Lost My Memory
本当は、ずっと怖かった。
いつか、失ってしまうんじゃないかって。
いつか、消えてしまうんじゃないかって。
そして、それは現実になったんだ。
俺は、誰も守る事が出来なかった。
誰も、たった一人も。
あわただしく、廊下を多くの人が通りすぎていく。
悟空は、金蝉の部屋の扉を10センチ程度開けて、その様子を垣間見る。
部屋の中でも、金蝉が苛立たしそうに書類を机の上に放った。
椅子に座ってはいるが、その足は机の上に放り出されている。
「金蝉、それ仕事…」
悟空は尋ねようとしたが、それは最後まで言う事は出来ない。
金蝉の言葉が、それを途中で遮る。
「こんな時に仕事なんかして、なんの役に立つって言うんだよ」
意識はしていないが、口調がキツクなっている。
天界は、今、非常事態のようだ。
捲簾大将が釈迦に背き、大罪人の烙印を押されたとか、何とか。
天蓬元帥の姿が見えないという事は、おそらく共犯者となっているのだろう。
しかし、そんな大まかな事実が伝わってくるだけで、
詳しい事柄は、何も入ってこない。
色々な者が、好き勝手に噂されている。
どれが真実で、どれが虚偽なのかさえも分からなくなっている事も事実だ。
「…クソ…ッ!」
足を机から降ろし、手を組んで、それを見つめる。
ギリ、と金蝉は机の上で拳を強く握った。
『知ろうとしなければ、判らん事だってある』
―――知ろうとしても、知る術がねえんだよ
『見て見ぬフリもできるがな』
―――冗談じゃねえ。ンなのはごめんだ
だったら。
「どうしろって言うんだよ」
うめき声のように、金蝉は漏らした。
「金蝉」
悟空は、おずおずと金蝉の側に寄ってくる。
彼は、片肘を突いて、悟空へ視線を投げた。
「何だ?」
「天ちゃんも、ケン兄ちゃんも、大丈夫だよな?」
見上げてくる瞳は、不安でいっぱいで、今にも泣き出しそうだった。
一体、何をどう考えて大丈夫だと思うのだろう。
それとも、それは、ただ単に言葉にしなければ
心が壊れてしまいそうだったのだろうか。
「大丈夫だよな?」
悟空は、再度確認する。
金蝉は応える事が出来ない。
「なぁ、金蝉っ!!」
悲痛な叫びが、金蝉の耳に響く。
最後の方はかすれて、声にならない。
俯いて、自分の膝をつき、金蝉の膝に両手を乗せて、顔を埋める。
「天ちゃん…もっ、ケン兄ちゃんも、死んだりしないよな…っ!?」
泣き声で、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。
「悟空」
返事は出来ない。
答えは『否』だ。
どんなに信頼が厚い者であったとしても、
釈迦に背いた者には『死』あるのみだ。
ナタク太子のような、殺生を許された者によって処刑される事もある。
ただし、仏道は無殺生であるため、
表向きには『死』を与える事はしないだろう。
『封印』それが、天界では『死』を意味する。
(コイツにも、判っているのか)
死なないと言っても、それは何の気休めにもならない。
結果は、変わらない。
鳴咽を漏らしながら、肩を震えさせている。
金蝉はそんな悟空の背中をポンポンと叩いた。
「金蝉も……っ」
「?」
「金蝉も、死んだりしないよな…っ?」
彼は、目をわずかに見開く。
突拍子も無い言葉に、ただ驚くしか出来ない。
「ナタクも、天ちゃんも、ケン兄ちゃんも、金蝉も!皆、ずっと一緒にいられるよな…っ!?」
ずっと一緒に。
それは、叶う夢なのだろうか。
確かに、難しい事ではないだろう。
だが、この状況では何よりも難しい。
さっきよりも強い力で、金蝉の膝にあった手を握る。
金蝉は、悟空から目を離し、窓から遠くを見やった。
ふと、悟空が口を開く。
「桜が…」
「あ?」
「桜が…咲いたら、天ちゃんが皆で…御花見に行こうって」
泣き声も少しは止み、悟空は顔を浮かせた。
金蝉は、悟空に視線を戻す。
そうして、彼はもう一度金蝉を見上げる。
「皆で、行こうって言ったんだ」
自分に言い聞かせるように、強い口調で言葉を繋ぐ。
金蝉は、ペシッと悟空の額に指をはじいた。
「〜ッ!?」
あまりの痛さに、悟空は声を出す事も出来ない。
額を抑えて、その場にうずくまる。
金蝉は、そんな悟空の横を通り抜けて行き、扉を開いた。
「金蝉?」
「……桜か」
「え?」
悟空は、キョトンと彼の方を肩越しに見やる。
背を向けていた金蝉も肩越しに悟空に振り替える。
「たまにはいいかもな」
それが、彼の返事。
無愛想な彼が、時折見せる淡い微笑み。
見る者によっては、笑っている様には見えないが、
近しい者が見れば、それと分かる。
「金蝉…」
悟空は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
彼は、部屋を出る前に、一言付け足した。
「悟空」
「?」
「この部屋から、一歩も出るんじゃねえ。いいか、分かったな?」
「え、うん…?」
それが何を意味するのか分からなかったが、
悟空はとりあえず返事をする。
「金蝉?」
しかし、その呼び掛けには応えず、彼は部屋を出ていった。
―――ドクン
心臓がドクドクいってる。
変な感じがする。
嫌な予感がする。
何かが起こるような、そんな予感がした。
悟空は、服の上から胸をつかんだ。
手も、汗でぐっしょりと濡れている。
座り込んだまま、動く事が出来ない。
力が入らない。
「金蝉……?」
返事が無いと分かっていても、彼の名前を呼んでみる。
部屋の外が一段と騒がしくなる。
ビクリと悟空は身を縮めた。
(何だろ?)
何とか扉まで移動して、そこから聞き耳を立ててみる。
「…が…!」
(え…?)
「捲簾大将と天蓬元帥が処刑されたぞ!」
―――ドクン
さらに、心臓の鼓動が速く、そして重くなる。
「ナタク太子も、自害を図ったそうだ。あの傷では、到底助からんだろうが…。」
―――ドクン
喉が渇いて、ヒリヒリする。
もう、誰が何を言っているのか分からない。
「金蝉童子が天帝に意見しに行ったそうだが、間に合わなかったな」
悟空は、反射的に部屋を飛び出した。
『この部屋から、一歩も出るんじゃねえ』
(ごめん、金蝉)
走りながら、謝罪の言葉が胸に浮かぶ。
彼がおそらくいるであろう場所に、悟空は走った。
大人しくしているなんて、出来るはずも無かった。
「嘘だ」
息を切らしながら、呟くように口を開く。
「天ちゃんと、ケン兄ちゃんが死んだなんて嘘だ」
それは、現実だと分かっていても、
拒否するような考え。
「ナタクが死にそうだなんて嘘だ」
だって、言ったじゃん。
ナタクはいろんなこと教えてくれるって。
天ちゃんとケン兄ちゃんはまた、一緒に遊ぼうって。
廊下にいる者に何度もぶつかりながら、
何度も転びそうになりながら、
悟空は、うろ覚えである天帝の謁見の間を目指した。
「金蝉…っ!」
皆、言ってくれたじゃん。
御花見行こうって。
『もうすぐ桜が咲きますね。皆で、御花見にでも行きましょうか』
『いいねえ。あの仏頂面の保護者さんとナタクでも誘ってこいよ』
『え、花見?行く行く!じゃあさ、俺とお前で、桜が一番綺麗に咲く場所探して、驚かしてやろうぜ』
それぞれの言葉が、脳裏に浮かぶ。
「約束したのに…っ」
『桜か…。たまにはいいかもな』
「…俺…やだよ」
零れそうになった涙を拭い去るように、目をこする。
「皆がいなくなるなんて、金蝉がいなくなるなんて…」
キッと、正面を見据えて更に速度を増す。
「絶対に嫌だ!!」
そこには光が見えて、金蝉のもとに辿り着いた事を、彼に報せるようだった。
皆、いなくなった。
俺は誰も守れなかった。
俺がもっと強かったら、
こんな、子どもじゃなかったら、
皆は死なずにすんだのかな。
ずっと、一緒にいられたのかな。
俺は、どうすれば良かった?
それから、悟空の前に再び太陽が訪れるまで500年の月日が流れる。
その手を掴んだその瞬間から、止まっていた時間が流れ始めた。
『アンタ、誰?』
END
あとがき
アンハッピーエンドとは、このことですね(汗)。
悟空を泣かせてばっかりで、申し訳ないです。
どんな子どもでも、幼いなりに、色々な事を感じ取っていると思います。
実社会の中でも、子どもが一番感じ取りやすく、そして、一番の被害者になり得るのです。
まあ、それを笠に着て犯罪犯すガキどもは知ったこっちゃないですけれどね。
倦簾、天蓬、ナタク、いきなり一気に殺してすみません(汗)。
本当は、ナタク殿に倦簾と天蓬を殺させようとしたのですが、
それではあまりにも残酷ですし、それこそ、原作と大分違ってくるでしょうから。
原作は、そこまでいっていませんので、
これは、あくまで私の想像です。
この小説はキリ番申告をして頂いた菜枝様に、ささげます。