと待っている。 < 完 > |
カンシャのキモチ。 |
| 年賀状のお礼にと陵飛鳥さまから頂きました。 あっまあまのらぶらぶエドウィン!とかとんでもないモノをリクしたんですが(笑)、 素敵に無敵な小説書いて下さってブラボゥなのですよー!! テンションに任せてメールで色々ぶちまけちゃってほんとスミマセン。 この前に座談会みたいのまで書いて下さって!そっちは私が独り占め(笑)。 ちょ、何ですかこの無意識だか意識的なんだか確信犯なんだかな未満エドウィンは。 ヘタレで思春期恋愛未満なエドウィンは『風の塒』さまへどうぞ! ゴチです!! |
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