窓越しの界〜Edward〜
From.陵飛鳥さま






呼ばれた気がしたのは錯覚だったのだろうか。

ふと振り返る。氷点下の空気の中で、彼の吐く息は白く大気に呑まれた。
「兄さん!」
声と同時にやってくる衝撃。直前のところで後ろに跳び、避ける。その一瞬を逃す訳もなく、鋼の太い足が蹴りを食らわせてくる。
「余所見するなんて余裕だね!」
「余所見なんてしてねえっ!」
「嘘付けっ!さっき振り向いただろ?」
「何でもねえよっ!!」
絶え間なく続けられる弟からの攻撃を避けながら答える。
雪に覆われた故郷、リゼンブール。ここに訪れたのは二日前。例によって機械鎧の不調のためだ。それも直り、昨日には出発する予定が思わぬ大雪に見舞われ、交通機関が麻痺してしまったのだ。だが今日には出発できるだろう。また弟の身体を取り戻すための当てのない旅が始まる。
しかし、今注意力が散漫になったのはこれからの予定に思いを馳せていたからではない。浮かんだのは振り上げた機械鎧の整備師である少女。

(気のせいだよな)

ロックベル家に限らず、リゼンブールの家々の庭は都会であれば家の三、四軒建てられそうな敷地だ。ここから家までの距離は遠い。余程叫ばなければ届かないだろうし、叫んだなら自分より先に聡い弟が気付くはずだ。だが弟は気付いていない。とすると、錯覚以外の何物でもないのだろう。

(あいつの声が聴こえたなんて)

彼は僅かに頬を赤くした。こんなことは弟にばれる訳にはいかない。知られたが最後、笑いの種にされるのは目に見えている。
そう思った瞬間、彼の視界は反転する。気付いた時には遅かった。
「だっ!!」
地響きのような音を立ててその身体は地面に叩きつけられる。思わず受身を取ったものの、背中に痛みが走る。
「痛っ…!!」
「注意力散漫だからだよ、兄さん」
上から聴こえてくる弟の声。勝ち誇った言葉に腹が立つが、誰が見ても勝敗は明らかだろう。起き上がりながら苦悶の表情を浮かべる。
「そんなんじゃねえ、もう一回だ!」
「駄目だよ、兄さん。今日はもう終わり」
「何でだよ!?」
突然の終焉宣言に彼は不満そうに怒鳴ると、鎧の顔でも明らかに判る嬉しそうな声が降ってきた。
「だって兄さん、ウィンリィのとこに行かなきゃいけないし」
「はあっ?!何だそれ!!」
彼女の名前が出た途端、一瞬ギクリとしたのは弟には内緒だ。怒鳴る兄に負けることなく、弟は飄々と続ける。
「え?だって兄さん、それで集中力なかったんだろ?」
「違うっ!!」
合っているが、そんなことを知られる訳にはいかない。だが葛藤も無視して弟は背中を押した。
「いいからほら。負けたんだからさっさと行きなよ」
「ちょっと待て!いつから罰ゲームなんて…」
「兄さんがそう思わないと行けないって言うんなら、僕が悪者になってあげてもいいけど?」
「訳判んねえ…くそっ!!」
恨み言を吐き出しながらもロックベル家に向かって歩き出す。そんな兄の後姿を見送りながら、弟は息を吐いた。
「あれでばれてないと思ってるんだから大したもんだよね」
表情の一つ一つに彼女への想いが滲み出していて。背中を押してやらないと動かない不器用な兄に、アルは心の中で苦笑した。



「何なんだ、ったく…!」
ぶつぶつと文句を言いながらも歩みを進める。ロックベル家が近づくにつれ、その詳細さえも明らかになる。玄関の隣、小さな窓。その白く曇った向こうに見える人影。
「ウィンリィ…?」
半透明に遮られた向こうの彼女は、真っ直ぐに向かってくる自分には気付いていないらしい。だがその表情を見た途端、彼は目を見開いた。
遠くを見つめる瞳。青い瞳は空ろで、何かを捜し求めるような、ひどく頼りない。

(何て顔してんだ)

過ぎったのはふつふつとした怒りだった。彼女に対してではない。当てもない、煮え切らないような。
そんな思いを抱えながら、彼は彼女の立っている窓のすぐ横の壁に凭れ掛かった。白く塗り潰された窓越しの中は窺い知れない。
だが見えなくても彼には判ってしまったのだ。微かに見える人影。そこにいる彼女はまだ、捜し求めているのだろう。

此処にいる自分を。弟を。

凭れ掛かったまま、機械鎧の拳で窓を小さく二回叩く。窓の中央部分が一部拭き取られ、彼女の顔が見えた。遠くを捜すような不安げな表情。彼がもう一度叩くと、今度こそこちらを見、青い瞳が見開かれる。

『エド?!』

名前を呼ぶ彼女は突然ここに現れたことさえ不思議でならないようだ。やはり近づいてくることに気付かなかったらしい。見下げられることも腹が立ったが、何よりもそれが不満でならなかった。
「開けろ」
心の不協和音が声に表れたのは仕方ない。だが彼女は窓を開けることもそこから離れることもせず、ただ目を見開いてこちらを見つめる。痺れを切らしてもう一度同じ台詞を言うと、今度は白く曇った窓に何かが書き込まれる。不審に思いながらも彼はそれを見た。

“嫌”

「おまっ…!!」
逆文字を解読した途端、彼は壁から離れて窓の前に立ち、思わず怒鳴る。
「馬鹿なことやってんじゃねえ!さっさと開けろ!!」

“嫌だって言ってんでしょ?判らない豆ね”

「豆じゃねえ!何なんだ一体!」

“別に。錬金術で無理矢理開けたら二度と家に入れないわよ”

釘を刺され、彼は絶句する。ここで錬金術を使って、または力ずくで開けることは簡単だ。しかし思い出されるのは彼女の先程の表情。それが脳裏を過ぎるたび、無理に抉じ開けるような、そんな真似は出来ないと思い知らされるのだ。途方に暮れたその時。

“このまま話そう?”

白い窓のキャンバスに紡がれた言葉に、彼は所在無く立ち尽くした。
こんなことは合理的ではない。家の中に入れば、またはこの窓を開けてしまえば直接話すことも出来るのだ。こんな窓越しでなくたって。
そんなことは判っていた。しかし、彼はため息を吐いて受諾するしかなかったのだ。
幼馴染は。ずっと支えてくれる彼女は、意味もなくこんなことはしない。

“何がしたいんだ、お前”

“たまにはいいじゃない。アルとの組み手は終わったの?”

“それよりお前のことだよ。質問に答えてねえぞ”

“また負けたんでしょ”

“うっせえ!!”

普段の小競り合いと変わらない、何気ない会話。出来る限りそれを心掛けながら、彼は窓を見上げる。頭二つ分上にいる彼女。その表情は知ることなど出来ない。
故郷を出て根無し草になった時に悟ったのだ。全てを取り戻すその時まで、彼女と同じ世界に身を置くことはないだろうと。平穏なリゼンブール。そこで幸せに暮らして欲しいと、それだけを願って。
それでも幼馴染は戻ってくると迎えてくれる。『おかえり』と笑ってくれる。それに対して、どれだけ感謝してもしきれない。その時だけは同じ世界にいるんだと
――それだけが波乱に満ちた旅を支えてくれて。
だから、彼女にもそれを知って欲しい。此処にいることに気付いて欲しい。そう思うのに言葉が出てこない。変わらないように笑顔を浮かべようと、泣きそうに笑う彼女に何が伝えられると云うのだろう。

“ウィンリィ?”

ふいに止んだ言葉の応酬。彼女の言葉が返ってこないことを不審に思い、彼は窓越しに問い掛ける。返されたのは突拍子もない、予想もしていない言葉だった。

“大好き”

「っっ!!」
解読した途端彼は手を合わせると窓に当てる。瞬間水分が蒸発し煙が上がるが、彼は見ることはなかった。同時に背を向け、その場に座り込んだのだから。
次の瞬間聴こえたのは窓の開く音と、クリアな幼馴染の声。
「エド?!」
「俺は何も見なかったからな!」
彼は突発的に叫んでいた。彼女の表情は見えない。俯いたその先に見えるのは白い雪だけだ。
雪は何でこんなに冷たいんだ。衣服を通しても凍えるような温度は伝わってくる。当たり前のことを心中で毒吐かなければ、頭に昇る熱で思考回路が焼き切れそうだった。
彼女の声はそれ以来、聴こえて来ない。沈黙に耐えられず、彼は苦々しく独り言のように漏らす。
「ずるいだろうが…あんな……!」
「え?」
「あんなもん窓越しに伝えるな!そんなことしなくても口で伝えられるだろう!!」
思わず叫んで、最も腹が立っていたことがそれだったことに彼自身も気付いた。
そうだ、何故そんな大切なことをこんな風に伝えるのだ。まるでそれしか出来ないように。本来幸せな笑顔で面と向かって紡がれなくてはならない台詞を、泣きそうに辛そうに、懺悔みたいに。
そんな風に伝えられる言葉なんて、絶対に認めない。
「それにな…!こういうことは男から……!!」
ぶつぶつと独り言を繰り返す。女々しいかも知れないが、先に言われて悔しかったのもまた事実なのだ。ふいに聴こえてきた彼女の声は楽しそうだった。
「で?結局何が言いたいの、あんたは」
「だからっ!!いつか俺から言ってやるから今のは無効だっ!!」
一方的に叫んだ途端、彼女は笑い出す。明らかにからかっているだろうその笑いに怒りを覚えつつも、一方で安堵している自分がいる。切なく愛を囁くよりも、幼馴染をからかって笑っている方が、きっと彼女には似合っている。
彼女を悲しませているのは間違いなく彼自身で。約束も何も出来なく、ただ押し付けられた願いは傲慢以外の何物でもないのだろう。判っている。それでも願わずにいられない。

(そうやって笑ってればいいんだよ、お前は)

ふいに漏れた笑みは彼女に知られないように口元だけに留める。するとすぐ近くで聴こえてくる、柔らかな声。
「待ってるから」
「……おう」
窓越しでない声は彼の心に染み渡り、外気温も気にならないほどに温かくしてくれる。それがまた、同じ世界にいることを伝えてくれたようで、彼は彼女の言葉を何時になく素直に受け止めた。



世界は繋がっているから。いつか面と向かってこの気持ちを伝えることが出来る日まで、そっと大事に育てていこう。

隔たれることもない広大な雪原の下では、今はまだ小さな蕾が雪解けの時をじっと待っている。

< 完 >











カンシャのキモチ。
年賀状のお礼にと陵飛鳥さまから頂きました。
エド視点!
何かさ、アレですよね。
エドは自覚多少アリだから、思考がヲトメなことに時々なるからつまり違和感ないよね。
恋しちゃったんだ多分気付いてないけどー!!※ ●UI
返したメールにまた小話とかのっけてもらってほんとにありがとうございます独り占めです(笑)。
またアレなお話たんまりしましょうね!
ヘタレで思春期恋愛未満なエドウィンは
『風の塒』さまへどうぞ!
ゴチでした!!

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