もしかしたら、この恋は花恋かもしれない。
そう思ったことは、何度もあった。




恋しぐれ






湿った風が通り過ぎると、難しい顔をした少女は、更に眉根を寄せた。
風が変わった。
匂いが変わるとは、こういうことか。
いつも嗅覚で物事を告げる少年を思い出し、
深々とため息を吐いた。
「かごめちゃん」
どんよりとした空を見上げながら、古風な衣装を纏った少女がかごめを呼んだ。
「珊瑚ちゃん」
江戸の時代ほど、華やかな着物ではない。
袖も比較的短い。小袖を思わせた。
帯は細く、低い腰周りを縛っている。
唐衣のようなゆったりとした着こなしは、戦国の時代を思わせた。
しかし、辺りを見回せば、かごめと同じ雰囲気のものは見当たらず、
逆に洋服姿、それもセーラー服のかごめ1人が浮いている気さえする。
冷たく物々しいビルの群れは何処にも無く、
木々や大地があるがままに広がっている。
間違うことなく、ここは妖かしとヒトが入り乱れる混沌が広がっていた戦乱の世。
腰掛けていた石も自然に削りだされたものか、
誰かが何かの為に運んできたものか見当もつかない。
「雨が降りそうだよ。あっちに空家を見つけたんだ、行こう」
「うん…」
かごめの足元で尻尾の分かれた猫、雲母が小さく『みぃ』と鳴いた。
それでも、躊躇いがちに立ち上がる彼女を見ていると、
同じ女として胸が痛くなるのと、
こんな顔をさせる彼女の想い人が、
憎らしくなってくるのを同時に感じる。
「かごめ、犬夜叉なんぞ心配する必要ないぞ!」
不意に、珊瑚の肩から甲高い幼子の声が響く。
ひょこりと顔を覗かせた子どもの後ろには、ふわりとした尻尾。
足もヒトのものではない。
妖かしの類だと分かる。
「分かってるんだけど」
かごめは空を見上げ、曖昧に頷く。
「雨、降りそうだし」
苦笑して、珊瑚は彼女の肩を叩いた。
「かごめちゃんが濡れる方が、アイツ心配するよ」
肩に置かれた手を見て、頬を摺り寄せた。
珊瑚は姉のように思える事がある。
1つしか違わないのに、ずっとしっかりしていて、頼りになって。
確か、この時代はまだ数え歳であったはずだから、
実際には2つほど違うのかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えた。
「そうかな」
瞬きをして、柔らかく微笑む。
「そうだと、いいな」
非道く苛々する。
珊瑚は沸々と込み上げる感情を必死で抑えた。
勿論、目の前の少女にではない。
何でこんなに良い子が、こんなにも痛みを背負わねばならないのか。
例え、彼女の意思で選んだものであったとしても、
珊瑚には受け入れがたいものであった。
「死魂虫に、のこのこ着いて行きおって、あの莫迦犬め」
いつでも彼女達の味方である子狐は、機嫌の悪さを隠すでもなく、
ここにいない者を強く罵った。
勿論、全てが全て、本心ではない。
けれど、感じている不当さは子どもにも分かるのだろう。
「七宝ちゃん」
振り返って、かごめは苦笑した。
憤慨した様子で、珊瑚の肩の上からかごめを見下ろした。
「珊瑚なんて、そんなことしたら、崖から突き落として足腰立てなくしてやると言っておったぞ」
「うん、でも」
いつか、犬夜叉があまりにも不甲斐ないので、
腹を立てて愚痴を言っていた時のことだ。
そんなことも言ったな、などと思いだす。
「それくらいじゃ犬夜叉、全然平気そうだし…」
「かごめちゃん…」
珊瑚は声を詰まらせる。
しかし、会話は一般の乙女の色恋話とは程遠い。
「言いたいことと、やりたいことは分かるが、奈落を倒すまでは堪えてくれな」
ふと、かごめは思う。
彼女達の心配するほど、自分は苦しんでいるのだろうか、と。
勿論、彼が別の想い人のところに行けば、腹も立つし、苛立ちもする。
嫉妬の感情は抑え切れるものではない。
口でいくら信じていると言っても、腹の底では疑っていて、
煮え切らない態度の犬夜叉に、もどかしさを感じる。
けれど、言ってしまえばそれだけで、
言いたいことは言っているし、
感情をぶつけ合う喧嘩もしばしばだ。



―――あれ?



喧嘩して、結局は赦して、赦されて。
傷付いても、傷を塞げるだけの愛情をくれる。
決して『好き』とも『愛している』とも言わないけれど、
それ以上の想いを、ぬくもりをくれる。
別れなければならないと思った時、
それでも、犬夜叉の『傍にいたい』と言った。
『いてくれるのか』、そう言った彼の想いは、多分、嘘じゃない。
一方通行の恋じゃない。




唐突に、理解した。




小屋へ向かって歩いていた足を止め、急に立ち止まる。
「どうしたの、かごめちゃん」
皮で作られた靴をこつん、と地面にぶつけ、顔を上げて笑った。
「何か、思ってたより平気みたい」
「え?」
「珊瑚ちゃん達が心配するほど、私、辛くないみたい」
きょとんと首を傾げる珊瑚と七宝を追い越し、くるりと振り返る。
「大丈夫ってこと!」
そのまま走り出したかごめに呆気にとられ、
我に返った2人と1匹は慌てて彼女の後を追った。




胸の痛み。



―――誰かを好きになるって、そういう事でしょ



苛々するのは、それだけそのヒトを好きな証拠。



―――好きにならなきゃ、織らない感情だし



一喜一憂、目まぐるしく変わる感情。



―――ヤキモチなんて、可愛いものよね



あまりの重たさに、時々、手を放したくもなるけれど。



―――でも、全部、貴方に繋がる



声が聞えるたびに、心が跳ねて。



―――傍にいるんだ、って分かる



姿が見えるたびに、心が躍る。



―――悔しいけれど、すっごく嬉しい



嬉しいことも、苦しい想いも全部。



―――全部ひっくるめて、『恋』って言うんだわ




そう。





―――私は犬夜叉に、恋してる






想い、想われ、恋い、焦がれ。
愛しいヒトを想うから、やっぱり何処かで妥協して。
ちょっとばかり、普通の恋とは違うけれど、
『好き』の気持ちに勝ち負けは無い。
二股っていうのは、ちょっと…かなり抵抗があるけど、
でも、都合の良いヒトじゃない。
そこまで器用でもない。
不器用で、たどたどしくて、危なっかしい。
私が、傍にいたいと想うそんなヒト。






そんな、ぶっきらぼうで、優しい犬耳の男の子。






END

あとがき。
桔梗がからむと、途端重苦しくなるので、明るめに。
漫画のかごめちゃんは『もういいわよ』で終わらせる事が多いので、
私の中では、こんなイメージ。
『好きだから仕方が無い』って思っているところがあるような。
モチロン、暗くではなく、明るい方向で。
高橋先生のすごい所は、物分りの良いかごめちゃんを描かないところだと思います。
もし、桔梗のことがあっても、仕方が無いって言うんじゃなくて、
ヤキモチは妬くし、怒ることもある。
良いと言いながらも、しっかり疑っているところとか。
もし、物分りの良いだけの女の子だったら、どこか桔梗を憐れんでいるようにも思えるのです。
だから、あぁいう風に描ける高橋先生を尊敬しちゃいます。

ブラウザの戻るでおもどりください。