かげろう |
忘れたワケじゃない。 傷が癒えたとは言えない、多分。 思い出せば、言いようの無い感情が渦を巻いて、蹲りたくなる。 彼女は言った。 『愛したかった』のだと。 もしあの時、貴方があのまま、 あの忌まわしいモノに成り果てていたのなら、 もう一度、僕を愛してくれましたか? ねぇ―――…マナ。 ガタリと列車が揺れた。 窓枠に肘をついていた少年は舌を噛んだのか、 口元を押さえて窓から離れた。 目立つのは、幼い顔立ちに似付かわしくない白い髪。 しかしながら目尻に涙を溜めている仕草は愛らしい。 ひょこりとやって来た紅髪の少年は向かい側に腰掛けた。 「何やってるさ、アレン」 「ほっといて下さい、ラビ」 呆れて笑うラビに、アレンはむっつりと窓の外を見やった。 「クロウリーはまだ?」 彼の質問に、ラビは頷いて手をひらひらと振る。 故郷を追われた同僚は、初めての電車内をさも嬉しそうに見学に行った、 のは良いが未だに帰って来ない。 「帰って来ないんさ。もしかしたらどっかで挟まってたりしてなー」 発動時とは性格が一転する同僚を思い出し、 冗談に聞こえない台詞に苦笑する。 ふと、手を見下ろしてみた。 十字架が埋め込まれた、血の色をした腕。 イノセンス、と呼ばれる対アクマ兵器を持つ彼らは総じてエクソシストと呼ばれる。 彼の手に埋め込まれたものもまたイノセンス。 悪魔ではなく、アクマ。 悪魔祓い師のエクソシストとは根本的に違うモノ。 アクマとはヒトの皮を被る、 死者の魂を封じ込めた呪われた兵器。 それらを壊すのがエクソシスト、つまり彼らなのだ。 「アレン」 「何です、か…ッ」 ぶすり、とアレンの頬を刺す指。 「…喧嘩売ってるんなら買いますよ、ラビ」 あまりに古めかしい手に引っかかり、下らない怒りが込み上げてくる。 その指を常と反対側に曲げてみた。 「いっ、ででででで!?痛いさ、アレンッッ!!」 ぱ、と手を話せば、涙目でラビに睨まれる。 何処吹く風で、アレンはにこりと笑った。 「東国での『因果応報』って言葉、織ってます?」 「…………『倍返し』って言葉も織ってるさ」 ラビは手を摩りながらぽつりと零すが、 すぐにアレンとは違う方向へ視線を逸らした。 思いついたのか、それともずっと考えていたのか。 ラビは口を開く。 「…アレンも」 「え?」 「理由の為に生きてるんか?」 突然の、思っても見なかった問いにアレンは言葉を失う。 片目を眼帯で覆った目は、時折鋭く物事を見据える。 「あの時のお前、クロちゃんに言いながら自分にも言い聞かせてるみたいだった」 ゆっくりと、沈黙が訪れる。 視線を逸らし、窓の外を見やっていたアレンは思い出すようにして尋ねた。 「…エリアーデ、でしたっけ」 欲しかった答えとは違う答えを、しかも問い掛けを貰い、 ラビは、へ、と間抜けな声をあげる。 まぁ尤も、答えが返ってくるとは思ってはいいなかった。 アレンは外見や性格に似合わず、妙に頑なな所がある。 それは決して他のものが手や口を出して良い領域ではないというのも感じていた。 「あの、アクマ」 「ん?あぁ」 やっと彼の質問を理解したのか、曖昧に頷く。 美しい女の姿をしたアクマ。 クロウリーが愛した、そして壊したアクマ。 「『愛したかった』、って言ったんですよね」 最期の、瞬間。 その想いは確かに、本当だったのかもしれない。 彼が彼女の為に流した涙も、痛めた心も。 ―――貴方を、愛したかったのに、な… ボロボロのアクマが紡いだ愛の言霊。 「アクマは兵器だけれど、時が経てば自我を…心を持つ」 誰かを愛したい、そう願うのは許されないことなのだろうか。 否、許されてはならないのだ。 アレンはその理由を痛いほどよく、理解している。 「あの時僕は、望んではいけないことを望もうとしてしまった」 だからこそ、自分を許せない。 ほんの一瞬でも考えてしまった自分を、赦せない。 呪われた左目が、疼く。 そう、また望んでしまった。 性懲りも無く。 貴方があの忌まわしいものに成り果てていたのなら。 ―――モウ一度僕ヲ、愛シテクレタノカナ どうしようもなく愚かだ。 それを望んだ所為で、何が起こったのか忘れてはいないのに。 罪悪の想いに縛られて、彼の夢にすら懺悔した。 浮かんだ彼の幻に、『大丈夫』だと笑って、泣いた。 それでも、それなのに。 「ヒトとそうでないものを区別する時に心の有無を言うのなら、僕たちと彼らの違いは何処にあるんでしょうね」 アレンはひとりごちる。 戒めの左眼を瞑り、破壊の左腕を握り締めた。 「迷わない、躊躇わない。そう決めたのに、僕の心は何度も揺らぐ」 どうしようもなく、愚かだ。 俯いてしまった彼の向かい側から、溜息ついでに吐かれた台詞。 「そりゃ仕方ないさ」 気軽に話すように、ラビは笑う。 「道と同じさ。一本道ばっかりじゃない。時には曲がったり無くなったり、迷うコトだってある」 椅子の肘掛に頬杖を付いて、アレンが先程眺めていた窓の外を見やる。 早く動く風景は、遠くでもなければ目に映すことは出来ない。 「でもやっぱり、歩くだろ。それと同じ。手探りで歩いて、思いがけないトコに出るってのもアリかな」 ガタリ、と列車が揺れる。 窓枠が小さく軋んだ。 「俺らとアクマの違いは、其処だと思うんよ」 窓に映る自分の姿が泣きそうに見えて、アレンはラビを見やった。 彼は依然、外に目を移したままで、アレンをその隻眼に映すことはしない。 「アクマは同じ場所しか歩き続けることが出来ない。俺らは前へ進むことが出来る。だから終わることも、あるさ」 失ったもの。 壊されたもの。 護りきれなかったもの。 それら全てを以ってしても尚、戦いは続いていく。 いつか、終止符を打つために。 「ラビ」 「どーんと考え込むのはお前の悪いクセさ。も少し気楽に行かんと」 額を指で弾かれ、ほんの少し仰け反った。 思いの外痛かったのか、額を押さえてラビを睨む。 先程の『因果応報』を思い出す。 にしし、と笑うラビにしてやられた。 「んで、潰されそうになったら手ェ貸してやっからさぁ」 そう言って、差し出された手をアレンは見つめる。 くすり、と微笑ってその手をやんわりと退かした。 「…高そうだから遠慮しておきますよ」 お互いの手を拳にして、こつんとぶつける。 顔を合わせれば、お互いに堪えきれないように笑い出した。 「…ありがとう、ラビ」 一瞬だけ寂しげな笑みを浮かべ、目を閉じる。 そうして、クロウリーを探しに行こう、 とアレンは立ち上がった。 貴方は、僕が迷う度に僕を訪う。 まるで叱咤するように。 強く背中を押すように。 僕はまた、迷ってうかもしれないけれど、 立ち止まらないと約束するよ。 ねぇ、マナ。 僕にはまだ、貴方の名を口にする資格があるだろうか。 声はもう、聞こえないけれど。 END |
あとがき。 |
Dグレ初書き! クロウリーが電車散策に出たアト。 ラビが愛しいです。 アレンは別格で好きです。 クロちゃんの純粋さが身に染みます。 |
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