朝日を浴びる木の葉が、幾筋もの雫を大地に注ぐ。 前の晩は雨が降っていたらしい。 丁度良いところに洞窟があり、その中で雨宿りしていた。 焚いていた火も、明け方になると炭だけになっている。 鳥の囀りがあちらこちらから聞こえている。 かごめは、その鳴き声で目が覚めた。 弥勒や珊瑚は、もう起きて顔を洗ってきたようだ。 はっきりと、目が覚めている。 「おはようございます、かごめ様」 「おはよう、かごめちゃん。近くに河があったから顔洗ってきなよ」 河で顔を洗ってきたという事は、雨ももう止んでいるのだろう。 かごめは羽織っていた布を傍に畳むと、隣に寝ていた七宝を揺り起こす。 「七宝ちゃん、朝よ」 「ん…なんじゃ、もう朝か?」 眠たそうに七宝は目を擦り、瞬かせる。 「顔洗いに行こっか」 あれ、と珊瑚が声を上げた。 「犬夜叉は起こさなくて良いの?」 かごめは振り返ると、笑いかける。 口元に人差し指を当てて、シィと囁いた。 「犬夜叉、昨日遅くまで見張りしててくれたから、寝かせておいてあげて」 「確かに珍しいね、ここまで寝入っているのは。分かったよ」 彼女は、脇に寝ている犬夜叉を目の端に写して、微笑みながらかごめを見送った。 『私はお前を憎みながら死んだ!そこから魂が動かない!!』 桔梗は犬夜叉に向かって叫ぶ。 犬夜叉は何かを叫ぼうとするが、声にならない。 ―――桔梗!! 捕まえようとするが、その手は桔梗の手をすり抜けてしまう。 崖の上から桔梗が落ちていくのが目に入る。 瞬間、風景が変わり、弓を構えた桔梗が後ろに立っていた。 犬夜叉の森での出来事。 血まみれの桔梗が息も絶え絶えに、犬夜叉に詰め寄る。 『死ね!犬夜叉!!』 抵抗しようとは思わなかった。 出来なかった。 その時の桔梗の表情は、あまりに辛そうで、哀し気で。 痛みが、じわりと広がった。 ―――桔梗、お前は俺を殺さなければ救われないのか? 「犬夜叉、犬夜叉ってば!」 もう昼の刻近くになった為、かごめは犬夜叉を起こそうとしていた。 しかし、いくら揺すっても彼の起きる気配はない。 「犬夜叉!」 「う、ん…?」 ようやく起きたのか、犬夜叉はうっすらと目を開ける。 よりかかっていた壁から背を離し、目の前のかごめを眺めた。 「やっと起き……」 「…桔、梗?」 ピシッと洞窟の中の空気が凍り付く。 弥勒、珊瑚、七宝は恐ろしくて、かごめの側に近寄る事が出来ない。 彼女の周囲に暗雲が立ち込めている気がしてならなかった。 「か、かごめちゃん…?」 同じ女の方が神経を逆撫でしないと思ったのか、 珊瑚が恐る恐る口を開いた。 弥勒と七宝は珊瑚の後ろに隠れている。 「犬夜叉、寝ぼけてたみた…」 「おすわりぃッッッッ!!!!!」 洞窟の中に、大きな声の後に大きな音が響く。 「薪拾ってくるッッ!!」 かごめはそう言うと、洞窟から勢い良く出ていった。 地面に埋められた犬夜叉を、覗き込むように3人は見やる。 顔を上げて、ようやく目が覚めたらしい犬夜叉は、 何が起きたか分からず、辺りを見回す。 「???」 犬夜叉はとりあえず起きたが、現状把握が出来ていない。 岩壁に立てていた鉄砕牙を引き寄せ、体を起こして元の様に座る。 「犬夜叉」 「何だよ」 犬夜叉の右肩に弥勒が、左肩に珊瑚が、足には七宝が手を置いた。 「お前が悪い。かごめ様に謝って来い」 「かごめちゃんも不憫よねえ」 「かごめが哀れじゃ」 口々に言いたい事を言う3人に、犬夜叉は怒鳴り返す。 「何の事だよッ!?」 彼の叫びに、彼等は更に、呆れとも、哀れみともつかない視線を投げた。 硬直していく体に逆らいながら、犬夜叉は声を絞り出す。 本能で、不味い、という感覚を悟っている。 「それ…」 「反省するなら、さっさとかごめ様を探しに行け」 弥勒がため息をつくと、珊瑚と七宝は哀れむような目で犬夜叉を見やる。 そして、同時にまたため息をついた。 「や・め・ろッッ!!」 その雰囲気に耐えられず、犬夜叉は怒鳴る。 と言っても、彼が怒鳴るのは日常茶飯事な事でもあるが。 しかし、いくらなんでも、 昔惚れていた女と見間違られるなど、屈辱的な事だろう。 確かに、同じ顔ではある。 だが、全く違うのだ。かごめと桔梗は。 「けっ」 「犬夜叉、どこへ行く?」 洞窟の入り口へと向かう犬夜叉に弥勒は手を伸ばす。 「……その辺りに近道でもないか、探してくるんだよ!」 犬夜叉がいなくなると、途端、水を打ったように静かになる。 彼が出ていった後に、珊瑚は弥勒を見やった。 「法師様、今の、わざと聞いたでしょ?」 「分かりましたか」 向かい合わせに座っている珊瑚と七宝を見ながら、 弥勒は笑みを浮かべる。 「当たり前でしょ。犬夜叉の性格考えれば、どこに行くかくらいわかるもの」 「かごめを迎えに行ったんじゃろう」 少し残っていた薪に火をつけながら、弥勒は頷く。 手を動かすと、腕に巻いている数珠が音を立てた。 「ま、たまにはお灸を据えるのも良いでしょう」 ―――何よ、犬夜叉のバカ!! 一体何度、その台詞を心の中で繰り返しただろう。 ずんずんと森の中を歩いていく。 太陽の光を浴びて、雨の滴がきらきらと光っている。 雨が上がったとはいえ、まだ少しは冷える。 身体を縮め、自分の腕を抱きしめた。 「…バカ…」 薪を拾ってくると言ったが、雨で濡れている木が役に立つはずもない。 いくつか拾い上げてみて、すぐに足元に放る。 大きくため息をつき、空を見上げた。 晴れ渡った空を、鳥と白い雲が通り過ぎていく。 「サイッテー」 一歩進もうとしたが、それは遮られた。 「え!?」 雨でぬかるんでいた大地が、かごめの足を掴んだのだ。 そのまま、勢い良く下まで滑り落ちていく。 途中に掴まる事の出来るものもなく、平たい地面で止まった。 かごめの身体は、泥まみれになって、あちこちに木の葉がついている。 それを払い落とそうとはするが、何分雨で湿っている為、 うまく落とせない。 泥は余計に広がるばかりだ。 その作業を途中で止めて、ため息をつく。 立ち上がろうとするが、足に激痛が走った。 「ッ!」 (挫いたかな?) 靴下を擦り下げると、右の足首が歪に膨れていた。 さっき見た時には気付かなかったが、赤く腫れ上がっている。 「どうしよう」 上まで登るつもりだったが、これでは身動きさえ取る事が出来ない。 何とか立ち上がろうとするが、やはり無理のようだ。 濡れた地面の上に座り込み、膝を抱える。 「何、やってるんだろ。私」 誰にともなく、ぽつりと呟く。 他に考える事がない所為か、悔しさ、情けなさが一気に満ちる。 振り切るように頭を振った。 そうして、熱くなってきた目頭を隠すように、膝へと顔を埋めた。 犬夜叉は、木から木へ飛び移りながら何かを探している。 「どこ行ったんだ、アイツ」 匂いを辿ろうとしたが、赤土の匂いが雨の所為で増しており、 かごめの匂いはかき消されている。 ふと下を見下ろすと、無造作に枝が置かれているのが目に入った。 あきらかに、自然なものではない。 誰かが故意に集めたものだ。 そこに降りて、匂いをかいでみる。 「かごめの匂いだ」 しかし、辺りを見回してもかごめの姿はない。 ふと、所々に捨てられた枝が、少し向こうまで続いているのに気がついた。 「あっちか?」 跳び回りながら探していた犬夜叉は、 地上に降りて、辺りを見回す。 足元の横の斜面に何かが滑った後がある。 まさかとは思いつつも、犬夜叉は下を見下ろした。 (・・・居た) 座り込んだ、かごめの姿が目に入る。 安堵感が溢れ、けれど、彼女の姿を見ると、不安も同時に襲った。 見つけると同時に、犬夜叉は、下まで飛び降りる。 かごめは、いきなり降ってきた影に体を揺らして驚いた。 「へ!?」 「何やってんだよ、こんな所で」 いつもの横柄な態度でかごめを見下ろす犬夜叉に、 ほっとする自分がいる事に気付く。 けれど、素直になるのも何だか癪で、そっぽを向いて口を尖らせた。 (いつもの、犬夜叉) 「あんた、見てわかんないの?落ちたのよ」 視線を合わせようとしない彼女に、罪悪感を感じながらも、 かごめの前に犬夜叉は座り込んだ。 「足、どうかしたのか?」 「え、あぁ。ちょっと、挫いちゃって」 言って、後悔した。 言わなければ良かったと、思った。 (やだ、犬夜叉の顔見らんない) 桔梗だったら、こんなヘマやらないだろう。 もっと、自分の事は自分で守って。 誰にも頼らないで。 桔梗だったら…。 「かごめ?」 「どうせ、私は桔梗とは違うわよ」 俯いて、当て付けのように言い放つ。 (って、違うでしょーっ!私が言いたいのはそんな事じゃなくて!!) 自分の中で自分を責める。 犬夜叉はと言えば、呆けた顔でかごめを見ていた。 「当たり前だろ」 「な…!?」 「桔梗は桔梗、かごめはかごめだ。違う人間なんだから、違うに決まってるじゃねえか」 あっさりと言う犬夜叉に、かごめは視線を戻した。 犬夜叉はバツが悪そうに、頬をかく。 「さっきは、寝ぼけてて…その…」 座ったままで、頭だけを下げる。 「悪かった」 「……」 何も言おうとしないかごめを、上目遣いに見上げる。 かごめは俯いてしまって、表情が見えない。 「まだ、怒ってるのか?」 「……いわ」 いつも自分から謝らない彼に、 こんなに素直に謝られては、怒っているのすら莫迦らしい。 殆ど失せていた怒気は、薙ぎ払われた。 「へ?」 「もういいわ」 呆れたように微笑むかごめを見て、人心地がつく。 「皆のところに帰りましょ」 「…あぁ」 そう言うかごめを背負うと、犬夜叉は降りてきた斜面をひとっ飛びで登る。 背負っているかごめに負担を与えない様に、静かに地に足をつけた。 「犬夜叉」 「あぁ?」 呼ばれて、面倒臭そうに返事をする。 耳元で、かごめは囁いた。 「私は『かごめ』よ。もう間違えないで、ね?」 犬夜叉は、かごめが足を挫いていたので、いつものように跳び回る事を避ける。 湿った地面を歩きながら、前を向いたまま返事をする。 水溜まりに足を入れると、波紋が広がった。 空が映っていた水面は、それを映したまま画像を歪ませる。 「間違えねえよ」 ぶっきらぼうに言い放つ犬夜叉に、自然、笑みが零れる。 ―――もう、2度と 犬夜叉の言葉にかごめは微笑み、彼の背中に顔を埋めた。 END あとがき |