かえ ばしょ |
暇潰しに開いた本は、少しの挿絵に添えられた切ない童話。 指で文字を追いながら、もう憶えてしまった内容を眺める。 幾度も読み、聞かせて貰った話。 懐かしさばかりが込み上げる。 ベッドに腰掛け、壁に背を預ける少年はふ、と瞳を曇らせた。 コンコン、とドアから軽い音が響いた。 顔を上げて返事をしようとしたが、それよりも先に声がかかる。 「アレン君、もう眠っちゃった?」 「リナリー?」 慌ててベッドから飛び降り、ドアを開ける。 瞬間、白い靄が目の前を覆った。 目を瞬かせていると、その向こうの少女がにこりと微笑った。 「良かった、ホットミルク入れてきたの」 入るね、とアレンが止める間も無くあっさりと部屋へと足を踏み入れてしまう。 「リナリー、こんな時間に異性の部屋へ来るなんてあまり関心出来ませんよ」 「アレン君は真面目だなぁ」 呆れた彼の忠告も何のその。 リナリーは笑いながら、さっさとベッド脇の椅子へと腰を下ろした。 「はい、どーぞ」 にこやかに差し出されたホットミルクは本当にあたたかそうで。 渋々ではあったけれど、アレンは嘆息してそれを受け取った。 「…今日だけですよ」 コムイに恨まれるのだけは御免ですから、と付け加える。 冗談とも本気とも取れる発言に、リナリーはくすくすと微笑う。 漆黒の夜闇にも似た長い髪。 アレンの白銀の髪とは正反対だ。 「どう?少しは慣れた?」 少女が首を傾げて尋ねる。 丁度良く温まったミルクに口をつけながら、曖昧にアレンは頷いた。 「えぇまぁ、ほんの少しだけなら」 そう、と漏らすが、先程と違い笑うことは無かった。 名前を呼ぼうとして口を開きかけたが、遮るように少女が先に口を開いた。 「半分ホントで、半分ウソだね」 「え?」 「アレン君、『おかえり』って言葉にまだ慣れてないでしょ」 一瞬。 一瞬だけ身体が強張る。 視線が微かに泳いだ。 「『ただいま』って言ってくれるまで少しだけ間が空くの、気付いてる?」 否定しようとして、出来なかった。 そうかもしれない。 言われてやっと気付いた違和感。 ずっと感じていた違和感。 あまりに皆が普通に言ってくれる所為か、その懐かしさに不自然な間が空く。 込み上げてくるものの名前など織らない。 嬉しいと思えてしまう自分を、何よりも責めた。 ―――卑怯だ 大切なヒトをこの手にかけて、大切なヒトを2度も死なせた。 俯き、黙ってしまったアレンの裡を織ってか、織らずか。 コトリ、とベッド脇のテーブルにカップを置く音がする。 少女は黒い大きな目を細めて、少年の手をカップごと、そ、と包んだ。 「ここは、帰って来てもいい場所なんだよ」 だから、とリナリーはアレンの頭を撫でた。 「今度は、『いってきます』って言ってよね」 言って良いんだよ。 帰って来て良いんだよ。 リナリーは繰り返す。 それは、アレンの忘れていたこと。 忘れようとしていたこと。 頑なに拒もうとしていたこと。 だってそれはあまりにも、あたたかすぎるから。 眩しすぎる光だから。 ―――おかえり、アレン ―――…うん ―――アレン、『ただいま』は? ―――ただ、いま… ―――よろしい ―――ただいま、マナ ―――おかえり、アレン 懐かしい声が、響く。 懐かしい面影が、過ぎる。 彼のヒトの名を紡ごうとして噤まれる唇。 帰る場所があった。 待っていてくれるヒトが居た。 それは、もう無いものだと思っていた。 だから、望むことなど無かった。 まるで姉のような振る舞いのリナリーに、アレンは思わず笑みを零す。 「…はい、リナリー」 無かった、はずなのに。 アレンがぽつりと零した言の葉を拾う。 「ん?」 覗き込まれた瞳に、困ったように微笑む。 血の色をした手のひらが、呪われた片目を覆う。 そのままぐしゃりと前髪を掴んだ。 「僕、泣きそうかもしれないです」 込み上げてくるもの。 それが何かなど、とっくに織っていたではないか。 分かっていた。 織っていた。 誰よりも、求めていた。 嬉しくて、嬉しくて、どうしようもなくて。 ―――僕は、泣いてしまいたかった 貴方の為だけに流した涙を、自分の為に流したかった。 ただそれだけのことをと、貴方は笑いますか。 そのようなことは赦さないと、貴方は恨みますか。 それとも―――…。 リナリーは頬杖を自分の腿の上で付き、アレンを上目遣いに見やった。 「良いよ、泣いても」 あっさりと言ってくれる彼女に苦笑する。 「格好悪いじゃないですか」 「じゃあ見なかったことにしてあげる」 ほんの少しの抵抗を見せれば、ぴ、と人差し指を立てて、背を向けられた。 語尾は掠れてしまったけれど、敵わないなぁ、と呟いてみる。 当たり前だと言う様に、彼女は優しく、本当に驚くほど優しい声音で言の葉を紡いだ。 「ホームはね、皆で一緒に泣いたり笑ったり出来る場所なのよ」 ぴんと伸ばされた背筋がとても綺麗に見えたはずなのに、次の瞬間、滲んで暈けた。 END |
あとがき。 |
実はweb拍手御礼SSボツ作品。 あっちにするには長くなりすぎたんで。 これってアレリナ?いやむしろリナアレだよ!(爆) |
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