Never Don't Wish |
『奇蹟』が起きて欲しいと思った。 『奇蹟』が起きると思った。 きっとこんな時に『奇蹟』が起きると思っていたんだ。 けれどそれは、狂葬曲の始まりに過ぎなかった。 遠くから、呼ぶ声が聞える。 「―――…ぅ、悟空!」 天蓬は悟空の名を呼ぶ。 彼の後ろから覗き込むように、捲簾が少々呆れた調子でぼやいた。 「だから言ってるだろ、散らかしすぎなんだって」 「悠長なこと言ってる場合ですかっ」 事の始まりは、天蓬の自室に悟空が遊びに来たことだった。 いつもどおり捲簾と騒いでいたまでは良かった。 悪ふざけが過ぎて、天蓬の本棚に激突したのだ。 彼の本棚といえば、本という本が並べられているというよりも、 積み上げられていると言った方が正確だ。 そんなところに衝撃が加われば、安易に崩れ落ちるのは想像に難くない。 それらの全てが悟空の上に落ちていくことも。 悟空は頭を打ったのか、そのまま昏倒してしまった。 「こりゃ、金蝉が織ったらどうなるやら…」 ソファに寝かされている悟空の頬を突付きながら、捲簾は冷や汗を感じる。 額の濡れタオルを変えながら、天蓬はため息をつく。 「これからは、簡単に崩れないように散らかすべきですね」 「…片付けようと思わんのか、お前は」 彼の台詞に脱力する。 「厭だなあ。捲簾の仕事、取っちゃいけないでしょう?」 にこやかに告げられ、さらに脱力する。 ―――いつか絶対泣かしてやる そう心に決めた捲簾であった。 しばらくして、悟空の意識が戻る。 眠たそうに、何度か目を擦った。 状況の把握が出来ていないのであろう。 辺りを、目だけ動かして確認する。 「悟空。気が付いたんですね」 「あれぇ、天ちゃん?」 起き上がろうとするが、クラリと軽い眩暈がして、 もう一度倒れこむ。 「悟空?!」 「ん、大丈夫」 彼は言って、力の無い笑みを返した。 身軽に、天帝の聖誕祭で暴れる悟空を覚えていたためだろうか。 『普通』より頑丈な体だと思い違いをしていた。 怪我もすれば、病気もする。 変わらないのだ。 「本当に?」 尚も心配げに天蓬は彼の顔を覗き込んだ。 「このまま貴方が目覚めなかったら」 軽く、頭を撫でて瘤ができていないか確かめる。 「『奇蹟』でも起きれば良いって、ガラにもなく思っちゃいましたよ」 いつのまにか、捲簾が氷枕を手にしている。 ポシャリ、と水音を立てて、悟空の頭の下に入れ込んだ。 「ホラよ。こっちのが良いだろ?」 「ありがと、ケン兄ちゃん」 「どういたしまして」 口元だけに笑みを浮かべて、捲簾は笑う。 実際は熱が高いときに使うものだが、こういう手段もあるようだ。 「ね、天ちゃん」 「何ですか?」 「『奇蹟』って、何?」 「え?」 不思議そうに尋ねてくる悟空に、天蓬は面食らう。 普段使う言葉でも、イキナリ尋ねられると詳しく説明できない。 曖昧な意味しか捉えていないのだと、改めて分かる。 「そう、ですねぇ」 「アレだろ?こう、『信じられないこと』っての?」 2人は近くにある椅子を引き寄せて、掛ける。 「『信じられないこと』?」 「えぇ。悪い意味じゃなくて、良い意味で使いますね」 簡単に、例を挙げる。 「『金蝉が微笑んだ』なんてのも、ある意味『奇蹟』です」 「ちょっと待て」 背後から、間髪入れず批難の声が上がる。 「あれ、金蝉。いつの間に?」 悪びれる様子も無く、天蓬は穏やかな笑みを浮かべて振り返った。 ノックしたのだろうが、気付かなかった。 「猿が世話になっていると聞いたからな」 「あぁ。捲簾が知らせたんですね」 「お前と違って、意外とマメだな」 「…オイコラ」 本人目の前にして、サラリと暴言を吐く。 捲簾に至っては誉めているようだが、何気に貶しているのは明白。 金蝉に悟空が自分達の所為で倒れたなどと織れたらエライことだが、 報せないわけにはいかなかったようだ。 「金蝉なら、この前微笑ってたぞ?」 悟空の一言に、一瞬にしてその場が凍りつく。 「良かったじゃねーか。その目で『奇蹟』が見られて」 他に言うこともあっただろうが、思いつかなかったのだろう。 捲簾は強張った笑みのまま、明後日の方向を見やる。 「『奇蹟』なんて、本当にあるんですねぇ…」 しみじみと言う天蓬。 明らかに莫迦にされている。 その雰囲気が分かったか、金蝉の額に血管が浮かぶ。 「貴様ら…俺を一体何だと…?」 彼は話題を変えるように、悟空に話し掛けた。 「それに、『奇蹟』云々ならソイツが一番だろ」 悟空を指さし、金蝉もまた傍にあった椅子に腰掛けた。 幼子がすぐに動けないと悟ったのだろう。 「俺?」 「あぁ、そうですね」 「ウマイこと言うな」 天蓬も捲簾も微笑み、悟空を見やる。 彼1人が不思議そうな顔をしていた。 大地の愛子。 大地が生み出だした、稀なる存在。 しかし、その他大勢は口を揃えて言う。 『異端』なる、存在だと。 「どうして、俺が『奇蹟』なの?」 まだ分からない、と言う様に首を傾げる悟空。 「確かに、俺…ヘンだよ。だから?」 多少ならば、己のことを織っているのだろう。 悟空は語尾を小さくさせながら、口を開く。 「違ぇよ」 ガタリ、と席を立ち、捲簾はベッドの脇に立った。 上から悟空を覗き込み、笑いをかみ殺す。 軽く頷いて、天蓬も微笑む。 「貴方が、今、ここにいること自体が、『俺達にとっての奇蹟』だと言ってるんです」 横で、捲簾がクサイと喚いていたが、反論もしない。 自分でもそう思うのだから。 けれど、どんな言葉だったとしても、思うのだ。 悟空の前では、嘘偽りのない台詞だと。 全ては、本当のオモイなのだと。 きっと、ココにいる皆が感じているだろう。 「ココに…いてもいいの?」 悟空はぽつり、と呟く。 起き上がって、彼らを見つめた。 「本当に、俺、ココにいてもいいの?」 不安げに、所在無さ気に彼は言う。 居てはならないものだと、生まれてきたことが『罪』であると。 生まれながらにして、『大罪』を背負わされた者。 その存在さえ、『凶つ神』のように思われているのに。 この両手両足は、未だに枷をつけられたままなのに。 「ココにいる誰が、駄目だなんて言うんです?」 誰も、そんなことは言わない。 天蓬は暗にそう言った。 彼につられるように、悟空は微笑む。 「…うんっ」 悟空の返事が合図のように、金蝉は立ち上がる。 「もう大丈夫だな。帰るぞ」 スタスタと出入り口へと歩いて行く金蝉。 後を追いかけて、悟空はベッドから飛び降りた。 「金蝉、待てよっ」 ぱたぱたと、彼とは似ても似つかぬ足音だ。 微笑ましいと思ったのか、中にいた2人は思わず和んだ。 その幼子は出て行く寸前で、くるりと振り返る。 「あのね、俺、思ったんだ」 とびっきりの笑顔で、告げた。 「もっともっと、嬉しい『奇蹟』がたくさん起きるといいなぁって」 じゃあね、最後に言うと、彼は部屋を後にした。 悟空の去った部屋は、とても静かで。 先に口を開いたのは、天蓬だった。 「本当に、悟空には驚かされてばかりですね」 頭を掻きながら、捲簾も苦笑する。 「アイツは、疑うことを織らねぇからな」 「それが、長所であり、短所でもあるんでしょうけれど」 『奇蹟』など、そう簡単に起きるものではない。 どうしてもと願ったその時に起こる、信じられない現象。 それが、『奇蹟』。 逆に言うと、『奇蹟』を願うことなどない方が良いのかもしれない。 特に、この先では。 「悟空の言う、『奇蹟』。起こると思いますか?」 天蓬は、煙草に火をつけながら意味深に呟く。 「起こればラッキー、起こらなくて当たり前ってか?」 咥えようとした煙草を、捲簾は折って灰皿に投げた。 「俺達の望む『奇蹟』なんざ、タカが織れてる」 だから、悟空は織らなかった。 嬉しいことばかりを『奇蹟』と呼ばないことを。 身を切られるオモイの中で起こる、好転する出来事。 多くがそれを『奇蹟』と呼ぶことを。 「こ…ん………ぜ…?」 紅に染まっていく世界。 揺らぐ視界。 何もかもが見えなくなっていく。 どうして、こうも響くのだろう。 あの時の、無防備な台詞が。 『もっともっと、嬉しい『奇蹟』がたくさん起きるといいなぁって』 織らなかったから言えた。 織らなければ良かった。 織らないままでいたかった。 『奇蹟』は起きて欲しい時には、起きないなんて。 だって、ホラ。 『奇蹟』は起きない。 END |
あとがき。 |
miyuki様に差し上げた、HP開設祝いです。 暗いけどね!暗いけどね――!!(叫) 昔の悟空殿は無邪気って感じ。 今も十分そうだけど、それとは違って。 ただ、純粋に信じる。 疑うことを織らない、純真無垢なタマシイ。 だからこそ、傷付きやすいというような。 |