『なぁ、アレン。もしも…』
『え?』



こえない貴方の声、く貴方のぬくもり






いつも途中でかき消える声が、どうしても思い出せない。
吹き荒ぶ嵐でも、音を飲み込む雪原でもないのに、どうしてか。
そうしていつも音のない声を聞いたその後に、僕は涙を流して目を覚ます。
「…あ?」
腫れぼったい瞼を懸命に押し上げ、僕はぐるりと目玉を動かしてみた。
薄気味悪いオブジェや絵画が転がる薄暗い部屋。
天井の染みは何だったろう。
けれど、ここは決して拷問部屋でも嫌がらせの降り積もった部屋でも無く僕の部屋。
どんなおどろおどろしいものが置いてあって、
夜な夜なすすり泣く声が聞こえようとも、師匠の恐ろしさには敵うまい。
アクマも悪魔も生易し過ぎる表現だ。
「あー、またかぁ」
誰にともなく呟くと、寝癖の付いた髪を撫でつける。
壁に立てかけている等身大の鏡に映る姿。
雪のように白い髪、血のように紅い左手、
前髪を掻き上げれば左目上に浮かぶ、真逆のペンタクル。

―――この呪われた姿こそが罪の証

戒めなのだと、鏡を見る度に刻み付ける。
口元を歪めて軽く笑ってみても、やはりそれはどこかぎこちない。
上手く、笑えるようになったと思ったのは勘違いだったのか。
シーツの中で立てた膝に額を押し付けると、
微かなぬくもりが伝わって来て、閉じた涙腺がまた緩み始める。
きっと、理由は無いのだ。
泣く理由なんて、僕の中には存在しない。
彼を想って、泣けるはずもないのだから。
「ねぇ、マナ。あのとき」
『なぁ、アレン。もしも…』
呆れるくらいに頭の中でリピートする。
最後の最後で掠れてしまう記憶。
あのヒトは何て言って微笑った?
あのヒトは何て言って僕の頭を撫でてくれた?
「…思い出せないんだ、マナ」
雪の上に綴った、ふたりだけの遊び文字。
冷たい指も忘れ、真っ赤な鼻を擦って、たくさんたくさん考えた。
たくさんたくさん教えてくれた。
声も、姿も、仕草も、優しさも。
全部覚えているのに、どうしても思い出せないんだ。


「マナ」


もう、居ない。


「マナ」


もう、会えない。


「マ、ナぁ…っ」


もう、届かない。



莫迦だ。
その事実を一体幾度確かめた?
目が覚めて、貴方の姿を探した。
目が覚めて、貴方の声が聞こえるのを待った。


目が覚めて、漸く僕は現実を思い知るんだ。
何度も、何度も、飽きることなくずっと。


―――全てが夢であったのなら、と


貴方の姿を探し続けている、今も、きっと。


手を伸ばしていれば、
いつか貴方が掴んでくれるのだと、途方もない夢を見ている。


「莫迦、だなぁ」


熱くなった目頭を堪え、苦笑する。
そんな日は来ないのだと分かっている頭で夢ばかり見ているんだ。
だから、きっと声は聞こえない。
貴方の声を拒んでいる僕には。
「…聞こえない、よ」
あの日懸命に何かを訴えていた僕の頭を、マナは優しく撫でてくれた。
(そう、だ。そうして)


『あぁ、頼もしいな』


―――貴方は、笑ったんだ


笑って、逝ったんだ。


マナが居なくなったのは、それからすぐ後だった。
たくさんのものを与えてくれた貴方は、
ひとつも返せないままにたったひとりで逝ってしまった。
僕は約束を護れなくて
――…。
「やく、そく…?」
脳裏を古い記憶が過ぎる。
何だ、今、何かを。
(思い出し、かけた?)
必死になって探るけれど、浮かびかけた記憶はもう一度深い海の底へと沈んでしまう。
簡単には思い出させてはくれないそれはマナにとてもよく似ていて、
僕は思わず笑ってしまった。
「そう言えば、いつも簡単には教えてくれなかったなぁ」
本当の意味での優しさを教えてくれたのはマナだった。
時には見せる厳しさも、僕を想ってのことだと分かったから頷けた。
どんなときも、貴方の傍だったら僕の存在は赦されるのだと信じて、疑わなかった。


今はまだ聞こえない声。
貴方の心がそこにあるのだと知っていながら、僕は目を逸らし続ける。
あの記憶はきっとずっと傍にあって、気付かないフリをしているんだ。
いつか、『もしも』の続きを思い出せる日が来たのなら、
僕は今度こそ貴方を想って泣けるだろうか。


「…父、さん」


親愛なる、父を想って。






END



あとがき。
マナとアレンの親子が好きです。




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