愛おしさの方程式 |
寒さを感じたのか、気持ち良さそうに眠っていたウィンリィは、 無意識にもぞもぞとブランケットの中に潜り込んだ。 ぽっかりと空いてしまった空間に重たい瞼をぼんやりと持ち上げる。 カーテンの空いていない部屋は薄暗いが、隙間から差し込む日差しはすでに朝を教えていた。 ともすれば再びまどろんでしまいそうな目を抉じ開け、 ベッドの端に腰掛ける影をじぃっと見つめる。 「えど、も、おきる、の…?」 「ワリ、起こしたか?」 「いま、なんじ…」 「まだ5時半」 エドワードが起きているにしても、朝食にも朝食の準備にも少しばかり早い。 怪訝そうな彼女の視線を感じたのか、肩越しに振り返った。 「アルと軽く運動してくる」 下穿きだけを身に付けた彼の背中には新しくはない傷がいくつも残っている。 「また組み手?」 「身体が鈍るんだよ」 ふぅんと生返事をして、ウィンリィはつぅっとエドワードの背中に寝転がったまま指を走らせる。 ぞくりと肌が粟立ち、エドワードは声を失って勢い良く振り返った。 大分目が慣れてきた彼女の瞳にはしっかりと彼の紅潮した顔が映し出される。 怒っているような、困っているような、ごちゃ混ぜになった表情にウィンリィはころころと笑う。 「感じちゃった?」 「おま…ッ」 簡単に細い両腕を掴まれ、ベッドに縫い付けられる。 抵抗らしい抵抗も見せなかったウィンリィは、 くすくす笑いながら憮然と見下ろしてくるエドワードに抱き付いた。 「…昨日あんなにしたのにね、『運動』」 ぴたりと貼り付くようにして重ねられた肌から、 視界に入らずとも容易く彼女の身体の線は思い浮かぶ。 直に伝わるぬくもりにエドワードは身じろぎする。 忌々しいが身体はどうにも正直だ。 先程の台詞にしても、今の状況にしてもウィンリィが分かっていないはずがない。 「…どーして、そーゆーこと言うかな、お前はっ」 するすると、エドワードの背中に絡み付いていた腕が腰の辺りまで下りて来る。 動いたら動いたで自滅しそうな彼は身動きが取れない。 それすらも承知の上なのだろう、ウィンリィは彼の肌を撫で回す。 まずい、非常にまずい。 忍耐や我慢というものには限界がある。 留めようと名前を呼びかけた瞬間だった。 「傷だらけ」 ぽつん、と彼女は呟いた。 傷跡を撫でるようにして、指を滑らせる。 目の前にある右肩と左足に残る傷だけではなかった。 腹部から背中に突き抜けたような傷痕もあれば、腹部に横一文字に刻まれた裂傷の痕もあった。 よくよく見れば額にも憶えのある傷痕がうっすらと残っていて、 他にも闇目では気付かないだけで大小あれども残っているものがあるはずだ。 長い旅の中でエドワードに襲い掛かったであろう危険を、 遠く離れた場所にいるしか出来なかったウィンリィにまざまざと思い知らせた。 あの頃は近くに居ても足手纏いにしかならなかったことを、悔しく思うしかなかったのだ。 もう過去の話だと割り切ることだって出来たのにしなかった、否、最初から出来はしなかった。 こうして目にすると、思い返すと、痛みを覚える心をなかったことには出来ない。 黙り込んでしまったウィンリィの頭をぽんぽんと撫でて、エドワードは位置を入れ替える。 ベッドに寝転がった自分の上に彼女を抱え上げ、小さな身体を宥めるように撫でた。 「お前の所為じゃねぇだろが」 ブランケットを引き寄せ、ウィンリィの背中に掛ける。 「誰の所為とか言う問題じゃないのよ、莫迦」 顔を上げずに、ぺちりと鼻の頭を叩かれた。 この場合、悪いと謝っても怒られるのは目に見えていて、 仕方が無いので大人しくしていると今度は別の方向に意識が向いてしまって八方塞とは正にこのことだ。 男って生き物はどうしてこう…と軽く自己嫌悪に陥り、情けなさに嘆息する。 「…オレ、生きて帰るんだ、っていつも、思ってた」 微かにウィンリィが顔を上げた気配がした。 「諦めないってときには決まって、軍部の奴らとか、アルとか」 もしかしたらあれを走馬灯と呼ぶのかもしれない。 と、言うことはかなり笑えない状況だったのだろうか。 今になって恐ろしくなる。 「お前とか、思い出して」 ふわりとはちみつ色の髪が鼻先を掠める。 「お前の所為じゃない、けど、お前のお陰でここに居る」 待っていて、くれたから。 最後までは言えない、だが彼にしては及第点だ。 ウィンリィは衝動に任せてエドワードの胸にしがみついた。 愛おしい、愛おしい、愛おしい、愛おしい。 嬉しい言葉、優しい言葉、欲しい言葉がどうして分かってしまうのだろう。 胸の奥がふわりと疼く。 けれど。 「ね、エド」 「んー?」 「…身体は正直、ね?」 「は?」 台無しにしてくれるのも彼なのだ。 一拍の間を空けた後、折角の台詞の余韻も残さず、 エドワードはウィンリィをべりっと引き剥がした。 更にその所為でばっちりと視界に入ってしまった光景にもうろたえてしまう。 初めて目にするものでもなく、感じるものでもないのに、 エドワードの反応は全くと言って良いほど進歩していない。 余裕綽々なのも悔しいが、いつまでも初々しいのもどうかと思う。 「エドって、あれ、何だっけ、えっと…生娘みたいよね」 「…聞き捨てならん例えだな、オイ」 「じゃあ違うって証明、してみる?」 舌先でエドワードの唇をなぞり、唇を塞ぐ。 離れた唇を追うように今度はウィンリィのそれが塞がれる。 もつれるようにして倒れ込むと、彼女はエドワードに向かって悪戯好きな笑みを浮かべた。 「ただし、アルに上手い言い訳思い付くんならってハナシだけどね」 考えるまでも無い、無理だ、無理に決まっている。 そうでなくとも聡い弟が素知らぬふりで居てくれるはずがない。 「…起きる」 中途半端に投げ出されてしまった熱に、 憶えてろと捨て台詞を吐いたところであっさり受けて立つとか言われそうで。 ウィンリィは色々と勇ましい。 時々、エドワードやアルフォンスよりもよっぽど漢らしい。 だからこそ時折見せる恥じらいや愛らしい仕草にさっさと落ちてしまうのだ。 (卑怯だ…) エドワードは昂ぶった感情を鎮めるべく、もしくは憂さを晴らすべく、 泣きたい気分をぐっと堪えてアルフォンスの待つ庭へと向かうしかなかった。 END |
あとがき。 |
第77話から思いついた話。 我が家のヒロインはほんとに半端なく逆セクハラ率が異様に高い(笑)。 |
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